2話 妖魔の辻占(2)
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此の時代の、事実として一般に信ぜられた記録がある。――薩摩鹿児島に、小給の武士の子で年十四に成るのが、父の使に書面を持つて出た。朝五つ時の事で、侍町の人通りのない坂道を上る時、大鷲が一羽、虚空から巌の落下るが如く落して来て、少年を引掴むと、忽ち雲を飛んで行く。少年は夢現ともわきまへぬ。が、とに角大空を行くのだから、落つれば一堪りもなく、粉微塵に成ると覚悟して、風を切る黒き帆のやうな翼の下に成るがまゝに身をすくめた。はじめは双六の絵を敷いた如く、城が見え、町が見え、ぼうと霞んで村里も見えた。やがて渾沌瞑々として風の鳴るのを聞くと、果しも知らぬ渺々たる海の上を翔けるのである。いまは、運命に任せて目を瞑ると、偶と風も身も動かなく成つた。我に返ると、鷲は大なる樹の梢に翼を休めて居る。が、山の峰の頂に、さながら尖塔の立てる如き、雲を貫いた巨木である。片手を密つと動かすと自由に動いた。
時に、脇指の柄に手を掛けはしたものの、鷲のために支へられて梢に留まつた身体である。――殺しおほせるまでも、渠を疵つけて地に落されたら、立処に五体が砕けよう。が、此のまゝにしても生命はあるまい。何う処置しようと猶予ふうちに、一打ち煽つて又飛んだ。飛びつつ、いつか地にやゝ近く、ものの一二間を掠めると見た時、此の沈勇なる少年は、脇指を引抜きざまにうしろ突にザクリと突く。弱る処を、呼吸もつかせず、三刀四刀さし通したので、弱果てて鷲が仰向けに大地に伏す、伏しつつ仰向けに飜る腹に乗つて、柔い羽根蒲団に包まれたやうに、ふはふはと落ちた。
恰も鷲の腹からうまれたやうに、少年は血を浴びて出たが、四方、山また山ばかり、山嶽重畳として更に東西を弁じない。
とぼ/\と辿るうち、人間の木樵に逢つた。木樵は絵の如く斧を提げて居る。進んで礼して、城下を教へてと言つて、且つ道案内を頼むと、城下とは何んぢやと言つた。お城を知らないか、と言ふと、知んねえよ、とけろりとして居る。薄給でも其の頃の官員の忰だから、向う見ずに腹を立てて、鹿児島だい、と大きく言ふと、鹿児島とは、何処ぢやと言ふ。おのれ、日本の薩摩国鹿児島を知らぬかと呼ばはると、伸び/\とした鼻の下を漸と縮めたのは、大な口を開けて呆れたので。薩摩は此処から何千里あるだい、と反対に尋ねたのである。少年も少し心着いて、此処は何処だらう、と聞いた時、はじめて知つた。木曾の山中であつたのである。
此処で、二人で、始めて鷲の死体を見た。
麓へ連下つた木樵が、やがて庄屋に通じ、陣屋に知らせ、郡の医師を呼ぶ騒ぎ。精神にも身体にも、見事異状がない。――鹿児島まで、及ぶべきやうもないから、江戸の薩摩屋敷まで送り届けた。
朝五つ時、宙に釣られて、少年が木曾山中で鷲の爪を離れたのは同じ日の夕。七つ時、間は五時十時間である。里数は略四百里であると言ふ。
――鷲でさへ、まして天狗の業である。また武士が刀を抜いて居たわけも、此の辺で大抵想像が着くであらう。――
