処方秘箋

1話 処方秘箋

6,297字 約13分 2009年5月27日 公開

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        一

 ()の不思議なことのあつたのは五月中旬(なかば)、私が八歳(やっつ)の時、紙谷町(かみやまち)に住んだ向うの平家(ひらや)の、お(つじ)といふ、十八の娘、やもめの母親と二人ぐらし。少しある公債を便りに、人仕事(ひとしごと)などをしたのであるが、つゞまやかにして、物綺麗(ものぎれい)に住んで、お辻も身だしなみ()く、髪形(かみかたち)を崩さず、容色(きりょう)は町々の評判、以前五百石取(こくどり)武家(ぶけ)(しか)るべき(ひん)もあつた、其家(そのいえ)へ泊りに行つた晩の出来事で。(うち)も向ひ合せのことなり、鬼ごツこにも、《きしゃご》はじきにも、其家(そこ)門口(かどぐち)、出窓の前は、何時(いつ)でも小児(こども)寄合(よりあ)(ところ)。次郎だの、(げん)だの、(ろく)だの、腕白(わんぱく)どもの多い中に、(ぼう)ちやん/\と別ものにして可愛(かわい)がるから、姉はなし、此方(こなた)からも(なつ)いて、ちよこ/\と入つては、縫物(ぬいもの)交返(まぜかえ)す、物差(ものさし)で刀の真似、(なれ)ツこになつて(したし)んで居たけれども、泊るのは其夜(そのよ)最初(はじめて)

 西の(かた)に山の見ゆる町の、(かみ)(かた)へ遊びに行つて居たが、約束を忘れなかつたから晩方(ばんがた)引返(ひっかえ)した。(これ)から夕餉(ゆうげ)(すま)してといふつもり。

 小走(こばし)りに駆けて来ると、道のほど一(ちょう)()らず、()ならび三十ばかり、()山手(やまて)の方に一軒の古家(ふるいえ)がある、(ちょう)其処(そこ)で、(うさぎ)のやうに()ねたはずみに、(こいし)(つまず)いて(はた)と倒れたのである。

 俗にいふ越後は八百八後家(はっぴゃくやごけ)、お辻が(とこ)も女ぐらし、又海手(うみて)の二階屋も男気(おとこげ)なし、(なつめ)()のある内も、男が出入(ではいり)をするばかりで、年増(としま)蚊帳(かや)(すき)だといふ、紙谷町一町の(あいだ)に、四軒、いづれも夫なしで、就中(なかんずく)今転んだのは、勝手の知れない怪しげな婦人の薬屋であつた。

 何処(いずこ)同一(おなじ)、雪国の薄暗い屋造(やづくり)であるのに、(ひさし)を長く出した奥深く、(すす)けた柱に一枚懸けたのが、薬の看板で、雨にも風にも(さら)された上、古び切つて、虫ばんで、何といふ(めい)だか(たれ)も知つたものはない。(あい)を入れた字のあとは、断々(きれぎれ)になつて、(あたか)も青い(へび)が、(うずま)き立つ雲がくれに、昇天をする如く(なり)

 別に、風邪薬(かざぐすり)を一(ちょう)凍傷(しもやけ)膏薬(こうやく)一貝(ひとかい)買ひに行つた話は聞かぬが、春の(あけぼの)、秋の暮、夕顔の咲けるほど、()(ほだ)()ゆる時、夜中にフト目の()むる折など、町中(まちなか)()めて芬々(ぷんぷん)(にお)ふ、湿(しめ)ぽい風は薬屋の気勢(けはい)なので。恐らく我国の薬種(やくしゅ)で無からう、天竺(てんじく)伝来か、蘭方(らんぽう)か、近くは朝鮮、琉球(りゅうきゅう)あたりの妙薬に相違ない。()()へば()房々(ふさふさ)とある髪は、なんと、物語にこそ謂へ目前(まのあたり)()いたら(すそ)(なび)くであらう。常に(それ)を、(たば)(がみ)にしてカツシと(しろがね)(かんざし)一本、濃く()(つやや)かに(うずたか)(びん)の中から、差覗(さしのぞ)く鼻の高さ、(ほお)の肉しまつて色は雪のやうなのが、(まゆ)を払つて、年紀(とし)の頃も定かならず、十年も昔から今にかはらぬといふのである。

