綺堂むかし語り

21話 夏の食いもの

1,869字 約4分 2001年10月15日 公開

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 ひろく夏の食いものと云えば格別、それを食卓の上にのみ限る場合には、その範囲がよほど狭くなるようである。

 勿論、コールドビーフやハムサラダでビールを一杯飲むのもいい。日本流の洗肉(あらい)水貝(みずがい)も悪くない。果物にパンぐらいで、あっさりと冷やし紅茶を飲むのもいい。

 その人の趣味や生活状態によって、食い物などはいろいろの相違のあるものであるから、もちろん一概には云えないことであるが、旧東京に生長した私たちは、やはり昔風の食い物の方が何だか夏らしく感じられる。とりわけて、夏の暑い時節にはその感が多いようである。

 今日の衛生論から云うと余り感心しないものであろうが、かの冷奴(ひややっこ)なるものは夏の食い物の大関である。奴豆腐を冷たい水にひたして、どんぶりに盛る。氷のぶっ掻きでも入れれば猶さら贅沢(ぜいたく)である。別に一種の薬味として青紫蘇(あおじそ)茗荷(みょうが)の子を細かに刻んだのを用意して置いて、鰹節(かつおぶし)をたくさんにかき込んで生醤油(きじょうゆ)にそれを混ぜて、冷え切った豆腐に付けて食う。しょせんは湯豆腐を冷たくしたものに過ぎないが、冬の湯豆腐よりも夏の冷奴の方が感じがいい。湯豆腐から受取る温か味よりも、冷奴から受取る涼し味の方が(はる)かに多い。樋口一葉(ひぐちいちよう)女史の「にごり江」のうちにも、源七(げんしち)の家の夏のゆう飯に、冷奴に紫蘇の香たかく盛り出すという(くだ)りが書いてあって、その場の情景が浮き出していたように記憶している。

「夕顔や一丁残る夏豆腐」許六(きょろく)の句である。

 ある人は洒落(しゃれ)て「水貝」などと呼んでいるが、もとより上等の食いものではない。しかもほんとうの水貝に比較すれば、その価が(やす)くて、夏向きで、いかにも民衆的であるところが此の「水貝」の生命で、いつの時代に誰が考え出したのか知らないが、江戸以来何百年のあいだ、ほとんど無数の民衆が夏の一日の汗を行水(ぎょうずい)に洗い流した後、ゆう飯の(ぜん)の上にならべられた冷奴の白い肌に一味(いちみ)の清涼を感じたであろうことを思う時、今日ラッパを吹いて来る豆腐屋の声にも一種のなつかしさを感ぜずにはいられない。現にわたしなども、この「水貝」で育てられて来たのである。但し近年は胃腸を弱くしているので、冬の湯豆腐に箸を付けることはあっても、夏の「水貝」の方は残念ながら遠慮している。

 冷奴の平民的なるに対して、貴族的なるは(うなぎ)蒲焼(かばやき)である。前者(ぜんしゃ)の甚だ淡泊なるに対して、後者(こうしゃ)は甚だ濃厚なるものであるが、いずれも夏向きの食い物の両大関である。むかしは鰻を食うのと駕籠(かご)に乗るのとを平民の贅沢と称していたという。今はさすがにそれほどでもないが、鰻を食ったり自動車に乗ったりするのは、懐中の冷たい時にはやはりむずかしい。国学者の斎藤彦麿(さいとうひこまろ)翁はその著「神代余波」のうちに、盛んに蒲焼の美味を説いて、「一天四海に比類あるべからず」と云い、「われ六、七歳のころより好みくひて、八十歳まで無病なるはこの霊薬の効験にして、草根木皮(そうこんぼくひ)のおよぶ所にあらず」とも云っている。今日でも彦麿翁の流れを汲んで、長生きの霊薬として鰻を食う人があるらしい。それほどの霊薬かどうかは知らないが、「一天四海に比類あるべからず」だけは私も同感である。しかもそれは昔のことで、江戸前ようやくに亡び絶えて、旅うなぎや養魚場生まれの鰻公(まんこう)が到るところにのたくる当世と相成っては、「比類あるべからず」も余ほど割引きをしなければならないことになった。

 次に(うり)である。夏の野菜はたくさんあるが、そのうちでも代表的なのは瓜と枝豆であろう。青々した枝豆の塩ゆでも悪くない。しかも見るから夏らしい感じをあたえるものは、胡瓜(きゅうり)と白瓜である。胡瓜は漬け物のほかに、胡瓜()みという夏向きの旨い調理法がむかしから工夫されていて、かの冷奴と共に夏季の食膳の上には欠くべからざる民衆的の食い物となっている。白瓜は漬け物のほかに使い道はないようであるが、それだけでも十分にその役目を果たしているではないか。そのほかに茄子(なす)生姜(しょうが)のたぐいがあるとしても、夏の漬け物はやはり瓜である。茄子の()むらさき、生姜の薄くれない、皆それぞれに美しい色彩に富んでいるが、青く白く、見るから清々(すがすが)しいのは瓜の色におよぶものはない。味はすこしく茄子に劣るが、その淡い味がいかにも夏のものである。

 百人一首の一人、中納言朝忠(あさただ)卿は干瓜を山のごとくに積んで、水漬けの飯をしたたかに食って人をおどろかしたと云うが、その干瓜というのは、かの雷干(かみなりぼし)のたぐいかも知れない。白瓜を()いて炎天に干すのを雷干という。食ってはさのみ旨いものでもないが、一種の俳味のあるもので、誰が云い出したか雷干とは面白い名をつけたものだと思う。

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