ものには必ず対がある、序に言はう。――是と前後して近江の膳所の城下でも鷲が武士の子を攫つた――此は馬に乗つて馬場に居たのを鞍から引掴んで上つたのであるが、此の時は湖水の上を颯と伸した。刀は抜けて湖に沈んで、小刀ばかり帯に残つたが、下が陸に成つた時、砂浜の渚に少年を落して、鷲は目の上の絶壁の大巌に翼を休めた。しばらくして、どつと下いて、少年に飛かゝつて、顔の皮を《むし》りくらはんとする処を、一生懸命脇差でめくら突きにして助かつた。人に介抱されて、後に、所を聞くと、此の方は近かつた。近江の湖岸で、里程は二十里。――江戸と箱根は是より少し遠い。……
それから、人間が空をつられて行く状に参考に成るのがある。……此は見たものの名が分つて居る。讃州高松、松平侯の世子で、貞五郎と云ふのが、近習たちと、浜町矢の倉の邸の庭で、凧を揚げて遊んで居た。
些と寒いほどの西風で、凧に向つた遙か品川の海の方から、ひら/\と紅いものが、ぽつちりと見えて、空中を次第に近づく。唯、真逆になった女で、髪がふはりと下に流れて、無慙や真白な足を空に、顔は裳で包まれた。ヒイと泣叫ぶ声が悲しげに響いて、あれ/\と見るうちに、遠く筑波の方へ霞んで了つた。近習たちも皆見た。丁ど日中で、然も空は晴れて居た。――膚も衣もうつくしく蓑虫がぶらりと雲から下つたやうな女ばかりで、他に何も見えなかつた。が、天狗が掴んだものに相違ない、と云ふのである。
けれども、こゝなる両個の魔は、武士も屑屋も逆に釣つたのではないらしい。
五
「ふむ、……其処で肝要な、江戸城の趣は如何であつたな。」
「いや以ての外の騒動だ。外濠から竜が湧いても、天守へ雷が転がつても、太鼓櫓の下へ屑屋が溢れたほどではあるまいと思ふ。又、此の屑屋が興がつた男で、鉄砲笊を担いだまゝ、落ちた処を俯向いて、篦鷺のやうに、竹の箸で其処等を突つきながら、胡乱々々する。……此を高櫓から蟻が葛籠を背負つたやうに、小さく真下に覗いた、係りの役人の吃驚さよ。陽の面の蝕んだやうに目が眩んで、折からであつた、八つの太鼓を、ドーン、ドーン。」
と小法師なるに力ある声が、湖水に響く。ドーンと、もの凄く谺して、
「ドーン、ドーンと十三打つた。」
「妙。」と、又乗出した山伏が、
「前代未聞。」と言の尾を沈めて、半ば歎息して云つた。
「謀叛人が降つて湧いて、二の丸へ取詰めたやうな騒動だ。将軍の住居は大奥まで湧上つた。長袴は辷る、上下は蹴躓く、茶坊主は転ぶ、女中は泣く。追取刀、槍、薙刀。そのうち騎馬で乗出した。何と、紙屑買一人を、鉄砲づくめ、槍襖で捕へたが、見ものであつたよ。――国持諸侯が虱と合戦をするやうだ。」
「真か、それは?」
「云ふにや及ぶ。」
「あゝ幕府の運命は、それであらかた知れた。――」
「む、大納言殿御館では、大刀を抜いた武士を、手弱女の手一つにて、黒髪一筋乱さずに、もみぢの廊下を毛虫の如く撮出す。」
「征夷大将軍の江戸城に於ては、紙屑買唯一人を、老中はじめ合戦の混乱ぢや。」
「京都の御ため。」
と西に向つて、草を払つて、秋葉の行者と、羽黒の小法師、揃つて、手を支いて敬伏した。
「小虫、微貝の臣等……」
「欣幸、慶福。」
「謹んで、万歳を祝し奉る。」
六
「さて、……町奉行が白洲を立てて驚いた。召捕つた屑屋を送るには、槍、鉄砲で列をなしたが、奉行役宅で突放すと蟇ほどの働きもない男だ。横から視ても、縦から視ても、汚い屑屋に相違あるまい。奉行は継上下、御用箱、うしろに太刀持、用人、与力、同心徒、事も厳重に堂々と並んで、威儀を正して、ずらりと蝋燭に灯を入れた。
