邪宗門

4話 邪宗門(4)

7,422字 約15分 1998年12月7日 公開

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「されば恋の功徳(くどく)こそ、千万無量とも申してよかろう。」

 やがて若殿様は、恥しそうに御眼を御伏せになった御姫様から、私の方へ、陶然となすった御顔を御向けになって、

「何と、(じい)もそう思うであろうな。もっともその方には恋とは申さぬ。が、好物(こうぶつ)の酒ではどうじゃ。」

「いえ、却々(なかなか)持ちまして、手前は後生(ごしょう)が恐ろしゅうございます。」

 私が白髪(しらが)を掻きながら、慌ててこう御答え申しますと、若殿様はまた晴々と御笑いになって、

「いや、その答えが何よりじゃ。爺は後生が恐ろしいと申すが、彼岸(ひがん)に往生しょうと思う心は、それを暗夜(あんや)燈火(ともしび)とも頼んで、この世の無常を忘れようと思う心には変りはない。じゃによってその方も、釈教(しゃっきょう)と恋との相違こそあれ、所詮は予と同心に(きわ)まったぞ。」

「これはまた滅相な。成程御姫様の御美しさは、伎芸天女(ぎげいてんにょ)も及ばぬほどではございますが、恋は恋、釈教は釈教、まして好物の御酒(ごしゅ)などと、一つ(ぎわ)には申せませぬ。」

「そう思うのはその方の心が狭いからの事じゃ。弥陀(みだ)女人(にょにん)も、予の前には、皆われらの悲しさを忘れさせる傀儡(くぐつ)の類いにほかならぬ。――」

 こう若殿様が御云い張りになると、急に御姫様は(ぬす)むように、ちらりとその方を御覧になりながら、

「それでも女子(おなご)が傀儡では、嫌じゃと申しは致しませぬか。」と、小さな御声で仰有いました。

傀儡(くぐつ)で悪くば、仏菩薩(ぶつぼさつ)とも申そうか。」

 若殿様は勢いよく、こう返事をなさいましたが、ふと何か御思い出しなすったように、じっと大殿油(おおとのあぶら)火影(ほかげ)を御覧になると、

「昔、あの菅原雅平(すがわらまさひら)(したし)ゅう交っていた頃にも、度々このような議論を闘わせた。御身も知って()られようが、雅平(まさひら)は予と違って、一図に信を起し易い、云わば朴直な生れがらじゃ。されば予が世尊金口(せそんこんく)御経(おんきょう)も、実は恋歌(こいか)と同様じゃと嘲笑(あざわら)う度に腹を立てて、煩悩外道(ぼんのうげどう)とは予が事じゃと、再々()しざまに罵り居った。その声さえまだ耳にあるが、当の雅平は行方(ゆくえ)も知れぬ。」と、いつになく沈んだ御声でもの思わしげに御呟(おつぶや)きなさいました。するとその御容子(ごようす)にひき入れられたのか、しばらくの間は御姫様を始め、私までも口を(つぐ)んで、しんとした御部屋の中には藤の花の《におい》ばかりが、一段と高くなったように思われましたが、それを御座(おざ)が白けたとでも、思ったのでございましょう。女房たちの一人が恐る恐る、

「では、この頃洛中に流行(はや)ります摩利の教とやら申すのも、やはり無常を忘れさせる新しい方便なのでございましょう。」と、御話の(くさび)を入れますと、もう一人の女房も、

「そう申せばあの教を説いて歩きます沙門には、いろいろ怪しい評判があるようでございませんか。」と、さも気味悪そうに申しながら、大殿油(おおとのあぶら)の燈心をわざとらしく掻立(かきた)てました。

        二十

「何、摩利(まり)の教。それはまた珍しい教があるものじゃ。」

 何か御考えに耽っていらしった若殿様は、思い出したように、御盃を御挙げになると、その女房の方を御覧になって、

「摩利と申すからは、摩利支天(まりしてん)を祭る教のようじゃな。」

「いえ、摩利支天ならよろしゅうございますが、その教の本尊は、見慣れぬ女菩薩(にょぼさつ)の姿じゃと申す事でございます。」

「では、波斯匿王(はしのくおう)(きさい)の宮であった、茉利(まり)夫人の事でも申すと見える。」

 そこで私は先日神泉苑の(そと)で見かけました、摩利信乃法師(まりしのほうし)の振舞を逐一御話し申し上げてから、

「その女菩薩の姿では、茉利夫人とやらのようでもございませぬ。いや、それよりはこれまでのどの仏菩薩の御像(おすがた)にも似ていないのでございます。別してあの赤裸(あかはだか)幼子(おさなご)(いだ)いて()るけうとさは、とんと人間の肉を()女夜叉(にょやしゃ)のようだとも申しましょうか。とにかく本朝には(たぐい)のない、邪宗の(ほとけ)に相違ございますまい。」と、私の量見を言上致しますと、御姫様は美しい御眉(おんまゆ)をそっと御ひそめになりながら、

