3話 常民婚姻史料(3)
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1、ハツイリ 聟が初めて嫁の二親と對面し義理の親子の契りの酒を酌みかはす時期は、現在では各地非常に區々になつて居る。其中には里の父母の方から出て行つて、始めて逢ふ例さへ若干はあるが、此方は勿論普通とは言へない。他の多數は聟の訪問であつて、是にも嫁入祝言の後と前と二通りあり、尚又其前後の期間にも、幾通りかの遲い早いがある。最初から此の如く色々であつた氣遣ひは無い。さうするとどれが古く、何れが「改良」した形であるかは、細かく觀て行くうちには今に判ることゝ思ふ。初入といふ語は熊本縣の南部で聞く語であつて、其意味は最も明らかである。其他ショテイリと謂ひ、初客又は新客と謂ひ、或は見參、一見などといふ名稱も名の起りは略想像し得るが、單に此語だけでは聟入が如何なる時期、如何なる樣式で行はれて居るかを察し得ぬのである。
2、アサムコイリ 朝聟入といふ語は北九州の一部だけで稍知られて居り、「朝聟に夕嫁」といふ諺も有るさうだが(宮武省三君)、さういふ名稱の無い地方にも、嫁入當日の日中に、聟が先づ新婦の家を訪ふ例は最も多い。前にも迎へ人の條に幾つかを擧げて置いたが是は重要な又興味ある點だから、出來るだけ澤山の證據を列ねて置きたいと思ふ。先づ九州と最も遠いところから始める。
イ、埼玉縣の妻沼町附近では、嫁入の日其時刻より前に、聟が仲人及び近親の者と共に嫁の家へ行く。是をムカヘエチゲンと謂ふ。但し娘に聟を取る場合には、其娘はムカヘエチゲンには行かず、近親の者のみ行く(同町誌)。迎へ謁見と字は書いて居るが、迎へ一見の方が正しいと思ふ。一見は即ち初度の見參である。
ロ、神奈川縣厚木町邊では、右と同じ訪問をムカヘジンキャクと謂ふ。迎へ新客である。聟は花嫁の家に暫らく休息の後、嫁方親類の者一人附添ひ、當村村長を始め主立つた家、及び嫁方親類などの家をまはり、結婚の披露を爲し、且つ半紙扇子などを配つて挨拶をする(風俗畫報一一三號)。
ハ、千葉縣千葉市の周圍の村でも、嫁入當日の朝聟入がある。同行者は仲人と親戚總代、聟は上座に坐り嫁方の親類と盃があり後は酒宴。嫁は成るたけ遲く出發する。以前は乘掛けと稱して馬に乘つて行つた(千葉郡誌)。
ニ、同縣海上郡でも右同前、聟上座に坐つて嫁方兩親その他の親族と盃をする。始は冷酒、後は酒宴。さうして新婦及び嫁方仲人親戚たちを同伴して、共々聟の家に行くのが例のやうである(海上郡誌)。
ホ、同縣長生郡でも、大よそ是と同じ手續きである(郡郷土史)。
ヘ、安房でも嫁入當日、聟方仲人は、聟と其親戚の者を同行して、嫁方仲人の家に行き簡單な酒の後、兩方仲人共々に聟一行とつれ立ち、嫁の家へ迎へに行く(旅と傳説、婚姻號)。是を親子名乘りと謂ふのを見ると(安房郡誌)、嫁入と同伴して來るのは目的で無かつたかも知れぬ。
ト、八丈島でも當日午後三時から五時迄に聟はムコトギと同行して嫁の家に行き嫁を同行して歸つて來る(婚姻號)。
チ、常陸行方郡香澄村でも、嫁入の日先づ聟入があつて爰で披露の宴がある(行方郡郷土史)。
リ、群馬縣北甘樂郡でも、當日聟が親族と共に、仲人に案内せられて嫁の家に行くのを一見と謂つて居る(郡誌)。
