29話 J・G
読み方を変える
エル・パソを故郷とするJ・Gのことも、忘れられない。
その名が示す通り、彼はメキシコ人で、国境を越したテキサス州にうつり、米国市民になったのである。僕は通訳として彼と知合ったのではない。帰国する時に乗せられたリバティ船に、護送兵の一人として乗込んだ彼と、それもたった一度、話をしただけである。話をしたというよりも、彼のモノローグを聞いたといった方が、真実に近い。
僕は千五百人のPWと一緒に、リバティ船に乗り、正式な通訳もいるので、何の仕事もしないでいた。ある晩、甲板に出て煙草を吸っていると、丁度当番をしていたGが、ふらりとやって来て、僕の横に腰を下した。彼の名は、銃の負革に書いてあったので、知っていたが、それまでに話をしたことはなく、僕が英語を知っていることなど、Gが知っている筈はなかったのである。
黙って煙草をふかしていたGが、突然口をきいた。向うの舷板によりかかっている、若いPWの方に顎をしゃくって見せ、彼は「ザット・ボーイ」といった。
That boy don't want to kill me : I don't want to kill him.
といい出したのである。
「あのボーイは、何も俺を殺したいと思っていやしない、俺だって、あのボーイを殺そうと思いもしない。だが、上の方にいる大物が戦争をしろというので、あのボーイは俺を殺さなければ自分が殺されるので俺を殺したいと思い、俺だって同じことだ。戦争っていやなものだ。俺は嫌いだ」と一気にいって、そのまま黙りこんでしまった。僕に聞かせるというよりも、単にひとりごとをいったのであろう。「君のホームはどこだ」と聞くと、なんだ、お前、英語が分るのか、というような顔をしていたが、「エル・パソだ」と答えた。He don't は文法的に間違っているけど、こんな間違いはざらにあるし、我々だって、必ずしも、文法的に正確な日本語ばかりを話していはしない。この一事で、米国の兵隊は無学だなぞと、早呑込みをしないように、ちょっと断っておく。
それはそうと、Jは無口な男で、それきり僕にあっても何もいわないし、僕も黙っていた。浦賀で上陸する日の朝、さよなら! といっただけである。だが、あの晩の「ザット・ボーイ」だけは、僕はいつまでも忘れないだろうと思う。