「そうしてその摩利信乃法師とやら申す男は、真実天狗の化身(けしん)のように見えたそうな。」と、念を押すように御尋ねなさいました。

「さようでございます。風俗はとんと火の燃える山の中からでも、翼に羽搏(はう)って出て来たようでございますが、よもやこの洛中に、白昼さような変化(へんげ)の物が出没致す事はございますまい。」

 すると若殿様はまた元のように、冴々(さえざえ)した御笑声(おわらいごえ)で、

「いや、何とも申されぬ。現に延喜(えんぎ)御門(みかど)御代(みよ)には、五条あたりの柿の梢に、七日(なのか)の間天狗が御仏(みほとけ)の形となって、白毫光(びゃくごうこう)を放ったとある。また仏眼寺(ぶつげんじ)仁照阿闍梨(にんしょうあざり)を日毎に(りょう)じに参ったのも、姿は女と見えたが実は天狗じゃ。」

「まあ、気味の悪い事を仰有(おっしゃ)います。」

 御姫様は元より、二人の女房も、一度にこう云って、(かさね)の袖を合せましたが、若殿様は、愈御酒(いよいよごしゅ)機嫌の御顔を御和(おやわら)げになって、

「三千世界は元より広大無辺じゃ。僅ばかりの人間の智慧(ちえ)で、ないと申される事は一つもない。たとえばその沙門に化けた天狗が、この屋形の姫君に心を懸けて、ある夜ひそかに破風(はふ)の空から、爪だらけの手をさしのべようも、全くない事じゃとは誰も云えぬ。が、――」と仰有(おっしゃ)りながら、ほとんど色も御変りにならないばかり、恐ろしげに御寄りそいになった御姫様の(うちぎ)の背を、やさしく御さすりになりながら、

「が、まだその摩利信乃法師とやらは、(さいわ)い、姫君の姿さえ垣間見(かいまみ)た事もないであろう。まず、それまでは魔道の恋が、成就する気づかいはよもあるまい。さればもうそのように、怖がられずとも大丈夫じゃ。」と、まるで子供をあやすように、笑って御慰めなさいました。

        二十一

 それから一月ばかりと申すものは、何事もなくすぎましたが、やがて夏も真盛りのある日の事、加茂川(かもがわ)の水が一段と(まばゆ)く日の光を照り返して、炎天の川筋には引き舟の往来(ゆきき)さえとぎれる頃でございます。ふだんから釣の好きな私の甥は、五条の橋の下へ参りまして、河原蓬(かわらよもぎ)の中に腰を下しながら、ここばかりは涼風(すずかぜ)の通うのを幸と、水嵩(みかさ)の減った川に糸を下して、(しきり)(はえ)を釣って居りました。すると丁度頭の上の欄干で、どうも聞いた事のあるような話し声が致しますから、何気なく上を眺めますと、そこにはあの平太夫(へいだゆう)高扇(たかおうぎ)を使いながら、欄干に身をよせかけて、例の摩利信乃法師(まりしのほうし)と一しょに、余念なく何事か話して()るではございませんか。

 それを見ますと私の甥は、以前油小路(あぶらのこうじ)の辻で見かけた、摩利信乃法師の不思議な振舞がふと心に浮びました。そう云えばあの時も、どうやら二人の間には、(いわ)くがあったようでもある。――こう私の甥は思いましたから、眼は糸の方へやっていても、耳は橋の上の二人の話を、じっと聞き澄まして居りますと、向うは人通りもほとんど途絶えた、日盛りの寂しさに心を許したのでございましょう。私の甥の()る事なぞには、更に気のつく容子(ようす)もなく、思いもよらない、大それた事を話し合って()るのでございます。