ヌ、同縣多野郡で、一見と謂ふのも是と同じ。聟の一行は嫁の家で、互ひに親戚となつた近附きに鄭重な饗應を受けて歸つて行くと、後から支度をして嫁は親類に送られて行く。此同行者の行くことをも一見といふ(郡誌)。桐生でも聟が嫁迎へに行くことをイチゲンと謂ふ(桐生郷土誌)。
ル、宇都宮附近でも花聟自ら仲人と共に花嫁の家を訪ひ、其兩親の設けたる宴に臨み、終つて花嫁を伴ひ還る。花嫁は聟の家の臺所から入る(民族と歴史四卷三號)。
ヲ、福島縣石城郡でも聟と親戚の重立ちたる者數人、仲人に導かれて嫁方に來り饗應を受ける。此時賦物として酒・餅・鯣・熨斗・延紙・白髮苧等を持つて行く。宴終つて後、前の一行は新婦と其父母親戚を伴なひ、受け方に至つて式を擧げる(郡誌)。斯うあるのを見ると、嫁方に於ける酒宴は、もう式とは考へられぬやうになつて居るのである。
ワ、同縣石川郡でも聟樣自身、嫁迎へに行く(郡誌)。
カ、同縣信夫伊達二郡では、此日の聟入を聟入見參と謂ひ、酒宴を見參振舞と謂ふ。花聟は喜樽一對と熨斗折數種とを持參して花嫁に贈る。但し此地方では獻酬數次の後、聟は仲人夫婦を後にのこして先づ還り、それから花嫁の支度がある。日中に銕漿親の家で親族近隣の祝宴があり、それが終つてからそろ/\出立する(信達民譚集)。
ヨ、宮城縣宮城郡などは、一般に聟入の方を嫁入の宴より重々しくする風が見える。婚禮當日は仲人夫婦、家主、新郎、聟添といふ若者一人、樽持一人、以上の一行で嫁方に來り、そこで所謂クレワタシの式がある。雌蝶雄蝶の銚子、三組の盃、紙で澤瀉を作つたものと島臺とが用意せられ、盃は嫁の親から仲人へ、それから順々にめぐる。夫婦盃だけはこゝでは無い。式終つて聟一行は引取り、其後から別に嫁入の行列は行き、聟方で引渡しの盃をするのである(郡誌)。
タ、岩手縣花卷地方では、嫁入當日の夕方に聟入がある。同行者は仲人夫婦、酒肴を携へて行き、嫁の父母親類一同と酒盛りがある。嫁は其席には出ない。式終り聟が歸り着いた時刻を見はからひ、嫁は我家を出る。但し徒歩、荷物も嫁入と同列(民俗研究一五號)。同縣紫波郡にも同日聟入の例がある(旅と傳説二卷七號)。
レ、秋田縣鹿角郡草木村及び其附近では、嫁入當日、聟は先づ中宿で酒を酌み、それから若者たちと共に嫁の家に酒を携へて行き、爐の周りを三度つて、今晩はおめでたうと謂つたといふ(人類學雜誌三七號)。但し此例はそれから嫁入があつたのやら、はた又嫁の家に於て式を完了したのやらたしかでない。
ソ、それから中部地方に戻つて、甲州の上九一色村では、當日式前に聟は仲人に連れられて、嫁の里に出かけて親子盃をする。但し仲人の妻は同行せず、又嫁も列席しない。宴半ばにして聟一人中座して「村まはり」をする。紙一帖又は手拭一つに名刺を添へて挨拶をしてあるく。其うちに嫁の支度は整ふので聟は是と同行して我家に行く(旅と傳説、婚姻號)。
ツ、信州の諏訪でも、又飯田附近でも、嫁入當日午前中に聟入がある。同行者は仲人及び聟近親の人々。諏訪では父も行くことがある。飯田では近親同行者をロウドウといふ。此際由緒書即ち近親氏名、及び贈り物目録と土産の覺書とを持參する。嫁入はこの聟一行が還つて、次に見立の膳が濟んでから始まる(同上)。
