白花の朝顔

1話

1,546字 約3分 2011年12月28日 公開

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「あんた、居やはりますか。」

 ……唄にもある――おもしろいのは二十(はたち)を越えて、二十二のころ三のころ――あいにくこの篇の著者に、経験が、いや端的に体験といおう、……体験がないから、そのおもしろいのは、女か、男か。勿論(たれ)に聞かしても、この唄は、女性の心意気に相違ないらしいが、どんなのを対手(あいて)にした人情のあらわし方だか、男勝手にはちょっときめにくい。ただしどう割引をした処で、二十二三は女盛り……近ごろではいっそ娘盛りといって()い。しかも著者なかま、私の友だち、境辻三によって話された、この年ごろの女というのは、祇園(ぎおん)名妓(めいぎ)だそうである。

 名妓? いかなるものぞ、と問われると、浅学不通、その上に、しかるべき御祝儀を並べたことのない私には、新橋、柳橋……いずくにも、これといって容式をお目に掛ける知己(ちかづき)がない。遠いが花の香と(ことわざ)にもいう、東京の山の手で、祇園の面影を写すのであるから、名妓は、名妓として、差支えないであろう。

 また、何がゆえに、浅学不通まで()ちまけて、こんな前書をするかといえば、実はその京言葉である。すなわち、読みはじめに記した「あんた、いやはりますか。」――は、どう聞いても、祇園の芸妓(げいこ)、二十二、三の、すらりと婀娜(あだ)別嬪(べっぴん)のようじゃあない。おのぼりさんが出会(でっくわ)した旅宿万年屋でござる。女中か、せいぜいで――いまはあるか、どうか知らぬ、二軒茶屋で豆府を切る姉さんぐらいにしか聞えない。嫋音(じょうおん)嬌声(きょうせい)、真ならず。境辻三……巡礼が途に(まど)ったような名の男の口から、直接(じか)に聞いた時でさえ、例の(うぐいす)の初音などとは沙汰(さた)の限りであるから、私が真似(まね)ると木菟(みみずく)に化ける。第一「あんた、居やはりますか。」さて、思うに、「あの、居なはるか。」とおとずれたのだか、それさえ的確(さだか)ではないのだそうであるから、構わず、関東の地声でもって(やッ)つける。

 谷の戸ではない、格子戸を開けたときの、前記の声が「こんちは、あの……居らっしゃいますか。」と、ざっとかわるのであることを、諸賢に御領承を願っておいて……

 わが、辻三がこの声を聞いたのは、麹町(こうじまち)――番町も土手下り、湿()けた崖下(がけした)窪地(くぼち)の寒々とした処であった。三月のはじめ、永い日も、(ひる)から雨もよいの、曇り空で、長屋建の平屋には、しかも夕暮が軒に近い。窓下の襖際(ふすまぎわ)(ぜん)の上の銚子(ちょうし)もなしに――もう時節で、塩のふいた(さけ)の切身を、(はも)の肌の白さにはかなみつつ、辻三が……

 というものは、ついその三四日以前(まえ)まで、ふとした事から、天狗(てんぐ)(さら)われた小坊主同然、しかし丈高く、(つら)赤き山伏という処を、色白にして眉の(やさし)い、役者のある女形に誘われて、京へ飛んだ。初のぼりだのに、宇治も瀬田も聞いたばかり。三十三間堂、金閣寺、両本願寺の屋根も見ず知らず、五条、三条も分らずに、およそ六日ばかりの間というもの、鴨川(かもがわ)の花の(くるわ)に、酒の名も、菊、桜。白鶴(はくつる)富久娘(ふくむすめ)(あぶら)(たた)えた、友染の(そで)の池に、(にしき)の帯の八橋を、転げた上で泳ぐがごとき、大それた(おぼ)れよう。肝魂(きもだま)泥亀(すっぽん)が、真鯉(まごい)緋鯉(ひごい)と雑魚寝とを知って、京女の肌を()て帰って、ぼんやりとして、まだその夢の覚めない折から。……

 無理もない、冷飯に添えた塩鮭をはかなむのは。……時に、膳の上に、もう一品(ひとしな)惣菜(そうざい)の豆の煮たやつ。……女難にだけは安心な男にも、不思議に女房は実意があるから、これはそこらの、あやしげな煮豆屋が、あんぺらの煮出しを使った悪甘いのではない。砂糖を(おご)って、とろりと煮込んで、せっせと(あお)いで、つやみを見せた深切な処を、酔覚(よいざめ)の舌の(さき)に甘く()まして、壁にうつる影法師も冷たそうに縮んだ処へ。

 ころころと格子が開いた。取次の女中へ何かいう、浅間な住居(すまい)で、手に取るような、その「あんたはん、居やはりますか。」訳して、「こんちは、あの、居らっしゃいますか。」のそれだったのだそうである。

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