夫人利生記

2話 夫人利生記(2)

7,320字 約15分 2008年11月25日 公開

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 写真は、蓮行寺の摩耶夫人の御堂(みどう)の壇の片隅に、千枚の歌留多(かるた)を乱して積んだような写真の中から見出(みいだ)された。たとえば千枚千人の婦女が、一人ずつ皆嬰児(あかご)を抱いている。お産の祈願をしたものが、礼詣りに供うるので、すなわち活きたままの絵馬である。胸に抱いたのも、膝に据えたのも、中には背に(おんぶ)したまま、両の()を合せたのもある。が、胸をはだけたり、乳房を含ませたりしたのは、さすがにないから、何も(おお)わず、写真はあからさまになっている。しかし、(おんな)ばかりの心だしなみで、いずれも伏せてある事は言うまでもない。

 この写真が、いま言った百人一首の歌留多のように見えるまで、御堂は、金碧蒼然(きんぺきそうぜん)としつつ、漆と朱の光を沈めて、月影に青い(にしき)を見るばかり、(おごそか)(ただ)しく、清らかである。

 御厨子(みずし)の前は、縦に二十間がほど、五壇に組んで、(くれない)(はかま)白衣(びゃくえ)の官女、烏帽子(えぼし)素袍(すおう)の五人囃子(ばやし)のないばかり、きらびやかなる調度を、黒棚よりして、膳部(ぜんぶ)(ながえ)の車まで、金高蒔絵(きんたかまきえ)、青貝を(ちりば)めて隙間なく並べた雛壇(ひなだん)に較べて()い。ただ緋毛氈(ひもうせん)のかわりに、敷妙(しきたえ)の錦である。

 ことごとく、これは土地の大名、城内の縉紳(しんしん)、豪族、富商の奥よりして供えたものだと聞く。家々の紋づくしと見れば可い。

 天人の舞楽、合天井の紫のなかば、古錦襴(こきんらん)天蓋(てんがい)の影に、黒塗に千羽鶴の蒔絵をした壇を据えて、紅白、一つおきに布を積んで、(なまめ)かしく(うずたか)い。皆新しい腹帯である。志して(もう)でた日に、折からその(くれない)の時は女の()、白い時は男の児が産れると伝えて、順を乱すことをしないで受けるのである。

 右左に(おおき)な花瓶が(すわ)って、ここらあたり、花屋およそ五七軒は、(かこい)の穴蔵を払ったかと思われる見事な花が夥多(おびただ)しい。白菊黄菊、大輪の中に、桔梗(ききょう)がまじって、女郎花(おみなえし)のまだ枯れないのは、功徳の水の恵であろう、末葉(うらは)も落ちず露がしたたる。

 時に、腹帯は紅であった。

 (かれ)が詣でた時、蝋燭(ろうそく)が二(ちょう)(とも)って、その腹帯台の(かたわら)に、老女が一人、若い円髷(まるまげ)のと(むつま)じそうに拝んでいた。

 しばらくして、戸口でまた珠数を揉頂(もみいただ)いて、老女が(さき)に、その二人が帰ったあとは、本堂、脇堂にも誰も居ない。

 ここに(ちゅう)しておく。都会にはない事である。このあたりの寺は、どこにも、へだて、戸じまりを置かないから、朝づとめよりして夕暮までは、諸天、諸仏。――中にも(しか)く端麗なる貴女の奥殿に伺候(しこう)するに、門番、諸侍の面倒はいささかもないことを。

 寺は法華宗である。

 祖師堂は典正なのが同一棟(ひとつむね)に別にあって、幽厳なる夫人(ぶにん)(びょう)よりその御堂(みどう)へ、細長い古畳が欄間の黒い(にじ)を引いて続いている。……広い廊下は、霜のように(つめと)うして、虚空蔵の森をうけて寂然(じゃくねん)としていた。