ネ、同じく信州の南安曇郡でも、聟入と謂つて結婚當日に行く。其時の贈り物は五種と稱して柳樽、鯛、昆布、鯣、扇子、酒一駄、米一俵、鰤一尾、雉一羽など、其他土産物である。此時嫁の親及び近親とも盃をする。嫁の親は聟へ引出物と稱して縞一反を贈り、又相應の饗應をする(郡誌)。
ナ、尚飯田からまだ南の下伊那郡遠山和田に於ても、祝言の日は聟が自ら嫁迎へに行つた。其時持參の品は柳樽に扇子、紙手拭などであるといふ(米澤美丸君)。
ラ、靜岡縣安倍郡に於ても、新郎自ら仲人につれられて、供の者に聘物を持たせて新婦の家に行く。それをコシムカヘと謂つて居る。嫁の家では聟を上座として「親子の盃」があり饗宴がある。其間に聟は嫁方縁者の案内で近所へ披露の挨拶にまはり、終つて嫁を同行して來る。途中中宿は新郎方の仲人の家である(郡誌)。
ム、同縣志太郡でも右の通り(郡誌)。
ウ、同縣磐田郡の例もよく似て居るが、「親子の盃」後の酒宴が時としては深更に及び、その聟入の一行が引揚げてから、そろ/\嫁入の行列は出かけるのである。夫婦盃の方は無論聟方で行はれるが、雙方の式は大よそ同じだとある(郡誌)。
ヰ、愛知縣西加茂郡でも、嫁入當日正式聟入がある。同行は近親及び仲人、是も嫁と同行しては來ない(郡誌)。同縣西春日井郡でも、今日の嫁迎は仲人と聟方出入の者とだけだが、以前はこの輿入の當日に、「出入に行く」と稱して聟自身も訪問したやうである(西春日井郡誌)。名古屋でも元は朝聟入が普通であつたらしい(結婚寶典)。今はもう行はれて居らぬことゝ思ふ。
ノ、和歌山縣の有田郡にも同日聟入の例があつた。此地で珍しいのは聟來つて一通りの挨拶が濟むと、先づシモケシと稱して一杯の酒を注ぎ、それから親と聟との盃があることである(有田民俗誌)。シモケシは霜消しで聟の夜通うた時代の名殘だと思ふ。但しこゝでも尾張同樣に嫁を同行しては歸らず、聟入終つて後に更に嫁入の行列が始まるのであつた。
オ、廣島縣の呉地方に、曾て次の樣な習があつたと報ぜられて居るが(結婚寶典)、是はもう一度確めて見たい。聟入は同日嫁入の出る前に行はれる。花聟は仲人と共に嫁の家に行き酒が出ても餘り飮まず、そこ/\にして袴を脱ぎ下駄も穿かずに跣足で歸つて來る。長居をすると、聟樣の尻へ根が生えたと云つて笑はれる。嫁はその脱ぎ棄てられた袴をたゝみ、下駄も一しよに聟の家へ持つて來る。又式の翌朝は花聟は顏も洗はずに、もう一度嫁の家へ來るといふのは、もし事實なら可なり面白い。是は新婚が嫁の家に於て結ばれた名殘とも見られるからである。
ク、隱岐島でも嫁入の當夜、聟が先づ正式仲人に伴はれて女の家を訪ふ習ひがある。對岸出雲の方には此風は無いと言つて居る(婚姻號)。
ヤ、ところが同じ島根縣でも石見の海岸には、當夜聟入があつて聟舅の對面をすまし、聟は一應引揚げて行つて、其後から嫁の行列が出るといふ型がある(同上)。
マ、山口縣の周防大島でも、以前は聟入の後嫁入までの期間が普通は半年もあつた。それが三月となり一月、十日又三日と短縮して今では一日の間に聟入と嫁入とを濟ますもあり、又全く聟入をせぬ例もある。聟入には親と親類とが同行し、途中一旦中宿に落着き、支度をする。嫁の家では床の正面に聟を坐せしめて、嫁の親との盃がある。嫁本人は却つて臺所などで働いて居る(同上)。聟入が既に純乎たる親子名のりになり切つて居るのである。