灯を入れて、更めて、町奉行が、余の事に、櫓下を胡乱ついた時と、同じやうな状をして見せろ、とな、それも吟味の手段とあつて、屑屋を立たせて、笊を背負はせて、煮しめたやうな手拭まで被らせた。が、猶の事だ。今更ながら、一同の呆れた処を、廂を跨いで倒に覗いて狙つた愚僧だ。つむじ風を哄と吹かせ、白洲の砂利をから/\と掻廻いて、パツと一斉に灯を消した。逢魔ヶ時の暗まぎれに、ひよいと掴んで、空へ抜けた。お互に此処等は手軽い。」
「いや、しかし、御苦労ぢや。其処で何か、すぐに羽黒へ帰らいで、屑屋を掴んだまゝ、御坊関所近く参られたは、其の男に後難あらせまい遠慮かな。」
「何、何、愚僧が三度息を吹掛け、あの身体中まじなうた。屑買が明日が日、奉行の鼻毛を抜かうとも、嚔をするばかりで、一向に目は附けん。其処に聊も懸念はない。が、正直な気のいゝ屑屋だ。不便や、定めし驚いたらう。……労力やすめに、京見物をさせて、大仏前の餅なりと振舞はうと思うて、足ついでに飛んで来た。が、いや、先刻の、それよ。……城の石垣に於て、大蛇と捏合うた、あの臭気が脊筋から脇へ纏うて、飛ぶほどに、駈けるほどに、段々堪らぬ。よつて、此の大盥で、一寸行水をばちや/\遣つた。
愚僧は好事――お行者こそ御苦労な。江戸まで、あの荷物を送と見えます。――武士は何とした、心が萎えて、手足が突張り、殊の外疲れたやうに見受けるな。」
「おゝ、其の武士は、部役のほかに、仔細あつて、些と灸を用ゐたのぢや。」
「道理こそ、……此は暑からう。待て/\、お行者。灸と言へば、煙草が一吹し吹したい。丁ど、あの岨道に蛍ほどのものが見える。猟師が出たな。火縄らしい。借りるぞよ。来い。」
とハタと掌を一つ打つと、遙に隔つた真暗な渚から、キリ/\/\と舞ひながら、森も潜つて、水の面を舞つて来るのを、小法師は指の先へ宙で受けた。つはぶきの葉を喇叭に巻いたは、即ち煙管で。蘆の穂といはず、草と言はず《むし》り取つて、青磁色の長い爪に、火を翳して、ぶく/\と吸つけた。火縄を取つて、うしろ状の、肩越に、ポン、と投げると、杉の枝に挟まつて、ふつと消えたと思つたのが、めら/\と赤く燃上つた。ぱち/\と鳴ると、双子山颪颯として、松明ばかりに燃えたのが、見る/\うちに、轟と響いて、凡そ片輪車の大きさに火の搦んだのが、梢に掛つて、ぐる/\ぐる/\と廻る。
此の火に照された、二個の魔神の状を見よ。けたゝましい人声幽に、鉄砲を肩に、猟師が二人のめりつ、反りつ、尾花の波に漂うて森の中を遁げて行く。
山兎が二三疋、あとを追ふやうに、躍つて駈けた。
「小法師、あひかはらず悪戯ぢや。」
と兜のやうな額皺の下に、恐しい目を光らしながら、山伏は赤い鼻をひこ/\と笑つたが、
「拙道、煙草は不調法ぢや。然らば相伴に腰兵糧は使はうよ。」
と胡坐かいた片脛を、づかりと投出すと、両手で逆に取つて、上へ反せ、膝ぶしからボキリボキリ、ミシリとやる。
「うゝ、うゝ。」
「あつ。」
と、武士と屑屋は、思はず声を立てたのである。
見向きもしないで、山伏は挫折つた其の己が片脛を鷲掴みに、片手で踵が穿いた板草鞋を《むし》り棄てると、横銜へに、ばり/\と齧る……
鮮血の、唇を滴々と伝ふを視て、武士と屑屋は一のめりに突伏した。
不思議な事には、へし折つた山伏の片脛のあとには、又おなじやうな脛が生えるのであつた。
杉なる火の車は影を滅した。寂寞として一層もの凄い。
「骨も筋もないわ、肝魂も消えて居る。不便や、武士……詫をして取らさうか。」
と小法師が、やゝもの静に、
「お行者よ。灸とは何かな。」
七