歌行灯

5話 歌行灯(5)

7,277字 約15分 2002年1月9日 公開

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「よく聞いて、しばらく(じっ)と顔を見ていなさいました。

(芸事の出来るように、神へ願懸(がんがけ)をすると云って、夜の明けぬ内、外へ出ろ。鼓ヶ嶽の裾にある、雑樹林の中へ来い。三日とも思うけれど、主人には、七日と頼んで。すぐ、今夜の明方から。……分ったか。若い女の途中が(あぶな)い、この入口まで来て待ってやる、(ばか)されると思うな、夢ではない。……)

 とお言いのなり、三味線を胸に附着(くッつ)けて、フイと暗がりへ附着いて、黒塀を()きなさいます。……

 その事は言わぬけれど、明方の三時から、夜の白むまで垢離(こり)取って、願懸けすると頼んだら、姉さんは、喜んで、承知してくれました。

 殺されたら死ぬ気でな、――大恩のある御主人の、この格子戸も見納めか、と思うようで、軒下へ出て振返って、(かど)(なが)めて、立っているとな。

(おいで、)

 と云って、突然(いきなり)背後(うしろ)から手を取りなすった、門附のそのお方。

 私はな、よう覚悟はしていたが、天狗様に(さら)われるかと思いましたえ。

 あとは夢やら(うつつ)やら。明方内へ帰ってからも、その(あと)は二日も三日もただ(ぼう)としておりましたの。……鼓ヶ嶽の松風と、五十鈴川の(ながれ)の音と聞えます、雑木の森の暗い中で、その方に教わりました。……舞も、あの、さす手も、ひく手も、ただ背後(うしろ)から背中を抱いて下さいますと、私の身体(からだ)が、舞いました。それだけより存じません。

 もっとも、私が、あの、鳥羽の海へ投入れられた、その身の上も話しました。その方は不思議な事で、私とは(かたき)のような中だ事も、いろいろ入組んではおりますけれど、鼓ヶ嶽の裾の話は、誰にも言うな、と口留めをされました。何んにも話がなりません。

 五日目に、もう可いから、これを舞って座敷をせい。芸なし、とは言うまい、ッて、お記念(かたみ)なり、しるしなりに、この舞扇を下さいました。」

 と袖で胸へしっかと抱いて、ぶるぶると肩を震わした、後毛(おくれげ)がはらりとなる。

 捻平溜息(ためいき)をして(うなず)き、

「いや、よく分った。教え方も、習い方も、話されずとよく分った。時に、山田に居て、どうじゃな、その舞だけでは勤まらなんだか。」

「はい、はじめて(うた)いました時は、(みんな)が、わっと笑うやら、中には(おそろし)(こわ)いと云う人もござんす。なぜ言うと、五日ばかり、あの私がな、天狗様に誘い出された、と風説(うわさ)したのでござんすから。」

「は、いかにも師匠が魔でなくては、その立方は習われぬわ。むむ、で、何かの、伊勢にも(うたい)うたうものの、五人七人はあろうと思うが、その連中には見せなんだか。」

「ええ、物好(ものずき)に試すって、呼んだ方もありましたが、地をお謡いなさる方が、何じゃやら、ちっとも、ものにならぬと言って、すぐにお()めなさいましたの。」

「ははあ、いや、その足拍子を入れられては、やわな(うたい)(ちぎ)れて飛ぶじゃよ。ははははは、(うな)る連中粉灰(こっぱい)じゃて。かたがたこの桑名へ、住替えとやらしたのかの。」

「狐狸や、いや、あの、()えて飛ぶ処は、(ふくろ)憑物(つきもの)がしよった、と皆気違(きちがい)にしなさいます。姉さんも、手放すのは可哀相や言って下さいましたけれど、……周囲(まわり)の人が承知しませず、……この桑名の島屋とは、(ゆき)かいはせぬ遠い中でも、姉さんの縁続きでござんすから、預けるつもりで寄越(よこ)されましたの。」