ケ、全體に海に近く住む村の方が改正が遲かつたことは、是だけでも想像し得られる。愛媛縣喜多郡でも沿海の村々は、當日花聟自身紋附袴で、仲人に伴はれて嫁の家まで迎へに來る。聟の父親も通例は共に行き、先づ出立前の酒宴がある(民族二卷三號)。
フ、土佐では高知の市でも以前は當日の聟入があつた。是には聟の父母近親も同行し、仲人案内にて嫁の家に來て挨拶し、嫁方一統と盃を交換した。然るに近年は此式を略して、初日に嫁入あり次日に聟入があるやうになつた(土佐風俗と傳説)。しかし村落にはまだ古い式も存して居たかと思はれ、同縣安藝郡には輿入の前刻に、聟が花嫁の實家に訪れて一遍の挨拶を述べて歸る例もあつた(結婚寶典)。
コ、九州各地の例も尚二三附加へて置くならば、豐前の後藤寺では嫁入の日の「迎へ客」の中に、聟と「聟まぎらかし」も加はつて行つた。さうして此二人だけは一足さきへ歸つて來る。他の迎へ客は嫁入の一行と共に歸つて來る。迎へ客の家を出るのは大抵午後一時、聟たちの戻つて來るのが早くて夜の十時十一時、嫁入到着はそれよりもずつと遲くなる(旅と傳説、婚姻號)。
エ、肥前の小川島でも嫁入當日の聟入があり、以前は此際に聟は水を祝はれた(櫻田君)。この當日は多分嫁入より前だと思ふが、稀には嫁入の祝言より後に聟入する例もある。
テ、肥前青島でも聟は親戚の重立つた者と共に嫁の家に行つた。下五島の有川などもやはり當日嫁入前の聟入がある(同上)。
ア、壹岐では嫁迎への一行をムカヘニンズと謂ひ、其中には聟當人も加はつて居る。但し聟だけは一足先きに、座を立つて單獨に歸つて來る(山口君)。
サ、肥前の諫早地方では婚禮を輿入、聟入舅入と謂つて、嫁入とは謂はない。聟が聟ブセを連れて嫁の家へ行き、珍しい作法のあることは(北高來郡誌)、次の膝直しの條に於て述べる。
キ、熊本縣玉名郡でも、甚だしく遠方で無い限りは、嫁入當日晝間の中に聟入がある。形式一切嫁入と同じく、「聟脇」も添へば「おてつきの餅」も出る。たゞ盃事の行はれぬのみとあるのは(婚姻號)、夫婦盃を意味するのであらう。
ユ、同縣下益城郡も聟入の時期は區々だが最も普通なのは當日午前、又は嫁入刻限前に聟本人は嫁の家に行き、親子盃をして夕刻に戻つて來る(郡誌)。宇土ではこの歸途に聟が水を浴せられることがある(宇土郡誌)。
メ、沖繩でも朝聟入といふ語こそ無いが、ネビキの日の午過ぎ聟はムコソウイと謂ふ附添人と共に、嫁の家に行つて其家の火の神を拜む。此時は酒を強ひられるものとなつて居る。それを聟ソウイが代つて飮むのである。夕方には引揚げて來る。宮古群島の多良間島でも、其日の朝、滿潮の刻限を候して聟入がある。此席では嫁の二親との盃があつて、嫁は列席しないのを本式とする(婚姻號)。
ミ、立戻つて以前は江戸の士人の間にも朝聟入の風が行はれて居た。例へば今から九十八年前の天保六年に、松崎慊堂先生の立會つた三つの婚姻は、共に嫁入の日の午時に新郎が里方に行き、仲人列席の上で親子の盃をした。先生は之を親迎也と書いて居られる(慊堂日歴)。それが棠軒公私略の文久二年には、もう又、「里開舅入同日也」といふ新しい儀禮を見るやうになつて居るのである(森鴎外著、伊澤蘭軒)。
