常民婚姻史料

7話 常民婚姻史料(7)

4,278字 約9分 2025年8月8日 公開

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1、アヒサカヅキ 夫婦の盃の作法だけには、所謂小笠原流の統一が、可なり進んで居たやうである。三々九度といふ名稱が最もらしく又記憶し易かつた爲かと思はれる。しかし此中からでもまだ少しづゝの殘形は指點し得られる。例へば東京から僅か離れた北多摩の村落ですらも、この共同飮酒の式をアヒサカヅキと謂つて居る所がある(高橋文太郎君)。相州の津久井でも同樣で、式は別室で無く酒宴の座の眞中で行ふ。式は色々有るやうだが、要點は聟の飮みかけを嫁が飮むこと、及び其酒が必ず冷酒であることだといふ(鈴木重光君)。アヒサカヅキは疑ひも無く逢盃で、今は遊里の文藝に保存せられて居るだけである故に、何と無く下品に聽えるが、古くから三々九度などと呼んで居た筈は無い。

2、ミヅモリ 奄美大島の夫婦の盃は、水を飮む故に水盛といふ。其次に祝宴の三獻に移るのである。嫁が親の家を出るときに、親兄弟との盃も水であつた(岩切君)。内地で水盃を不吉の時のものとしたのは後の事かと思ふ。沖繩の本島に於ても、夫婦の式は、「寄合の盆」と謂ふ折敷の上に、水と飯その他めでたいものを載せて二人の前にすゑ、先づ椀の水を指先で二人の額につけ、次に飯を一箸づゝ食べさせる。それから一枚の着物を持つて來て、片袖づゝ二人に手を通させるといふのは(比嘉春潮君)、もうよほどの形式化である。水も恐らくはもう盃に掬んで飮むまではしないのであらう。嫁が聟の家に到着する際、最初に水を飮ましめる風はまだ内地にも折々殘つて居る。

3、イロナホシ 此語も膝直しと同樣に、言葉は傳はつて實質はやゝ變化しようとして居るが、起りは夫婦の盃と親子兄弟等の盃との際に着衣を變へるといふことであらうと思ふ。現在でも越後の高田、信州の北佐久諏訪、播磨の揖保郡などでは此意味に用ゐて居るが、他の多くの土地では祝宴の半ば、何囘も起つて衣を更へることだと思つて居るらしい。そんな殺風景なことは有り得べからざる話で、是は全く夫婦の盃と他の親類盃とが二つの異なる行事であることを、明らかに認めた所作であつたらうと思ふ。白衣をイロといふのは忌詞の反語である。イロは葬式の折にも用ゐられて居る。元來が忌の衣であつたのである。

4、フルマヒ 岩手縣の紫波郡などでは婚儀の酒宴のみをフルマヒと謂ふ。此方が恐らく古い用ゐ方で、すべての饗應をさういふのは擴張であつたと思ふ。フルマヒといふ語の本の意味は、作法又は儀式といふ以上の何物でも無かつた。

5、カンシ 周防大島では聟入嫁入の式をカンシと謂つて居る。カンシは燗酒であらうといふことだが(宮本常一君)、それだけでは少し説明が足りない。是は夫婦の盃事が、必ず冷酒を以て行はれた結果で、其他の親族關係者が酌みかはす酒の温かいことを、祝宴の名稱として印象が深かつたのである。此風習は弘く行はれて居る。どうして我々の酒が煖められることになつたかの歴史を考へて見る爲にも大切な史料である。

6、オモラヒサマ 宮城岩手の二縣を通じ、嫁入の日嫁聟雙方の二親を互ひにさう呼んで居る。貰ひ方即ち聟の親たちを、さういふだけなら先づ解つて居るが、寧ろ反對に嫁の父母をさういふ方が多いのである。遠野の方言誌に守屋の意かと謂ひ、栗原郡誌に蓋しもろ親の訛などとあるのは、共に少しでも根據は無い。又親たちのみをモラヒドノ、其他は御客といふとあるのも臆斷で、事實は此日の客人も送迎人も共に屡モラヒと呼ばれて居るのみか、平日も親しい人々が互ひに誰それモラヒと謂ふ風があるのである。是は察するに此語の以前の心持が、婚禮などの式に伴なうて保存せられて居るので、その今日の限られたる用語には、別にはつきりした基礎は無いのである。縁者をモラヒといふ語がもとあつて、それが「與へらるゝ」の意味に轉じたものと見るの他は無い。

