註文帳

1話 註文帳(1)

7,380字 約15分 2009年6月10日 公開

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剃刀研  十九日  紅梅屋敷  作平物語  夕空  点灯頃

雪の門  二人使者  左の衣兜  化粧の名残

     剃刀研

       一

「おう寒いや、寒いや、こりゃべらぼうだ。」

 と天窓(あたま)をきちんと分けた風俗、その辺の若い者。双子(ふたこ)の着物に白ッぽい唐桟(とうざん)半纏(はんてん)博多(はかた)の帯、黒八丈の前垂(まえだれ)白綾子(しろりんず)に菊唐草浮織の手巾(ハンケチ)(うなじ)に巻いたが、向風(むこうかぜ)に少々鼻下を赤うして、土手からたらたらと坂を下り、鉄漿溝(おはぐろどぶ)というのについて揚屋町(あげやまち)の裏の田町の方へ、紺足袋に日和下駄(ひよりげた)、後の減ったる代物(しろもの)、一体なら此奴(こいつ)豪勢に発奮(はず)むのだけれども、一進が一十(いっし)二八(にっぱち)の二月で工面が悪し、霜枯(しもがれ)から引続き我慢をしているが、とかく気になるという足取(あしどり)

 ここに金鍔(きんつば)屋、荒物屋、煙草(たばこ)屋、損料屋、場末の勧工場(かんこうば)見るよう、狭い店のごたごたと並んだのを通越すと、一(けん)口に看板をかけて、丁寧に絵にして剪刀(はさみ)剃刀(かみそり)とを打違(ぶっちが)え、下に五すけと書いて、親仁(おやじ)が大目金(めがね)を懸けて磨桶(とぎおけ)を控え、剃刀の刃を合せている図、目金と玉と桶の水、切物(きれもの)の刃を真蒼(まっさお)に塗って、あとは薄墨でぼかした彩色(さいしき)、これならば高尾の二代目三代目時分の禿(かむろ)使(つかい)に来ても、一目して研屋(とぎや)の五助である。

 敷居の内は一坪ばかり凸凹のたたき土間。隣のおでん屋の屋台が、軒下から三分が一ばかり此方(こなた)店前(みせさき)(かす)めた蔭に、古布子(ふるぬのこ)平胡坐(ひらあぐら)(つぎ)はぎの膝かけを深うして、あわれ泰山崩るるといえども一髪動かざるべき身の構え。砥石(といし)を前に控えたは()いが、怠惰(なまけ)が通りものの、真鍮(しんちゅう)煙管(きせる)脂下(やにさが)りに(くわ)えて、けろりと往来を(なが)めている、つい目と鼻なる敷居際につかつかと入ったのは、(くだん)の若い者、(すて)どんなり。

 手を懐にしたまま胸を突出し、半纏の袖口を両方入山形(いりやまがた)という見得で、

「寒いじゃあねえか、」

「いやあ、お寒う。」

「やっぱりそれだけは感じますかい、」

 親仁は大口を()いて、啣えた煙管を吐出すばかりに、

「ははははは、」

暢気(のんき)じゃあ困るぜ、ちっと精を出しねえな。」

「一言もござりませんね、ははははは。」

「見や、それだから困るてんじゃあねえか。ぼんやり往来を見ていたって、何も落して()(やつ)アありやしねえよ。しかも今時分、よしんば落して行った処にしろ、お前何だ、拾って店へ並べておきゃ札をつけて軒下へぶら下げておくと同一(おんなじ)で、たちまち(とんび)トーローローだい。」

「こう、(はばか)りだが、そんな曰附(いわくつき)の代物は一ツも置いちゃあねえ、出処(でどこ)(たしか)なものばッかりだ。」と(くだん)ののみさしを行火(あんか)の火入へぽんと(はた)いた。真鍮のこの煙管さえ、その中に置いたら異彩を放ちそうな、がらくた沢山、根附(ねつけ)緒〆(おじめ)(たぐい)。古庖丁、塵劫記(じんこうき)などを取交ぜて、石炭箱を台に、雨戸を(よこた)え、赤毛布(あかげっと)を敷いて並べてある。

