夫人利生記

1話 夫人利生記(1)

4,643字 約9分 2008年11月25日 公開

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 瑠璃色(るりいろ)に澄んだ中空(なかぞら)()の間から、竜が円い口を張開いたような、釣鐘の影の(なか)で、(そっ)と、美麗な(おんな)の――人妻の――写真を()た時に、樹島(きじま)は血が冷えるように悚然(ぞっ)とした。……

 山の根から()いて流るる、ちょろちょろ水が、ちょうどここで(いせき)を落ちて、(たた)えた底に、上の鐘楼の影が映るので、釣鐘の清水と言うのである。

 町も場末の、細い道を、たらたらと下りて、ずッと低い処から、また山に向って(こみち)の坂を(うね)って上る。その窪地(くぼち)に当るので、浅いが谷底になっている。一方はその鐘楼を高く乗せた丘の(がけ)で、もう秋の末ながら雑樹が茂って、からからと乾いた葉の中から、昼の月も、鐘の星も映りそうだが、別に札を建てるほどの名所でもない。

 居まわりの、板屋、藁屋(わらや)の人たちが、大根も洗えば、菜も洗う。(ねぎ)の枯葉を掻分(かきわ)けて、洗濯などするのである。で、竹の(かけひ)山笹(やまざさ)の根に掛けて、(ながれ)の落口の(ほか)に、小さな滝を仕掛けてある。()んで飲むものはこれを飲むがよし、(なが)めるものは、()るがよし、すなわち清水の名聞(みょうもん)が立つ。

 (こみち)を挟んで、水に臨んだ一方は、人の小家(こいえ)背戸畠(せどばたけ)で、大根も葱も植えた。竹のまばら垣に藤豆の花の紫がほかほかと咲いて、そこらをスラスラと飛交わす紅蜻蛉(あかとんぼ)の羽から、……いや、その羽に乗って、糸遊、陽炎(かげろう)という光ある幻影(まぼろし)が、春の(たけなわ)なるごとく、浮いて遊ぶ。……

 一時間ばかり前の事。――樹島は背戸畑の崩れた、この日当りの土手に腰を掛けて憩いつつ、――いま言う――その写真のぬしを(しょう)のもので見たのである。

 その前に、(かれ)は母の実家(さと)檀那寺(だんなでら)なる、この(あたり)の寺に墓詣(はかまいり)した。

 俗に赤門寺と云う。……門も朱塗だし、金剛神を安置した右左の像が()であるから、いずれにも通じて呼ぶのであろう。住職も智識の聞えがあって、寺は名高い。

 仁王門の柱に、大草鞋(おおわらじ)が――中には立った大人の胸ぐらいなのがある――(かさな)って、稲束の木乃伊(みいら)のように(かか)っている事は、(かれ)小児(こども)の時に見知ったのも、今もかわりはない。緒に結んだ(さま)に、小菊まじりに、俗に坊さん花というのを挿して供えたのが――あやめ草あしに結ばむ――「奥の細道」の趣があって、(すこやか)なる神の、草鞋を飾る花たばと見ゆるまで、日に輝きつつも、何となく旅情を催させて、故郷(ふるさと)なれば可懐(なつか)しさも身に()みる。

 峰の松風が遠く(しずか)に聞えた。

 庫裡(くり)音信(おとず)れて、お墓経をと頼むと、気軽に取次がれた住職が、納所(なっしょ)とも小僧ともいわず、すぐに下駄ばきで卵塔場へ出向わるる。

 かあかあと、(からす)が鳴く。……墓所(はかしょ)は日陰である。(こけ)に惑い、露に(すべ)って、樹島がやや(あわただ)しかったのは、余り身軽に和尚どのが、すぐに先へ立って出られたので、十八九年不沙汰(ぶさた)した、塔婆の中の草径(くさみち)を、志す石碑に迷ったからであった。

