6話 第五夜
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「きのう」と、月が言いました。「わたしはそうぞうしいパリを見おろしていました。わたしの眼は、ルーブル宮殿の中のあちこちの部屋の中へ入りこんでいきました。みすぼらしい身なりをした、ひとりの年とったお婆さんが――このお婆さんは貧しい階級の人でした――身分のいやしい番人の後について、がらんとした大きな玉座の間にはいってきました。お婆さんはこの広間を見たかったのです。見ないではいられなかったのです。お婆さんがこの部屋までくるのには、なんどもなんども、ちょっとした贈り物をしたり、言葉をつくして頼みこんだりしたのでした。
お婆さんはやせこけた手を合せて、まるで教会の中にでもいるように、うやうやしくあたりを見まわしました。
『ここだったんだ!』と、お婆さんは言いました。『ここだ!』
こう言って、金の縁飾りのついている、立派なビロードの垂れさがった玉座に近づいて行きました。
『そこだ、そこだ!』とお婆さんは言いました。そして膝をついて、まっかなじゅうたんにキスをしました。――お婆さんは泣いていたと思います。
『これはそのビロードじゃなかったんだよ』と、番人は言いました。そう言う番人の口もとには、微笑がただよいました。
『でも、ここでしたよ!』と、お婆さんは言いました。『こんなふうだったんですもの!』
『こんなだったかもしれないが』と、番人は答えました。『そうじゃないね。窓はたたきこわされ、戸はひっぱがされて、床の上には血が流れていたのさ! ――だがね、あんたは、わたしの孫はフランス国の玉座の上で死んだと、言おうと思えば言えるんだよ!』
『死んだ!』とお婆さんはくりかえしました。――それからは、一言も話さなかったような気がします。ふたりは、まもなくその広間を出て行きました。夕暮の薄明りが消え失せました。そのためわたしの光は、二倍に明るくなって、フランス国の玉座のまわりの立派なビロードの上を照らしました。きみは、そのお婆さんはだれだったと思いますか?――
わたしはきみに一つの物語をしてあげましょう。それは七月革命のときのこと、あの世にも輝かしい勝利の日の夕暮だったのです。一軒一軒の家が城砦となり、一つ一つの窓が堡塁となっていました。民衆はチュイルリー宮へ向って突進しました。女や子供たちまでも、戦う人々の中にまじっていました。人々は宮殿の部屋や広間の中に押し入って行きました。ぼろを着た貧しい小さな男の子がひとり、年上の人たちのあいだで勇敢に戦っていました。しかしそのうちに、あちこちを銃剣でつかれて致命傷を受け、とうとう床の上に倒れました。それは玉座の間での出来事でした。人々は血まみれの男の子をフランス国の玉座の上に横たえて、傷のまわりにビロードを巻きつけました。血潮は王のまっかなじゅうたんの上に流れました。そのありさまはまったく一つの絵でした! 華麗な広間、戦っている人々の群れ!
引裂かれた旗は床の上に落ちていました。三色旗は銃剣の先にはためいていました。そして玉座の上には、青ざめて聖らかな顔をした貧しい男の子が、眼を天へ向けて横たわっていました。手足は死との戦いのために、もうぐったりとしていました。あらわな胸、みすぼらしい着物、そしてその上を半ばおおっている、銀のユリの花のついた、立派なビロードのひだ。この子がまだゆりかごの中にいたころ、そのそばで『この子はフランス国の玉座の上で死ぬだろう!』という予言がなされていたのです。母親の心は、新しいナポレオンを夢みていたのでした。
わたしの光は、その子のお墓の上の不滅花の花輪にキスをしたものです。そして今夜は、年とったお婆さんのひたいにキスをしました。そのときお婆さんは、きみが絵にすることのできる『フランス国の玉座の上の貧しい男の子』の絵を、夢にみていました」