妖魔の辻占

2話 妖魔の辻占(2)

4,224字 約8分 2009年6月4日 公開

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 此の時代の、事実として一般に信ぜられた記録がある。――薩摩(さつま)鹿児島に、小給(しょうきゅう)の武士の子で(とし)十四に成るのが、父の使(つかい)に書面を持つて出た。朝(いつ)(どき)の事で、侍町(さむらいまち)の人通りのない坂道を(のぼ)る時、大鷲(おおわし)が一羽、虚空(こくう)から(いわ)落下(おちさが)るが如く落して来て、少年を引掴(ひっつか)むと、(たちま)ち雲を飛んで行く。少年は夢現(ゆめうつつ)ともわきまへぬ。が、とに(かく)大空を行くのだから、落つれば一堪(ひとたま)りもなく、粉微塵(こなみじん)に成ると覚悟して、風を切る黒き帆のやうな翼の下に成るがまゝに身をすくめた。はじめは双六(すごろく)の絵を敷いた如く、城が見え、町が見え、ぼうと(かす)んで村里(むらざと)も見えた。やがて渾沌(こんとん)瞑々(めいめい)として風の鳴るのを聞くと、(はて)しも知らぬ渺々(びょうびょう)たる海の上を()けるのである。いまは、運命に任せて目を(つむ)ると、()と風も身も動かなく成つた。我に返ると、(わし)(おおい)なる()(こずえ)に翼を休めて居る。が、山の峰の(いただき)に、さながら尖塔(せんとう)の立てる如き、雲を(つらぬ)いた巨木(きょぼく)である。片手を()つと動かすと自由に動いた。

 時に、脇指(わきゆび)()に手を掛けはしたものの、鷲のために支へられて梢に()まつた身体(からだ)である。――殺しおほせるまでも、(かれ)(きず)つけて地に落されたら、立処(たちどころ)に五体が砕けよう。が、此のまゝにしても生命(いのち)はあるまい。()う処置しようと猶予(ためら)ふうちに、一打(ひとう)(あお)つて又飛んだ。飛びつつ、いつか地にやゝ近く、ものの一二(けん)(かす)めると見た時、此の沈勇(ちんゆう)なる少年は、脇指を引抜(ひきぬ)きざまにうしろ(づき)にザクリと突く。弱る(ところ)を、呼吸(いき)もつかせず、三刀(みかたな)四刀(よかたな)さし通したので、弱果(よわりは)てて鷲が仰向(あおむ)けに大地に伏す、伏しつつ仰向けに(ひるがえ)る腹に乗つて、(やわらか)羽根蒲団(はねぶとん)に包まれたやうに、ふはふはと落ちた。

 (あたか)も鷲の腹からうまれたやうに、少年は血を浴びて出たが、四方、山また山ばかり、山嶽(さんがく)重畳(ちょうじょう)として更に東西を(べん)じない。

 とぼ/\と辿(たど)るうち、人間の木樵(きこり)()つた。木樵は絵の如く(おの)を提げて居る。進んで礼して、城下を教へてと言つて、()道案内(みちあんない)を頼むと、城下とは何んぢやと言つた。お城を知らないか、と言ふと、知んねえよ、とけろりとして居る。薄給でも其の頃の官員の(せがれ)だから、向う見ずに腹を立てて、鹿児島だい、と大きく言ふと、鹿児島とは、何処(どこ)ぢやと言ふ。おのれ、日本(にっぽん)薩摩国(さつまのくに)鹿児島を知らぬかと呼ばはると、伸び/\とした鼻の下を(やっ)と縮めたのは、(おおき)な口を()けて(あき)れたので。薩摩は此処(ここ)から何千里あるだい、と反対(あべこべ)に尋ねたのである。少年も少し心着(こころづ)いて、此処(ここ)何処(どこ)だらう、と聞いた時、はじめて知つた。木曾の山中(やまなか)であつたのである。

 此処(ここ)で、二人で、始めて鷲の死体を見た。

 (ふもと)連下(つれくだ)つた木樵が、やがて庄屋(しょうや)に通じ、陣屋に知らせ、(こおり)の医師を呼ぶ騒ぎ。精神にも身体(からだ)にも、見事異状がない。――鹿児島まで、及ぶべきやうもないから、江戸の薩摩屋敷まで送り届けた。

