註文帳

5話 註文帳(5)

4,770字 約10分 2009年6月10日 公開

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 寝衣(ねまき)に着換えさしたのであろう、その上衣と短胴服(チョッキ)、などを一かかえに、少し衣紋(えもん)の乱れた咽喉(のど)のあたりへ(おッ)つけて、胸に(いだ)いて、時の()(やつれ)の見える(おとがい)を深く、俯向(うつむ)いた姿(なり)で、奥の方六畳の(ふすま)を開けて、お若はしょんぼりして出て来た。

 襖の内には炬燵(こたつ)(すそ)屏風(びょうぶ)の端。

 (うしろ)片手で()とあとをしめて、三畳ばかり暗い処で姿が消えたが、静々と、十畳の広室(ひろま)(あらわ)れると、二室(ふたま)二重(ふたえ)の襖、いずれも一枚開けたままで、玄関の(わき)なるそれも六畳、長火鉢にかんかんと、大形の台洋燈(だいランプ)がついてるので、あかりは青畳の上を(すべ)って、お若の冷たそうな、爪先(つまさき)が、そこにもちらちらと雪の散るよう、足袋は脱いでいた。

 この(あかり)がさしたので、お若は半身を暗がりに、少し伸上るようにして(すか)して見ると、火鉢には真鍮(しんちゅう)大薬鑵(おおやかん)(かか)って、も一ツ小鍋(こなべ)をかけたまま、お杉は行儀よく坐って、艶々(つやつや)しく結った円髷(まるまげ)の、その斑布(ばらふ)(くし)をまともに見せて、身動きもせずに仮睡(いねむり)をしている。

 差覗(さしのぞ)いてすっと身を引き、しばらく物音もさせなかったが、やがてばったり、抱えてたものを畳に落して、陰々として忍泣(しのびなき)の声がした。

 しばらくすると、(そっ)とまたその着物を取り上げて、一ツずつ壁の際なる衣桁(いこう)(わたし)

 お若は力なげに洋袴(ずぼん)をかけ、短胴服(チョッキ)をかけて、それから上衣を(ひっ)かけたが、持ったまま手を放さず、じっと立って、再び(そっ)爪立(つまだ)つようにして、()を隔ってあたかも草双紙の挿絵を見るよう、(きぬ)(しま)も見えて森閑と眠っている姿を覗くがごとくにして、立戻って、再三衣桁にかけた上衣の衣兜(かくし)

 しかもその左の方を、しっかと取ってお若は思わず、

「ああ、(いや)だっていうんだもの、」と絶入るように独言(ひとりごと)をした。あわれこうして、幾久しく(ちぎり)()めよと、杉が、こうして幾久しく契を籠めよと!

 お若は我を忘れたように、じっとおさえたまま身を震わして、しがみつくようにするトタンに、かちりと音して、爪先へ(ひや)りと(あた)り、総身に針を刺されたように(ぞっ)と寒気を覚えたのを、と見ると一(ちょう)剃刀(かみそり)であった。

「まあ、(こわ)いことねえ。」

 なお且つびっしょり濡れながら(たもと)の端に触れたのは、包んで五助が(かた)へあつらえた時のままなる、見覚えのある反故(ほご)である。

 お若はわなわなと身を震わしたが、左手(ゆんで)に取ってじっと見る間に、(おもて)の色が(さっ)と変った。

「わッ。」

 というと研屋(とぎや)の五助、(わめ)いて、むッくと()ね起きる。炬燵の向うにころりとせ、貧乏徳利を枕にして寝そべっていた鏡研(かがみとぎ)の作平、もやい蒲団(ぶとん)弾反(はねかえ)されて寝惚声(ねぼげごえ)で、

「何じゃい、騒々しい。」

 五助は(きもの)はだけに大の字(なり)名残(なごり)を見せて、(ひきがえる)のような及腰(およびごし)、顔を突出して目を《みは》って、障子越に紅梅屋敷の(かた)(みつ)めながら、がたがたがたがた、

