3話 妖魔の辻占(3)
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此の間に――
「塩辛い。」
と言ふ山伏の声がして、がぶ/\。
「塩辛い。」
と言つて、湖水の水を、がぶ/\と飲んだ――
「お行者。」
「其の武士は、小堀伝十郎と申す――陪臣なれど、それとても千石を食むのぢや。主人の殿は松平大島守と言ふ……」
「西国方の諸侯だな。」
「されば御譜代。将軍家に、流も源も深い若年寄ぢや。……何と御坊。……今度、其の若年寄に、便宜あつて、京都比野大納言殿より、(江戸隅田川の都鳥が見たい、一羽首尾ようして送られよ。)と云ふお頼みがあつたと思へ。――御坊の羽黒、拙道の秋葉に於いても、旦那たちがこの度の一儀を思ひ立たれて、拙道等使に立つたも此のためぢや。申さずとも、御坊は承知と存ずるが。」
「はあ、然うか、いや知らぬ、愚僧早走り、早合点の癖で、用だけ聞いて、して来いな、とお先ばしりに飛出たばかりで、一向に仔細は知らぬ。が、扨は、根ざす処があるのであつたか。」
「もとよりぢや。――大島守が、此の段、殿中に於いて披露に及ぶと、老中はじめ額を合せて、
此は今めかしく申すに及ばぬ。業平朝臣の(名にしおはゞいざこととはむ)歌の心をまのあたり、鳥の姿に見たいと言ふ、花につけ、月につけ、をりからの菊紅葉につけての思ひ寄には相違あるまい。……大納言心では、将軍家は、其の風流の優しさに感じて、都鳥をば一番、そつと取り、紅、紫の房を飾つた、金銀蒔絵の籠に据ゑ、使も狩衣に烏帽子して、都にのぼす事と思はれよう。ぢやが、海苔一帖、煎餅の袋にも、贈物は心すべきぢや。すぐに其は対手に向ふ、当方の心持の表に相成る。……将軍家へ無心とあれば、都鳥一羽も、城一つも同じ道理ぢや。よき折から京方に対し、関東の武威をあらはすため、都鳥を射て、鴻の羽、鷹の羽の矢を胸さきに裏掻いて貫いたまゝを、故と、蜜柑箱と思ふが如何、即ち其の昔、権現様戦場お持出しの矢疵弾丸痕の残つた鎧櫃に納めて、槍を立てて使者を送らう。と言ふ評定ぢや。」
「気障な奴だ。」
「むゝ、先づ聞けよ。――評定は評定なれど、此を発議したは今時の博士、秦四書頭と言ふ親仁ぢや。」
「あの、親仁。……予て大島守に取入ると聞いた。成程、其辺の催しだな。積つても知れる。老耄儒者めが、家に引込んで、溝端へ、桐の苗でも植ゑ、孫娘の嫁入道具の算段なりとして居れば済むものを――いや、何時の世にも当代におもねるものは、当代の学者だな。」
「塩辛い……」
と山伏は、又したゝか水を飲んで、
「其処でぢや……松平大島守、邸は山ぢやが、別荘が本所大川べりにあるに依り、かた/″\大島守か都鳥を射て取る事に成つた。……此の殿、聊かものの道理を弁へてゐながら、心得違ひな事は、諸事万端、おありがたや関東の御威光がりでな。――一年、比野大納言、まだお年若で、京都御名代として、日光の社参に下られたを饗応して、帰洛を品川へ送るのに、資治卿の装束が、藤色なる水干の裾を曳き、群鵆を白く染出だせる浮紋で、風折烏帽子に紫の懸緒を着けたに負けない気で、此大島守は、紺染の鎧直垂の下に、白き菊綴なして、上には紫の陣羽織。胸をこはぜ掛にて、後へ折開いた衣紋着ぢや。小袖と言ふのは、此れこそ見よがしで、嘗て将軍家より拝領の、黄なる地の綾に、雲形を萌葱で織出し、白糸を以て葵の紋着。」
「うふ。」
と小法師が噴笑した。
