9話 第八夜
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重い雲が空一面にたれこめて、月はまったく姿を現わしませんでした。わたしは二重のさびしい思いにかられながら、わたしの小部屋の中に立って、いつも月が輝き出てくるあたりの空をながめていました。わたしの思いは広くかけめぐりました。そして、毎晩あんなに美しい話を聞かせてくれたり、すばらしい絵を見せてくれたりした、偉大な友だちのことに思い及びました。
そうです、いままでにこの月の体験しなかったことがあるでしょうか! ノアの大洪水のときにも、その水の上を帆走ったのです。そして、ちょうどいまわたしにほほえみかけているのと同じように、箱船の上にほほえみかけて、やがて花咲き出ようとする新しい世界の慰めをもたらしたのです。イスラエルの人民が泣きぬれてバビロンの河辺に立ったとき、あの月は竪琴のかかっているヤナギの木のあいだから、悲しげにそれをのぞいたこともあるのです。ロメオが露台の上によじのぼって、まことの愛の接吻が天使の思いのように天へとのぼって行ったとき、まるい月は黒い糸杉のあいだに半ばかくれて、澄みきった空に浮んでいたこともあるのです。また、セント・ヘレナの島に幽閉された英雄が、荒寥たる岩頭に立って、胸に雄志を抱きながら大海原をながめやっている姿を見たこともあるのです。
そうです、月にとって話せないようなことが何かあるでしょうか! この世界の生活は、月にとっては一つのおとぎばなしなのです。なつかしい友よ、今夜わたしはきみの姿を見ません。きみの訪問の記念に、どんな絵をもかくことができません。――こうしてわたしが、夢想にふけりながら雲の中を見上げますと、そこが明るくなりました。それは一すじの月の光でした。けれども、その光はすぐまた消えてしまいました。黒い雲がすべって行ったのです。しかし、それこそ挨拶でした。月がわたしに送ってくれた、やさしい晩の挨拶だったのです。