比島投降記 ある新聞記者の見た敗戦

22話 ルイジアナ・サム

2,315字 約5分 2017年3月17日 公開

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 Bという不思議な兵隊がいた。彼はルイジアナ生れで、その名が示す通り、フランス系の市民である。すごいガニ股で、妙に上半身を振って歩くと思ったら、カウボーイが職業だった。英語が、また、一風変っていて、ニューイングランドや英国の言葉に馴染みの深い僕には、分らぬことが度々あった。我々は「地下鉄サム」から思いついて、彼を「ルイジアナ・サム」と呼んだ。PWの一人である僕が、彼のことを「ヘイ、サム!」などと呼ぶことは、甚だ異様だが、それ程サムは、僕にとって、親しみやすい青年だったのである。

 サムはアパリの収容所勤務兵として、例の事務所テントに、ほとんど毎日やって来た。一体米国の兵隊には呑気者が多く、彼も極めて呑気であり、しょっ中歌をうたっていたが、面白いことに、サムが歌うと、どの歌もみんな同じように聞えた。

 サムの得意は「クレージイ・ウォア」という歌だった。一度僕に教えるといって、書簡箋に書いたのを見せた。何でも、兵隊になれといわれてなりはしたものの、小銃をうって見るとちっともあたらないで、キャプテンに叱られたり何かするので「こんなことなら女の子に生れて来ればよかった」というような文句もあり、一節ごとに「クレージイ・ウォア」という折返しがつく。いまこれを書いていても、調子はずれなサムの声を思い出す。日本の兵隊が歌ったら――兵隊でない一般人でも――反戦思想といわれて、銃殺されたことだろう。

 ある晩、フラリと僕のテントへ遊びに来た。一体サムは非番の時、よく僕の所へ遊びに来たが、この晩も例の如く、身体をブラブラと振って入って来るなり、「俺はもうスルーだ」と宣言した。何がお仕舞いなのかと思うと、ガール・フレンドが一向手紙をよこさないというのである。サムは十八の時に結婚して一年で離婚し、出征するまで仲よくしていたガールがいるのだが、ここ四週間もその子から手紙が来ない。「自分の方からはせっせと書いているのに、ひどい女もいるものだ」――これがそれだと、サムは札入のセロファンの中に入っている写真を見せた。「俺はもうスルー・ウィズ・ハアだ。今度帰ったら別のモリーと仲よくするからそう思えと書いてやる」としきりに憤慨する。僕はまんざら冗談でもなく、「僕は人相を見るが、この娘は忠実な顔をしている。君を裏切ったりするような娘ではない。病気をしているかも知れず、そんな手紙は書かない方がいいだろう」といった。サムはそれ以来、彼のガールの話をしなくなった。恐らく再び手紙が来るようになったのだろう。

 別の晩、やって来た時「サムよ、君はそのクレージイ・ウォア以外に何か歌を知らないのか」と聞くと「知っているさ」という訳で、新しい歌をうたった。曲はクレージイ・ウォアとどこが違うのか、僕には分らなかったが、その中に「将校は鶏の胸の肉と脚の肉を食い兵隊は翼と尻とを食わされる」という文句があり、僕は大きに笑った。米本国のことはいざ知らず、比島の野戦陣地では、将校も、下士官も、プライヴェート〔兵〕も、まったく同じ食物である。将官でなければ、いわゆる当番兵はつかない。兵隊と同じように食器を持って炊事場に並び、食事する場所は違うが、食前の食器消毒も、食後の清掃も、自分でするのである。これが本当のデモクラシーだと思っていたが、プライヴェートにすれば、同じ鶏にしても、将校にばかり胸の白い肉や脚の赤い肉が行くと、ひがむのであろう。

 と、こう書いて来ると、いかにもサムはイージイ・ゴーイングな、歌ばかりうたっている兵隊みたいだが、中々どうして、サムぐらい真面目に勤務する男は珍しかった。彼はいつも大きな拳銃をぶら下げて、雨が降ろうと夜中であろうと、何かあるとすぐ飛出して行くのであった。アパリの仮収容所はすこぶる広く、アコーディオン・ワイヤを張りめぐらした外側に、携帯テントを張ったり空箱を置いたりして、比島兵が十二箇所で張番しているのだが、夜など、どうかすると、そのポストを離れるのがいる。サムはどこで見張っているのか知らぬが、そんな時、必ず、おっ取り刀ならぬおっ取り拳銃で駈けつけては、注意するのだった。

 これ等の比島兵は、謂う所の事務所から、二十メートルばかり離れた所に、大型のテントを張り、三交代で勤めていた。朝昼晩、トラックが食事をはこんで来ると、食器を持ってテントから出て来るのだが、当番の兵隊が見張場所から飛び出して来ることもあった。ある時サムがこれを発見し、平素に似合わぬ厳格な態度で、そんな兵隊をそれぞれのポストに追い返したばかりか、トラックをかこんでワイワイいっている連中を、一列に整列させた。アコーディオン・ワイヤのこっち側からそれを見て我々は「サムは大したものだ。中々やるじゃないか」とほほえましくも感心した。

 どういう訳か、サムはほかのGIにくらべて、事務所勤務の度数が多かった。それに、とにかく面白い男ではあり、いよいよお別れという時、僕は何か記念品をやりたいと思ったが、捕虜の身分で、もちろん何も持っていはしなかった。とうとう僕は、たった一本しか持っていなかったパイプを、サムに贈呈した。このパイプは初代のマニラ新聞社長、故松岡正男さんが二十二年前ぼくにくれたので、僕としては愛着も持ち、また手離しては困ることは分っていたのだが、それでも、何だか、何かしらサムに、それによって僕を記憶して貰えるような品物を、贈りたい気持で、一杯だったのである。サムは別にうれしそうな顔もしなかったが、僕にそんな気持を起させ、そんなことをさせたのは、何かしら、サムに人徳とでもいうものが、あったのだろう。まったくサムは不思議な青年である。

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