「大変だ、作平さん、大変だ、ひ、ひ、人殺し!」

「貧乏神が抜け出す前兆(しらせ)か、恐しく(おど)されるの、しっかりさっししっかりさっし。」といいながら、余り血相のけたたましさに、捨ておかれずこれも起きる。枕頭(まくらもと)には大皿に刺身のつま、猪口(ちょく)やら(はし)やら乱暴で。

「いや、お(めえ)しっかりしてくれ、大変だ、どうも恐しい(たたり)だぜ、一方(ひとかた)ならねえ執念だ。」

     化粧の名残

       二十四

「とうとうお(めえ)、旗本の遊女(おいらん)()れた男の血筋を、一人紅梅屋敷へ引込んだ、同一(おなじ)理窟で、お若さんが、さ、さ、先刻(さっき)取り上げられた剃刀(かみそり)でやっぱり、お前、とても身分違いで(おもい)(かな)わぬとッて、そ、その男を殺すというのだい。今行水を(つか)ってら、」

「何をいわっしゃる、ははははは、風邪を引くぞ、うむ、夢じゃわ夢じゃわ。」

「はて、しかし夢か、」とぼんやりして腕を組んだが、

「待てよ、こうだによってと、誰か先刻(さっき)ここの前へ来て二上屋の寮を聞いたものはねえか。」

「おお、」

 作平も膝を叩いた。

「そういやあある。お(めえ)は酔っぱらってぐうぐうじゃ、何かまじまじとして(わし)()られん、一時(いっとき)半ばかり前に、恐しく風が吹いた中で、(たしか)に聞いた、しかも(わか)い男の声よ。」

「それだそれだ、まさしくそれだ、や、飛んだこッた。

 お(めえ)、何でも遊女(おいらん)に剃刀を授かって、お若さんが、殺してしまうと、身だしなみのためか、行水を、お前、行水ッて湯殿でお前、小桶(こおけ)(わき)ざましの薬鑵(やかん)の湯を()ちまけて、お前、惜気もなく、肌を脱ぐと、懐にあった剃刀を(くわ)えたと思いねえ。硝子戸(がらすど)の外から(のぞ)いてた、(わし)が方を仰向(あおむ)いての、仰向くとその拍子に、がッくり抜けた島田の根を、邪慳(じゃけん)(ひっ)つかんだ、顔色(かおつき)ッたら、先刻(さっき)見た幽霊にそッくりだあ、きゃあッともいおうじゃあねえか、だからお前、(はや)く行って留めねえと。」

「そして男を殺すとでもいうたかい、」

「いや、(わし)が夢はお(めえ)の夢、ええ、小じれッてえ。何でもお前が紅梅屋敷を教えたからだ。今思やうつつだろうか、晩方しかも今日研立(とぎたて)の、お若さんの剃刀を取られたから、気になって、気になって(たま)るめえ。

 処へ夜が更けて、尋ねて()くものがあるから、おかしいぜ、此奴(こいつ)贔屓(ひいき)の田之助に怪我でもあっちゃあならねえと、直ぐにあとをつけて()くつもりだっけ、例の臆病(おくびょう)だから叶わねえ、不性(ぶしょう)をいうお前を、引張出(ひっぱりだ)して、夢にも二人づれよ。」

「やれやれ御苦労千万。」

「それから戸外(おもて)へ出ると雪はもう()んでいた、寮の前へ()くとひっそりかんよ。人騒せなと、思ったけれど、あやまる分と、声をかけて、戸を叩いたけれど返事がねえ。

 いよいよ変だと思うから大声で(わめ)いてドンドンやったが、成るほど夢か。叩くと音がしねえ、思うように声が出ねえ。我ながら向う河岸の渡船(わたしぶね)を呼んでるようだから、構わず開けて入ろうとしたが掛金がっちりだ。