 内の様子も分らないから、何となく薄気味が悪いので、小児(こども)の気にも、暮方(くれがた)には前を通るさへ駆け出すばかりにする。真昼間(まっぴるま)、向う側から(そっ)(すか)して見ると、窓も(ふすま)閉切(しめき)つて、空屋に等しい暗い中に、破風(はふ)(ひま)から、板目(いため)(ふし)から、差入(さしい)る日の光一筋(ひとすじ)二筋(ふたすじ)裾広(すそひろ)がりにぱつと(あかる)く、()も知れぬ塵埃(ちりほこり)のむら/\と立つ(あいだ)を、()もすればひら/\と姿の見える、婦人(おんな)の影。

 転んで手をつくと、はや薬の(におい)がして(はだえ)を襲つた。此の一町(いっちょう)がかりは、(のき)も柱も土も石も、残らず一種の()()んで居る。

 身に痛みも覚えぬのに、場所もこそあれ、此処(ここ)はと思ふと、怪しいものに(とら)へられた気がして、わつと泣き出した。

        二

「あれ(あぶな)い。」と、(たちま)ち手を()べて肩をつかまへたのは()婦人(おんな)で。

 其の黒髪の中の大理石のやうな顔を見ると、小さな者はハヤ震へ上つて、(ふりもぎ)らうとして身をあせつて、仔雀(こすずめ)()うつ風情(ふぜい)

 怪しいものでも声は優しく、

「おゝ、(ひざ)擦剥(すりむ)けました、薬をつけて上げませう。」と左手(ゆんで)には()うして用意をしたらう、既に(かおり)の高いのを持つて居た。

 守宮(やもり)の血で()(うで)極印(ごくいん)をつけられるまでも、膝に此の薬を塗られて()うしよう。

(いや)だ、厭だ。」と、しやにむに身悶(みもだえ)して、声高(こわだか)になると、

「強情だねえ、」といつたが、(やっ)と手を放し、其のまゝ駆出(かけだ)さうとする耳の底へ、

「今夜、お辻さんの(ところ)へ泊りに()くね。」

 といふ一聯(いちれん)(ことば)(きざ)んだのを、……今に到つて忘れない。

 内へ帰ると早速、夕餉(ゆうげ)(すま)し、一寸(ちょいと)着換(きか)へ、糸、犬、(いかり)、などを書いた、読本(どくほん)を一冊、草紙(そうし)のやうに引提(ひっさ)げて、母様(おっかさん)に、帯の結目(むすびめ)(トン)(たた)かれると、(すぐ)戸外(おもて)へ。

 海から(さっ)と吹く風に、本のペエジを乱しながら、例のちよこ/\、をばさん、(つう)ちやんと呼びざまに、からりと()けて飛込(とびこ)んだ。

 人仕事(ひとしごと)(いそがわ)しい家の、晩飯の支度は遅く、(ちょう)御膳(ごぜん)取附(とっつき)の障子を()けると、洋燈(ランプ)(あかし)朦朧(もうろう)とするばかり、食物(たべもの)の湯気が立つ。