「おお、そこで、また辛い(おもい)をさせられるか。まずまず、それは後でゆっくり聞こう。……そのお()(わし)同一(おんなじ)じゃ。天魔でなくて、若い女が、(わざ)をするわと、仰天したので、手を留めて済まなんだ。さあ、立直して舞うて下さい。大儀じゃろうが一さし頼む。(わし)(ひさし)ぶりで可懐(なつか)しい、御身(おんみ)の姿で、若師匠の御意を得よう。」

 と(ことば)(うち)に、膝で解く、その風呂敷の中を見よ。土佐の名手が(えが)いたような、(あか)調(しらべ)立田川(たつたがわ)、月の裏皮、表皮。玉の(きぬた)を、打つや、うつつに、天人も聞けかしとて、雲井、と(めい)ある秘蔵の塗胴(ぬりどう)(おい)手捌(てさば)き美しく、(にしき)()を、投ぐるよう、さらさらと緒を()めて、火鉢の火に高く(かざ)す、と……呼吸(いき)をのんで驚いたように見ていたお千は、思わず、はっと両手を()いた。

 芸の威厳は争われず、この捻平を誰とかする、七十八歳の(おきな)、辺見秀之進。近頃孫に()を譲って、雪叟(せっそう)とて隠居した、小鼓取って、本朝無双の名人である。

 いざや、小父者(おじご)は能役者、当流第一の老手、恩地源三郎、すなわちこれ。

 この二人は、侯爵(こうしゃく)津の(かみ)が、参宮の、仮の(やかた)に催された、一調の番組を勤め済まして、あとを膝栗毛で帰る途中であった。

       二十一

 さて、饂飩屋(うどんや)では門附の兄哥(あにい)が語り次ぐ。

「いや、それから、いろいろ勿体つける所作があって、やがて大坊主が謡出(うたいだ)した。

 聞くと、どうして、思ったより出来ている、按摩(はり)の芸ではない。……戸外(おもて)をどッどと吹く風の中へ、この声を打撒(ぶちま)けたら、あのピイピイ笛ぐらいに(まと)まろうというもんです。成程、随分夥間(なかま)には、此奴(こいつ)に(的等。)扱いにされようというのが少くない。

 が、私に取っちゃ小敵(しょうてき)だった。けれども芸は大事です、(あなど)るまい、と気を()めて、そこで、膝を。」

 と坐直(すわりなお)ると、肩の按摩が上へ浮いて、門附の衣紋(えもん)(しま)る。

「……この膝を(ちょう)と叩いて、黙って二ツ三ツ拍子を取ると、この拍子が尋常(ただ)んじゃない。……親なり師匠の叔父きの膝に、小児(こども)の時から、抱かれて習った相伝だ。対手(あいて)の節の隙間を切って、伸縮(のびちぢ)みを()めつ、緩めつ、声の重味を刎上(はねあ)げて、咽喉(のど)の呼吸を突崩す。寸法を知らず、間拍子の分らない、まんざらの素人は、盲目聾(めくらつんぼ)で気にはしないが、ちと商売人の端くれで、いささか心得のある対手(あいて)だと、トンと一つ打たれただけで、もう声が引掛(ひっかか)って、節が不状(ぶざま)蹴躓(けつまず)く。三味線の(あい)同一(おんなじ)だ。どうです、意気なお方に釣合わぬ……ン、と一ツ()ねないと、野暮な矢の字が、とうふにかすがい、(ぬか)に釘でぐしゃりとならあね。

 さすがに心得のある奴だけ、商売人にぴたりと一ツ、拍子で声を押伏(おっぷ)せられると、張った調子が直ぐにたるんだ。思えば余計な若気の過失(あやまち)、こっちは畜生の浅猿(あさま)しさだが、対手(あいて)は素人の悲しさだ。

 あわれや宗山。見る内に、額にたらたらと()と汗を流し、死声(しにごえ)を振絞ると、(あご)から胸へ(あぶら)を絞った……あのその大きな唇が海鼠(なまこ)を干したように乾いて来て、舌が(こわ)って呼吸(いき)発奮(はず)む。わなわなと震える手で、畳を(つか)むように、うたいながら猪口(ちょこ)を拾おうとする処、ものの本をまだ一枚とうたわぬ(さき)、ピシリとそこへ高拍子を打込んだのが、下腹(したっぱら)へ響いて、ドン底から節が抜けたものらしい。