 どこか()く処があるめえかと、ぐるぐる寮の周囲(まわり)を廻る内に、湯殿の窓へあかりがさすわ。

 はて変だわえ、今時分と、そこへ行って(のぞ)いた時、お若さんが寝乱れ姿で薬鑵を提げて出て来たあ。とまず安心をして(すご)いように美しい顔を見ると、目を泣腫(なきは)らしています、ね。どうしたかと思う内に、鹿()の子の見覚えある(しごき)一ツ、背後(うしろ)縮緬(ちりめん)の羽織を引振(ひっぷる)って脱いでな、(つま)を取って(ながし)へ出て、その薬鑵の湯を()ちまけると、むっとこう霧のように湯気が立ったい、小棚から石鹸を出して手拭(てぬぐい)突込(つっこ)んで、うつむけになって顔を洗うのだ。ぐらぐらとお前その時から島田の根がぬけていたろうじゃねえか。

 それですっぱりと顔を()いてよ、そこでまた一安心をさせながら、何と、それから丸々ッちい両肌を脱いだんだ、それだけでも(ぞっ)とするのに、考えて見りゃちっと変だけれど、胸の処に剃刀が、それがお(めえ)

(五助さん、これでしょう、)と晩方遊女(おいらん)()った図にそっくりだ。はっと思うトタンに背向(うしろむき)になって仰向けに、そうよ、上口(あがりぐち)の方にかかった、姿見を見た。すると髪がざらざらと崩れたというもんだ、姿見に映った顔だぜ、その顔がまた遊女(おいらん)そのままだから、キャッといったい。」

       二十五

 されば五助が夢に見たのは、欽之助が不思議の因縁で、雪の()に、お若が紅梅の寮に宿ったについての、(くわ)しい順序ではなく、遊女の霊が、見棄てられたその恋人の血筋の者を、二上屋の(むすめ)に殺させると叫んだのも、覚際(さめぎわ)にフト刺戟された想像に(とど)まったのであるが、しかしそれは不幸にも事実であった。宵におびやかされた名残(なごり)とばかり、さまでには思わなかった作平も、まさしく(わか)い声の男に、寮の道を教えたので、すてもおかず、ともかくもと大急ぎで、出掛ける拍子に、棒を小腋(こわき)に引きそばめた臆病(おくびょう)ものの可笑(おかし)さよ。

 戸外(おもて)へ出ると、もう先刻(さっき)から雪の降る底に雲の行交(ゆきか)う中に、薄く隠れ、鮮かに(あらわ)れていたのがすっかり月の()に変った。火の番の最後の鉄棒(かなぼう)遠く響いて(くるわ)の春の有明なり。

 出合頭(であいがしら)に人が一人通ったので、やにわに棒を突立てたけれども、何、それは怪しいものにあらず、

「お早うがすな。」と(すま)して土手の方へ行った。

 積んだ(たきぎ)の小口さえ、雪まじりに見える角の炭屋の路地を入ると、(かすか)にそれかと思う足あとが、心ばかり飛々(とびとび)(くぼ)んでいるので、まず顔を見合せながら進んで門口(かどぐち)()くと、内は(しん)としていた。

 これさえ夢のごときに、胸を(とどろ)かせながら、試みに叩いたが、小塚原(こつかッぱら)あたりでは狐の声とや怪しまんと思わるるまで、如月(きさらぎ)の雪の残月に、カンカンと響いたけれども、返事がない。

 猶予ならず、庭の袖垣を左に見て、勝手口を過ぎて大廻りに植込の中を(くぐ)ると、向うにきらきら水銀の流るるばかり、湯殿の窓が雪の中に見えると思うと、前の溝と覚しきに、むらむらと薄くおよそ人の脊丈ばかり湯気が立っていた。

 これにぎょッとして五助、作平、湯殿の下へ駆けつけた時はもう(あえ)いでいた。逡巡(しりごみ)をする五助に入交(いれかわ)って作平、突然(いきなり)手を懸けると、()が忘れたか戸締(とじまり)がないので、硝子窓(がらすまど)をあけて(また)いで入ると、雪あかりの上、月がさすので、明かに見えた真鍮(しんちゆう)の大薬鑵。(ふた)と別々になって、うつむけに(ひっ)くりかえって、濡手拭(ぬれてぬぐい)(おけ)の中、湯は沢山にはなかったと思われ、乾き切って霜のような(ながし)が、網を投げた形にびっしょりであった。