3、シウトナノリ 以上に列記したものゝ外、まだ幾つかの類似の場合を附加へなければならぬ。三河の北設樂郡では、聟が嫁の里へ挨拶に行くことを舅名乘りと謂ふ(設樂、昭和七年四月號)。是も初めての見參と思はれるから、今は多分嫁入當日であらう。
4、シウトイリ 長門の角島では婚禮の日、先づ祝言に先だつて聟が嫁の家に行くことを舅入と謂つて居る(婚姻號)。もし言葉の用法の誤りで無いならば、曾ては聟の父が本人と共に、嫁の家に來た頃の名殘であらう。
5、ゲンザン 宮城縣の南部では花聟と其近親が、仲人と共に嫁方の祝の席に列し、花嫁を貰つて行くのをゲンザンと謂ひ、此時に舅姑との盃がある。次に嫁の輿入に附いて、里方近親が貰ひ方の祝宴に列するのも亦同じ名を以て呼ぶ(刈田郡誌)。但し是に元參の字を宛てたのは誤りで、江刺郡誌にはちやんと「見參の式」と誌して居る。鹿角では古風に之をゲンゾと謂ふ。
6、ムコイチゲン 野州足利地方では是を聟一見と謂つて居る。時刻は嫁入の當日午前、酒食の饗を受けて歸る。其一行が自宅へ着いたと思ふ頃から、いよ/\嫁は出發の支度に取掛るといふ(旅と傳説、婚姻號)。
7、ムコニ 信州諏訪地方でも、當日日中に聟入がある。仲人及び父兄など同行。目録に列記した贈り物を馬に附けて行く。之を聟荷と謂ふ。聟荷は美しく包んで持參したものであつたが、今は主として金圓になつた(同上)。他の地方の結納も起りは是と一つらしいが、多くは嫁入の日より若干日早く送り屆ける。それにも早いのと遲いのと色々あり、中にはほんの一兩日前に送るもある。又、その日に嫁入の期日を確定する例も多い。諏訪では右の聟荷に對して、嫁方の親から羽織や袴を與へた。是を引出物と謂つて居る。即ち他の地方の結納返しである。
8、ムコドノモチ 日向の眞幸邊では結納の日に、吉例の品々の外に女の化粧用品と、重に入れた餅とを贈つた。其餅を聟殿餅といふ。是は翌朝嫁が近所へ挨拶にる時に配る爲に再び携へて嫁入するといふから(同上)、此地方の結納も嫁入當日に行はれたのである。さうして此聟殿餅を持つて行く時に聟入もあつたのである。尚此點に關しては、次の結納聟の條を參照せられたい。
一〇 聟遁がしと膝直し
1、ムカヘジャウラウ 以下大抵は皆嫁入と同じ日の晝間、聟入の行はれた場合である。長崎縣北松浦郡では、もとは聟入には迎へ女郎と謂つて、美しく着飾つた妙齡の婦人が、玄關に出迎へる風習があつたが、近頃はもう行はれない(婚姻號)。是も嫁伽又は嫁まぎらかしの變形で、多くある少女の中からたゞ一人を選ぶといふ趣意を示した古い風習の痕跡かと思ふ。
2、ヨメムカヘ 愛媛縣の喜多郡藏川村などでは、嫁入當日の嫁入に同行して、聟方から出す女性のみを嫁迎へと謂ふ(婚姻號)。
3、ムコゾヒ 聟入の時に同じ年頃の男を同伴することは全國的なる風習である。陸前松島の浦戸村などでは、是を聟添ひと謂つて居る(宮城郡誌)。關東にはもう其風習は絶えて單に聟脇顏などといふ滑稽な諺ばかり殘つて居る。日本の南端の八重山の島々では、嫁入の日の午前十時頃、聟は形式的の男媒妁人と共に、花嫁の家に行く。其同行者をツリといふのは連れである。嫁方では一番座即ち上の間に、其ツリを上座として西に面して坐し、家父と相對して禮儀がある(婚姻號)。是も亦聟添ひであらうと思ふ。