 紫袱紗(ふくさ)輪鉦(りん)を片手に、

誰方(どなた)の墓であらっしゃるかの。」

 少々(きまり)が悪く、……姓を言うと、

「おお、いま立っていさっしゃるのが、それじゃがの。」

「御不沙汰をいたして済みません。」

 黙って俯向(うつむ)いて線香を供えた。細い煙が、裏すいて乱るるばかり、墓の落葉は(うずたか)い。湿った青苔に蝋燭(ろうそく)(ささ)って、揺れもせず、燐寸(マッチ)でうつした灯がまっ(すぐ)に白く()った。

 チーン、チーン。――かあかあ――と鴉が鳴く。

 やがて、読誦(どくじゅ)の声を(とど)めて、

「お志の御回向(えこう)はの。」

「一同にどうぞ。」

「先祖代々の諸精霊……願以此功徳無量壇波羅蜜(がんいしくどくむりょうだんはらみつ)具足円満(ぐそくえんまん)平等利益(びようどうりやく)――南無妙(なむみょう)……此経難持(しきょうなんじ)若暫持(にゃくざんじ)我即歓喜(がそくかんぎ)……一切天人皆応供養(いっさいてんにんかいおうくよう)。――」

 チーン。

「ありがとう存じます。」

「はいはい。」

「御苦労様でございました。」

「はい。」

 と、(そで)に取った輪鉦形(りんなり)(ひじ)をあげて、打傾きざまに、墓参の男を(じっ)()て、

「多くは故人になられたり、他国をなすったり、久しく、御墓参の方もありませぬ。……あんたは御縁辺であらっしゃるかの。」

「お上人様。」

 (すそ)冷く、鼻じろんだ顔を上げて、

「――母の父母(ふたおや)、兄などが、こちらにお世話になっております。」

「おお、」と片足、胸とともに引いて、見直して、

「これは樹島の御子息かい。――それとなくおたよりは聞いております。何よりも御機嫌での。」

御僧様(あなたさま)こそ。」

「いや、もう年を取りました。知人(しりびと)は皆二代、また孫の()じゃ。……しかし立派に御成人じゃな。」

「お恥かしゅう存じます。」

「久しぶりじゃ、ちと庫裡(あれ)へ。――渋茶なと進ぜよう。」

「かさねまして、いずれ伺いますが、旅さきの事でございますし、それに御近所に参詣(おまいり)をしたい処もございますから。」

「ああ、まだお娘御のように見えた、若い母さんに手を()かれてお参りなさった、――あの、摩耶夫人(まやぶにん)の御寺へかの。」

 なき、その母に手を曳かれて、小さな身体(からだ)は、春秋(はるあき)の蝶々蜻蛉に乗ったであろう。夢のように覚えている。

「それはそれは。」

 と(うなず)いて、

「また、今のほどは、御丁寧に――早速御仏前へお料具を申そう。――御子息、それならば、お(しずか)に。……ああ、上のその木戸はの、錠、鍵も、がさがさと壊れています。開けたままで(よろ)しい。あとで寺男(おとこ)が直しますでの。石段が欠けて草蓬々(ぼうぼう)じゃ、堂前へ上らっしゃるに気を着けなされよ。」

 この卵塔は窪地である。

 石を四五壇、せまり伏す枯尾花に(ねずみ)法衣(ころも)の隠れた時、ばさりと音して、塔婆近い枝に、山鴉が下りた。葉がくれに天狗(てんぐ)の枕のように見える。蝋燭(ろうそく)(ついば)もうとして、人の立去るのを待つのである。

 ()(くわ)えると、大概は山へ飛ぶから間違(まちがい)はないのだが、怪我(けが)に屋根へ落すと、草葺(くさぶき)が多いから過失(あやまち)をしでかすことがある。樹島は心得て吹消した。線香の煙の中へ、色を(うす)く分けてスッと蝋燭の香が立つと、かあかあと(たま)らなそうに鳴立てる。羽音もきこえて、声の若いのは、仔烏(こがらす)らしい。

「……お(あが)り。」

 それも供養になると聞く。ここにも一羽、とおなじような色の外套(がいとう)に、洋傘(こうもり)を抱いて、ぬいだ中折帽(なかおれ)を持添えたまま(むぐら)の中を出たのであった。