「いずれそうよ、出処は(たしか)なものだ。川尻権守(ごんのかみ)溝中(どぶのなか)長左衛門ね、掃溜(はきだめ)衛門之介などからお(さが)り遊ばしたろう。」

愚哉(おろか)々々、これ黙らっせえ、(たいら)の捨吉、(なんじ)今頃この処に(きた)って、憎まれ口をきくようじゃあ、いかさま()いろが()えものと見える。」と説破(せっぱ)一番して、五助はぐッとまた横啣(よこぐわえ)

 平の捨吉これを聞くと、壇の浦没落の顔色(がんしょく)で、

「ふむ、余り殺生が過ぎたから、ここん処精進よ。」と戸外(おもて)の方へ目を(そら)す。狭い町を一杯に、昼帰(ひるがえり)を乗せてがらがらがら。

       二

 あとは往来(ゆきき)がばったり絶えて、魔が通る前後(あとさき)の寂たる(みち)かな。如月(きさらぎ)十九日の日がまともにさして、土には泥濘(ぬかるみ)を踏んだ足跡も(とど)めず、さりながら風は颯々(さつさつ)と冷く吹いて、(はるか)に高い処で(はたき)をかける。

串戯(じょうだん)じゃあねえ、」と若い者は立直って、

紺屋(こうや)じゃあねえから明後日(あさって)とは()わせねえよ。(うち)妓衆(おいらん)たちから三(ちょう)ばかり来てる(はず)だ、もう(とっ)くに出来てるだろう、大急ぎだ。」

「へいへい。いやまた家業の方は真面目(まじめ)でございス、捨さん。」

「うむ、」

「出来てるにゃ出来てます、」と膝かけからすぽりと抜けて、行火(あんか)を突出しながらずいと立つ。

 若いものは心付いたように、ハアトと銘のあるのを吸いつける。

 五助は背後向(うしろむき)になって、押廻して三段に釣った棚に向い、右から左のへ三度ばかり目を通すと、無慮四五百挺の剃刀(かみそり)の中から、箱を二挺、紙にくるんだのを一挺、目方を引くごとく(てのひら)に据えたが、捨吉に差向けて、

「これだ、」

「どれ、」

 箱を押すとすッと開いて、研澄(とぎす)ましたのが素直(まっすぐ)に出る、裏書をちょいと(なが)め、

「こりゃ青柳(あおやぎ)さんと、()し、梅の香さんと、それから、や、こりゃ名がねえが間違やしないか。」

「大丈夫、」

(たしか)かね。」

「千本ごッたになったって(わっし)が受取ったら安心だ、お持ちなせえ、したが捨さん、」

「なあに、間違ったって剃刀だあ。」

「これ、剃刀だあじゃあねえよ、お(めえ)さん。今日は十九日だぜ。」

「ええ、驚かしちゃあ不可(いけね)え、張店(はりみせ)遊女(おいらん)に時刻を聞くのと、十五日(すぎ)に日をいうなあ、大の禁物だ。年代記にも野暮の骨頂としてございますな。しかも今年は(うるう)がねえ。」

「いえ、閏があろうとあるまいと、今日は全く十九日だろうな。」と目金越に(のぞ)き込むようにして()ったので、捨吉は変な顔。

「どうしたい。そうさ、」

「お(めえ)さん(とこ)じゃあ構わなかったっけか。」

「何を、」

「剃刀をさ。」

 謂うことはのみ込めないけれども、急に改まって五助が真面目だから、聞くのも気がさして、

「剃刀を? おかしいな。」

「おかしくはねえよ。この頃じゃあ大抵何楼(どこ)でも承知の筈だに、どうまた気が揃ったか知らねえが、三人が三人取りに寄越(よこ)したのはちっと変だ、こりゃお気をつけなさらねえと(あぶね)えよ。」

 ますます怪訝(けげん)な顔をしながら、

「何も変なこたアありやしないんだがね、別に遊女(おいらん)たちが気を揃えてというわけでもなしさ。しかしあたろうというのは三人や四人じゃあねえ、()れるもんなら(うち)に居るだけ残らずというのよ。」