 朝(いつ)(どき)、宙に()られて、少年が木曾山中(さんちゅう)で鷲の爪を離れたのは同じ日の(ゆうべ)。七つ時、(あいだ)五時(いつとき)十時間である。里数は(ほぼ)四百里であると言ふ。

 ――鷲でさへ、まして天狗(てんぐ)(わざ)である。また武士(さむらい)が刀を抜いて居たわけも、此の辺で大抵想像が着くであらう。――

 ものには必ず(つい)がある、(ついで)に言はう。――(これ)と前後して近江(おうみ)膳所(ぜぜ)の城下でも鷲が武士の子を(さら)つた――此は馬に乗つて馬場に居たのを(くら)から引掴(ひっつか)んで(あが)つたのであるが、此の時は湖水の上を(さっ)()した。刀は抜けて(うみ)に沈んで、小刀(しょうとう)ばかり帯に残つたが、(した)(くが)に成つた時、砂浜の(なぎさ)に少年を落して、鷲は目の上の絶壁の大巌(おおいわ)に翼を休めた。しばらくして、どつと(おろ)いて、少年に(とび)かゝつて、顔の皮を《むし》りくらはんとする(ところ)を、一生懸命脇差(わきざし)でめくら()きにして助かつた。人に介抱(かいほう)されて、(のち)に、所を聞くと、此の方は近かつた。近江の湖岸で、里程は二十里。――江戸と箱根は(これ)より少し遠い。……

 それから、人間が空をつられて行く(さま)に参考に成るのがある。……此は見たものの名が分つて居る。讃州高松(さんしゅうたかまつ)、松平侯の世子(せいし)で、貞五郎(ていごろう)と云ふのが、近習(きんじゅう)たちと、浜町(はまちょう)矢の倉の(やしき)の庭で、(たこ)を揚げて遊んで居た。

 ()と寒いほどの西風で、凧に向つた遙か品川の海の方から、ひら/\と(あか)いものが、ぽつちりと見えて、空中を次第に近づく。()真逆(まっさかさ)になった女で、髪がふはりと下に流れて、無慙(むざん)や真白な足を空に、顔は(もすそ)で包まれた。ヒイと泣叫(なきさけ)ぶ声が悲しげに響いて、あれ/\と見るうちに、遠く筑波(つくば)の方へ(かす)んで(しま)つた。近習たちも皆見た。(ちょう)日中(ひるなか)で、(しか)も空は晴れて居た。――(はだ)(きぬ)もうつくしく蓑虫(みのむし)がぶらりと雲から(さが)つたやうな女ばかりで、()に何も見えなかつた。が、天狗(てんぐ)(つか)んだものに相違ない、と云ふのである。

 けれども、こゝなる両個(ふたつ)の魔は、武士(さむらい)屑屋(くずや)(さかさま)()つたのではないらしい。

        五

「ふむ、……其処(そこ)で肝要な、江戸城の(おもむき)如何(いかが)であつたな。」

「いや以ての(ほか)の騒動だ。外濠(そとぼり)から(りょう)()いても、天守へ(らい)が転がつても、太鼓櫓(たいこやぐら)の下へ屑屋が(こぼ)れたほどではあるまいと思ふ。又、此の屑屋が(きょう)がつた男で、鉄砲笊(てっぽうざる)(かつ)いだまゝ、落ちた(ところ)俯向(うつむ)いて、篦鷺(へらさぎ)のやうに、竹の(はし)其処等(そこら)(つっ)つきながら、胡乱々々(うろうろ)する。……此を高櫓(たかやぐら)から(あり)葛籠(つづら)背負(しょ)つたやうに、小さく真下(まっした)(のぞ)いた、係りの役人の吃驚(びっくり)さよ。()(おもて)(むしば)んだやうに目が(くら)んで、折からであつた、()つの太鼓を、ドーン、ドーン。」