 はっと火のような呼吸(いき)を吐く、トタンに真俯向(まうつむ)けに突伏(つッぷ)す時、長々と舌を吐いて、犬のように畳を()めた。

(先生、御病気か。)

 って私あ莞爾(にっこり)したんだ。

(是非聞きたい、平にどうか。宗山、この上に(つんぼ)になっても、貴下(あなた)のを一番、聞かずには死なれぬ。)

 と(こぶし)を握って、せいせい言ってる。

(按摩さん。)

 と私は呼んで、

(尾上町の藤屋まで、どのくらい離れている。)

(何んで、)

 と聞く。

(間によっては声が響く。内証で来たんだ。……藤屋には私の声が聞かしたくない、叔父が一人寝てござるんだ。勇士は霜の気勢(けはい)を知るとさ――たださえ目敏(めざと)老人(としより)が、この風だから寝苦しがって、フト起きてでもいるとならない、祝儀は置いた。帰るぜ。)

 ト宗山が、(じっ)(ふさ)いだ目を、ぐるぐると動かして、

(しばら)く、今の拍子を打ちなされ……古市から尾上町まで声が聞えようか、と言いなされる、御大言、年のお(わか)さ。まだ一度(ひとたび)も声は聞かず、顔はもとより見た事もなけれども……当流の大師匠、恩地源三郎どの養子と聞く……同じ喜多八氏の外にはあるまい。さようでござろう、恩地、)

 と私の名をちゃんと言う。

 ああ、酔った、」

 と杯をばたりと落した。

饒舌(しゃべ)って悪い私の名じゃない。叔父に済まない。二人とも、誰にも言うな。……」

 と鷹揚(おうよう)で、按摩と女房に目をあしらい。

「私は羽織の裾を払って、

(違ったような、当ったようだ、が、何しろ、東京の的等の一人だ。宗家の宗、本山の山、宗山か。若布(わかめ)の附焼でも土産に持って、東海道を()い上れ。恩地の台所から音信(おとず)れたら、叔父には内証で、居候の腕白が、独楽(こま)を廻す片手間に、この浦船でも教えてやろう。)

 とずっと立つ。

       二十二

痘瘡(あばた)の中に白眼(しろまなこ)()いて、よたよたと立上って、(いきどお)った声ながら、

可懐(なつかし)いわ、若旦那、盲人の悲しさ顔は見えぬ。触らせて下され、つかまらせて下され、一撫(ひとな)で、撫でさせて下され。)

 と言う。

 いや、撫られて(たま)りますか。

 摺抜(すりぬ)けようとするんだがね、六畳の狭い座敷、盲目(めくら)でも自分の(うち)だ。

 素早く、階子段(はしごだん)の降口を(ふさ)いで、むずと、大手を拡げたろう。……影が天井へ(かか)って、充満(いっぱい)の黒坊主が、汗膏(あせあぶら)を流して撫じょうとする。

 いや、その嫉妬(しっと)執着(しゅうぢゃく)の、険な不思議の形相が、今もって忘れられない。

可厭(いや)だ、可厭だ、可厭だ。)と、こっちは夢中に出ようとする、よける、留める、行違うで、やわな、かぐら堂の二階中みしみしと鳴る。風は轟々(ごうごう)と当る。ただ黒雲に()かれたようで、可恐(おそろ)しくなった、(すご)さは凄し。

 ()と、引潜(ひっくぐ)って、ドンと飛び摺りに、どどどと()け下りると、ね。

(そで)や、止めませい。)

 と宗山が二階で(わめ)いた。皺枯声(しわがれごえ)が、風でぱっと耳に当ると、三四人立騒ぐ女の中から、すっと美しく姿を抜いて、格子を開けた門口(かどぐち)で、しっかり(つか)まる。吹きつけて()む風で、(さっ)(あか)(つま)(から)むように、私に(すが)ったのが、結綿(ゆいわた)の、その娘です。