 風すかしに細く開いた琴柱窓(ことじまど)の一つから、森を離れて、松の樹の姿のいい、赤土山の峰が見えて、色が秋の日に白いのに、向越(むこうごし)の山の根に、きらきらと一面の姿見の光るのは、遠い湖の一部である。此方(こなた)(ふもと)に薄もみじした中腹を(ゆる)(めぐ)って、()の字の形に一つ(うね)った青い水は、町中を流るる川である。町の上には霧が(かか)った。その霧を()いて、青天に(そび)えたのは昔の城の天守である。

 聞け――時に、この虹の欄間に掛けならべた、押絵の有名な額がある。――いま天守を叙した、その城の奥々の婦人たちが丹誠を(こら)した細工である。

 万亭応賀の作、豊国(えがく)。錦重堂板の草双紙、――その頃江戸で出版して、文庫蔵が建ったと伝うるまで世に行われた、釈迦八相倭文庫(しゃかはっそうやまとぶんこ)挿画(さしえ)のうち、摩耶夫人の(おん)ありさまを、絵のまま羽二重と、友染と、(あや)、錦、また珊瑚(さんご)をさえ(ちりば)めて肉置の押絵にした。……

 浄飯王(じょうぼんおう)が狩の道にて――天竺(てんじく)天臂城(てんぴじょう)なる豪貴の長者、善覚の妹姫が、姉君矯曇弥(きょうどんみ)とともに、はじめて(まみ)ゆる処より、優陀夷(うだい)が結納の使者に立つ処、のちに、矯曇弥が嫉妬(しっと)の処。やがて夫人が、一度(ひとたび)、幻に未生(みしょう)のうない子を、病中のいためる御胸(おんむね)に、(いだ)きしめたまう姿は、見る目にも痛ましい。その肩にたれつつ、みどり児の(うなじ)(おお)う優しき黒髪は、いかなる女子のか、活髪(いきがみ)をそのままに植えてある。……

 われら町人の爺媼(じいばば)風説(うわさ)であろうが、矯曇弥の呪詛(のろい)の押絵は、城中の奥のうち、御台、正室ではなく、かえって当時の、側室、愛妾(あいしょう)の手に成ったのだと言うのである。しかも、その側室は、絵をよくして、押絵の面描(かおかき)は皆その彩筆に成ったのだと聞くのも意味がある。

 夫人の姿像のうちには、胸ややあらわに、あかんぼのお釈迦様を(いだ)かるるのがあるから、――(はばか)りつつも謹んで()おう。

 ここの押絵のうちに、夫人が姿見のもとに、黒塗の蒔絵の(たらい)を取って手水(ちょうず)を引かるる一面がある。真珠を雪に包んだような、白羽二重で、膚脱(はだぬぎ)御乳(おんち)のあたりを()ってある。肩も背も半身の(はだえ)あらわにおわする。

 (きば)の六つある大白象(だいびゃくぞう)の背に騎して、兜率天(とそつてん)よりして雲を下って、白衣の夫人の寝姿の夢まくらに立たせたまう一枚のと、一面やや大なる額に、かの藍毘尼園中(らんびにおんちゅう)、池に青色(せいしょく)蓮華(れんげ)の開く処。無憂樹(むうじゅ)の花、色香鮮麗(せんれい)にして、夫人が無憂の花にかざしたる右の手のその袖のまま、釈尊降誕の一面とは、ともに城の正室の細工だそうである。

 面影も、色も靉靆(たなび)いて、欄間の雲に浮出づる。影はささぬが、香にこぼれて、後にひかえつつも、畳の足はおのずから爪立(つまだ)たれた。

 畳廊下を引返しざまに、敷居を出る。……夫人廟(ぶにんびょう)の壇の端に、その写真の数々が重ねてあった。

 押絵のあとに、時代を違えた、写真を(のぞ)くのも学問である。

 清水に洗濯した美女の写真は、ただその四五枚めに早く目に着いた。円髷(まるまげ)にこそ結ったが、羽織も着ないで、女の()らしい嬰児(みどりご)(いだ)いて、写真屋の椅子にかけた(かたち)は、寸分の違いもない。