(みんな)かい、」

「ああ、」

「いよいよ悪かろう。」

「だってお(めえ)、床屋が居続けをしていると思や、不思議はあるめえ。」

 五助は苦笑(にがわらい)をして、

洒落(しゃれ)じゃあないというに。」

「何、洒落じゃあねえ、まったくの話だよ。」と若いものは話に念が()って、仕事場の前に腰を据えた。

     十九日

       三

昨夜(ゆうべ)ひけ(すぎ)にお(めえ)、威勢よく三人で飛込んで来た、本郷辺の職人(てあい)さ。今朝になって直すというから休業(やすみ)は十七日だに変だと思うと、案の定なんだろうじゃあないか。

 すったもんだと()ねかえしたが、言種(いいぐさ)が気に入ったい、総勢二十一人というのが昨日(きのう)のこッた、竹の皮包の腰兵糧でもって巣鴨(すがも)の養育院というのに出かけて、(ほどこし)のちょきちょきを()ってさ、総がかりで日の暮れるまでに頭の数五(そく)と六十が処片づけたという奇特な話。

 その(くずれ)が豊国へ入って、大廻りに舞台が(かわ)ると上野の見晴(みはらし)勢揃(せいぞろい)というのだ、それから二(にん)三人ずつ別れ別れに大門へ討入(うちいり)で、格子さきで胄首(かぶと)と見ると名乗(なのり)を上げた。

 もとよりひってんは知れている、ただは()げようたあ言わないから、出来るだけ仕事をさせろ。愚図(ぐず)々々(ぬか)すと、処々に伏勢(ふせぜい)は配ったり、朝鮮伝来の地雷火が仕懸けてあるから、合図の煙管(きせる)(はた)くが最後、芳原は(くう)へ飛ぶぜ、と威勢の()懸合(かけあい)だから、一番景気だと帳場でも買ったのさね。

 そこで切味の()いのが入用というので、ちょうどお(めえ)(とこ)へ頼んだのが間に合うだろうと、大急ぎで取りに来たんだが、何かね、十九日がどうかしたかね。」

「どうのこうのって、真面目なんだ。いけ(どし)(つかまつ)って何も万八を()めるにゃ当りません。」

「だからさ、」

大概(てえげえ)御存じだろうと思うが、じゃあ知らねえのかね。この十九日というのは厄日でさ。別に船頭衆(せんどしゅう)大晦日(おおみそか)の船出をしねえというような(きま)ったんじゃアありません。(ほか)の同商売にはそんなことは()えようだが、(くるわ)中のを、こうやって引受けてる、私許(うち)ばかりだから(いや)じゃあねえか。」

「はて――ふうむ。」

「見なさる通りこうやって、二(そく)三百と預ってありましょう。殊にこれなんざあ御銘々使い込んだ手加減があろうというもんだから。そうでなくッたって粗末にゃあ扱いません。またその癖誰もこれを一(ちょう)どうしようと云うのも()えてッた勘定だけれど、数のあるこッたから、念にゃあ念を入れて毎日一度ずつは調べるがね。紛失(ふんじつ)するなんてえ馬鹿げたことはない(はず)だが、聞きなせえ、今日だ、十九日というと不思議に一挺ずつ()くなります。」

(なん)が、」と変な目をして、捨吉は(わか)ったようで呑込(のみこ)めない。

「何がッたって、預ってる(うち)のさ。」

「おお、」

「ね、御覧なせえ、不思議じゃアありませんかい。(わっし)もどうやらこうやら皆様(みなさん)贔屓(ひいき)にして、五助のでなくッちゃあ歯切(はぎれ)がしねえと、持込んでくんなさるもんだから、長年居附いて、(ばば)どんもここで見送ったというもんだ。(せん)の内もちょいちょい紛失したことがあるにゃあります。けれども何の気も着かねえから、そのたんびに申訳をして、事済みになり/\したんだが。

