地球要塞

7話 地球要塞(7)

8,733字 約17分 2004年7月3日 公開

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 後で思い出しても、そのとき私は、さもしい気を起したものだと、冷汗が流れるのだが、日記のうえの、X大使の記事を見ると、私はついむらむらと不快な気分になった。そこで私は、ペンを取り上げて、日記の頁に向った。

「おい、黒馬博士。待ちたまえ」

「うむ」

 X大使の声だ。大使は、まだ私の身辺にいたのである。

「折角わしの書いておいた記事を、君は消すつもりではあるまいね」

 私は無言で、ペンを捨てた。私は赤面した。

「黒馬博士。わしは、二度、君の希望に従い、協力した。もう一つ、わしは君に力を貸してもいいと思っている。で、どうだね、これから、米艦隊の旗艦に、司令長官ピース提督を訪問してみてはどうかね」

 X大使は、とんでもないことをいいだした。

「もとより、それは希望するところであるが、これから、どうして敵の旗艦に近づけばいいか。私が甲板(かんぱん)を踏む前に狙撃でもされれば、おしまいだ」

 と、私がいえば、X大使の声は、

「そんな心配は無用だ。安全に行ける方法がある。君は、ピース提督に会い、そして安全にここへ戻って来られるのだ。決して間違いのないことを、わしは保証する」

「しかし、私には信じられない。少くとも敵は、私を捕虜にしないではいないだろう」

「安心したまえ。ねえ、黒馬博士。君は、わしの力を信じないのかね。あの七、八本の鎖を切断したときのことを考えて見給え。それから、一瞬のうちに、三角暗礁へ艇をつけてあげたことを考えてみるがいい。君は、私の力を信じないのか」

「いや、信じないわけではない。しかし、私には、君が何故そのような不思議な力を持っているか、それが解らないのだ。また、なぜ、そんな不思議なことが出来るのか、理解できないのだ。これまで君のやっていることは、物理学の法則を蹂躙(じゅうりん)している」

「あははは、物理学の法則を蹂躙しているは、よかったねえ。しかし、これは、人間――いや君たちの勉強が、まだ不充分なためだよ」

「なんだと……」

「わしの力の不思議さを探求したかったら、わしを信じてこれから旗艦ユーダにいってみるがいいではないか」

「うむ」私は、しばらく黙考した。

 とにかく私は今、昔日の黒馬博士とは似もつかないほど、自信を失っている。X大使の、この超人間な偉力に圧倒されているうえに、クロクロ島は沈没し去り、魚雷型潜水艦はめずらしく故障となり、それから鬼塚元帥との連絡が、ぱったり杜絶(とだ)えてしまったのである。なにもかも、滅茶滅茶である。しかも、クロクロ島を沈没させ、私を捕虜にしようとした憎むべき無礼なる米連艦隊は、なお付近を游弋(ゆうよく)しており、もし自分の推測にまちがいないならば北上して日本本土を()こうとしているのだ。過去において、これほど私が自信を失った経験はないのである。そこで私はあえてX大使のすすめに従おうと決意したのであった。

(X大使の魔術にのるなんて、危いではないか!)

 と、後世、或いはいう人があろう。しかし私は、X大使のこの超人間的な力を、単に魔術だとは、解していないのであった。それは、或る非常にすぐれた科学だと思っている。科学というよりも、技術といった方がいいかもしれないが……。

 X大使は、恐らく、世界最高の学者ではないかと思う。真にすぐれた学者が、自分の究めた科学力をひっさげて、自分の意志のままに、世の中を闊歩しはじめたら、これは手がつけられないだろう。

 X大使は、正にそれだ。

 汎米連邦の国力よりも、欧弗同盟の兵力よりも、X大使の意志こそ、この際、最も恐るべきものである――と、私は信じたことであった。

 行こう、X大使とともに。そして、しばらくX大使の魔術ではない魔術を静観しよう。

「では、X大使。私を、米連艦隊の旗艦へつれていって呉れたまえ」

「よろしい。向うへいったら、君が()きたいと思うことを訊いてよろしい。しかし、わしの代りに、一つ二つ訊いてもらいたいことが出来るかもしれない。そのときは、ぬかりなく、やってくれたまえ。むろん相手には、悟られぬようにな」