「何と御坊。――資治卿が胴袖に三尺もしめぬものを、大島守其の装で、馬に騎つて、資治卿の駕籠と、演戯がかりで向合つて、どんなものだ、とニタリとした事がある。」
「気障な奴だ。」
「大島守は、おのれ若年寄の顕達と、将軍家の威光、此見よがしの上に、――予て、資治卿が美男におはす、従つて、此の卿一生のうちに、一千人の女を楽む念願あり、また婦人の方より恁と知りつつ争つて媚を捧げ、色を呈する。専ら当代の在五中将と言ふ風説がある――いや大島守、また相当の色男がりぢやによつて、一つは其嫉みぢや……負けまい気ぢや。
されば、名にしおはゞの歌につけて、都鳥の所望にも、一つは曲つたものと思つて可い。
また此の、品川で、陣羽織菊綴で、風折烏帽子紫の懸緒に張合つた次第を聞いて、――例の天下の博士めが、(遊ばされたり、老生も一度其の御扮装を拝見。)などと申す。
処で、今度、隅田川両岸の人払、いや人よせをして、件の陣羽織、菊綴、葵紋服の扮装で、拝見ものの博士を伴ひ、弓矢を日置流に手ばさんで静々と練出した。飛びも、立ちもすれば射取られう。こゝに可笑な事は、折から上汐満々たる……」蘆の湖は波一条、銀河を流す気勢がした。
「かの隅田川に、唯一羽なる都鳥があつて、雪なす翼は、朱鷺色の影を水脚に引いて、すら/\と大島守の輝いて立つ袖の影に入るばかり、水岸へ寄つて来た。」
「はて、それはな?」
「誰も知るまい。――大島守の邸に、今年二十になる(白妙。)と言つて、白拍子の舞の手だれの腰元が一人あるわ――一年……資治卿を饗応の時、酒宴の興に、此の女が一さし舞つた。――ぢやが、新曲とあつて、其の今様は、大島守の作る処ぢや。」
「迷惑々々。」
「中に(時鳥)何とかと言ふ一句がある。――白妙が(時鳥)とうたひながら、扇をかざして膝をついた。時しも屋の棟に、時鳥が一せいしたのぢや。大島守の得意、察するに余ある。……ところが、時鳥は勝手に飛んだので、……こゝを聞け、御坊よ。
白妙は、資治卿の姿に、恍惚と成つたのぢや。
大島守は、折に触れ、資治卿の噂をして、……その千人の女に契ると言ふ好色をしたゝかに詈ると、……二人三人の妾妾、……故とか知らぬ、横肥りに肥つた乳母まで、此れを聞いて爪はじき、身ぶるひをする中に、白妙唯一人、(でも。)とか申して、内々思ひをほのめかす、大島守は勝手が違ふ上に、おのれ容色自慢だけに、いまだ無理口説をせずに居る。
其の白妙が、めされて都に上ると言ふ、都鳥の白粉の胸に、ふつくりと心魂を籠めて、肩も身も翼に入れて憧憬れる……其の都鳥ぢや。何と、遁げる処ではあるまい。――しかし、人間には此は解らぬ。」
「むゝ、聞えた。」
「都鳥は手とらまへぢや。蔵人の鷺ならねども、手どらまへた都鳥を見て、将軍の御威光、殿の恩徳とまでは仔細ない、――別荘で取つて帰つて、羽ぶしを結へて、桜の枝につるし上げた。何と、雪白裸身の美女を、梢に的にした面影であらうな。松平大島守源の何某、矢の根にしるして、例の菊綴、葵の紋服、きり/\と絞つて、兵と射たが、射た、が。射たが、薩張当らぬ。
尤も、此の無慙な所業を、白妙は泣いて留めたが、聴かれさうな筈はない。
拝見の博士の手前――二の矢まで射損じて、殿、怫然とした処を、(やあ、飛鳥、走獣こそ遊ばされい。恁る死的、殿には弓矢の御恥辱。)と呼ばはつて、ばら/\と、散る返咲の桜とともに、都鳥の胸をも射抜いたるは……
……塩辛い。」
と山伏は又湖水を飲む音。舌打しながら、
「ソレ、其処に控へた小堀伝十郎、即ち彼ぢや。……拙道が引掴んだと申して、決して不忠不義の武士ではない。まづ言はば大島守には忠臣ぢや。