 毎々のことでしょう、気をつけると毎月さ、はて変だわえ、とそれからいつでも寝際にゃあちゃんと、ちゅう、ちゅう、たこ、かいなのちゅ、と遣ります。

 いつの間にか失くなるさ、()しからねえこッたと、大きに考え込んだ日が何でも四五年前だけれど、忘れもしねえ十九日。

 聞きなせえ。

 するとその前の月にも一昨日(おととい)持って来たとッて、東屋(あずまや)(みやこ)という人のを新造衆(しんぞしゅう)が取りに来て、」

 五助は振向いて背後(うしろ)の棚、(くだん)の屋台の蔭ではあり、間狭(まぜま)なり、日は当らず、剃刀ばかりで陰気なのを、目金越に見て(いや)な顔。

       四

「と、ここから出そうとすると無かろうね。探したが探したがさあ知れねえ。とうとう平あやまりのこっち(へこ)み、先方様(さきさま)むくれとなったんだが、しかも何と、その前の晩気を着けて見ておいたんじゃアあるまいか。

 持って来たのが十八日、取りに来たのが二十日の朝、(しら)べたのが前の晩なら、何でも十九日の夜中だね、希代なのは。」

「へい、」と言って、若い者は巻煙草(まきたばこ)を口から取る。

 五助は前屈(まえかが)みに目金を寄せ、

「ほら、日が合ってましょう。それから気を着けると、いつかも江戸町のお喜乃(きの)さんが、やっぱり例の紛失で、ブツブツいって(けえ)ったッけ、翌日(あくるひ)の晩方、わざわざやって来て、

(どうしたわけだか、鏡台の上に、)とこうだ。私許(うち)へ預って、取りに来て()せたものが、鏡台の上にあるは、いかがでござい。

 鏡台の上はまだしもさ、悪くすると十九日には障子の(さん)なんぞに乗っかってる内があるッさ。

 浮舟さんが燗部屋(かんべや)(さが)っていて、七日(なぬか)ばかり腰が立たねえでさ、夏のこッた、湯へ(へえ)っちゃあ不可(いけね)えと固く留められていたのを、悪汗(わるあせ)(ひど)いといって、中引(なかびけ)過ぎに()ッと這出(はいだ)して行って湯殿口でざっくり膝を切って、それが(もと)で亡くなったのも、お(めえ)、剃刀がそこに落ッこちていたんだそうさ。これが十九日、去年の八月知ってるだろう。

 その日も一挺紛失さ、しかしそりゃ浮舟さんの(うち)のじゃあねえ、確か喜怒川(きぬがわ)の緑さんのだ、どこへどう間違って()くのだか知れねえけれども、(いや)じゃあねえか、恐しい。

 (ひっ)くるめて()や、こっちも一挺なくなって、廓内(くるわうち)じゃあきっと何楼(どこ)かで一挺だけ多くなる勘定だね。御入用のお客様はどなただか早や知らねえけれど、何でも(わっし)研澄(とぎすま)したのをお持ちなさると見えるて、御念の入った。

 (ぱっ)としちゃあ、お客にまで気を悪くさせるから伏せてはあろうが、お前さんだ、今日は剃刀を(つか)わねえことを知っていそうなもんだと思うが、(うち)でも気がつかねえでいるのかしら。」

「ええ! ほんとうかい、お(めえ)とは妙に懇意だが、実は昨今だから、……へい?」と顔の筋を動かして、眉をしかめ、目を《みは》ると、この地色の無い若い者は、思わず手に持った箱を、ばったり下に置く。

「ええ、もし、」

「はい。」と目金を向ける、気を打った捨吉も(ひと)しく振向くと、皺嗄(しゃが)れた声で、

「お前さん、御免なさいまし。」

 敷居際に(つくば)った捨吉が、肩のあたりに千草色の古股引(ふるももひき)(あか)じみた尻切半纏(しりきりばんてん)、よれよれの三尺、胞衣(えな)かと(あやし)まれる帽を(かぶ)って、手拭(てぬぐい)を首に巻き、引出し附のがたがた箱と、海鼠形(なまこなり)小盥(こだらい)、もう一ツ小盥を(かさ)ねたのを両方振分にして天秤(てんびん)で担いだ、六十ばかりの親仁(おやじ)(やせ)さらぼい、枯木に目と鼻とのついた姿で、さもさも寒そう。