 X大使は、妙な注文をつけた。私は承知した。

「さあ、それでは……」

 と、X大使がいったかと思うと、私は、急に目まいがした……。と、またX大使の声だ。

「おい、しっかりしろ。旗艦ユーダ号の司令長官室だ。今、ピース提督が、ひとりで、この部屋へ戻ってくる。しっかりやれ!」

   司令長官室――透明人間

 さして広くはないけれど、どこかの宮殿の模型のような、飾りたてた部屋である。

 正面にはどっしりした事務机があって、そのうえには書類がひろげ放しになっている。その前には会議卓子(テーブル)があって、周囲(まわり)には、やわらかそうな皮製の椅子が、十ほど並んでいる。壁には、複雑なパネル型の通信機が、取りつけてあるすばらしい司令長官室だ。

 私は、長官ピース提督の椅子に腰をおろして、彼がこの部屋に戻ってくるのを待つことにした。そしてそのついでに、長官の机上に散らばっている書類を、片っ端から拾い読みをしていった。

 その書類の多くは電報だった。

 それを読むと、米連艦隊は、いま日本を最後の目標として、南方から肉迫せんとしているところだし、他方欧弗同盟は、アジア大陸の日本を北及西から攻撃せんとしており、大東亜共栄圏はもちろんのこと、日本は南北から挟撃されようとしていることがはっきり分った。

(ひどいことをしやがる。有色人種の犠牲において、白人たちがいいことをしようというのだろう)

 私は、そう思わないではいられなかった。これは私だけのひがみでないと思う。

 そんなことを考えているとき、入口ががちゃりと鳴って(ドア)があいた。銃剣をもった衛兵が、扉をひらいたのだ。

(おお、司令長官ピース提督だな)

 私は提督をおどかすつもりで、あえて提督の椅子から立とうともせず、その廻転椅子をぎいぎいいわせていた。

 扉をしめた提督は、ふと気がついたらしく、後をふりかえった。無髯(むぜん)の提督の顔は、不審そうに歪んでいた。そして彼は、呟いた。

「はあて、なにが、ぎいぎい鳴っているのだろうか」

 そういって、提督の眼は、たしかに私の方にそそがれていた。

「はあて、あそこに、廻転椅子が、ひとりでぐるぐる廻っているが、どうしたことじゃろうか。たしかに、あの椅子が、ぎいぎいと音を立てているが……」

 さすがに提督であった。おどろいてはいるが、大きなこえも出さなかった。

 だが、そのとき、私は、

(おや、へんだな。提督は、へんなことをいったぞ)

 と、不審にぶつかった。――提督は、廻転椅子が廻っているといったが、廻転椅子は見えて、私は見えないのであろうか、そんなことがあろうと思われない。

(ひょっとすると、提督は、わざと私が見えないような風を装っているのではなかろうか。つまり、提督は、私に弱味を見せないために……)

 私の方は、いざとなったらX大使が助けに出てくれると思うから、気がつよい。――そこで私は、椅子から立ち上って、提督の方へ近づいた。

 すると提督は、安心したような表情になって、

「おお、椅子は、ぴたりと停っている。余は、なにか思いちがいをしたらしい」

 提督には、本当に私の姿が見えないようである。そうなると私は、(かえ)ってどきどきしてきた。私は、ことさら足音たかく、提督のまわりをどんどんと歩いてみた。

 俄然(がぜん)、この効目はあった。

「ややややッ、足音だ。誰かの足音だ。息づかいも聞える。はてな、これはへんだ」

 提督は、非常に愕いた様子であった。そして入口の扉の方へいこうとするから、私はそれをさせてはならぬと思い、

「ピース提督、おさわぎあると、貴官の生命(いのち)を頂戴いたしますぞ」

「ええッ! 誰だ、そういう声の主は……」

温和(おとな)しく、貴官の椅子に腰をおろされたい。ちと伺いたい話があるのだ」

「おお、声だけは聞える。息づかいも、聞える。しかるに姿は見えない。君は、何者だ。姿を現わせ!」

 ピース提督は愕きに負けまいとして、あぶら汗をかいて頑張っているのが、私にはよく分った。

 私はいつの間にか、透明人間になっていたわけである。X大使はよくこれと同じことをやって、私を愕かせたものである。今それを私がやっているわけだ。ふしぎだ。ふしぎはふしぎであるが、なんという愉快なことであろう。こっちは絶対優勢、向うは白旗をかかげるほかはない。

 そのとき提督は、自分の席についた。彼の顔はなんとなく、生気をとり戻したようだ。

「さあ、余は腰をかけた。君もその椅子に、腰をおろしたまえ、四次元の人!」

   四次元跳躍術(よじげんちょうやくじゅつ)――大東亜共栄圏から

 四次元の人!

 ピース提督は私に対して、そうよばわった。

(ああ、四次元の人!)