さて、処で、矢を貫いた都鳥を持つて、大島守登営に及び、将軍家一覧の上にて、如法、鎧櫃に納めた。
故と、使者差立てるまでもない。ぢやが、大納言の卿に、将軍家よりの御進物。よつて、九州へ帰国の諸侯が、途次の使者兼帯、其の武士が、都鳥の宰領として、罷出でて、東海道を上つて行く。……
秋葉の旦那、つむじが曲つた。颶風の如く、御坊の羽黒と気脈を通じて、またゝく間の今度の催。拙道は即ち仰をうけて、都鳥の使者が浜松の本陣へ着いた処を、風呂にも入れず、縁側から引攫つた。――武士の這奴の帯の結目を掴んで引釣ると、斉しく、金剛杖に持添へた鎧櫃は、とてもの事に、狸が出て、棺桶を下げると言ふ、古槐の天辺へ掛け置いて、大井、天竜、琵琶湖も、瀬多も、京の空へ一飛ぢや。」
と又がぶりと水を飲んだ。
「時に、……時にお行者。矢を貫いた都鳥は何とした。」
「それぢや。……桜の枝に掛つて、射貫れたとともに、白妙は胸を痛めて、どつと……息も絶々の床に着いた。」
「南無三宝。」
「あはれと思し、峰、山、嶽の、姫たち、貴夫人たち、届かぬまでもとて、目下御介抱遊ばさるる。」
「珍重。」
と小法師が言つた。
「いや、安心は相成らぬ。が、かた/″\の御心もじ、御如才はないかに存ずる。やがて、此の湖上にも白い姿が映るであらう。――水も、夜も、さて更けた。――武士。」
と呼んで、居直つて、
「都鳥もし蘇生らず、白妙なきものと成らば、大島守を其のまゝに差置かぬぞ、と確と申せ。いや/\待て、必ず誓つて人には洩すな。――拙道の手に働かせたれば、最早や汝は差許す。小堀伝十郎、確とせい、伝十郎。」
「はつ。」
と武士は、魂とともに手を支いた。こゝに魂と云ふは、両刀の事ではない。
八
「何と御坊」
と、少時して山伏が云つた。
「思ひ懸けず、恁る処で行逢うた、互の便宜ぢや。双方、彼等を取替へて、御坊は羽黒へ帰りついでに、其の武士を釣つて行く、拙道は一翼、京へ伸して、其の屑屋を連れ参つて、大仏前の餅を食はさうよ――御坊の厚意は無にせまい。」
「よい、よい、名案。」
「参れ。……屑屋。」
と山の襞を霧の包むやうに枯蘆にぬつと立つ、此の大なる魔神の裾に、小さくなつて、屑屋は頭から領伏して手を合せて拝んだ。
「お慈悲、お慈悲でござります、お助け下さいまし。」
「これ、身は損なはぬ。ほね休めに、京見物をさして遣るのぢや。」
「女房、女房がござります。児がござります。――何として、箱根から京まで宙が飛べませう。江戸へ帰りたう存じます。……お武家様、助けて下せえ……」
と膝行り寄る。半ば夢心地の屑屋は、前後の事を知らぬのであるから、武士を視て、其の剣術に縋つても助かりたいと思つたのである。
小法師が笑ひながら、塵を払つて立つた。
「可厭なものは連れては参らぬ。いや、お行者御覧の通りだ。御苦労には及ぶまい。――屑屋、法衣の袖を取れ、確と取れ、江戸へ帰すぞ。」
「えゝ、滅相な、お慈悲、慈悲でござります。山を越えて参ります。歩行いて帰ります。」
「歩行けるかな。」
「這ひます、這ひます、這ひまして帰ります。地を這ひまして帰ります。其の方が、どれほどお情か分りませぬ。」
「はゝ、気まゝにするが可い、――然らば入交つて、……武士、武士、愚僧に縋れ。」
「恐れながら、恐れながら拙者とても、片時も早く、もとの人間に成りまして、人間らしく、相成りたう存じます。峠を越えて戻ります。」
「心のまゝぢや。――御坊。」
と山伏が式代した。
