3話 学校の一面
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おもしろかったのは、悪い生徒をやっつける、私なんかもきかんもんだからやりましたが――それには理由がある。ある生徒が卒業前に、岡倉先生は能が好きだから、謡を稽古して置こう、と二人で相談している。それを聞いていて、あいつ等は卑劣の徒だからのしちゃおうと、美術協会になにか会のあった晩でした。清水堂の下でめちゃくちゃに殴りつけて、やつ学校へ出られない。それでおじさんが学校の先生なんで、校長のところへ訴えたんですが、たくさんの生徒にぶたれるやつは、なんか悪いことをしているんだろう、ほっておけ、というわけで、そういうおもしろいところがあるんです。
学校では祭日にはかならずお酒を飲ませた。先生と生徒といっしょになってやるんです。祭日にかならずやるんだから。ことに正月には一抱えもある大盃で、それをみんなが飲むんです。年長者から飲みはじめましてずっと廻る。盃に何年何月飲みはじめ誰と書いて、加納さんが最年長者で飲みはじめました。何升か入るんでしょう。一人で持てんから給仕が介添えして飲む。先生は一口ぐらいずつ飲みまして、口をふいて次の先生に譲っていく。生徒は豪傑が総代で出て、頂戴しますといって最初に白井雨山が飲んで、天岡均一が飲んで、天草神来が飲み――あれはうまくなる男でしたが早く死んじゃった。しまいにはやけになって酒を飲んだようで、身体をこわして惜しいことをしました。熊本の男で、快活なおもしろい男だったんですが、生きていたらうまかったでしょう。菱田春草と仲がよかった。それから西郷孤月なんかうまかったですよ。
先生は馬に乗って学校へ来たんです。その馬なるものが後三年絵巻の武者が乗ったあの馬みたいに、漢方の医者の家にあったものをもらってきたといっていましたが、尻尾と胸のところに紫の房が下がっていて、鞍は日本の鞍です。鐙は、日本の鐙がいいけれども、大きくて邪魔でやりにくいと、弟の由三郎さんが朝鮮にいたものだから、朝鮮鐙の半分のやつを取寄せてつけているんです。なにしろふしぎないでたちで、聖徳太子のような制服を着て、夏は大きな麦稈帽子をかぶり、暑くないようにまわりにきれを下げて馬に乗ってくる。口の悪い生徒は、どうも下手な絵描きの描いた馬上の鍾馗だといっていました。太ってね……
先生は背もそうとう高かったです。太っていましたから、二十何貫といっていました。それは立派でしたよ。鳳眼といいますか、目のずっと切れた……。先生は唐服が好きで時々着用したようで、また非常に似合いまして、唐宋時代の文人墨客を髣髴させます。下村観山筆の肖像のとおりです。
先生があるとき、顔全体漆にかぶれてきた。その理由がおもしろいんです。先生、乗馬の鞭を持っているが、凝り屋だからふつうの鞭じゃおもしろくない。それで後三年合戦絵巻にあるような鞭をつくって、学校で漆をぬって、それがかわかないうちに鞭を持ったからかぶれたというんですが、そうじゃないんですよ。その当時は、いまのように厳格に組がなっていませんで、どの科へでも自由にいって遊べたんです。それでいやなやつが参観に来たとふれがまわると、すぐにいっていたずらしたもんです。ところがそのとき、某外国人でなにか非常に傲漫なやつが来て、岡倉先生通訳しながらくるんですが、先生を踏みつけたような態度で生意気だというので、生徒の猛者が教室で漆を焼いたんです。あれを焼くとすぐかぶれちゃいますから、西洋人はかぶれたかどうか知らないけれども、先生がかぶれちゃって、それで鞭のせいだといって、みんなそうでしょうといっていたんですけれども、大笑いだったです。
岡倉先生の乗っていた馬は、楠公の像のモデルにした馬です。その時分後藤貞行が元騎兵の曹長かなんかで、馬に精しいので馬を南部に探しにいったんです。ところがほとんど西洋種になっていて、あの馬がわずかに日本の種が残っているらしいというので、それを買ってきたんです。楠公の像を作りあげてモデルがあいたものだから、おれがもらうというのでもらってきた。
その前は馬に乗っていなかったのですが、はじめは下手でしたよ。危なそうに乗ってくる。しかしだんだんうまくなってきた。それであるとき、私らの若い時分、吉原へ遊びにいった帰りに、明日は日曜日だから、すぐに帰るのはやぼだから、向島の朝桜をみていこうじゃないかというので、千住の方をずっと廻って荒川を下ってきた。そうすると向うから馬に乗ってへんなのがくる。校長だ校長だというんです。どうしよう、うしろへ帰るのも卑怯だし、先生おはようございますといおうじゃないかと、「おはようございます。どちらへいらっしゃいますか」といったら、「うん、花をみるついでに鳥を射ようと思ってきた」と、半弓を持っているんです。馬に乗って射ようというんです。「先生に射たれる鳥がいますか」といったら「あははは」と笑っていっちゃいました。そんなこともありました。なにしろ変っている。馬に乗って鳥を射るというんだから。