「あなた様がこの摩利の教を御拡(おひろ)めになっていらっしゃろうなどとは、この広い洛中で誰一人存じて()るものはございますまい。(わたくし)でさえあなた様が御自分でそう仰有(おっしゃ)るまでは、どこかで御見かけ申したとは思いながら、とんと覚えがございませんでした。それもまた考えて見れば、もっともな次第でございます。いつぞやの春の月夜に桜人(さくらびと)の曲を御謡いになった、あの御年若なあなた様と、ただ今こうして炎天に裸で御歩きになっていらっしゃる、慮外ながら天狗のような、見るのも凄じいあなた様と、同じ方でいらっしゃろうとは、あの打伏(うちふし)巫子(みこ)に聞いて見ても、わからないのに相違ございません。」

 こう平太夫(へいだゆう)が口軽く、扇の音と一しょに申しますと、摩利信乃法師はまるでまた、どこの殿様かと疑われる、鷹揚(おうよう)(ことば)つきで、

「わしもその方に会ったのは何よりも満足じゃ。いつぞや油小路(あぶらのこうじ)道祖(さえ)の神の(ほこら)の前でも、ちらと見かけた事があったが、その方は側目(わきめ)もふらず、文をつけた橘の枝を力なくかつぎながら、もの思わしげにたどたどと屋形の方へ歩いて参った。」

「さようでございますか。それはまた年甲斐もなく、失礼な事を致したものでございます。」

 平太夫はあの朝の事を思い出したのでございましょう。苦々しげにこう申しましたが、やがて勢いの()い扇の音が、再びはたはたと致しますと、

「しかしこうして今日(こんにち)御眼にかかれたのは、全く清水寺(きよみずでら)の観世音菩薩の御利益(ごりやく)ででもございましょう。平太夫一生の内に、これほど嬉しい事はございません。」

「いや、予が前で神仏(しんぶつ)の名は申すまい。不肖(ふしょう)ながら、予は天上皇帝の神勅を蒙って、わが日の本に摩利(まり)の教を()こうと致す沙門の身じゃ。」

        二十二

 急に眉をひそめたらしいけはいで、こう摩利信乃法師(まりしのほうし)(ことば)を挟みましたが、存外平太夫(へいだゆう)は恐れ入った気色(けしき)もなく、扇と舌と同じように働かせながら、

「成程さようでございましたな。平太夫も近頃はめっきり老耄(おいぼ)れたと見えまして、する事為す事ことごとく落度(おちど)ばかりでございます。いや、そう云う次第ならもうあなた様の御前(おまえ)では、二度と神仏の御名(みな)は口に致しますまい。もっとも日頃はこの老爺(おやじ)も、余り信心気(しんじんぎ)などと申すものがある方ではございません。それをただ今急に、観世音菩薩などと述べ立てましたのは、全く久しぶりで御目にかかったのが、嬉しかったからでございます。そう申せば姫君も、幼馴染のあなた様が()無事でいらっしゃると御聞きになったら、どんなにか御喜びになる事でございましょう。」と、ふだん私どもに向っては、返事をするのも面倒そうな、口の重い容子(ようす)とは打って変って、勢いよく、弁じ立てました。これにはあの摩利信乃法師も、返事のしようさえなさそうにしばらくはただ、(うなず)いてばかりいるようでございましたが、やがてその姫君と云う(ことば)機会(しお)に、

「さてその姫君についてじゃが、予は(いささ)か密々に御意(ぎょい)得たい仔細(しさい)がある。」と、云って、一段とまた声をひそめながら、

「何と平太夫、その方の力で夜分なりと、御目にかからせてはくれまいか。」

 するとこの時橋の上では、急に扇の音が止んでしまいました。それと同時に私の甥は、危く欄干の方を見上げようと致しましたが、元より迂闊(うかつ)な振舞をしては、ここに潜んでいる事が見露(みあらわ)されないものでもございません。そこでやはり河原蓬(かわらよもぎ)の中を流れて行く水の(おもて)を眺めたまま、息もつかずに上の容子へ気をくばって居りました。が、平太夫は今までの元気に引き換えて、容易に口を開きません。その間の長さと申しましたら、橋の下の私の(おい)には、体中の筋骨(すじぼね)が妙にむず(がゆ)くなったくらい、待ち遠しかったそうでございます。