 こうした写真は、公開したもおなじである。産の安らかさに、児のすこやかさに、いずれ願ほどにあやかるため、その一枚を選んで借りて、ひそかに持帰る事を許されている。ただし遅速はおいて、複写して、夫人の(おん)人々御中に返したてまつるべき事は言うまでもなかろう。

 今日は方々にお賽銭(さいせん)が多い。道中の心得に、新しく調えた懐中に半紙があった。

 目の露したたり、口許(くちもと)(ほころ)びそうな、写真を取って、思わず、四辺(あたり)を見て半紙に包もうとした。

 トタンに人気勢(ひとけはい)がした。

 樹島はバッとあかくなった。

 猛然として憶起(おもいおこ)した事がある。八歳(やッつ)か、九歳(ここのつ)の頃であろう。雛人形(ひなにんぎょう)()きている。雛市は弥生(やよい)ばかり、たとえば古道具屋の店に、その姿があるとする。……心を()めて、じっと凝視(みつめ)るのを、毎日のように、およそ七日十日に及ぶと、思入ったその雛、その人形は、莞爾(にっこり)と笑うというのを聞いた。――時候は覚えていない。小学校へ通う大川の橋一つ越えた町の中に、古道具屋が一軒、店に大形の女雛(めびな)ばかりが一体あった。(ろうた)けた美しさは註するに及ぶまい。――樹島は学校のかえりに(きま)って、半時ばかりずつ(じっ)と凝視した。

 目は、三日四日めから、もう動くようであった。最後に、その唇の、幽冥(ゆうめい)の境より霞一重に暖かいように莞爾(にっこり)した時、小児(こども)はわなわなと手足が震えた。同時である。中仕切の暖簾(のれん)を上げて、姉さんだか、小母さんだか、綺麗(きれい)な、容子(ようす)のいいのが、すっと出て来て、「坊ちゃん、あげましょう。」と云って、待て……その雛ではない。定紋つきの塗長持の上に据えた()(はかま)の雛のわきなる柱に、矢をさした(うつぼ)と、細長い瓢箪(ひょうたん)と、霊芝(れいし)のようなものと一所に掛けてあった、――さ、これが変だ。のちに思っても可思議(ふしぎ)なのだが、……くれたものというと払子(ほっす)に似ている、木の柄が、草石蚕(ちょうろぎ)のように巻きぼりして、蝦色(えびいろ)に塗ってあるさきの処に、一尺ばかり革の紐がばらりと一束ついている。絵で見た大将が持つ采配(さいはい)を略したような、何にするものだか、今もって(わか)らない。が、町々辻々に、小児(こども)という小児が、皆おもちゃを持って、振ったり、廻したり、(くう)(はた)いたりして飛廻った。半年ばかりですたれたが、一種の物妖(ぶつよう)(とな)えて()かろう。持たないと、生効(いきがい)のないほど欲しかった。が樹島にはそれがなかった。それを、夢のように与えられたのである。

 橋の上を振廻して、空を切って駈戻(かけもど)った。が、考えると、……化払子(ばけほっす)に尾が生えつつ、宙を飛んで追駈(おっか)けたと言わねばならない。母のなくなった、一周忌の年であった。

 父は()の手の化ものを見ると青くなって震えた。小遣銭をなまで持たせないその児の、盗心(ぬすみごころ)を疑って、怒ったよりは恐れたのである。

 真偽を道具屋にたしかめるために、祖母がついて、大橋を渡る半ばで、母のおくつきのある山の峰を、孫のために拝んだ、小児(こども)も小さな両手を合せた。この時の(ながれ)の音の可恐(おそろし)さは大地が裂けるようであった。「ああ、そうとは知りませぬ。――小児衆の頑是ない、欲しいものは欲しかろうと思うて進ぜました。……毎日見てござったは雛じゃったか。――それはそれは。……この雛はちと大金(たいまい)のものゆえに、進上は申されぬ――お邪魔でなくばその玩弄品(おもちゃ)は。」と、(しか)と祖母に向って、道具屋が言ってくれた。が、しかし、その時のは綺麗な姉さんでも小母さんでもない。不精髯(ぶしょうひげ)胡麻塩(ごましお)親仁(おやじ)であった。と、ばけものは、人の(よく)()いて邪心を追って来たので、(やさし)(ひと)幻影(まぼろし)ばかり。道具屋は、(おさな)いのを(あわ)れがって、嘘で(かば)ってくれたのであろうも知れない。――思出すたびに空恐ろしい気がいつもする。