 私はそのことばを、青天の霹靂(へきれき)のごとく感じた。

(そうか、四次元の人だったか。うっかり私は、そのことを忘れていたのだ。そうだったか。これは魔術ではなかったのだ。私は今、四次元の世界にとびこんでいたわけか)

 四次元の世界にとびこむとは、知っている人は知っている。知らない人には、これを説明して聞かせることがちょっと、むつかしい。しかし、なるべくわかりやすく、かんたんにいえばこうである。……

 われわれ人間は、三次元の世界にすんでいる。三次元とは、すべての物が、三つの元からできていることで、すべて物には横があり縦があり、高さがある。

 ところが、もし今、横と縦とだけがあって、高さのない世界があると考えよう。横と縦との二次元の世界である。われわれより一次だけ少い世界である。この二次元の世界は、横と縦とだけで、高さがないのだから(あたか)も紙の表面だけの世界である。つまり平面の世界である。――これに反して、われわれの三次元世界は、立体の世界だ。

 二次元の世界に、生物がすんでいたとしよう。その者は、われわれ三次元の世界を考える力がない。つまり高さということを全く知らないのだから。紙の表面のことは分るが、その表面から、わずか一ミリメートル上のところでさえ分らないのだ。だから、紙の上に、林檎(りんご)がぶらさがっていても分らない。ただ、林檎を紙のうえへ置いたときは、紙の面に接した林檎のお尻だけはわかる。

 だから、「これが林檎だよ」といえば、二次元の生物は、「林檎は輪の形をしている」と思う。紙と林檎との接したところは、大体(だいたい)輪になっているからである。そこで、人間が、林檎をもち上げると、二次元の世界から、直ちに林檎は消え失せる。ただ林檎の匂いだけは残る。

 そういう訳で、こんどは反対に、四次元の世界を考えることが出来る。四次元の世界は、残念ながら我々は三次元の世界の生物だから、どんな世界だか知る力が欠けている。その世界には、横と縦と高さの外にもう一つ、何か形をこしらえている軸があるのだ。そういう四次元の世界から、われわれ三次元の世界の人間を見れば、それは、われわれ人間が、白紙の上に()んでいると仮定した二次元の生物を見るのと同じことである。だから、もし私が、いま急に三次元の世界からつまみあげられて、四次元の世界へ移されたとしたら、どうであろう。すると、三次元の人間からは、私の姿は見えないであろう。しかし林檎の匂いが届くように、私の声だけは届くかもしれない。

 ピース提督は、今私のことを、「四次元の人よ」と呼んだが、提督は私を、四次元の生物だと思ったからであろう。

 私は、そうではない。

 だが、謎のX大使こそ、まさしく四次元の生物であると思われる。

 とにかく、私が気がつかなかったのにずばりと看破(かんぱ)したピース提督の科学の眼力のほどを、畏敬しないではいられない。――といって、ここで私が引下がる手はあるまい。私は強いて自分の心を激励しながら、ピース提督に対した。

