絵のない絵本 01 絵のない絵本

6話 第五夜

1,564字 約3分 2018年4月2日 公開

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「きのう」と、月が言いました。「わたしはそうぞうしいパリを見おろしていました。わたしの()は、ルーブル宮殿(きゅうでん)の中のあちこちの部屋の中へ入りこんでいきました。みすぼらしい身なりをした、ひとりの年とったお(ばあ)さんが――このお婆さんは貧しい階級の人でした――身分のいやしい番人の後について、がらんとした大きな玉座(ぎょくざ)の間にはいってきました。お婆さんはこの広間を見たかったのです。見ないではいられなかったのです。お婆さんがこの部屋までくるのには、なんどもなんども、ちょっとした(おく)(もの)をしたり、言葉をつくして(たの)みこんだりしたのでした。

 お婆さんはやせこけた手を合せて、まるで教会の中にでもいるように、うやうやしくあたりを見まわしました。

『ここだったんだ!』と、お婆さんは言いました。『ここだ!』

 こう言って、金の縁飾(ふちかざ)りのついている、立派なビロードの垂れさがった玉座に近づいて行きました。

『そこだ、そこだ!』とお婆さんは言いました。そして(ひざ)をついて、まっかなじゅうたんにキスをしました。――お婆さんは泣いていたと思います。

『これはそのビロードじゃなかったんだよ』と、番人は言いました。そう言う番人の口もとには、微笑(びしょう)がただよいました。

『でも、ここでしたよ!』と、お婆さんは言いました。『こんなふうだったんですもの!』

『こんなだったかもしれないが』と、番人は答えました。『そうじゃないね。窓はたたきこわされ、戸はひっぱがされて、(ゆか)の上には血が流れていたのさ! ――だがね、あんたは、わたしの孫はフランス国の玉座の上で死んだと、言おうと思えば言えるんだよ!』

『死んだ!』とお婆さんはくりかえしました。――それからは、一言(ひとこと)も話さなかったような気がします。ふたりは、まもなくその広間を出て行きました。夕暮(ゆうぐれ)薄明(うすあか)りが消え()せました。そのためわたしの光は、二倍に明るくなって、フランス国の玉座のまわりの立派なビロードの上を照らしました。きみは、そのお婆さんはだれだったと思いますか?――

 わたしはきみに一つの物語をしてあげましょう。それは七月革命のときのこと、あの世にも(かがや)かしい勝利の日の夕暮だったのです。一軒(いっけん)一軒の家が城砦(じょうさい)となり、一つ一つの窓が堡塁(ほうるい)となっていました。民衆はチュイルリー宮へ向って突進(とっしん)しました。女や子供たちまでも、戦う人々の中にまじっていました。人々は宮殿の部屋や広間の中に()し入って行きました。ぼろを着た貧しい小さな男の子がひとり、年上の人たちのあいだで勇敢(ゆうかん)に戦っていました。しかしそのうちに、あちこちを銃剣(じゅうけん)でつかれて致命傷(ちめいしょう)を受け、とうとう床の上に(たお)れました。それは玉座の間での出来事でした。人々は血まみれの男の子をフランス国の玉座の上に横たえて、傷のまわりにビロードを巻きつけました。血潮は王のまっかなじゅうたんの上に流れました。そのありさまはまったく一つの絵でした! 華麗(かれい)な広間、戦っている人々の群れ!

 引裂(ひきさ)かれた旗は床の上に落ちていました。三色旗は銃剣の先にはためいていました。そして玉座の上には、青ざめて(きよ)らかな顔をした貧しい男の子が、眼を天へ向けて横たわっていました。手足は死との戦いのために、もうぐったりとしていました。あらわな胸、みすぼらしい着物、そしてその上を半ばおおっている、銀のユリの花のついた、立派なビロードのひだ。この子がまだゆりかごの中にいたころ、そのそばで『この子はフランス国の玉座の上で死ぬだろう!』という予言がなされていたのです。母親の心は、新しいナポレオンを(ゆめ)みていたのでした。

 わたしの光は、その子のお墓の上の不滅花(むぎわらぎく)の花輪にキスをしたものです。そして今夜は、年とったお婆さんのひたいにキスをしました。そのときお婆さんは、きみが絵にすることのできる『フランス国の玉座の上の貧しい男の子』の絵を、夢にみていました」

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