「お行者。」
「少時、少時何うぞ。」
と蹲りながら、手を挙げて、
「唯今、思ひつきました。此には海内第一のお関所がござります。拙者券を持ちませぬ。夜あけを待ちましても同じ儀ゆゑに……ハタと当惑を仕ります。」
武士はきつぱり正気に返つた。
「仔細ない。久能山辺に於ては、森の中から、時々、(興津鯛が食べたい、燈籠の油がこぼれるぞよ。)なぞと声の聞える事を、此辺でもまざ/\と信じて居る。――関所に立向つて、大音に(権現が通る。)と呼ばはれ、速に門を開く。」
「恐れ……恐多い事――承りまするも恐多い。陪臣の分を仕つて、御先祖様お名をかたります如き、血反吐を吐いて即死をします。」
と、わな/\と震へて云つた。
「臆病もの。……可し。」
「計らひ取らせう。」
同音に、
「関所!」
と呼ぶと、向うから歩行くやうに、する/\と真夜中の箱根の関所が、霧を被いて出て来た。
山伏の首が、高く、鎖した門を、上から俯向いて見込む時、小法師の姿は、ひよいと飛んで、棟木に蹲んだ。
「権現ぢや。」
「罷通るぞ!」
哄と笑つた。
小法師の姿は東の空へ、星の中に法衣の袖を掻込んで、うつむいて、すつと立つ、早走と云つたのが、身動きもしないやうに、次第々々に高く上る。山伏の形は、腹這ふ状に、金剛杖を櫂にして、横に霧を漕ぐ如く、西へふは/\、くるりと廻つて、ふは/\と漂ひ去る。……
唯、仰いで見るうちに、数十人の番士、足軽の左右に平伏す関の中を、二人何の苦もなく、うかうかと通り抜けた。
「お武家様、もし、お武家様。」
ハツとしたやうに、此の時、刀の柄に手を掛けて、もの/\しく見返つた。が、汚い屑屋に可厭な顔して、
「何だ。」
「お袂に縋りませいでは、一足も歩行かれませぬ。」
「ちよつ。参れ。」
「お武家様、お武家様。」
「黙つて参れよ。」
小湧谷、大地獄の音を暗中に聞いた。
目の前の路に、霧が横に広いのではない。するりと無紋の幕が垂れて、ゆるく絞つた総の紫は、地を透く内側の燈の影に、色も見えつつ、ほのかに人声が漏れて聞えた。
女の声である。
時に、紙屑屋の方が、武士よりは、もの馴れた。
そして、跪かせて、屑屋も地に、並んで恭しく手を支いた。
「江戸へ帰りますものにござります。山道に迷ひました。お通しを願ひたう存じます。」
ひつそりして、少時すると、
「お通り。」
と、もの柔な、優しい声。
颯と幕が消えた。消ゆるにつれて、朦朧として、白小袖、紅の袴、また綾錦、振袖の、貴女たち四五人の姿とともに、中に一人、雪に紛ふ、うつくしき裸体の女があつたと思ふと、都鳥が一羽、瑪瑙の如き大巌に湛へた温泉に白く浮いて居た。が、それも湯気とともに蒼く消えた。
星ばかり、峰ばかり、颯々たる松の嵐の声ばかり。
幽に、互の顔の見えた時、真空なる、山かづら、山の端に、朗な女の声して、
「矢は返すよ。」
風を切つて、目さきへ落ちる、此が刺さると生命はなかつた。それでも武士は腰を抜いた。
引立てても、目ばかり働いて歩行き得ない。
屑屋が妙なことをはじめた。
「お武家様、此の笊へお入んなせい。」
入れると、まだ天狗のいきの、ほとぼりが消えなかつたと見えて、鉄砲笊へ、腰からすつぽりと納つたのである。
屑屋が腰を切つて、肩を振つて、其の笊を背負つて立つた。
「屑い。」
うつかりと、……
「屑い。」
落ちた矢を見ると、ひよいと、竹の箸ではさんで拾つて、癖に成つて居るから、笊へ抛る。
鴻の羽の矢を額に取つて、蒼い顔して、頂きながら、武士は震へて居た。