 赤門寺に限らない。あるいは丘に、坂、谷に、(こみち)を縫う右左、町家(まちや)が二三軒ずつ門前にあるばかりで、ほとんど寺つづきだと言っても()い。赤門には清正公が祭ってある。北辰妙見(ほくしんみょうけん)の宮、摩利支天の御堂(みどう)、弁財天の(ほこら)には名木の紅梅の枝垂(しだ)れつつ咲くのがある。明星の丘の毘沙門天(びしゃもんてん)。虫歯封じに(はし)を供うる辻の坂の地蔵菩薩(じぞうぼさつ)。時雨の如意輪観世音。笠守(かさもり)の神。日中(ひなか)(ふくろう)が鳴くという森の奥の虚空蔵堂。――

 清水の真空(まそら)の高い丘に、鐘楼を営んだのは、寺号は別にあろう、皆梅鉢寺と覚えている。石段を()じた境内の桜のもと、分けて鐘楼の(いしずえ)のあたりには、高山植物として、こうした町近くにはほとんどみだされないと(とな)うる処の、梅鉢草が不思議に咲く。と言伝えて、申すまでもなく、学者が見ても、ただ心ある大人が見ても、類は違うであろうけれども、五弁の小さな白い花を摘んで、小児(こども)たちは嬉しがったものである。――もっとも(とお)ぐらいまでの小児が、家からここへ来るのには、お弁当が入用(いりよう)だった。――それだけに思出がなお深い。

 いま咲く草ではないけれども、土の香を親しんで。……樹島は赤門寺を出てから、仁王尊の大草鞋(おおわらじ)を船にして、寺々の(ちまた)()ぐように、秋日和の巡礼街道。――一度この鐘楼に上ったのであったが、()じるに急だし、汗には且つなる、地内はいずれ仏神の垂跡(すいじゃく)に面して身がしまる。

 旅のつかれも、ともに、(ほっ)と一息したのが、いま清水に向った大根畑の(へり)であった。

 ……遅めの午飯(ひる)に、――潟で()れる――わかさぎを焼く(におい)が、淡く遠くから匂って来た。暖か過ぎるが雨にはなるまい。赤蜻蛉の羽も、もみじを(ちら)して、青空に透通る。鐘は高く竜頭(りゅうず)に薄霧を()いて(かか)った。

 清水から一坂上り口に、(まき)、漬もの(おけ)石臼(いしうす)なんどを投遣(なげや)りにした物置の破納屋(やれなや)が、炭焼小屋に見えるまで、あたりは(しずか)に、人の往来(ゆきき)はまるでない。

 月の()はこの納屋の屋根から霜になるであろう。その石臼に(すが)って、嫁菜の咲いたも可哀(あわれ)である。

 ああ、桶の(たが)に尾花が乱るる。この(うらら)かさにも秋の寂しさ……

 樹島は歌も句も思わずに、畑の土を、外套(がいとう)の背にずり(すべ)って、半ば寝つつも、金剛神の草鞋(わらじ)に乗った心持に恍惚(うっとり)した。

 ふと鳥影が……影が()した。そこに、つい目の(さき)に、しなやかな(おんな)が立った。何、……紡績らしい(かすり)の一枚着に、めりんす友染と、繻子(しゅす)幅狭(はばぜま)な帯をお太鼓に、上から(ひも)でしめて、()せた桃色の襷掛(たすきが)け……などと言うより、(かいな)露呈(あらわ)に、(ひじ)を一杯に張って、片脇に(たらい)を抱えた……と言う方が早い。洗濯をしに来たのである。道端の細流(ほそながれ)で洗濯をするのに、なよやかなどと言う姿はない。――ないのだが、見ただけでなよやかで、(たらい)に力を入れた手が、霞を溶いたように見えた。白やかな(はだ)(とお)して、骨まで美しいのであろう。しかも、素足に冷めし草履を穿()いていた。近づくのに、音のしなかったのも(うなず)かれる。