 と小法師(こほうし)なるに力ある声が、湖水に響く。ドーンと、もの(すご)(こだま)して、

「ドーン、ドーンと十三打つた。」

(みょう)。」と、又乗出(のりだ)した山伏(やまぶし)が、

「前代未聞。」と(ことば)の尾を沈めて、(なか)ば歎息して云つた。

謀叛人(むほんにん)が降つて湧いて、()(まる)取詰(とりつ)めたやうな騒動だ。将軍の住居(すまい)は大奥まで湧上(わきあが)つた。長袴(ながばかま)(すべ)る、上下(かみしも)蹴躓(けつまず)く、茶坊主(ちゃぼうず)は転ぶ、女中は泣く。追取刀(おっとりがたな)(やり)薙刀(なぎなた)。そのうち騎馬で乗出(のりだ)した。何と、紙屑買(かみくずかい)一人を、鉄砲づくめ、槍襖(やりぶすま)(とら)へたが、見ものであつたよ。――国持諸侯(くにもちだいみょう)(しらみ)合戦(かっせん)をするやうだ。」

(まこと)か、それは?」

「云ふにや及ぶ。」

「あゝ幕府の運命は、それであらかた知れた。――」

「む、大納言殿御館(おやかた)では、大刀(だんびら)を抜いた武士(さむらい)を、手弱女(たおやめ)の手一つにて、黒髪一筋(ひとすじ)乱さずに、もみぢの廊下を毛虫の如く撮出(つまみだ)す。」

「征夷大将軍の江戸城に於ては、紙屑買(ただ)一人を、老中(ろうじゅう)はじめ合戦の混乱ぢや。」

「京都の(おん)ため。」

 と西に向つて、草を払つて、秋葉の行者(ぎょうじゃ)と、羽黒の小法師(こほうし)(そろ)つて、手を()いて敬伏(けいふく)した。

小虫(しょうちゅう)微貝(びばい)臣等(しんら)……」

欣幸(きんこう)慶福(けいふく)。」

(つつし)んで、万歳を(しゅく)(たてまつ)る。」

        六

「さて、……町奉行(まちぶぎょう)白洲(しらす)を立てて驚いた。召捕(めしと)つた屑屋を送るには、槍、鉄砲で列をなしたが、奉行役宅(やくたく)突放(つっぱな)すと(ひきがえる)ほどの働きもない男だ。横から()ても、縦から視ても、(きたな)い屑屋に相違あるまい。奉行は継上下(つぎがみしも)、御用箱、うしろに太刀持(たちもち)用人(ようにん)与力(よりき)同心徒(どうしんであい)、事も厳重に堂々と並んで、威儀を正して、ずらりと蝋燭(ろうそく)()を入れた。

 灯を入れて、(あらた)めて、町奉行が、(あまり)の事に、櫓下(やぐらした)胡乱(うろ)ついた時と、同じやうな(さま)をして見せろ、とな、それも吟味(ぎんみ)の手段とあつて、屑屋を立たせて、(ざる)背負(しょ)はせて、()しめたやうな手拭(てぬぐい)まで(かぶ)らせた。が、(なお)の事だ。今更ながら、一同の(あき)れた(ところ)を、(ひさし)(また)いで(さかしま)(のぞ)いて(ねら)つた愚僧だ。つむじ風を(どっ)と吹かせ、白洲(しらす)砂利(じゃり)をから/\と掻廻(かきまわ)いて、パツと一斉に灯を消した。逢魔(おうま)(どき)(くら)まぎれに、ひよいと(つか)んで、(くう)へ抜けた。お互に此処等(ここら)は手軽い。」

「いや、しかし、御苦労ぢや。其処(そこ)で何か、すぐに羽黒へ帰らいで、屑屋を掴んだまゝ、御坊(ごぼう)関所(ぢか)く参られたは、其の男に後難(ごなん)あらせまい遠慮かな。」

「何、何、愚僧が三度息を吹掛(ふきか)け、あの身体中(からだじゅう)まじなうた。屑買(くずかい)明日(あす)が日、奉行の鼻毛を抜かうとも、(くさめ)をするばかりで、一向(いっこう)に目は附けん。其処(そこ)(いささか)も懸念はない。が、正直な気のいゝ屑屋だ。不便(ふびん)や、定めし驚いたらう。……労力(ほねおり)やすめに、京見物をさせて、大仏前の(もち)なりと振舞(ふるま)はうと思うて、足ついでに飛んで来た。が、いや、先刻の、それよ。……城の石垣に於て、大蛇(おおへび)捏合(こねお)うた、あの臭気(におい)脊筋(せすじ)から脇へ(まと)うて、飛ぶほどに、()けるほどに、段々(たま)らぬ。よつて、此の大盥(おおだらい)で、一寸(ちょっと)行水(ぎょうずい)をばちや/\()つた。