7、ヒキアヒ 福島縣の海岸地方では、夫婦の盃終つて後、受方の兩親が出て親子の盃をするのを引合と謂つて居る(石城郡誌)。其際に男方ならば謠をうたひ、女方ならば、「めでた」といふ祝言唄が歌はれる(双葉郡誌)。

8、ヒキウケ 周防大島郡では、嫁入の日聟の家では男女二名、引受と稱して式に列する。聟入の時にも嫁方の近親男女二名、式に列するのを亦引受といふ(宮本君)。

9、イチゲンブルマヒ 飛騨で一見と謂つて居たのは、婚姻のあつた家で其一門の者を招いて祝宴を開くことであつた(飛州志)。嫁との初對面の盃あることは勿論だが、その新たなる姻戚とも同時に近づきになつたことゝ思ふ。諏訪で「一げんの席」と謂ふのは、嫁入祝言の後で、嫁の父母兄弟近親を主賓とする新客の宴のことである(旅と傳説、婚姻號)。

10、オクリイチゲン 群馬縣の佐波郡では、嫁入の次の日に嫁の身うちの者が、聟の家に招かれて來るのを一元と謂ひ、それを嫁入と同じ日にするのを送り一元と謂ふ(同郡東村誌)。一元は一見である。

11、ヲンナイチゲン 同じ縣の邑樂郡でも、婚姻後嫁の姉妹伯叔母などが、聟の家に招かれるのを女一見と謂つて居る(郡誌)。

12、ホンキャク 九州の各地で、祝言の際に列席する者を本客といふ。面白いと思ふのは、豐前の後藤寺などで、嫁の荷物を送つて來た人足も、すべて本客として式に列することである(婚姻號)。

13、ノボセサカヅキ 婚姻の祝宴は兩系統の一門が同席する爲に、酒盃の法令が最も煩瑣であつて、司會者は隨分苦心をし、隨うて色々の慣例が發明且つ模倣せられて居る。是を詳に知ることも一つの研究であるが、自分には力及ばない。一つの例を擧げると、飛騨の益田郡などには上せ盃と稱して、左右の下席から入れちがひに、上座の方に向つて、盃を上せて行く方式があつた。それが各一巡して來ると、主人は納盃を行ひ此時に謠があつた(郡誌)。盃は上席から順に流れるものだから、是は無論略式である。多分は盃の來るのが待遠しいのと、時間があまりかゝるのでかゝる便法を案じ出したのだらう。

14、ズタウチ 岩手縣の上閉伊郡では、婚禮の式上で柳樽から酒を銚子にうつし、二つの銚子を結び合す作法があり、是をズタウチと謂つた(民俗研究九號)。又オショウクンの儀といふもあつたといふが、共に不明である。銚子の口を合はせることは小笠原流にもあつた。地方によつて必ず少しづゝの特徴があることゝ思ふ。是も將來は觀察記述せねばならぬ。

15、ゴトサンビラキ 陸前栗原郡などでは、嫁入の日の祝宴半ばに、嫁方持參の酒肴を披露して坐客に饗する。之を御土産開きと謂つた(郡誌)。

16、ビンソモチ 又ビンシュ餅ともいふ。秋田縣鹿角郡で婚姻の當日、近い親類から大きな鏡餅二三十箇を、樽肴に添へて祝つて來る。それを祝宴の終に近く披露して、餅は來賓に分配する(人類學雜誌三七號)。近頃は糯米を贈る風に改まつた所もある。元は此餅に木綿一反酒二升と肴を附けて持つて來たものであつた(内田君)。

