浮舟

7話

1,256字 約3分 2018年10月13日 公開

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「私、何うしたら()いでしょう。(きま)りが悪うござんすわ。」

 と(おんな)は軽く呼吸(いき)を継いで、三味線(みすじ)の糸を弾くが如く、指を柱に刻みながら、

「私、お知己(ちかづき)でもないお方をお呼び申して、極りが悪いものですから、何ですか、ひとりで慌てしまって、御茶台にも気が付きません。……そんな自分の湯呑でなんか。……失礼な、……まあ、何うしたら()うございましょうね。」

 と襟を圧えて俯向(うつむ)いて、撥袋を取って背後(うしろ)に投げたが、留南奇(とめぎ)の薫が(さっ)として、夕暮の()しき花、散らすに惜しき風情あり。辰吉は湯呑を片手に、

「何うしまして、結構です。難有(ありがと)う。そしてお師匠さん。貴女の芸にあやかりましょう。」

「存じません。」

 と、また一刷毛瞼を染めつつ、

人様(ひとさま)御迷惑。蚊柱のように唸るんでございますもの、そんな湯呑には孑孑(ぼうふら)が居ると不可(いけ)ません。お打棄(うっちゃ)りなさいましよ。唯今、別のを汲替(とりか)えて差上げますから。」と片手をついて立構(たちがまえ)す。

 辰吉は(おさ)えるように、

「ああ、しばらく。貴女(あなた)がそんな事をお言いなすっちゃ私は薬が()めなく成ります。この図体(ずうたい)で、第一、宝丹を舐めようと云う柄じゃないんですもの。(しゃち)や鯨と掴合って、一角丸(ウニコオル)を棒で噛ろうと云うまどろすじゃありませんか。」

 (おんな)(すずし)い目で、口許に嬉しそうな笑を浮べ、流眄(ながしめ)一寸(ちょっと)見て、

「まあ、そうしてお商売は、貴方。」

「船頭でさあね。」

「一寸! 池川さんのお遊び道具の、あの釣船ばかりお漕ぎ遊ばす……」

 お師匠さんは御存じだ。

(ざっ)と、人違いですよ。」と(まなじり)を伏せてぐっと呑んで、

申兼(もうしか)ねましたが、もう一杯。(ちょう)ど咽喉が渇いて困っていた、と云う処です。」

 艶なお師匠さんは、いそいそして、

「お出ばなにいたしましょうね。」

「薬を()みました後ですから、お湯の方が結構です――何ですか、お稽古は日が暮れてからですか。ああ、いや、それで結構。」

 辰吉は錆のある粋な(わらい)で、

「ははは、()と厚かましいようですな。」

沢山(たんと)おっしゃいまし。――(いいえ)()う片手間の、あの、些少(ほん)の真似事でございます。」

「お呼び申せば座敷へも……?」

可厭(いや)でございますねえ、貴方。」

 と片手おがみの指が(しな)って、

「そんな御義理を遊ばしちゃ、それじゃ私申訳がありません。それで無くってさえ、お通りがかりをお呼び申して、真個(ほんとう)不躾(ぶしつけ)だ、と極りが悪うございましてね、赫々(かっかっ)逆上(のぼせ)ますほどなんですもの。」

 身を恥じるように言訳がましく、

「実は、あの、小婢(こども)を買ものに出しまして、自分でお温習(さらい)でもしましょうか、と存じました処が、窓の貴方、(しのぶ)の露の、大きな雫が落ちますように、螢が一つ、飛ぶのが見えたんでございますよ……」

「螢。」

 と巽は、声に応じて言返した。

「はあ、時節は過ぎましたのを、つい、珍しい。それとも一ツ星の光るお姿か知ら、とそう思って立ったんですが、うっかり私、撥なんか持って、螢だったら、それで叩きますつもりだったんでしょうかねえ。そんな了簡で、螢なんて、蜻蛉(とんぼ)蝙蝠(こうもり)で沢山でございます。」

 蜻蛉は寝たから御存じあるまい、軒前を飛ぶ蝙蝠が、べかこ、と赤い舌を出して、

「これは御挨拶だ。」

 と飜然(ひらり)()る。

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