「提督、貴艦隊はなんの目的をもって、北上せられつつあるか」

 私は、質問の第一矢を放った。司令官は、眼をぎょっとうごかして、

「それは、日本民族を、大東亜共栄圏から、叩きだすことにあるのだ」

「なに、日本民族を叩き出すといわれるか。日本民族を、元の日本内地へ押しこめることではないのか」

「ちがう。日本民族を叩きだすのだ」

「では、叩きだして、どこへ送るのか」

適宜(てきぎ)使役(しえき)するつもりだ。家僕(かぼく)として、日本人はなかなかよくつとめる」

「無礼なことをいうな」

 と、私は思わず提督の机上の書類函をとって、机の上に叩きつけた。電報紙は、ばらばらと宙に飛んだ。

「四次元の人、乱暴はよせ。君は、紳士と話しているのだ」

「何が紳士か」

 と私は、また呶鳴(どな)りつけたのだった。

「貴官は、日本民族を、家僕として使役するつもりだといっているのだ。日本民族が、アメリカ人の家僕などになってたまるか」

「おや、君はへんなことに腹を立てるではないか。――いや、日本人が使役されることを好まなければ、余は彼等を海の中になげこむばかりだ」

「云ったな」

 私は憤然として、提督の頬桁(ほほげた)をなぐりとばした。私は、もはやこれ以上、日本民族への侮辱にたえられなかったのである。

   苦悶(くもん)する米提督――欧弗同盟軍に砲門は開けない

「おお、では君は、日本人だったのか。なぜ初めから、そのとおり姿を見せてくれなかったのか」

 提督は、非常な驚愕(きょうがく)を示して、椅子から立ち上った。そして、(うめ)くように、

「おお、日本人、たしかに日本人だ。……」

 と云って、手で自分の眼を(おお)う。

 私は悟った。私の姿が、提督の前に現われたのだ。それは全て、X大使の余計なおせっかいであった。このへんで、私の姿を、ピース提督に見せてやろうと考えて、いきなり実行したのであろう。私には何の相談もなかったのだ。私は結局、傀儡(かいらい)である。X大使の手によって、勝手にうごかされている人形でしかない。私は口惜しかった。だが、どうすることもできない。なに分にも、相手は四次元の生物X大使だから……。

 私は観念して、ピース提督の前に立ち、彼がどうするかを凝視(ぎょうし)した。

 ところが、提督は思いの外、周章狼狽(しゅうしょうろうばい)しているのだった。彼は、後ろの壁に、ぴったりと体をつけ、恐怖の()なざしをもって、私を見据えた。

「おお黒馬博士。余は、博士に謝罪をするものである」

 提督は、私の顔を見て、黒馬博士だと悟ったのだ――そんなに愕かれる程の私でもないが……。

「おお黒馬博士。余は博士が、四次元の世界に跳躍せられる力があるとは、想像していなかった。先程からの非礼をことごとく詫びる。そして……」

 提督は、ひとりで喋った。

「そして、余は、黒馬博士と識るを得たことを悦ぶ者である。そこで博士よ。余は突然ながら、折入って博士に相談したいことがある。その内容を、はっきりというならば、博士よ、余にその四次元世界への跳躍術をコーチしてくださるまいか。そのために、余はアメリカに有する七千万ドルの財産を、すべて博士に贈ることを、ここに誓う者である。どうです。さあ、イエスと返事をしてください」

 提督は、勘ちがいをしている。X大使にねだるべきことを、私に訴えているのだ。

 もちろん私は、提督の願いを一蹴した。すると提督は、私の真意を勘ちがいして、更に歎願するのであった。

 そのとき、私の耳許に、(ささや)いた声があった。

「黒馬博士。ピース提督に、こう云ってみたまえ。“では提督は今直ちに立って、欧弗同盟国軍に対して、砲門を開くだけの決心があるか”と……」

 それは、X大使のこえだった。

 私は、ちょっと無念だったけれど、前からの約束でもあったから、大使のことばを、提督につたえた。

 すると提督は、失心せんばかりに愕いて、

「いや、そんなことは出来ない。それは、絶対に不可能だ」

 X大使のこえが、また私の耳にささやいた。私は大使の代弁者となって、大使のささやくとおりを云う。

“君が、欧弗同盟軍に対して砲門を開くことは、絶対不可能だというなら、こっちも四次元跳躍術をコーチすることは真平だ”

「ま、待ってください。余に、しばらく考える時間をあたえよ」

“ぐずぐずしていられないぞ。副長が、こっちへ来る様子だ”

「あっ、副長が……。ここからは見えない筈の艦内まで、博士は見る力を持っているのか。うむ、愕いた。……が、今しばらく……」

 気の毒にピース提督は、すっかり元気をなくしてしまった。彼はどうしていいかわからないという風に、身悶(みもだ)えしていたが、やがて、やっと決心がついたという顔になって、

「では、こうしましょう。欧弗同盟軍へ砲を向けることは出来ないが、欧弗同盟軍に対し、戦闘を中止するように勧告しましょう。それで、日本も大東亜共栄圏も安泰です。このへんを妥協点として、我慢していただきたい」

 すると、X大使は、急に狼狽したようなこえになって、

“それは賛成できない。平和になってしまうのでは、仕様がない。あくまで、欧弗同盟軍と闘ってもらわないと困る。闘わないというのなら、こっちにも覚悟がある”

「それは無理というものだ。余には、欧弗同盟軍を砲撃せよと命令する権限がない。ワイベルト大統領にいっていただきたい」

“おいおい、呑気(のんき)なことをいっては困る。貴官の話を聞いていると、まるで、ワシントンの海軍省の応接室で、貴官の話を承っているようじゃないか。現在の事態は、そんなものではないぞ。おいピース提督、貴官及び貴艦隊は、いま私の掌中ににぎられていることを知らないのか”

