20話 二十
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家の中にはあの牛飼の若者が、土器にともした油火の下に、夜なべの藁沓を造っていた。彼は戸口に思いがけない人のけはいが聞えた時、一瞬間忙しい手を止めて、用心深く耳を澄ませたが、その途端に軒の簾が、大きく夜を煽ったと思うと、突然一人の若者が、取り乱した藁のまん中へ、仰向けざまに転げ落ちた。
彼はさすがに胆を消して、うっかりあぐらを組んだまま、半ば引きちぎられた簾の外へ、思わず狼狽の視線を飛ばせた。するとそこには素戔嗚が、油火の光を全身に浴びて、顔中に怒りを漲らせながら、小山のごとく戸口を塞いでいた。若者はその姿を見るや否や、死人のような色になって、しばらくただ狭い家の中をきょろきょろ見廻すよりほかはなかった。素戔嗚は荒々しく若者の前へ歩み寄ると、じっと彼の顔を睨み据えて、
「おい、貴様は確かにあの娘へ、おれの勾玉を渡したと云ったな。」と忌々しそうな声をかけた。
若者は答えなかった。
「それがこの男の頸に懸っているのは一体どうした始末なのだ?」
素戔嗚はあの美貌の若者へ、燃えるような瞳を移した。が、彼はやはり藁の中に、気を失ったのか、仮死か、眼を閉じたまま倒れていた。
「渡したと云うのは嘘か?」
「いえ、嘘じゃありません。ほんとうです。ほんとうです。」
牛飼いの若者は、始めて必死の声を出した。
「ほんとうですが、――ですが、実はあの琅の代りに、珊瑚の――その管玉を……」
「どうしてまたそんな真似をしたのだ?」
素戔嗚の声は雷のごとく、度を失った若者の心を一言毎に打ち砕いた。彼はとうとうしどろもどろに、美貌の若者が勧める通り、琅と珊瑚と取り換えた上、礼には黒馬を貰った事まで残りなく白状してしまった。その話を聞いている内に、刻々素戔嗚の心の中には、泣きたいような、叫びたいような息苦しい羞憤の念が、大風のごとく昂まって来た。
「そうしてその玉は渡したのだな。」
「渡しました。渡しましたが――」
若者は逡巡した。
「渡しましたが――あの娘は――何しろああ云う娘ですし、――白鳥は山鴉になどと――、失礼な口上ですが、――受け取らないと申し――」
若者は皆まで云わない内に、仰向けにどうと蹴倒された。蹴倒されたと思うと、大きな拳がしたたか彼の頭を打った。その拍子に燈火の盞が落ちて、あたりの床に乱れた藁は、たちまち、一面の炎になった。牛飼いの若者はその火に毛脛を焼かれながら、悲鳴を挙げて飛び起きると、無我夢中に高這いをして、裏手の方へ逃げ出そうとした。
怒り狂った素戔嗚は、まるで傷いた猪のように、猛然とその後から飛びかかった。いや、将に飛びかかろうとした時、今度は足もとに倒れていた、美貌の若者が身を起すと、これも死物狂に剣を抜いて、火の中に片膝ついたまま、いきなり彼の足を払おうとした。