7話 七
読み方を変える
「私、何うしたら可いでしょう。極りが悪うござんすわ。」
と婦は軽く呼吸を継いで、三味線の糸を弾くが如く、指を柱に刻みながら、
「私、お知己でもないお方をお呼び申して、極りが悪いものですから、何ですか、ひとりで慌てしまって、御茶台にも気が付きません。……そんな自分の湯呑でなんか。……失礼な、……まあ、何うしたら可うございましょうね。」
と襟を圧えて俯向いて、撥袋を取って背後に投げたが、留南奇の薫が颯として、夕暮の奇しき花、散らすに惜しき風情あり。辰吉は湯呑を片手に、
「何うしまして、結構です。難有う。そしてお師匠さん。貴女の芸にあやかりましょう。」
「存じません。」
と、また一刷毛瞼を染めつつ、
「人様御迷惑。蚊柱のように唸るんでございますもの、そんな湯呑には孑孑が居ると不可ません。お打棄りなさいましよ。唯今、別のを汲替えて差上げますから。」と片手をついて立構す。
辰吉は圧えるように、
「ああ、しばらく。貴女がそんな事をお言いなすっちゃ私は薬が服めなく成ります。この図体で、第一、宝丹を舐めようと云う柄じゃないんですもの。鯱や鯨と掴合って、一角丸を棒で噛ろうと云うまどろすじゃありませんか。」
婦が清い目で、口許に嬉しそうな笑を浮べ、流眄に一寸見て、
「まあ、そうしてお商売は、貴方。」
「船頭でさあね。」
「一寸! 池川さんのお遊び道具の、あの釣船ばかりお漕ぎ遊ばす……」
お師匠さんは御存じだ。
「雑と、人違いですよ。」と眦を伏せてぐっと呑んで、
「申兼ねましたが、もう一杯。丁ど咽喉が渇いて困っていた、と云う処です。」
艶なお師匠さんは、いそいそして、
「お出ばなにいたしましょうね。」
「薬を服みました後ですから、お湯の方が結構です――何ですか、お稽古は日が暮れてからですか。ああ、いや、それで結構。」
辰吉は錆のある粋な笑で、
「ははは、些と厚かましいようですな。」
「沢山おっしゃいまし。――否、最う片手間の、あの、些少の真似事でございます。」
「お呼び申せば座敷へも……?」
「可厭でございますねえ、貴方。」
と片手おがみの指が撓って、
「そんな御義理を遊ばしちゃ、それじゃ私申訳がありません。それで無くってさえ、お通りがかりをお呼び申して、真個に不躾だ、と極りが悪うございましてね、赫々逆上ますほどなんですもの。」
身を恥じるように言訳がましく、
「実は、あの、小婢を買ものに出しまして、自分でお温習でもしましょうか、と存じました処が、窓の貴方、荵の露の、大きな雫が落ちますように、螢が一つ、飛ぶのが見えたんでございますよ……」
「螢。」
と巽は、声に応じて言返した。
「はあ、時節は過ぎましたのを、つい、珍しい。それとも一ツ星の光るお姿か知ら、とそう思って立ったんですが、うっかり私、撥なんか持って、螢だったら、それで叩きますつもりだったんでしょうかねえ。そんな了簡で、螢なんて、蜻蛉か蝙蝠で沢山でございます。」
蜻蛉は寝たから御存じあるまい、軒前を飛ぶ蝙蝠が、べかこ、と赤い舌を出して、
「これは御挨拶だ。」
と飜然と行る。