 冬でも夏でも、暑い(つゆ)(すき)だつたお辻の母親は、むんむと気の昇る(わん)を持つたまゝ、ほてつた顔をして、

「おや、おいで。」

「大層おもたせぶりね、」とお辻は箸箱(はしばこ)をがちやりと云はせる。

 母親もやがて茶碗の中で、さら/\と洗つて塗箸(ぬりばし)差置(さしお)いた。

 手で片頬(かたほ)をおさへて、打傾(うちかたむ)いて小楊枝(こようじ)をつかひながら、皿小鉢(さらこばち)を寄せるお辻を見て、

「あしたにすると()いやね、勝手へ行つてたら(ぼう)ちやんが(さび)しからう、私は(すぐ)出懸(でか)けるから。」

()うねえ。」

()いよ、()いよ、(かま)やしないや、(ひとり)で遊んでら。」と無雑作(むぞうさ)に、小さな足で大胡坐(おおあぐら)になる。

「ぢや、まあ、お出懸けなさいまし。」

大人(おとな)しいね。感心、」と頭を()でる手つきをして、

「どれ、(それ)では、」楊枝を()てると、やつとこさ、と立ち上つた。

 お辻が(ぜん)を下げる内に、母親は次の仏間(ぶつま)着換(きか)へる様子、其処(そこ)箪笥(たんす)やら、鏡台やら。

 最一(もひと)ツ六畳が別に戸外(おもて)に向いて居て、明取(あかりとり)(みんな)で三(げん)なり。

 母親はやがて、繻子(しゅす)の帯を、前結びにして、風呂敷包(ふろしきづつみ)を持つて(あらわ)れた。お辻の大柄な背のすらりとしたのとは違ひ、(たけ)も至つて低く、顔容(かおかたち)小造(こづくり)な人で、髪も小さく()つて居た。

「それでは、お辻や。」

「あい、」と、がちや/\いはせて居た、彼方(かなた)の勝手で返事をし、(たすき)がけのまゝ、駆けて来て、

「気をつけて行らつしやいましよ。」

(ぼっ)ちやん、(ゆっく)り遊んでやつて下さい。直ぐ寝つちまつちやあ不可(いけ)ませんよ、()うも御苦労様なことツたら、」

 とあとは独言(ひとりごと)(かまち)に腰をかけて、足を突出(つきだ)すやうにして下駄(げた)穿()き、上へ(おっ)かぶさつて、沓脱越(くつぬぎごし)此方(こちら)から戸をあけるお辻の脇あけの下あたりから、つむりを出して、ひよこ/\と出て行つた。(かれ)()と遠方をかけて、遠縁のものの通夜(つや)(まい)つたのである。其がために(むすめ)が一人だからと、私を()めたのであつた。

        三

 枕に()いたのは、(やや)ほど過ぎて、私の(うち)の職人衆が平時(いつも)の湯から帰る時分。三人づれで、声高(こわだか)にものを言つて、笑ひながら入つた、()うした、などと言ふのが手に取るやうに聞えたが、又笑声(わらいごえ)がして、其から寂然(ひっそり)

 戸外(おもて)の方は騒がしい、仏間(ぶつま)(かた)を、とお辻はいつたけれども其方(そっち)を枕にすると、枕頭(まくらもと)の障子一重(ひとえ)を隔てて、中庭といふではないが一坪ばかりのしツくひ(たたき)泉水(せんすい)があつて、空は同一(おなじ)ほど長方形に屋根を抜いてあるので、雨も雪も降込(ふりこ)むし、水が(たま)つて()れて居るのに、以前女髪結(おんなかみゆい)が住んで居て、取散(とりちら)かした元結(もっとい)()つたといふ、足巻(あしまき)と名づける針金に似た黒い蚯蚓(みみず)が多いから、心持(こころもち)が悪くつて、(わざ)と外を枕にして、並んで寝たが、()う夏の初めなり、私には清らかに小掻巻(こがいまき)

 寝る時、着換(きか)へて、と()つて、(むすめ)浴衣(ゆかた)と、(あか)扱帯(しごき)をくれたけれども、角兵衛獅子(かくべえじし)母衣(ほろ)ではなし、母様(おっかさん)のいひつけ通り、帯を()めたまゝで横になつた。

 お辻は寒さをする(むすめ)で、夜具(やぐ)を深く()けたのである。

 ()顔を見合せたが、お辻は思出(おもいだ)したやうに、莞爾(にっこり)して、

「さつき、駆出(かけだ)して来て、薬屋の前でころんだのね、(おおき)(なり)をして、をかしかつたよ。」

()(また)見て居たの、」と私は思はず。……

 (これ)は此の春頃から、其まで人の出入(ではいり)さへ余りなかつた(かみ)の薬屋が(かた)へ、一(にん)の美少年が来て一所(いっしょ)に居る、女主人(おんなあるじ)(おい)ださうで、信濃(しなの)のもの、継母(ままはは)(いじ)められて家出をして、越後なる叔母(おば)便(たよ)つたのだと()ふ。