4、ムコトギ 前に擧げた伊豫藏川村では、嫁迎への女の外に、聟伽といふ者も其聟入に同行する。常の出入口からは入らず、中の口の縁側から上るといふ。熊本縣の阿蘇郡の婚姻式にも、聟伽の役があつて嫁伽と共に聟入の式に列する。女夫盃の時にも雙方とも立合ひ、盃の仲次はすべて伽がする(同上)。
5、ムコカクシ 鳥取縣米子地方の聟入は嫁入の前の日に行はれたが、是にも仲人の外に聟隱しといふ者が附いて來る。聟と同年輩の少々でも男振りの劣つたのを頼むといふのはどうであつたらうか。土地では嫁さんが戸惑ひをせぬ樣に、即ち聟の瑕を隱すから聟隱しだと解して居る者もあつた(人類學雜誌二八卷六號)。
6、ムコマガヒ 宮崎縣南部の婚禮には、聟まがひ又嫁まがひ各一人が附添ふことになつて居る(日向の言葉卷一)。何れも當人と同じ年頃の友人である。聟まがひは聟入に同行し嫁の家で「重開き」即ち聟持參の酒肴が出ると、直ぐに聟と共に座を立つて歸つて來る習ひである(婚姻號)。
7、ムコマギラカシ 丹後中部でも聟が嫁の家へ初入りする時に、是と同行する者をさう謂つて居る(三重郷土誌)。九州北部では山村にも、島にも、此慣習と名稱とは知られて居る。但し嫁まぎらかし程は一般的で無い。長崎縣の崎戸などでは、養子聟の場合にしか、「まぎらかし」は同行しないが、筑前糟屋郡の新宮邊では、茶聟入即ち結納聟入の際に同行して嫁の家の祝宴に列する。大抵は聟と同年齡の者で、其數も何人かある場合もある。聟は其聟まぎらかしの一番末席に坐るものとなつて居る。宗像の大島などは其數は一人、必ず未婚者たることを要する。嫁入の日の聟入には聟と同座するが、其膳の上に扇子を載せて置いて、直ぐに還つて來るのを禮儀として居る(以上櫻田君)。
8、ナタサグリ 北松浦の田平邊にも嫁入同日の聟入がある。其時の同行者は兩親及び媒人の外に、樽肴などを持つて行く男があり、俗に之を鉈さぐりと謂ふ。止まつて嫁入の行列に加はるといふから聟まぎらかしではなかつたらうが、兎に角に物騷な名前である。或は嫁に附く老女や女中頭などを、さう呼ぶ例もあるといふ(旅と傳説、婚姻號)。
9、ムコニガシ 前に擧げた筑前宗像の大島では、嫁入の式があつた後に本膳が出ると、聟は飯を食ひ殘したまゝ、聟まぎらかしに目くばせしてそつと座をはづして遁げる。此時ぐづ/\して若者たちに見つかると、追掛けて來て水を掛けられる。素裸に毛布を被つて遁げたといふ話もあり、又灰汁を浴せられたといふ話もある(同上)。
10、ムコニゲ 阿蘇地方でも花嫁御の迎へに聟が來て嫁の家で式がある。其席上初肴と謂つて鯛の生造りの鉢物が出ると、聟は自席から立つて遁げ還らねばならぬ。是を聟遁げと謂つて居る(同上)。
11、ムコノクヒニゲ 信州諏訪郡の落合村などでも、嫁入當日の聟入があるが、聟は其酒席の中途、何人にも禮の挨拶をせずに、歸つて行くのを習ひとする。それを土地では聟の食ひ遁げと謂ふさうである(同上)。群馬縣の南部、吉井町の一部と入野村の一部では、この聟入の式の最中に、新郎を遁がして大騷ぎをして之を見付ける眞似をなし、終に見付からなかつたと稱して假の新郎を以て取結ぶといふ奇怪な風習が行はれ、今尚局外の人を苦笑させて居る(多野郡誌)。