17、ムコノハツウタ 徳島縣那賀郡の例、床盃の後聟再び祝宴の席に出ると、歌を所望される。之を聟の初唄と謂ふ。初唄終つて後一同、三國一の嫁取濟ましたと囃すといふ。

18、ヨメノタチジャク 是も秋田縣鹿角地方に於て、嫁は姑に手を取られて、祝宴の席へ顏見せに出る。此時は長柄の銚子を以て立つたまゝで酌をするといふ(内田君)。是は奇拔なやうだが昔から、家刀自の男たちに酒を頒つ作法の形であらうと思ふ。

19、ヨアケノモチ 羽後の大曲では婚禮の宴終る頃には夜が明けるが、其時餅を搗くのを夜明けの餅と謂ふ。此餅搗きの杵の音を聽かぬうちは、參列者は歸つてはならぬことになつて居る(田口松圃君)。

20、カドオクリ 播磨の美嚢郡では祝宴の夜が明けて客の歸途につく時、嫁は正裝して之を見送る。是を門送りといふ。客一同は門口で又飮む。それを門酒又草鞋酒といふ(郡誌)。

21、ワラジザケ 越後の高田でも、客の歸る際に、門口で嫁と聟とが、大きな徳利から注いで飮ませる酒を草鞋酒と謂つてゐる(婚姻號)。他の地方で酒を強ひるのをオタチといふのも是で、つまり既に出發の草鞋をはいてから、もう一つだけ飮ませるといふ意味であるが、出雲石見では嫁入の日の送り人足の歸つて行くものに、大盃で飮ませる酒だけをさう謂つて居り、一盃毎に草鞋一足づゝを與へる。大酒飮みの自信ある男が、腰中を草鞋だらけにして還つて來るのを見えにして居る(人類學雜誌二八卷六號)。

22、ネビキザ 沖繩の祝宴は友だちを招き、近所の親戚の家を借りて饗應する。之をネビキ座といふ。近年は嫁方でも女友を招く風が盛んになつた(比嘉君)。ネビキが私の想像する如く、メビキ即ち新婦を誘引して來ることであるならば、此祝宴が男方にばかり有つたのは不思議でない。

23、アトフキ 信州の北佐久では、盃事色直し後、徹夜の宴を張るをアトフキと謂ふ(郡誌)。地方によつては嫁を出した里方の方の酒宴をいひ、又旅立ちした者の後の酒盛りをもさう謂つたやうである。

24、ヲトコヨバレ 石川縣能美郡など、婚禮の翌日に嫁の父又は兄と親戚が聟方の親類と席を同じくして祝宴を開く。之を男招ばれと謂ふ(郡誌)。

25、カッテイリ 會津地方では嫁入の日、嫁と家内の者又は出入の者などとの盃がある。之を勝手入といふ由(若松市郷土誌)。嫁が入家後なほ數年の間、單に一家の遠慮深い族員として働くべきものであつたならば、斯ういふ盃事は實は不用であつた。嫁といふ者の地位の變遷を暗示する舊慣である。

26、コガラエ 岩手縣中部で、婚姻の式の翌々日、手傳の人々に餅を食はせることをいふ(民俗研究九號)。コガは桶のこと、桶洗ひは祝宴の完了を意味する。

27、マナイタザケ 是も會津地方で、嫁入の日、嫁の到着する以前に、先づ手傳の者に酒を飮ませるのを俎酒と謂つて居る(若松市郷土誌)。

28、ヲンナザンシュ 嫁取の翌日關係者の男たちに酒を饗するを殘酒といひ、次いで女客のみを招いて開く宴を女殘酒といふ土地がある(石川縣鹿島郡誌)。

29、マナイタタタキ 婚姻式後三日目又は五日目に、料理人給仕人などの爲に慰勞の宴を張ることを、熊本縣では俎叩きといふ處がある(下益城郡誌)。

30、マナイタアラヒ 播州の東部では、これを俎洗ひと謂つて居る。取合せの獻立で手傳の人たちを饗應し祝儀を出す(加東郡誌)。

31、ヤクツケブルマヒ 宮城縣の栗原郡では、もとは三日目に役付振舞と稱して酒宴を催すのが普通であつた(藤里村誌)。祝の日に色々の役に就いた人を犒ふ宴であつたらう。

(附記)略符説明

婚姻號=「旅と傳説」六卷一號、婚姻習俗號

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