8話 八
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用事に暇どつた為めに、灯がついてから程たつて鶴吉は帰つて来た。店には電灯がかん/\照つて居るが、茶の間はその光だけで間に合はして居た。その暗い処に母とお末とが離れ合つて孑然と坐つて居た。戸棚の側には哲が小掻巻にくるまつて、小さな鼾をかいて居た。鶴吉はすぐ又喧嘩があつたのだなと思つて、あたりさはりのない世間話に口を切つて見たが、母は碌々返事もしないで布巾をかけた精進の膳を出してすゝめた。見るとお末の膳にも手がつけてなかつた。
「お末何んだつて食べないんだ」
「食べたくないもの」
何んと云ふ可憐ななつッこい声だらうと鶴吉は思つた。
鶴吉は箸をつける前に立上つて、仏壇の前に行つて、小つぽけな白木の位牌に形ばかりの御辞儀をすると、しんみりとした淋しい気持になつた。余り気分が滅入るので、電灯をひねつて見た。ぱつと部屋は一時明るくなつて、哲が一寸眼を覚ましさうになつたが、そのまゝ又静まつて行つて淋しさが増すばかりだつた。
お末は黙つたまゝで兄の膳を流元にもつて行つて洗ひ出した。明日にしろと云つても、聴かないで黙つたまゝ洗つてしまつた。帰りがけに仏壇に行つて、灯心を代へて、位牌に一寸御辞儀をした。而して下駄をつッかけて店から外に出ようとする。
鶴吉は何んとなく胸騒ぎがして、お末の後から声をかけた。お末は外で、
「姉さん所に忘れた用があるから」
と云つて居た。鶴吉は急に怒りたくなつた。
「馬鹿、こんなに晩く行かなくとも、明日寝起きに行けばいゝぢやないか」
云つてる中に母に肩を持つて見せる気で、
「わがまゝな事ばかししやがつて」
と附け加へた。お末は素直に返つて来た。
三人とも寝てから鶴吉は「わがまゝな事ばかししやがつて」と云つた言葉が、どうしても云ひ過ぎのやうに思はれて、気になつてしかたがなかつた。お末はこちんと石のやうに押し黙つて、哲に添寝をして向うむきになつて居た。
外では今年の初雪が降つて居るらしく、めり込むやうな静かさの中に夜が更けて行つた。