 此のほどから黄昏(たそがれ)に、お辻が屋根へ出て、(ひさし)から山手(やまて)(ほう)(のぞ)くことが、大抵日毎(ひごと)、其は二階の窓から私も見た。

 一体裏に空地はなし、干物(ほしもの)は屋根でする、板葺(いたぶき)平屋造(ひらやづくり)で、お辻の家は、其真中(そのまんなか)、泉水のある(ところ)から、二間梯子(にけんばしご)を懸けてあるので、悪戯(いたずら)をするなら小児(こども)でも上下(あがりおり)は自由な位、干物に不思議はないが、待て、お辻の屋根へ出るのは、手拭(てぬぐい)一筋(ひとすじ)(さお)(かか)つて居る時には限らない、(あたか)も山の(すそ)へかけて紙谷町は、だら/\のぼり、斜めに高いから一目に見える、薬屋の美少年をお辻が透見(すきみ)をするのだと、内の職人どもが(ことば)を、小耳(こみみ)にして居るさへあるに、先刻(さっき)転んだことを、()のあたり知つて居るも道理こそ。

 ()(また)見て居たの……といつたは其の所為(せい)で、私は何の気もなかつたのであるが、(これ)を聞くと、目をぱつちりあけたが顔を(あか)らめ、

(いや)な!」といつて、口許(くちもと)まで天鵞絨(びろうど)(えり)(ひっ)かぶつた。

「そして転んだのを知つてるの、をかしいな、(つう)ちやんは転んだのを知つてるし、()のをばさんは、私の泊るのを知つて居たよ、(みんな)知つて居ら、をかしいな。」

        四

「え!」と(あわただ)しく顔を出して、まともに向直(むきなお)つて、じつと見て、

「今夜泊ることを知つて居ました?」

「あゝ、(ちゃん)()う言つたんだもの。」

 お辻は美しい(まゆ)(ひそ)めた。燈火(ともしび)の影暗く、其の顔(さみ)しう、

(おそろ)しい人だこと、」といひかけて、再び(おもて)(そむ)けると、又深々(ふかぶか)夜具(やぐ)をかけた。

(つう)ちやん。」

「…………」

(つう)ちやんてば、」

「…………」

「よう。」

 こんな約束ではなかつたのである、俊徳丸(しゅんとくまる)の物語のつゞき、それから手拭(てぬぐい)(やぶ)へ引いて行つた、(おどり)をする(さん)といふ猫の話、それもこれも寝てからといふのであつたに、(つま)らない、(さび)しい、心細い、私は帰らうと思つた。(ちょう)其時(そのとき)、どんと戸を引いて、かたりと(じょう)をさした我家(わがや)(ひびき)

 胸が(とどろ)いて掻巻(かいまき)の中で足をばた/\したが、(たま)らなくツて、くるりとはらばひになつた。目を()いて耳を(すま)すと、物音は聞えないで、(かえっ)戸外(おもて)なる町が歴然(ありあり)と胸に描かれた、(やみ)である。駆けて出て我家(わがや)(かど)飛着(とびつ)いて、と思ふに、()()()けて、他人(ひと)の家からは勝手が分らず、考ふれば、毎夜()つきに聞く職人が湯から帰る跫音(あしおと)も、向うと此方(こちら)、音にも裏表(うらおもて)があるか、様子も違つて居た。世界が変つたほど(なさけ)なくなつて、枕頭(まくらもと)(おろ)した戸外(おもて)から隔ての(しとみ)が、厚さ十万里を以て我を囲ふが如く、身動きも出来ないやうに覚えたから、これで殺されるのか知らと涙ぐんだのである。

 ものの懸念さに、母様(おっかさん)をはじめ、重吉(じゅうきち)も、嘉蔵(かぞう)呼立(よびた)てる声も揚げられず、呼吸(いき)さへ高くしてはならない気がした。

 (そっ)と見れば、お辻はすや/\と糸が揺れるやうに(かすか)寐息(ねいき)