 愚僧は好事(ものずき)――お行者こそ御苦労な。江戸まで、あの荷物を(おくり)と見えます。――武士(さむらい)は何とした、(しん)()えて、手足が突張(つっぱ)り、(こと)(ほか)疲れたやうに見受けるな。」

「おゝ、其の武士(さむらい)は、部役(ぶやく)のほかに、仔細あつて、()(きゅう)を用ゐたのぢや。」

「道理こそ、……此は暑からう。待て/\、お行者(ぎょうじゃ)。灸と言へば、煙草(たばこ)一吹(ひとふか)し吹したい。(ちょう)ど、あの岨道(そばみち)(ほたる)ほどのものが見える。猟師が出たな。火縄(ひなわ)らしい。借りるぞよ。来い。」

 とハタと(てのひら)を一つ打つと、(はるか)(へだ)つた真暗(まっくら)(なぎさ)から、キリ/\/\と舞ひながら、森も(くぐ)つて、水の(おも)を舞つて来るのを、小法師(こほうし)は指の先へ宙で受けた。つはぶきの葉を喇叭(らっぱ)に巻いたは、(すなわ)煙管(きせる)で。(あし)の穂といはず、草と言はず《むし》り取つて、青磁色(せいじいろ)の長い爪に、火を(かざ)して、ぶく/\と(すい)つけた。火縄を取つて、うしろ(ざま)の、肩越(かたごし)に、ポン、と投げると、杉の枝に挟まつて、ふつと消えたと思つたのが、めら/\と赤く燃上(もえあが)つた。ぱち/\と鳴ると、双子山颪(ふたごやまおろし)(さっ)として、松明(たいまつ)ばかりに燃えたのが、見る/\うちに、(ごう)と響いて、(およ)片輪車(かたわぐるま)の大きさに火の(から)んだのが、(こずえ)(かか)つて、ぐる/\ぐる/\と廻る。

 此の火に(てら)された、二個の魔神の(さま)を見よ。けたゝましい人声(ひとごえ)(かすか)に、鉄砲を肩に、猟師が二人のめりつ、()りつ、尾花(おばな)の波に漂うて森の中を()げて行く。

 山兎(やまうさぎ)が二三(びき)、あとを追ふやうに、(おど)つて()けた。

「小法師、あひかはらず悪戯(いたずら)ぢや。」

 と(かぶと)のやうな額皺(ひたいじわ)の下に、(おそろ)しい目を光らしながら、山伏(やまぶし)は赤い鼻をひこ/\と笑つたが、

拙道(せつどう)煙草(たばこ)不調法(ぶちょうほう)ぢや。()らば相伴(しょうばん)腰兵糧(こしびょうろう)は使はうよ。」

 と胡坐(あぐら)かいた片脛(かたずね)を、づかりと投出(なげだ)すと、両手で逆に取つて、上へ(そら)せ、(ひざ)ぶしからボキリボキリ、ミシリとやる。

「うゝ、うゝ。」

「あつ。」

 と、武士(さむらい)と屑屋は、思はず声を立てたのである。

 見向きもしないで、山伏は挫折(へしお)つた其の(おの)が片脛を鷲掴(わしづか)みに、片手で(きびす)穿()いた板草鞋(いたわらじ)を《むし》り()てると、横銜(よこぐわ)へに、ばり/\と(かじ)る……

 鮮血(なまち)の、唇を滴々(たらたら)と伝ふを()て、武士(さむらい)と屑屋は(ひと)のめりに突伏(つっぷ)した。

 不思議な事には、へし折つた山伏の片脛のあとには、又おなじやうな脛が生えるのであつた。

 杉なる火の車は影を()した。寂寞(せきばく)として一層もの(すご)い。

「骨も筋もないわ、肝魂(きもたましい)も消えて居る。不便(ふびん)や、武士(さむらい)……(わび)をして取らさうか。」

 と小法師が、やゝもの(しずか)に、

「お行者よ。(きゅう)とは何かな。」

        七

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