二人の友

1話 二人の友

1,071字 約2分 2007年8月3日 公開

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 僕は一高へはひつた時、福間(ふくま)先生に独逸(ドイツ)語を学んだ。福間先生は鴎外(おうぐわい)先生の「二人(ふたり)の友」の中のF君である。「二人の友」は当時はまだ活字になつてはいなかつたであらう。少くとも僕などのそんなことを全然知らなかつたのは確かである。

 福間先生は常人よりも(むし)(せい)は低かつたであらう。(なん)でも金縁(きんぶち)近眼鏡(きんがんきやう)をかけ、可成(かなり)長い口髭(くちひげ)(たくは)へてゐられたやうに覚えてゐる。

 僕等は皆福間先生に或親しみを(いだ)いてゐた。それは先生も青年のやうに諧謔(かいぎやく)を好んでゐられたからである。先生は一学期の或時間に久米正雄(くめまさを)にかう言はれた。

「君にはこの言葉の意味がクメとれないんですか?」

 久米も(また)忽ち洒落(しやれ)を以て(むく)いた。

「ええ、ちよつとわかりません。どう言ふ意味がフクマつてゐるか」

 福間(ふくま)先生は二学期からいきなり僕等にゲラアデ・アウスと云ふギズキイの警句集を教へられた。僕等の新単語に悩まされたことは言ふを待たないのに違ひない。僕は(いま)だにその本にあつた、シユタアツ・ヘモロイダリウスと云ふ、不可思議な言葉を記憶してゐる。この言葉は恐らくは一生の(あひだ)、薄暗い僕の脳味噌(のうみそ)のどこかに木の子のやうに生えてゐるであらう。僕はそんなことを考へると、いつも何か可笑(をか)しい中に(はかな)い心もちも感じるのである。

 福間先生の死なれたのは僕等の二年生になつた時か、それとも三年生になつた時か、生憎(あいにく)はつきりと覚えてゐない。が、その一週間か二週間か(まへ)に今の恒藤恭(つねとうきよう)――当時の井川(ゐがは)恭と一しよにお見舞に行つたことは覚えてゐる。先生はベツドに仰臥(ぎやうぐわ)されたまま、たつた一言(ひとこと)大分(だいぶ)()い」と言はれた。しかし実際は「大分好い」よりも(むし)ろ大分悪かつたのであらう。現に先生の奥さんなどは(うれ)はしい顔をしてゐられたものである。

 或曇つた冬の日の午後、僕等は皆福間先生の(ひつぎ)今戸(いまど)のお寺へ送つて行つた、お葬式の導師(だうし)になつたのはやはり鴎外(おうぐわい)先生の「二人(ふたり)の友」の中の「安国寺(あんこくじ)さん」である。「安国寺さん」は式をすませた(のち)、本堂の前に並んだ僕等に寂滅為楽(じやくめつゐらく)の法を説かれた。「北山頭(ほくばうさんとう)一片(いつぺん)の煙となり、」――僕は度たび「安国寺さん」のそんなことを言はれたのを覚えてゐる。同時に又丁度(ちやうど)その最中(さいちう)糠雨(ぬかあめ)の降り出したのも覚えてゐる。

 僕はこの短い文章に「二人の友」と云ふ題をつけた。それは勿論鴎外先生の「二人の友」を借用したのである。けれども今読み返して見ると、僕も(また)偶然この文章の中に二人の友だちの名を挙げてゐた。福間先生にからかはれたのは(かならず)しも久米(くめ)に限つたことではない。先生はむづかしい顔をされながら、井川(ゐがは)にもやはりかう言はれた。

「そんな言葉がわからなくてはイカハ。」

(大正十五年一月)

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