 背中を揉んでた、薄茶を出した、あの影法師の(めかけ)だろう。

 ものを言う(すずし)い、(はり)のある目を上から見込んで、構うものか、行きがけだ。

(可愛い人だな、おい、殺されても死んでも、人の玩弄物(おもちゃ)にされるな。)

 と言捨てに突放(つッぱな)す。

(あれ。)と云う声がうしろへ、ぱっと吹飛ばされる風に向って、砂塵(しゃじん)の中へ、や、躍込むようにして一散に()けて返った。

 (のち)に知った、が、妾じゃない。お袖と云うその可愛いのは、宗山の娘だったね。それを娘と知っていたら、いや、その時だって気が付いたら、按摩が親の仇敵(かたき)でも、(わっし)あ退治るんじゃなかったんだ。」

 と不意にがッくりと胸を折って俯向(うつむ)くと、按摩の手が、肩を(すべ)って、ぬいと越す。……その袖の陰で、取るともなく、落した杯を探りながら、

「もしか、按摩が尋ねて来たら、堅く()らん、と言え、と宿のものへ吩附(いいつ)けた。叔父のすやすやは、上首尾で、並べて取った床の中へ、すっぽり入って、引被(ひっかぶ)って、(いい)心持に寝たんだが。

 ああ、寝心の()い思いをしたのは、その晩きりさ。

 なぜッて、宗山がその夜の(うち)に、私に(はずかし)められたのを口惜(くや)しがって、傲慢(ごうまん)な奴だけに、ぴしりと、もろい折方、憤死してしまったんだ。七代まで流儀に(たた)る、と手探りでにじり(がき)した遺書(かきおき)を残してな。死んだのは鼓ヶ嶽の裾だった。あの広場(ひろっぱ)の雑樹へ(さが)って、()が明けて、やッと小止(こやみ)になった風に、ふらふらとまだ動いていたとさ。

 こっちは何にも知らなかろう、風は()ぐ、天気は(よし)。叔父は一段の上機嫌。……古市を立って二見へ行った。朝の(うち)、朝日館と云うのへ入って、いずれ泊る、……先へ鳥羽へ行って、ゆっくりしようと、直ぐに車で、上の山から、日の出の下、二見の浦の上を通って、日和山を桟敷(さじき)に、山の上に、海を青畳(あおだたみ)にして二人で半日。やがて朝日館へ帰る、……とどうだ。

 旅籠(はたご)の表は黒山の人だかりで、内の廊下もごった返す。大袈裟(おおげさ)な事を言うんじゃない。伊勢から私たちに逢いに来たのだ。按摩の変事と遺書(かきおき)とで、その日の内に国中へ知れ渡った。別にその事について文句は申さぬ。芸事で宗山の(とどめ)を刺したほどの(えら)い方々、是非に一日、山田で(うたい)が聞かして欲しい、と羽織袴(はおりはかま)、フロックで押寄せたろう。

 いや、叔父が怒るまいか。日本一の不所存もの、恩地源三郎が申渡す、向後一切(いっせつ)、謡を口にすること罷成(まかりな)らん。立処(たちどころ)に勘当だ。さて宗山とか云う盲人、(おの)不束(ふつつか)なを知って屈死した心、かくのごときは芸の上の鬼神(おにがみ)なれば、自分は、葬式(とむらい)送迎(おくりむかい)、墓に謡を手向きょう、と人々と約束して、私はその場から追出された。

 あとの事は何も知らず、その時から、津々浦々をさすらい歩行(ある)く、門附の果敢(はかな)い身の上。」

       二十三

「名古屋の大須の観音の裏町で、これも浮世に別れたらしい、三味線一(ちょう)、古道具屋の店にあったを工面(くめん)したのがはじまりで、一銭二銭、三銭じゃ木賃で泊めぬ()も多し、日数をつもると野宿も半分、京大阪と()めぐって、西は博多まで行ったっけ。