 ――おなじ(おもい)が胸を打った。同時であった、――人気勢(ひとけはい)がした。――

 御廟子(みずし)の裏へ通う板廊下の正面の、(すだれ)すかしの観音びらきの()が半ば開きつつ薄明(うすあかる)い。……それを(ななめ)にさし(のぞ)いた、半身の気高い婦人がある。白衣に緋を重ねた姿だと思えば、通夜の籠堂(こもりどう)に居合せた女性(にょしょう)であろう。小紋の小袖に丸帯と思えば、寺には、よき人の嫁ぐならいがある。――あとで思うとそれも(おぼろ)である。あの、幻の道具屋の、綺麗な(ひと)のようでもあったし、裲襠姿振袖(うちかけすがたふりそで)の額の押絵の一体のようにも思う。……

 瞬間には、ただ見られたと思う心を、棒にして、前後も左右も顧みず、衝々(つつ)と出、その(もすそ)に両手をついて(ひざまず)いた。

「小児は影法師も(さずか)りません。……ただあやかりとう存じます。――写真は……拝借出来るのでございましょうか。」

 舌はここで(ただ)れても、よその女を恋うるとは言えなかったのである。

「どの、お写真。」

 と(ほがらか)に、しっとり聞えた。およそ、(たえ)なるものごしとは、この時言うべき(ことば)であった。

「は、」

 と載せたまま白紙(しらかみ)を。

「お持ちなさいまし。」

 あなたの手で、スッと(かす)かな、……二つに折れた半紙の音。

「は、は。」

 と額に押頂くと、得ならず(えん)なるものの(かおり)に、魂は(くう)になりながら、恐怖(おそれ)(はじ)とに、(かれ)は、ずるずると膝で退(さが)った。

 よろりと立つ時、うしろ姿がすっと隠れた。

 外套も帽も引掴(ひッつか)んで、(きざはし)を下りる、足が(すべ)る。そこへ身体(からだ)ごと包むような、金剛神の草鞋(わらじ)の影が、髣髴(ほうふつ)として(あらわ)れなかったら、渠は、この山寺の石の壇を、(こみち)転落(ころげお)ちたに相違ない。

 雛の微笑(ほほえみ)さえ、蒼穹(あおぞら)に、目に(うか)んだ。金剛神の大草鞋は、宙を踏んで、渠を坂道へ()り落した。

 清水の向畠(むこうはた)のくずれ土手へ、萎々(なえなえ)となって腰を()いた。前刻の(おんな)は、勿論の事、もう居ない。が、まだいくらほどの時も()たぬと見えて、人の来て()むものも、菜を洗うものもなかったのである。

 ほかほかとおなじ日向(ひなた)に、藤豆の花が目を円く渠を見た。……あの草履を(なぶ)ったのが(うらやま)しい……赤蜻蛉が笑っている。

「見せようか。」

 仰向(あおむ)けに、鐘を見つつ、そこをちらちらする蜻蛉に向って、自棄(やけ)に言った。

「いや、……自分で拝もう。」

 時に青空に霧をかけた釣鐘が、たちまち黒く頭上を蔽うて、破納屋(やれなや)の石臼も(まなこ)が窪み口が欠けて髑髏(しゃりこうべ)のように見え、曼珠沙華(まんじゅしゃげ)も鬼火に燃えて、四辺(あたり)真暗(まっくら)になったのは、(めくるめ)く心地がしたからである。――いかに、いかに、写真が歴々(ありあり)と胸に抱いていた、毛糸帽子、麻の葉鹿の子のむつぎの嬰児(あかんぼ)が、美女の袖を消えて、(ぬぐ)って()ったように、なくなっていたのであるから。

