2話 卒業制作のとき
読み方を変える
絵のひとにたいへんよかったと思うのは、遂初会という会のあったことです。それは先生がポケットマネーを出して景品を買って、生徒に題を出すんです。その題が、たとえば「明月」という題でも、月を描いてはいけないわけです。そこにあるものを、感じを出さないといかん。そういうような式の会でした。「笛声」という題を出して、ある若い公家さんが広い野原で笛を吹いていたんじゃいけないんです。そんなものをやらんで、笛を吹いていないで笛の感じを出せ、と。……それはずいぶんみんな一所懸命やりまして、下村観山なんぞうまかったですよ。いつもいい賞に入っていました。
それから学校で方々の図案の依頼を受けるんです。それを生徒の課題にして、どんな科でもかまわない。図案科ばかりでなくて、各科にやらせる。学校へ規定を貼り出しまして、賞が出るんです。私もなん度か賞をとったことがあります。それが私ども工芸家になるのに、たいへん役に立っております。石川県へいったり、高等工業で図案の時間を受持って話をすることができたのは、それが働きました。そうしてその答案についてあとで先生が批評するんです。それは非常にためになりました。そんなことを学校でやらせました。
図案のときは、先生も評を聞いていましたが、図案科の主任だった今泉先生がおもに批評しました。
卒業制作についてほかのひとはちょっとやらんことでよかったと思うのは、卒業制作でどういうものを作るかということを岡倉先生のところへ申出て、それについて先生が教えたり批評したりしたことです。私が元禄美人を作るというと、なんでお前はそれを作るのか。私の答えが、元禄時代は江戸の方へ中心の政治勢力が移って、庶民が発達してきた、江戸の文化がおこってきたとか、そういうことに非常に興味をもったからだというと、よかろう、それについてはどんな本を読んだかという。文庫にいって西鶴ものや風俗などに関係あるものを読みました、とかいうでしょう。そうすると、まだこういうものを読め、こういうものを読めと、たとえば「雅遊漫録」を読め、とか教えてくれるんです。それを読みますと非常に役に立ちました。
日本武尊を作る生徒は、東夷征伐のこととか、日本武尊のものに関したことを調べて作るとか、新納が達磨を作るときはいろいろ調べて作ったとか、そういうふうに生徒に対して制作するものと、それについての意図をいろいろ先生が聞き、それについて私どもの気づかんところを指導していく。非常にいいやり方でした。絵の方もみんなそのようでした。