「それは分っている。しかし余には、そんなことはできない」

 と、ピース提督は、あくまで欧弗同盟軍に砲火を向けることを好まないと、云いはった。

   宙吊(ちゅうづ)り戦艦――有りえない奇蹟

 私は、X大使の代弁者をつとめながら、妙な感にうたれていた。

 X大使は、平和はいけないという。米連艦隊は欧弗同盟軍に対して戦闘を開始せよというのである。なぜ平和はいけないのであろうか。

 これは、私の口をもっていっているのであるから、ピース提督には、この言葉が、あたかも日本は、米連と欧弗同盟軍とを衝突させ、自分は両虎(りょうこ)相闘(あいたたか)って疲れるのを待っているようにとれるのであった。その結果は、明白だ。日本は闘わずして、世界を支配することになるのだ。そんなことを、ピース提督が承知する筈がない。

(X大使は、日本を後援するつもりらしい)

 私は、一先ず、そういう結論に落着いた。なぜかはしらないが、たびたび私に力を貸したり、今また日本のために、米連と欧弗同盟との間に戦争を誘致しようと、つとめているのであった。

 X大使は、しばらく黙っていたが、やがて重々しく口を開いた。

“それを、貴官の最後的回答と認めて、よろしいかね”

 私は、そのとおり代弁した。

「博士のお気に入らんらしいが、余には、このような権限はない。重ねて、そうお答えするほかない」

“よろしい。そうはっきり云えば、こっちでも、やりようがある。では、貴官は、そのカーテンを揚げて、海を見られるがいいであろう。提督のために、私は、ちょっとした魔術をごらんに入れる。早く見られよ。さもないと、肝腎(かんじん)のいい場面を逸するであろう”

 これを聞いた提督は、ぎくんとしたようであった。彼は強いて平心を装い、カーテンを揚げて窓から外を見た。

“見えるだろう。この旗艦ユーダ号につづく主力艦隊の諸艦が”

 X大使のこえは、意地悪い響をもっている。

“さあ、見たまえ。後続艦オレンジ号が、これからどんなことになるか”

 私は大使の代弁をしながらも、大使が戦艦オレンジ号に対して何をするのかと、好奇心にかられた。

 ピース提督は、今や不安の色をかくす余裕もなく、窓外を注視している。

“さあ今だ。戦艦オレンジ号を見ているがいい”

 X大使は、あざけるようにいった。私もまた、その口調を真似て、ピース提督にぶっつけた。

 その刹那(せつな)であった。

 有り得べからざる奇蹟――提督にとっては、全く有り得べからざる奇蹟が海上において起ったのである。

 見よ、戦艦オレンジ号は、とつぜん艦首を水面から持ち上げた。赤いペンキで塗った(ふく)れあがったバルジが、海面から現われた。そして、なおも艦首は高く引き上げられていく。甲板では、大騒ぎが始まった。

 もう四十五度ほど傾いた甲板を、水兵達は滑りおちまいとして、懸命に舷索や煙突にぶら下っている。恐怖と狼狽(ろうばい)のあまり、海中へとびこむ水兵もいる。そのうちに、艦尾できらりと光ったものがある。それは推進機であった。推進機は、空中で空まわりをしている。戦艦オレンジ号は遂に宙に吊り上げられてしまったのだ。それがX大使の怪力によることは、私によく分っていた。

 提督は、驚きのあまり、両眼を大きく見開き、そして大きな息をはいて、窓にしがみついていた。

「わかった。もう、わかった。停められい、黒馬博士!」

 しかしX大使は、なおも意地悪くいった。

“これからが、見物なんだ。まだ愕くのは早い。よく見ているがいい”

 戦艦オレンジ号は、見えない糸によって宙吊りになってるようであったが、このとき、とつぜん戦艦オレンジ号の艦体が、真中のところから、切断されてしまった。つまり前部煙突のところから後が、切断されて、無くなったのであった。(もっと)も、その切断された半分が、海上へ墜落していくところは見えなかったが……。

「あっ、もう、よしてくれ。もう、わかった。お、黒馬博士。これ以上、艦隊のうえに、怪力をふるうのは許してくれ」

“今さら狼狽するのは見苦しいぞ。なぜ初めから、わが申し入れに応じないのか”

 そういっているうちに、戦艦オレンジ号の艦隊の半分も見えなくなった。戦艦一隻が、一、二分の間に見えなくなってしまったのである。……

 室内では、警報ベルがしきりに鳴っている。そして入口の扉は、破れんばかりに、うち叩かれている。怪事は、果然(かぜん)、米連主力艦隊を大恐慌(だいきょうこう)の中に()げこんでしまった。

   恫喝(どうかつ)代行――人間でなければ彼は何者ぞ?

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