 樹島はほとんど目をつむって、ましぐらに摩耶夫人の御堂に駈戻(かけもど)った。あえて目をつむってと言う、金剛神の草鞋が、彼奴(きゃつ)の尻をたたき戻した事は言うまでもない。

 夫人の壇に戻し参らせた時は、伏せたままでソと置いた。嬰児(あかんぼ)が、再び写真に戻ったかどうかは、疑うだけの勇気はなかったそうである。

「いや、何といたしまして。……棚に、そこにござります。金、極彩色の、……は、そちらの素木彫(しらきぼり)の。……いや、何といたして、古人の名作。ど、ど、どれも諸家様の御秘蔵にござりますが、少々ずつ修覆をいたす処がありまして、お預り申しておりますので。――はい、店口にござります、その紫の袈裟(けさ)を召したのは(てまえ)が刻みました。祖師のお(すがた)でござりますが、喜撰法師のように見えます処が、(わざ)の至りませぬ、不束(ふつつか)ゆえで。」

 と、淳朴(じゅんぼく)な仏師が、やや(ども)って口重く、まじりと言う。

 しかしこれは、工人の器量を試みようとして、棚の壇に飾った仏体に対して(こころみ)に聞いたのではない。もうこの時は、樹島は既に摩耶夫人の像を依頼したあとだったのである。

 一山に寺々を構えた、その一谷(ひとたに)を町口へ出はずれの窮路、陋巷(ろうこう)といった細小路で、むれるような湿気のかびの一杯に(にお)う中に、(ぷん)白檀(びゃくだん)(かおり)が立った。小さな仏師の家であった。

 一小間(ひとこま)硝子(がらす)を張って、小形の仏龕(ぶつがん)、塔のうつし、その祖師の(かたち)などを並べた下に、年紀(としごろ)はまだ若そうだが、額のぬけ上った、そして円顔で、眉の濃い、目の柔和な男が、道の向うさがりに大きな塵塚(ちりづか)に対しつつ、口をへの字(なり)に結んで泰然として、胡坐(あぐら)で細工盤に向っていた。「少々拝見を、」と云って、樹島は(しずか)に土間へ入って、――あとで聞いた預りものだという(ぶつ)菩薩(ぼさつ)の種々相を礼しつつ、「ただ試みに承りたい。(おおき)なこのくらいの(すがた)を一体は。」とおおよその値段を当った。――冷々(ひやひや)とした侘住居(わびずまい)である。木綿縞(もめんじま)膝掛(ひざかけ)を払って、筒袖のどんつくを着た膝を(すわ)り直って、それから挨拶した。そッときいて、……内心恐れた工料の、心づもりよりは五分の一だったのに(いきおい)を得て、すぐに一体を(あつら)えたのであった。――

「……なれども、おみだしに預りました御註文……別して東京へお持ちになります事で、なりたけ、丹、丹精を(ぬき)んでまして。」

 と(ども)って言う。

「あなた、仏様に御丹精は、それは実に結構ですが、お礼がお礼なんですから、お骨折ではかえって恐縮です。……それに、……唯今(ただいま)も申しました通り、然るべき仏壇の用意もありません。勿体なくありません限り、床の間か、戸袋の上へでもお据え申そうと思いますから、かたがた草双紙風俗(ふう)にとお願い申したほどなんです。――本式ではありません。利天(とうりてん)のお姿では勿体ないと思うのですから。……お心安く願います。」

