10話 十
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素戔嗚は彼の不平を聞き流してから、相手の若者たちの方を向いて、野蛮な彼にも似合わない、調停の言葉を述べようとした。するとその刹那に彼の崇拝者は、よくよく口惜しさに堪え兼ねたのか、いきなり近くにいた若者に飛びかかると、したたかその頬を打ちのめした。打たれた若者はよろめきながら、すぐにまた相手へ掴みかかった。
「待て。こら、待てと云ったら待たないか。」
こう叱りながら素戔嗚は、無理に二人を引き離そうとした。ところが打たれた若者は、彼に腕を掴まれると、血迷った眼を嗔らせながら、今度は彼へ獅噛みついて来た。と同時に彼の崇拝者は、腰にさした鞭をふりかざして、まるで気でも違ったように、やはり口論の相手だった若者たちの中へ飛びこんだ。若者たちも勿論この男に、おめおめ打たれるようなものばかりではなかった。彼等は咄嗟に二組に分れて、一方はこの男を囲むが早いか、一方は不慮の出来事に度を失った素戔嗚へ、紛々と拳を加えに来た。ここに立ち至ってはもう素戔嗚にも、喧嘩に加わるよりほかに途はなかった。のみならずついに相手の拳が、彼の頭に下った時、彼は理非も忘れるほど真底から一時に腹が立った。
たちまち彼等は入り乱れて、互に打ったり打たれたりし出した。あたりに草を食んでいた牛や馬も、この騒ぎに驚いて、四方へ一度に逃げて行った。が、それらの飼い主たちは拳を揮うのに夢中になって、しばらくは誰も家畜の行方に気をとめる容子は見えなかった。
が、その内に素戔嗚と争ったものは、手を折られたり、足を挫かれたりして、だんだん浮き足が立つようになった。そうしてとうとうしまいには、誰からともなく算を乱して、意気地なく草山を逃げ下って行った。
素戔嗚は相手を追い払うと、今度は彼の崇拝者が、まだ彼等に未練があるのを押し止めなければならなかった。
「騒ぐな。騒ぐな。逃げるものは逃がしてやるのが好いのだ。」
若者はやっと彼の手を離れると、べたりと草の上へ坐ってしまった。彼が手ひどく殴られた事は、一面に地腫のした彼の顔が、明白に語っている事実であった。素戔嗚は彼の顔を見ると、腹立たしい心のどん底から、急に可笑しさがこみ上げて来た。
「どうした? 怪我はしなかったか?」
「何、したってかまいはしません。今日と云う今日こそあいつらに、一泡吹かせてやったのですから。――それよりあなたこそ、御怪我はありませんか。」
「うん、瘤が一つ出来ただけだった。」
素戔嗚はこう云う一言に忌々しさを吐き出しながら、そこにあった一本の楡の根本に腰を下した。彼の眼の前には部落の屋根が、草山の腹にさす夕日の光の中に、やはり赤々と浮き上っていた。その景色が素戔嗚には、不思議に感じるくらい平和に見えた。それだけまた今までの格闘が、夢のような気さえしないではなかった。
二人は草を敷いたまま、しばらくは黙って物静な部落の日暮を見下していた。
「どうです。瘤は痛みますか。」
「大して痛まない。」
「米を噛んでつけて置くと好いそうですよ。」
「そうか。それは好い事を聞いた。」