 何んだか伊勢が気になって、妙に急いで、逆戻りにまた来た。……

 私が言ったただ一言(ひとこと)、(人のおもちゃになるな。)と言ったを、生命(いのち)がけで守っている。……可愛い娘に逢ったのが一生の思出(おもいで)だ。

 どうなるものでもないんだから、早く影をくらましたが、四日市で煩って、女房(おかみ)さん。」

 と呼びかけた。

「お前さんじゃないけれど、深切な人があった。やっと足腰が立ったと思いねえ。上方筋は何でもない、間違って謡を聞いても、お百姓が、(風呂が沸いた)で竹法螺(たけぼら)吹くも同然だが、(あずま)へ上って、箱根の山のどてっぱらへ手が(かか)ると、もう、な、江戸の鼓が響くから、どう我慢がなるものか! うっかり謡をうたいそうで危くってならないからね、今切(いまぎれ)は越せません。これから大泉原(おおいずみはら)員弁(いなべ)阿下岐(あげき)をかけて、大垣街道。岐阜へ出たら飛騨越(ひだごえ)で、北国(ほっこく)筋へも廻ろうかしら、と富田近所を三日稼いで、桑名へ来たのが昨日(きのう)だった。

 その今夜はどうだ。不思議な人を二人見て、遣切れなくなってこの(うち)へ飛込んだ。が、(ながし)の笛が身体(からだ)(ささ)る。いつもよりはなお激しい。そこへまた影を見た。美しい影も見れば、可恐(おそろ)しい影も見た。ここで按摩が殺す気だろう。構うもんか、勝手にしろ、似たものを(ひき)つけて、とそう覚悟して按摩さん、背中へ(つかま)ってもらったんだ。

 が、筋を抜かれる、身を《むし》られる、私が五体は裂けるようだ。」

 とまた差俯向(さしうつむ)く肩を越して、按摩の手が、それも物に震えながら、はたはたと(おのの)きながら、背中に獅噛(しが)んだ(つら)附着(くッつ)く……門附の(あわせ)()せた色は、膚薄(はだうす)な胸を透かして、動悸(どうき)が筋に映るよう、あわれ、博多の柳の姿に、土蜘蛛(つちぐも)一つ(から)みついたように(すご)く見える。

「誰や!」

 と、不意に吃驚(びっくり)したような女房の声、うしろ見られる神棚の(ともし)も暗くなる端に、べろべろと紙が濡れて、(かど)の腰障子に穴があいた。それを見咎(みとが)めて一つ(わめ)く、とがたがたと、跫音(あしおと)高く、()退()いたのは御亭どの。

 いや、困った親仁(おやじ)が、一人でない、薪雑棒(まきざっぽう)棒千切(ぼうちぎ)れで、二人ばかり、若いものを連れていた。

「御老体、」

 雪叟が小鼓を()めたのを見て……こう言って、恩地源三郎が儼然(げんぜん)として顧みて、

「破格のお附合い、(おそれ)多いな。」

 と膝に扇を取って会釈をする。

「相変らず未熟でござる。」

 と雪叟が礼を返して、そのまま座を下へおりんとした。

「平に、それは。」

「いや、蒲団の上では、お流儀に失礼じゃ。」

「は、その()の舞が、(おい)の奴の(おもかげ)ゆえに、遠慮した、では私も、」

 と言った時、左右へ、敷物を(ひと)しく()ねた。

「嫁女、嫁女、」

 と源三郎、二声呼んで、

「お三重さんか、私は嫁と思うぞ。喜多八の叔父源三郎じゃ、(あらた)めて一さし舞え。」

 二人の名家が(きっ)と居直る。

 瞳の動かぬ気高い顔して、恍惚(うっとり)と見詰めながら、よろよろと引退(ひきさが)る、と黒髪うつる藤紫、肩も(かいな)嬌娜(なよやか)ながら、袖に構えた扇の利剣、霜夜に声も凜々(りんりん)と、