「たとい河原とは申しながら、予も洛中に住まうものじゃ。堀川の殿がこの日頃、姫君のもとへしげしげと、通わるる趣も知っては()る。――」

 やがてまた摩利信乃法師は、相不変(あいかわらず)もの静かな声で、独り言のように(ことば)()ぐと、

「が、予は姫君が恋しゅうて、御意(ぎょい)得たいと申すのではない。予の業欲(ごうよく)に憧るる心は、一度唐土(ひとたびもろこし)にさすらって、紅毛碧眼の胡僧(こそう)の口から、天上皇帝の御教(みおしえ)聴聞(ちょうもん)すると共に、滅びてしもうた。ただ、予が胸を痛めるのは、あの玉のような姫君も、この天地(あめつち)を造らせ給うた天上皇帝を知られぬ事じゃ。されば、神と云い(ほとけ)と云う天魔外道(てんまげどう)(たぐい)を信仰せられて、その形になぞらえた木石にも香花(こうげ)を供えられる。かくてはやがて命終(めいしゅう)()に臨んで、永劫(えいごう)消えぬ地獄の火に焼かれ給うに相違ない。予はその事を思う度に、阿鼻大城(あびたいじょう)の暗の底へ逆落しに落ちさせらるる、あえかな姫君の姿さえありありと眼に浮んで来るのじゃ。現に昨夜(ゆうべ)も。――」

 こう云いかけて、あの沙門はさも感慨に堪えないらしく、次第に力の籠って来た口をしばらくの間とざしました。

        二十三

昨晩(ゆうべ)、何かあったのでございますか。」

 ほど経て平太夫(へいだゆう)が、心配そうに、こう相手の(ことば)を促しますと、摩利信乃法師(まりしのほうし)はふと我に返ったように、また元の静な声で、一言(ひとこと)毎に間を置きながら、

「いや、何もあったと申すほどの仔細はない。が、予は昨夜(ゆうべ)もあの(こも)だれの中で、独りうとうとと眠って()ると、柳の五つ(ぎぬ)を着た姫君の姿が、夢に予の枕もとへ歩みよられた。ただ、(うつつ)と異ったは、日頃つややかな黒髪が、朦朧と(けぶ)った中に、黄金(こがね)釵子(さいし)が怪しげな光を放って居っただけじゃ。予は絶えて久しい対面の嬉しさに、『ようこそ見えられた』と声をかけたが、姫君は悲しげな眼を伏せて、予の前に坐られたまま、答えさえせらるる気色(けしき)はない。と思えば(くれない)の袴の裾に、何やら(うごめ)いているものの姿が見えた。それが袴の裾ばかりか、よう見るに従って、肩にも()れば、胸にも居る。中には黒髪の中にいて、えせ笑うらしいものもあった。――」

「と仰有っただけでは()せませんが、一体何が居ったのでございます。」

 この時は平太夫も、思わず知らず沙門(しゃもん)の調子に釣り込まれてしまったのでございましょう。こう尋ねました声ざまには、もうさっきの気負った勢いも聞えなくなって居りました。が、摩利信乃法師は、やはりもの思わしげな口ぶりで、

「何が居ったと申す事は、予自身にもしかとはわからぬ。予はただ、水子(みずご)ほどの怪しげなものが、幾つとなく群って、姫君の身のまわりに(うごめ)いているのを眺めただけじゃ。が、それを見ると共に、夢の中ながら予は悲しゅうなって、声を惜まず泣き叫んだ。姫君も予の泣くのを見て、(しきり)に涙を流される。それが久しい間続いたと思うたが、やがて、どこやらで(とり)が啼いて、予の夢はそれぎり覚めてしもうた。」

 摩利信乃法師がこう語り終りますと、今度は平太夫も口を(つぐ)んで、一しきりやめていた扇をまたも使い出しました。私の甥はその間中(はり)にかかった(はえ)も忘れるくらい、聞き耳を立てて居りましたが、この夢の話を聞いている中は、橋の下の涼しさが、何となく肌身にしみて、そう云う御姫様の悲しい御姿を、自分もいつか朧げに見た事があるような、不思議な気が致したそうでございます。

 その内に橋の上では、また摩利信乃法師の沈んだ声がして、

「予はその怪しげなものを妖魔(ようま)じゃと思う。されば天上皇帝は、堕獄の(ごう)を負わせられた姫君を憐れと見そなわして、予に教化(きょうげ)を施せと霊夢を賜ったのに相違ない。予がその方の力を藉りて、姫君に御意得たいと申すのは、こう云う仔細があるからじゃ。何と予が頼みを聞き入れてはくれまいか。」