12、ムコノシリニゲ 島根縣では松江市の附近の村など、聟入は嫁入と同日には無く、普通の如く嫁の里歸りと一緒に行はれるが、其場合にも聟は酒宴の半ばに、こつそりと嫁をつれて裏路から遁げて歸るのを例として居る。それで人が挨拶無しに還つて行くことを、聟の尻遁げのやうだといふ諺もある(民族二卷三號)。
13、ムコブセ 長崎縣の北高來郡では、もとは嫁入と同じ日に聟入があつて、酒肴、白苧等を贈り物とした。是にも聟伏せといふ者を一人同行して來て、宴半ばに次に謂ふ膝立直しといふことをした。近頃の聟入は雙方の便宜によつて、當日行ふこともあれば又輿入より二三日後にすることもあるといふが(郡誌)、聟伏せを同行して膝立直しといふことをするだけは變らぬらしい。
14、ヒザタテナホシ 右の地方では聟入の酒宴終りに近く、聟は聟伏せと共に竊かに外に出て、間も無く表戸口から改めて入つて來て嫁の兩親に挨拶をする。是を俗に膝立直しと謂ふのである(同上)。
15、ヒザナホシ 熊本縣の宇土郡などでは、嫁入の日の午前中に聟入があり、其次の日早朝に聟は再び又嫁の里に行つて饗應を受ける、それを此地方では膝直しと呼んで居る(郡誌)。周防の大島では今でも嫁入後三日目に、舅姑が新夫婦を連れて嫁の里を訪ひ、顏つなぎの酒宴あつて聟と親とは其夜還り、嫁だけは尚二三日滯在する。それを舅入り、里歸り又は膝直しと謂ふさうである(婚姻號)。私の想像では、是は右三つの儀式が合體したもので、もとは、それ/″\に別の目的があつたものと思ふ。膝直しといふ語は今日弘く行はれて居り、時としては嫁の初里入のことゝも考へられる。たとへば宮城縣刈田郡では正月三十日の膝直しといふ名もあり(郡誌)、山口縣豐浦郡ではハツドマリを一名膝直しと謂つて居るが(同郡郷土教育資料)、それだけでは此語の起りが想像し得られない。察するに此「膝」は本來聟の膝であつて、彼がたゞ單なる近づきの酒席の間に、ふと居ずまひを正して自分が此家の娘の思はれ人であることを告白した一つの形式であり、即ち又中世の露顯即ち「ところあらはし」の作法と、一脈の繋がりを持つものであらう。從つて里歸りがもしも聟の入來を伴なはなかつたならば、之を膝直しと謂ふことは、間違ひといふことになるのである。福井縣の各郡にも膝直しといふ語はあるが、土地により嫁の里開きを意味し、又はその翌日の宴を意味する。さうしてウチアゲと二つ別々の如く考へられて居る(若越方言集等)。福岡縣博多の方言では單に結婚後の宴とあり、熊本縣鹿本郡では嫁の初歩き即ち實家訪問の日に際して、兩家親類たちの互ひに出入り始めをすることだと謂つて居るが(郡誌)、同縣下益城郡では嫁入の翌日、聟がもう一度舅の家へ挨拶に行くのが膝直しだと、はつきりと記して居る(郡誌)。同玉名郡でも略式となつて嫁の里開きと一緒に行ふだけで、本來は式後數日のうちに、聟が仲人に伴はれて一寸した土産を持ち、嫁の家へ禮に行くのが膝直しであつた(旅と傳説、婚姻號)。豐前の後藤寺の例の如きは、殊に北高來郡の膝立直しと近い。即ち嫁迎の當日に聟入は既にあつたのだが、其時は聟まぎらかしと共に一足先きへ拔けて歸つたのであるから、もう一度嫁の里歸りに同行して改めて膝直しの禮に行くのだと謂つて居る(同上)。
一一 打明け