「……引上げたまえと約束し、一つの利剣を抜持って……」

 肩に(あや)なす鼓の手影、雲井の胴に光さし、(つや)が添って、名誉が()めた心の花に、調(しらべ)の緒の色、(さっ)と燃え、ヤオ、と一つ声が(かか)る。

「あっ、」

 とばかり、(きっ)と見据えた――能楽界の鶴なりしを、雲隠れつ、と(おし)まれた――恩地喜多八、饂飩屋の床几(しょうぎ)から、()と片足を土間に落して、

「雪叟が鼓を打つ! 鼓を打つ!」と身を()んだ、胸を()めて、(あわただ)しく取って(おお)うた、手拭に、かっと血を吐いたが、かなぐり棄てると、右手(めて)(つか)んで、按摩の手をしっかと取った。

(たた)らば、祟れ、さあ、按摩。湊屋の(かど)まで来い。もう一度、若旦那が聞かしてやろう。」

 と、引立(ひった)てて、ずいと出た。

「(源三郎)……かくて竜宮に至りて宮中を見れば、その高さ三十丈の玉塔に、かの玉をこめ(おき)香花(こうげ)を備え、守護神は八竜並居(なみい)たり、その外悪魚(わに)の口、(のが)れがたしや(わが)命、さすが恩愛の故郷(ふるさと)のかたぞ恋しき、あの浪のあなたにぞ……」

 その時、(みなぎ)る心の(はり)に、島田の元結(もとゆい)ふッつと切れ、肩に崩るる緑の黒髪。水に乱れて、灯に(ゆら)めき、畳の海は(もすそ)に澄んで、(ちり)(とど)めぬ舞振(まいぶり)かな。

「(源三郎)……我子(わがこ)()らん、父大臣もおわすらむ……」

 と声が(かす)んで、源三郎の()謡う節が、フト途絶えようとした時であった。

 この湊屋の門口で、(さわやか)に調子を合わした。……その声、白き(にじ)のごとく、()と来て、お三重の姿に()した。

「(喜多八)……さるにてもこのままに別れ(はて)なんかなしさよと、涙ぐみて立ちしが……」

「やあ、大事な処、倒れるな。」

 と源三郎すっと座を立ち、よろめく三重の(せな)を支えた、(おい)(かいな)女浪(めなみ)の袖、この後見の大磐石に、みるの緑の黒髪かけて、(さっ)(かざ)すや舞扇は、銀地に、その、雲も恋人の影も立添う、光を放って、(ともしび)(しら)めて舞うのである。

 舞いも舞うた、謡いも謡う。はた雪叟が自得の秘曲に、桑名の海も、トトと大鼓(おおかわ)の拍子を添え、川浪近くタタと鳴って、太鼓の(ひびき)(みぎわ)を打てば、多度山(たどさん)の霜の頂、月の御在所ヶ(たけ)の影、鎌ヶ嶽、(かむり)ヶ嶽も冠着て、客座に並ぶ気勢(けはい)あり。

 小夜(さよ)更けぬ。町()てぬ。どことしもなく虚空(おおぞら)に笛の聞えた時、恩地喜多八はただ一人、湊屋の軒の蔭に、姿(あお)く、影を濃く立って謡うと、月が棟高く(ひさし)を照らして、(かれ)(おもて)に、扇のような光を投げた。舞の扇と、うら表に、そこでぴたりと合うのである。

「(喜多八)……また思切って手を合せ、南無(なむ)志渡寺(しどじ)の観音(さった)の力をあわせてたびたまえとて、大悲の利剣を額にあて、竜宮に飛び入れば、左右へはっとぞ退()いたりける、」

 と謡い澄ましつつ、

(せな)を貸せ、宗山。」と言うとともに、恩地喜多八は疲れた(さま)して、先刻(さっき)からその裾に、大きく何やら(うずく)まった、形のない、ものの影を、腰掛くるよう、取って引敷(ひっし)くがごとくにした。

 路一筋白くして、掛行燈(かけあんどん)の更けたかなたこなた、杖を()いた按摩も交って、ちらちらと人立ちする。

明治四十三(一九一〇)年一月

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