 捨吉は袖を交わして、ひやりとした風、つっけんどんなもの(いい)で、

「何だ、」

「はい、もしお寒いこッてござります。」

北風(ならい)のせいだな、こちとらの知ったこッちゃあねえよ。」

「へへへへへ、」と鼻の(さき)(さみ)しげなる(えみ)(もら)し、

「もし、唯今(ただいま)のお話は、たしか幾日(いくか)だとかおっしゃいましたね。」

       五

 五助は目金越に、親仁の顔を(みまも)っていたが、

「やあ作平(さくべい)さんか、」といって、その太わくの面道具(おもてどうぐ)を耳から(ねじ)り取るよう、《も》ぎはなして膝の上。口をこすって、またたいて、

「飛んだ、まあお珍しい、」と知った中。捨吉間が悪かったものと見え、

「作平さん、かね。」と低声(こごえ)で口の(うち)

 折から、からからと後歯(あとば)跫音(あしおと)、裏口ではたと()んで、

「おや、また寝そべってるよ、図々しい、」

 叱言(こごと)は犬か、盗人猫(ぬすっとねこ)か、勝手口の戸をあけて、ぴッしゃりと蓮葉(はすは)にしめたが、浅間だから(じき)にもう鉄瓶をかちりといわせて、障子の内に女の気勢(けはい)

「唯今。」

(けえ)んなすったかい、」

「お勝さん?」と捨吉は中腰に伸上りながら、

「もうそんな時分かな。」

「いいえ、いつもより小一時間遅いんですよ、」

 という時、二枚(だて)のその障子の引手の破目(やぶれめ)から仇々(あだあだ)しい目が二ツ、頬のあたりがほの見えた。(けだ)し昼の(うち)()るだけに一間の(なかば)を借り受けて、情事(いろごと)で工面の悪い、荷物なしの新造(しんぞ)が、京町あたりから路地づたいに今頃戻って来るとのこと。

「少し立込んだもんですからね、」

「いや、御苦労様、これから(ゆっく)りとおひけに相成(あいなり)ます?」

「ところが不可(いけ)ないの、手が足りなくッて二度の(つとめ)と相成ります。」

「お出懸(でかけ)か、」と五助。

「ええ、困るんですよ、昨夜(ゆうべ)もまるッきり寐ないんですもの、身体(からだ)中ぞくぞくして、どうも寒いじゃアありませんか、お婆さん(たま)らないから、もう一枚下へ着込んで()きましょうと思って、おお、寒い。」といってまた鉄瓶をがたりと()る。

 さらぬだに震えそうな作平、

「何てえ寒いこッてございましょう、ついぞ覚えませぬ。」

「はッくしょい、ほう、」と呼吸(いき)を吹いて、(たま)りかねたらしい捨吉続けざまに、

「はッくしょい! ああ、」といって眉を(ひそ)め、

(うわさ)かな、恐しく手間が取れた、いや、何しろ三挺頂いて帰りましょう。薄気味は悪いけれど、名にし負う捨どんがお使者でさ、しかも身替(みがわり)を立てる(うち)奥の一間で長ッ(ちり)と来ていらあ。手ぶらでも帰られまい。五助さん、ともかくも貰って()くよ。途中で自然(おのず)からこの(ふた)が取れて手が切れるなんざ、おっと禁句、」とこの際、障子の内へ聞かせたさに、捨吉相方なしの台辞(せりふ)あり。

 五助はまめだって、

「よくそう()いなせえよ、」

「十九日かね、」と内からいう。

「ええ、御存じ、」といいながら、捨吉腰を(のば)してずいと立った。

「希代だわねえ。」

「やっぱり何でございますかい、」と作平はこれから話す気、(ふり)かえて、荷を(おろ)し、屋台へ天秤を立てかける。

 捨吉はぐいと三挺、懐へ突込みそうにしたが、じっと見て、

「おッと十九日。」

 という処へ、荷車が二台、浴衣の洗濯を(うずたか)く積んで、小僧が三人寒い顔をしながら、日向(ひなた)をのッしりと()いて通る。向うの路地の角なる、小さな(まき)屋の店前(みせさき)に、炭団(たどん)を乾かした背後(うしろ)から、子守がひょいと出て、ばたばたと駆けて()く。大音寺前あたりで(あめ)屋の囃子(はやし)

     紅梅屋敷

       六

 その荷車と子守の行違(ゆきちが)ったあとに、何にもない真赤(まっか)な田町の細路へ、捨吉がぬいと出る。

 途端にちりりんと(りん)の音、袖に擦合うばかりの処へ、自転車一輛、またたきする間もあらせず、

「危い、」と声かけてまた一輛、あッと退(すさ)ると、耳許(みみもと)へ再び、ちりちり!