 それでもなお、平太夫はしばらくためらっていたようでございますが、やがて扇をつぼめたと思うと、それで欄干を(ちょう)と打ちながら、

「よろしゅうございます。この平太夫はいつぞや清水(きよみず)の阪の下で、辻冠者(つじかんじゃ)ばらと刃傷(にんじょう)を致しました時、すんでに命も取られる所を、あなた様の御かげによって、落ち延びる事が出来ました。その御恩を思いますと、あなた様の仰有(おっしゃ)る事に、いやと申せた義理ではございません。摩利(まり)の教とやらに御帰依なさるか、なさらないか、それは姫君の御意次第でございますが、久しぶりであなた様の御目にかかると申す事は、姫君も御嫌(おいや)ではございますまい。とにかく私の力の及ぶ限り、御対面だけはなされるように御取り計らい申しましょう。」

        二十四

 その密談の仔細を甥の口から私が詳しく聞きましたのは、それから三四日たったある朝の事でございます。日頃は人の多い御屋形の侍所(さむらいどころ)も、その時は私共二人だけで、(まば)ゆく朝日のさした植込みの梅の青葉の間からは、それでも涼しいそよ風が、そろそろ動こうとする秋の心もちを時々吹いて参りました。

 私の甥はその話を終ってから、一段と声をひそめますと、

「一体あの摩利信乃法師(まりしのほうし)と云う男が、どうして姫君を知って()るのだか、それは元より私にも不思議と申すほかはありませんが、とにかくあの沙門(しゃもん)が姫君の御意を得るような事でもあると、どうもこの御屋形の殿様の御身の上には、思いもよらない凶変でも起りそうな不吉な気がするのです。が、このような事は殿様に申上げても、あの通りの御気象ですから、決して御取り上げにはならないのに相違ありません。そこで、私は私の一存で、あの沙門を姫君の御目にかかれないようにしようと思うのですが、叔父さんの御考えはどういうものでしょう。」

「それはわしも、あの怪しげな天狗法師などに姫君の御顔を拝ませたく無い。が、御主(おぬし)もわしも、殿様の御用を欠かぬ限りは、西洞院(にしのとういん)の御屋形の警護ばかりして()る訳にも行かぬ筈じゃ。されば御主はあの沙門を、姫君の御身のまわりに、近づけぬと云うたにした所で。――」

「さあ。そこです。姫君の思召しも私共には分りませんし、その上あすこには平太夫(へいだゆう)と云う老爺(おやじ)も居りますから、摩利信乃法師が西洞院の御屋形に立寄るのは、迂闊(うかつ)に邪魔も出来ません。が、四条河原の蓆張(むしろば)りの小屋ならば、毎晩きっとあの沙門が寝泊りする所ですから、随分こちらの思案次第で、二度とあの沙門が洛中(らくちゅう)へ出て来ないようにすることも出来そうなものだと思うのです。」

「と云うて、あの小屋で見張りをしてる訳にも行くまい。御主(おぬし)の申す事は、何やら謎めいた所があって、わしのような年寄りには、十分に()し兼ねるが、一体御主はあの摩利信乃法師をどうしようと云う心算(つもり)なのじゃ。」

 私が不審(ふしん)そうにこう尋ねますと、私の甥はあたかも他聞を(はばか)るように、梅の青葉の影がさして居る部屋の前後へ目をくばりながら、私の耳へ口を附けて、

「どうすると云うて、ほかに仕方のある筈がありません。夜更けにでも、そっと四条河原へ忍んで行って、あの沙門の息の根を止めてしまうばかりです。」

 これにはさすがの私もしばらくの間は呆れ果てて、二の句をつぐ事さえ忘れて居りましたが、甥は若い者らしい、一図に思いつめた調子で、

「何、高があの通りの乞食(こつじき)法師です。たとい加勢の二三人はあろうとも、仕止めるのに造作(ぞうさ)はありますまい。」

「が、それはどうもちと無法なようじゃ。成程あの摩利信乃法師は邪宗門(じゃしゅうもん)を拡めては歩いて居ようが、そのほかには何一つ罪らしい罪も犯して居らぬ。さればあの沙門を殺すのは、云わば無辜(むこ)を殺すとでも申そう。――」

「いや、理窟はどうでもつくものです。それよりももしあの沙門が、例の天上皇帝の力か何か()りて、殿様や姫君を(のろ)うような事があったとして御覧なさい。叔父さん始め私まで、こうして禄を頂いている甲斐がないじゃありませんか。」

 私の甥は顔を火照(ほて)らせながら、どこまでもこう弁じつづけて、私などの申す事には、とんと耳を藉しそうな気色(けしき)さえもございません。――すると丁度そこへほかの侍たちが、扇の音をさせながら、二三人はいって参りましたので、とうとうこの話もその場限り、御流(おながれ)になってしまいました。

        二十五

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