「はい、一応は心得ましてござります。なお念のために伺いますが、それでは、むかし御殿のお姫様、奥方のお姿でござりますな。」

「草双紙の絵ですよ。本があると都合がいいな。」

 樹島は巻莨(まきたばこ)を吸いさして打案じつつ、

倭文庫(やまとぶんこ)。……」

「え、え、釈迦八相――師匠の家にございまして、(てまえ)よく見まして存じております。いや、どうも。……」

 と胸を抱くように腕を()んで、

「小僧から仕立てられました、……その師匠に、三年あとになくなられましてな。杖とも柱とも頼みましたものを、とんと途方に暮れております。やっと昨年、真似方(まねかた)の細工場を持ちました。ほんの新店でござります。」

「もし、」

 と、仕切一つ、薄暗い納戸から、優しい女の声がした。

端本(はほん)になりましたけれど、五六冊ございましたよ。」

「おお、そうか。」

「いや、いまお捜しには及びません。」

 様子を察して樹島が(かまち)から声を掛けた。

「は、つい。」

「お(っぱ)。」

 と可愛い小児(こども)の声する。……

「めめ、覚めて。はい……お乳あげましょうね。」

「のの様、おっぱい。……のの様、おっぱい。」

「まあ、のの様ではありません、(かあ)ちゃんよ。」

「ううん、(ほし)くないの、坊、のんだの、のの様のおっぱい。――お雛様(ひなちゃん)のような、のの様のおっぱい。」

「おや、夢を御覧だね。」

 樹島は肩の震うばかり胸にこたえた。

「嬢ちゃんですか。」

「ええ、もう、年弱(としよわ)三歳(みッつ)になりますが、ええ、もう、はや――ああ、何、お茶一つ上げんかい。」

 と、茶卓に()いで出した。

「あ、」

 清水にきぬ洗える美女である。先刻(さっき)のままで、洗いさらした銘仙(めいせん)半纏(はんてん)引掛(ひっか)けた。

「先刻は。」

「まあ、あなた。」

「お目にかかったか。」

「ええ、梅鉢寺の清水の処で、――あの、摩耶夫人様のお寺をおききなさいました。」

 (かれ)は冷い汗を流した。知らずに聞いた路なのではなかったのである。

「御信心でございますわね。」

 と、(じっ)と見た目を、俯目(ふしめ)にぽッと染めた。

 むっくりとした膝を(たた)いて、

「それは御縁じゃ――ますます、丹、丹精を抽んでますで。」

「ああ、こちらの御新姐(ごしんぞ)ですか。」

 と、(ほっ)として、うっかり言う。

「いや、ええ、その……師、師匠の娘でござりまして。」

「何ですね、――ねえ、……坊や。」

 と、敷居の内へ……片手づきに、納戸へ背向(そがい)(おもて)を背けた。

 樹島は謝礼を差出した。出来(しゅったい)の上で、と辞して(がえん)ぜぬのを、平にと納めさすと、きちょうめんに、(すずり)に直って、ごしごしと墨をあたって、席書をするように、受取を――

  記

一金……円也

「ま、ま、摩……耶の字?……ああ、分りました。」

「御主人。」

 と樹島が手を挙げて、

「夫人のお名は、金員の下でなく、並べてか、……上の方へ願います。」

「あ、あ、あい分りました。」

「御丁寧に。……では、どうぞ。……決して口を出すのではありませんが、お顔をどうぞ、なりたけ、お綺麗になすって下さい。……お仕事の法にかなわないかは分りませんが。」

「ああ、いえ。――何よりも御容貌が大切でございます。――赤門寺のお上人は、よく店へお立寄り下さいますが、てまえどもの方の事にも、それはお(くわ)しゅうございましてな。……お(ことば)には――相好(そうごう)説法――と申して、それぞれの備ったおん方は、ただお顔を見たばかりで、心も、身も、命も、信心が(おこ)るのじゃと申されます。――わけて、御女体、それはもう、端麗微妙(たんれいみみょう)の御面相でなければあいなりません。――……てまいただ、力、力が、腕、腕がござりましょうか、いかがかと存じまするのみでして、は、はい。」

 樹島は、ただ一目散に停車場(ステエション)(かけ)つけて、一いきに東京へ()げかえる覚悟をして言った。

「御新姐の似顔ならば本懐です。」――

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