 (おんな)は、水ぎわに立停(たちど)まると、洗濯盥――盥には道草に手打(たお)ったらしい、嫁菜が一束挿してあった――それを石の上へこごみ腰におろすと、すっと柳に立直った。日あたりを()けて来て、且つ汗ばんだらしい、(あね)さん(かぶ)りの手拭(てぬぐい)を取って、額よりは頸脚(えりあし)を軽く()いた。やや俯向(うつむ)けになった(うなじ)は雪を欺く。……手拭を口に(くわ)えた時、それとはなしに、(おもて)を人に打蔽(うちおお)う風情が見えつつ、眉を優しく、(ななめ)だちの横顔、瞳の濡々(ぬれぬれ)と黒目がちなのが、ちらりと樹島に移ったようである。(さっ)睫毛(まつげ)を濃く俯目(ふしめ)になって、(えり)のおくれ毛を肱白く掻上げた。――漆にちらめく雪の蒔絵(まきえ)の指さきの沈むまで、黒く(ふっさ)りした髪を、耳許(みみもと)清く引詰(ひッつ)めて櫛巻(くしまき)に結っていた。年紀(とし)は二十五六である。すぐに、手拭を帯に挟んで――岸からすぐに俯向くには、手を差伸(さしのば)しても、(ながれ)は低い。石段が出来ている。苔も草も露を引いて皆青い。それを下りさまに、ふと猶予(ためら)ったように見えた。ああ、これは心ないと、見ているものの心着く時、(つま)を取って高く端折(はしょ)った。(おんな)は誰も長襦袢(ながじゅばん)を着ているとは限らない。ただ一重の布も、膝の下までは蔽わないで、小股をしめて、色薄く(くび)りつつ、太脛(ふくらはぎ)が白く(なめら)かにすらりと長く(ながれ)に立った。

 ひたひたと(まつわ)る水とともに、ちらちらと(くれない)に目を遮ったのは、(さかさま)に映るという釣鐘の竜の炎でない。脱棄(ぬぎす)てた草履に早く戯るる一羽の赤蜻蛉の影でない。崖のくずれを雑樹また(やぶ)の中に、月夜の骸骨(がいこつ)のように朽乱れた古卒堵婆(ふるそとば)のあちこちに、燃えつつ曼珠沙華(まんじゅしゃげ)が咲残ったのであった。

 (おんな)は人間離れをして(うつく)しい。

 この時、久米の仙人を思出して、苦笑をしないものは、われらの中に多くはあるまい。

 仁王の草鞋の船を落ちて、樹島は腰の土を払って立った。(つら)はいつの間にか伸びている。

「失礼ですが、ちょっと伺います――旅のものですが。」

「は、」

蓮行寺(れんぎょうじ)と申しますのは?」

「摩耶夫人様のお寺でございますね。」

 その声にきけば、一層奥ゆかしくなおとうとい利天(とうりてん)の貴女の、さながらの(おん)かしずきに対して、(かれ)は思わず一礼した。

 (おんな)はちょうど(かけひ)の水に、嫁菜の茎を手すさびに浸していた。浅葱(あさぎ)(しずく)する花を(たて)に、破納屋(やれなや)上路(のぼりみち)を指して、

「その坂をなぞえにお上りなさいますと、――戸がしまっておりますが、二階家が見えましょう。――ね、その奥に、あの黒く茂りましたのが、虚空蔵様のお寺でございます。ちょうどその前の処が、青く(あかる)くなって、ちらちらもみじが見えますわね……あすこが摩耶夫人様でございます。」

「どうもありがとう――尋ねたいにも人通りがないので困っていました。――お庇様(かげさま)で……」

「いいえ……まあ。」

「御免なさい。」

「お(しずか)におまいりをなさいまし……御利益がございますわ。」

 と、嫁菜の花を口許(くちもと)に、(まぶた)をほんのり莞爾(にっこり)した。

 ――この婦人(おんな)の写真なのである。

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