 土手の方から(さっ)と来たが、都合三輛か、それ(あるい)は三(びき)か、三(びき)か、(つばめ)か、兎か、見分けもつかず、波の揺れるようにたちまち見えなくなった。

 棒立ちになって、捨吉茫然(ぼうぜん)と見送りながら、

「何だ、一文も()え癖に、」

(てめえ)じゃアあるまいし。」

「や、」

「どうした。」

「へい、」

「近頃はどうだ、ちったあ当りでもついたか、(てめえ)、桐島のお(けし)に大分執心だというじゃあないか。」

「どういたしまして、」

「少しも御遠慮には及ばぬよ。」

「いえ、先方(さき)へでございます、旦那(だんな)にじゃあございません。」

「そうか、いや意気地(いくじ)の無い(やつ)だ。」と腹蔵の無い高笑(たかわらい)少禿天窓(すこはげあたま)てらてらと、色づきの()顔容(かおかたち)、年配は五十五六、結城(ゆうき)襲衣(かさね)に八反の平絎(ひらぐけ)棒縞(ぼうじま)綿入半纏(わたいればんてん)をぞろりと羽織って、白縮緬(しろちりめん)の襟巻をした、この旦那と呼ばれたのは、二上屋藤三郎(ふたかみやとうさぶろう)という遊女屋の亭主で、(くるわ)内の名望家、当時見番の取締(とりしまり)を勤めているのが、今(むこう)の路地の奥からぶらぶらと出たのであった。

 界隈(かいわい)の者が呼んで紅梅屋敷という、二上屋の寮は、新築して実にその路地の突当(つきあたり)(とおり)長屋並(ならび)の屋敷越に遠くちらちらとある(くれない)は、早や咲初(さきそ)めた(つぼみ)である。

 捨吉は(あらた)めて、腰を(かが)めて揉手(もみで)をし、

「旦那御一所に。」

「おお、これからの、」

 という処へ、萌黄(もえぎ)裏の紺看板に二の字を抜いた、切立(きったて)半被(はっぴ)、そればかりは威勢が()いが、かれこれ七十にもなろうという、十筋右衛門(とすじうえもん)向顱巻(むこうはちまき)

 今一(にん)唐縮緬(とうちりめん)の帯をお太鼓に結んで、人柄な高島田、風呂敷包を小脇に抱えて、後前(あとさき)に寮の方から路地口へ。

 捨吉はこれを見て、

「や、(とっ)さん、こりゃ姉さん、」

「ああ、今日はちっとの、内証(ないしょ)に芝居者のお客があっての、実は寮の方で一杯と思って、下拵(したごしらえ)に来てみると、困るじゃあねえか、お(めえ)。」

「へい、へい成程。」

「お若が例のやんちゃんをはじめての、騒々しいから(いや)だと()うわ。じゃあ一晩だけ店の方へ行っていろと謂ったけれど、それをうむという奴かい。また眩暈(めまい)をされたり、虫でも(おこ)されちゃあ(かな)わねえ。その上お前、ここいらの者に似合わねえ、俳優(やくしゃ)というと目の(かたき)にして嫌うから、そこで何だ。客は(むこう)へ廻すことにして、部屋の方の手伝に爺やとこのお辻をな、」

「へい、へい、へい、成程、そりゃお(めえ)さん方御苦労様。」

「はははは、別荘(おしもやしき)穴籠(あなごもり)(じじ)めが、土用干でございますてや。」

「お前さん、今日は。」とお辻というのが愛想の()い。

 藤三郎はそのまま土手の方へ行こうとして、フト研屋(とぎや)の店を覗込(のぞきこ)んで、

「よくお精が出るな。」

「いや、」作平と共に四人の(かた)を見ていたのが、天窓(あたま)をひたり、

「お天気で結構でございます。」

「しかし寒いの。」と藤三郎は懐手で空を仰ぎ、輪(なり)にずッと《みまわ》して、

「筑波の方に雲が見えるぜ。」

       七

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