 これも何者かに命ぜられて()かく()入つて居るらしい、起してはならないやうに思はれ、アヽ(また)横になつて、足を(かが)めて、目を(ふさ)いだ。

 けれども今しがた、お辻が((おそろ)しい人だこと、)といつた時、其の顔色とともに(あかし)が恐しく暗くなつたが、消えはしないだらうかと、いきなり(いなびかり)でもするかの如く、恐る/\目をあけて見ると、()真暗(まっくら)(あかり)はいつの()にか消えて居る。

 はツと驚いて我ながら、自分の(はだ)に手を触れて、心臓(むね)をしつかと(おさ)へた折から、芬々(ぷんぷん)として(にお)つたのは、(たちばな)音信(おとずれ)か、あらず、仏壇の(こう)名残(なごり)か、あらず、ともすれば風につれて、随所、紙谷町を渡り来る一種の薬の(におい)であつた。

 しかも梅の影がさして、窓がぽつと(あかる)くなる時、(えん)蚊遣(かやり)(なび)く時、折に触れた今までに、つい其夜(そのよ)の如く()の高かつた事はないのである。

 (びん)か、(つぼ)か、其の薬が宛然(さながら)枕許(まくらもと)にでもあるやうなので、(あまり)の事に再び目をあけると、(くらやみ)の中に二枚の障子。(くだん)泉水(せんすい)を隔てて寝床の(すそ)に立つて居るのが、一間(いっけん)真蒼(まっさお)になつて、(さん)も数へらるゝばかり、黒みを帯びた、動かぬ、どんよりした光がさして居た。

 見る/\(うち)に、べら/\と紙が()げ、桟が()()されたやうに、ありのまゝで、障子が()せると、羽目(はめ)破目(やぶれめ)にまで其の光が()み込んだ、一坪の泉水を(うしろ)に、立顕(たちあらわ)れた婦人(おんな)の姿。

 ()き余る(びん)(うずたか)い中に、端然として真向(まむき)の、(またた)きもしない鋭い顔は、(まさ)しく薬屋の主婦(あるじ)である。

 ()見る時、(ほお)(おお)へる髪のさきに、ゆら/\と波立(なみだ)つたが、そよりともせぬ、裸蝋燭(はだかろうそく)(あお)い光を放つのを、左手(ゆんで)に取つてする/\と。

        五

 其の(もすそ)()るゝばかり、すツくと枕許に突立(つった)つた、私は貝を磨いたやうな、足の指を寝ながら見て呼吸(いき)を殺した、顔も(つめと)うなるまでに、()の内を(くま)なく濁つた水晶に化し了するのは蝋燭の鬼火である。鋭い、しかし(なまめ)いた声して、

腕白(わんぱく)先刻(さっき)はよく人の深切(しんせつ)を無にしたね。」

 私は石になるだらうと思つて、一思(ひとおもい)(すく)んだのである。

「したが私の深切を受ければ、此の(むすめ)に不深切になる(ところ)。感心にお前、母様(おっかさん)に結んで頂いた帯を()めたまゝ寝てること、腕白もの、おい腕白もの、目をぱちくりして寝て居るよ。」といつて、ふふんと鷹揚(おうよう)に笑つた。姐御(あねご)真実(まったく)だ、()(たま)らぬ。

 途端に人膚(ひとはだ)気勢(けはい)がしたので、咽喉(のど)(かま)れたらうと思つたが、()うではなく、蝋燭が、敷蒲団(しきぶとん)の端と端、お辻と並んで合せ目の、(たたみ)の上に置いてあつた。(そう)して婦人(おんな)(ひざ)をついて、のしかゝるやうにして、(びん)(あい)から真白な鼻で、お辻の()顔の(なかば)夜具(やぐ)(ひっ)かついで膨らんだ前髪の、(まゆ)のかゝり目のふちの(やや)曇つて見えるのを、じつと覗込(のぞきこ)んで居るのである。おゝ、あはれ、(ささ)やかに(つつ)ましい寐姿は、藻脱(もぬけ)の殻か、山に夢がさまよふなら、衝戻(つきもど)す鐘も聞えよ、と念じ(あや)ぶむ程こそありけれ。