 上口から躍込むと、あしのあとが、板の間の濡れたのを踏んで、肝を冷しながら、(あかり)目的(めあて)に駆けつけると、洋燈(ランプ)は少し暗くしてあったが、お杉は端然(ちゃんと)坐ったまま、その(まげ)、その(くし)、その姿で、小鍋をかけたまま凍ったもののごとし。

 ただいつの間にか、先刻(さっき)欽之助が脱いだままで置いて寝に行った、結城(ゆうき)半纏(はんてん)()せかけてあった。とお杉はこれをいって今もさめざめと泣くのである。

 五助、作平は左右より、(いら)って二ツ三ツ背中をくらわすと、杉はアッといって、我に返ると同時に、

「おいらんが、遊女(おいらん)が、」と切なそうにいった。

 半纏はお若が心優しく、いまわの際にも(いたわ)ってその時かけて行ったのであろう。

 後にお杉はうつつながら、お若が目前(まのあたり)に湯を取りに来たことも、しかもまくり手して重そうに持って湯殿の(かた)へ行ったことも、知っていたが、これよりさき朦朧(もうろう)として雪ぢらしの部屋着を()た、品の()い、脊の高い、見馴(みな)れぬ遊女(おいらん)が、寮の内を、あっちこっち、幾たびとなくお若の身に前後して、お杉が自分で立とうとすると、(きっ)(にら)まれて身動きが出来ないのであったと()う。

 とこういうべき(いとま)あらず、我に(かえ)るとお杉も(いた)くお若の身を憂慮(きづか)っていたので、飛立つようにして三人奥の()へ飛込んだが、(ああ)

 既に遅矣(おそし)、雪の姿も、紅梅も、狼藉(ろうぜき)として韓紅(からくれない)

 狂気のごとくお杉が抱き上げた時、お若はまだ呼吸(いき)があったが、血の滴る剃刀を握ったまま、

「済みませんね、済みませんね。」と二声いったばかり、これはただ皮を切った位であったけれども暁を待たず。

 男は深疵(ふかで)だったけれども気が(たしか)で、いま(かけ)つけた者を見ると、

「お前方、助けておくれ、大事な体だ。」

 といったので、五助作平、腰を抜いた。

 この事実は、翌早朝、金杉の方から裏へ廻って、寮の木戸へつけて、同一(おなじ)枕に死骸を引取って行った馬車と共によく秘密が守られた。

 しかし馬車で(のり)つけたのは、昨夜(ゆうべ)伊予紋へ、少将の夫人の使(つかい)をした、(たちばな)という女教師と、一名の医学士であった。

 その診察に因って救うべからずと決した時、次の()(かしこま)っていた、二上屋藤三郎すなわちお若の養父から捧げられたお若の遺書(かきおき)がある。

 橘は取って披見した後に、枕頭(まくらもと)に進んで、声を曇らせながら判然(はっきり)と読んで聞かせた。

 この意味は、人の想像とちっとも(たが)わぬ。

 その時まで残念だ、と呼吸(いき)の下でいって、いい続けて、時々歯噛(はがみ)をしていた少年は、耳を(すま)して、聞き果てると、しばらくうっとりして、早や死の色の宿ったる蒼白(そうはく)(おもて)(やわら)げながら、手真似(てまね)をすること三度ばかり。

 医学士が(うなず)いたので、橘が筆をあてがうと、わずかに枕を(もた)げ、天地(べに)の半(きれ)に、薄墨のあわれ水茎の(あと)、にじり(がき)の端に、わか《まいらせそろ》とある上へ、少し大きく、()い手で脇屋欽之助つま、と記して安かに目を(ねむ)った。

 一座粛然。

 作平は啜泣(すすりなき)をしながら、

「おめでてえな。」

 五助が握拳(にぎりこぶし)を膝に置いて、

「お若さん、喜びねえ。」

明治三十四(一九〇一)年一月

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