 婦人(おんな)右手(めて)差伸(さしのば)して、結立(ゆいたて)一筋(ひとすじ)も乱れない、お辻の高島田を無手(むず)(つか)んで、づツと立つた。手荒さ、(はげ)しさ。元結(もとゆい)は切れたから、髪のずるりと()けたのが、手の(こう)(まつ)はると、宙に(つる)されるやうになつて、お辻は半身(はんしん)、胸もあらはに、引起(ひきおこ)されたが、両手を畳に裏返して、呼吸(いき)のあるものとは見えない。

 爾時(そのとき)右手(めて)に黒髪を(から)んだなり、

「人もあらうに私の男に懸想(けそう)した。さあ、()うするか、よく御覧。」

 左手(ゆんで)(ひじ)鍵形(かぎなり)に曲げて、()と目よりも高く差上(さしあ)げた、(たなそこ)に、細長い、青い、小さな(びん)あり、捧げて、俯向(うつむ)いて、(ひたい)押当(おしあ)て、

呪詛(のろい)の杉より流れし(しずく)よ、いざ(なんじ)(ちかい)を忘れず、()のあたり、(しるし)を見せよ、()らば、」と言つて、取直(とりなお)して、お辻の髪の根に口を望ませ、

「あの美少年と、容色(きりょう)一対(いっつい)心上(こころあが)つた淫奔女(いたずらもの)、いで/\女の(たま)()は、黒髪とともに切れよかし。」

 と(あたか)も宣告をするが如くに言つて、傾けると、(さっ)とかゝつて、千筋(ちすじ)(くれない)(あふ)れて、糸を引いて、ねば/\と(にじ)むと思ふと、(たけ)なる髪はほつりと切れて、お辻は崩れるやうに、寝床の上、枕をはづして土気色(つちけいろ)(ほお)蒲団(ふとん)(うず)めた。

 玉の緒か、()らば玉の緒は、長く婦人(おんな)の手に奪はれて、()きたる如く(ひっさ)げられたのである。

 莞爾(かんじ)として(しゅ)の唇の、裂けるかと片頬笑(かたほえ)み、

腕白(わんぱく)(ひざ)へ薬をことづかつてくれれば、私が来るまでもなく、此の(むすめ)は殺せたものを、()が明けるまで黙つて()なよ。」といひすてにして、細腰(さいよう)楚々(そそ)たる後姿(うしろすがた)、肩を(ゆす)つて、(つか)(たぼ)がざわ/\と動いたと見ると、障子の外。

 (あお)い光は浅葱幕(あさぎまく)を払つたやうに(さっ)と消えて、(ふすま)も壁も(もと)の通り、(ともしび)が薄暗く()いて居た。

 同時に、戸外(おもて)山手(やまて)(かた)へ、からこん/\と引摺(ひきず)つて行く婦人(おんな)跫音(あしおと)、私はお辻の亡骸(なきがら)を見まいとして掻巻(かいまき)(かぶ)つたが、案外かな。

 抱起(だきおこ)されると(まばゆ)いばかりの昼であつた。母親も帰つて居た。抱起したのは昨夜(ゆうべ)のお辻で、高島田も其まゝ、()や朝の化粧(けわい)もしたか、水の()る美しさ。呆気(あっけ)に取られて目も放さないで目詰(みつ)めて居ると、雪にも(まが)(うなじ)(さし)つけ、くツきりした(まげ)の根を見せると、白粉(おしろい)(かおり)(くし)の歯も透通(すきとお)つて、

「島田がお(すき)かい、」と(ただ)あでやかなものであつた。私は家に帰つて(のち)も、(うたがい)は今に()けぬ。

 お辻は十九で、(あえ)て不思議はなく、(わずら)つて若死(わかじに)をした、其の黒髪を切つたのを、私は見て悚然(ぞっ)としたけれども、其は仏教を信ずる国の習慣であるさうな。

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