白花の朝顔

2話

5,108字 約10分 2011年12月28日 公開

読み方を変える
字の大きさ
行の間隔
1行の長さ
書体
配色
組み方

「京の祇園と、番町の土手下――いや、もうちっと――半道ばかり近いのです。大勢の中で、その芸妓(げいしゃ)――お絹というんです――その女が、京都駅まで、九時何十分かの急行を、見送りに来てくれたんだから。……それにしても少々遠過ぎますね。――声を聞いて、すぐそのお絹だ、と思ったのは。

 しかし事実なんです。

(やあ、これは珍客。)

 とか、大きな声して、いきなり、(はし)をおくと、(くだん)の煮豆を一つ、膳の上へ転がしながら、いきなり立上って中縁のような板敷へ出ましたから。……(ひよどり)南天燭(なんてん)の実、山雀(やまがら)胡桃(くるみ)ですか、いっそ鶯が梅の(つぼみ)をこぼしたのなら知らない事――草稿持込で食っている人間が煮豆を転がす様子では、色恋の沙汰ではありません。――それだのに……」

 境辻三は、串戯(じょうだん)ではなさそうに、真顔になっていったのである――

「しかし、またあらためて、お絹のその(うつく)しさというものは。――(お危うございます、ここは暗いんでございますから。)おいそれものの女中めが、のっけのその京言葉と、朱鷺色(ときいろ)手絡(てがら)艶々(つやつや)した円髷(まるまげ)、藤紫に薄鼠(うすねずみ)のかかった小袖の(つま)へ、青柳をしっとりと、色の蝶が緑を透いて、抜けて、ひらひらと胸へ肩へ、舞立ったような飛模様を、すらりと着こなした、長襦袢(ながじゅばん)()総染(そうぞめ)の小桜で、ちらちらと土間へ来た容子(ようす)を一目、京都から帰ったばかりの主人(あるじ)が旅さきの知己(ちかづき)、てっきり(とろ)けるものと合点して、有無を部屋へ聞かないさきから、すぐこうお通りはいいのですが、口上が(しゃく)ですよ。(真暗(まっくら)ですから。)が、仕方がない、押付(おッつ)け仕事の安普請で、間取りに無理がありますから、玄関の次が暗いのです。いきなり手を()いて連れ込んだ、そのひき方がそそっかし屋で荒いので、私と顔を会わせた時は、よろけ加減で、お絹の顔が、ほんのりとなって、その長襦袢のしなやかな(すそ)をこぼれた姿は、脊は高し、天井の黒い雲から糸桜がすらすらと枝垂(しだ)れたようで、いや、どうも……祇園の空から降って来たかと思われました。

 ――時に、重ねていうようですが、三月のはじめです。三月といえば弥生(やよい)です。桜は季節でありますけれども、まだどこにも咲いてはいません。ところが、どうした事か、これから、宵、夜、夜中に掛けて、話を運びます、春木町の、その頃の本郷座。上野の山内(さんない)清水(きよみず)の観音堂。鶯谷(うぐいすだに)という順に、その到る処、花が咲いていたように思います。唯今(ただいま)も、目に見えて、桜に包まれるようですが、実は、こんな事は、今まで、誰にも片端も饒舌(しゃべ)ったことはありませんから、いつも一人で、咲満ちた花の中にいた気だったのですけれども、あなたに。」

 著者に、いうのである。

「三月、と口にしますと同時に、ふと気がつくと、彼岸ずっと前で、まだ桜は咲きません。が、それからお絹を連れて行きました、本郷座の芝居が、ちょうど祇園の夜桜、舞台一面の処へぶつかりましたし、続いて上野でも、鶯谷でも、特に観世音の御堂(みどう)では、この(おんな)と、花片(はなびら)(さっ)微酔(ほろよい)の頬に当るように、(うす)(かおり)さえして、近々と、膝を突合わせたような事がありましたから、色の刺激で、欄干近い、枝も(こずえ)も、ほの(あか)かったのだろうと思われます。

 ところで――芝居(ゆき)です。が、どの道、糸錦の帯で押立よく、羽織はなしに居ずまいも端正(きちん)としたのを、仕事場の机のわきへ据えた処で、……おなじ年ごろの家内が、糠味噌(ぬかみそ)いじりの、(たすき)をはずして、渋茶を振舞ってみた処で、近所の(すし)を取った処で、てんぷら蕎麦(そば)にした処で、びん長鮪(ながまぐろ)魚軒(さしみ)ごときで一銚子といった処で、京から降って来た別嬪(べっぴん)摂待(せったい)らしくはありません。京では、瓢亭(ひょうてい)だの、西石垣(さいせき)のちもとだのと、この(ひと)が案内をしてくれたのに対しても、山谷(さんや)浜町(はまちょう)、しかるべき料理屋へ、晩のご飯という懐中(ふところ)はその時分なし、今もなし、は、は、は、笑ったって、ごまかせない。

(おつれは?)

 ただ一人で訪ねて来て、目の前に(ななめ)(すわ)っている極彩色に、(つれ)を聞いたも変ですが、先方(さき)の稼業が稼業ですから。……なぞといって、まじくないながら、とつおいつのうち、お絹が、四五人で客に連れられて来たのだけれど、いまは旅館に一人で残った……

(早う、あんたはんの(とこ)へ来とうて、来とうてな。)

 いよいよ、天麩羅(てんぷら)では納まらない。思いついたのが芝居です。

 で、本郷に出ているのは、箕原路之助(みはらみちのすけ)――この友だちが、つい前日まで、祇園で一所だったので、四条の芝居を打上げた一座が、帰って来て、弥生興行の最中だとお思い下さい。

(……すぐ出掛けましょう、御婦人には芝居と南瓜(とうなす)が何よりの御馳走(ごちそう)だ。)

 馬鹿も通越した、自棄(やけ)言句(もんく)を切出して、

(ご贔屓(ひいき)の路之助が出ています。)

 役者を贔屓とさえいっておけば間違いはないものの――その実、祇園にいたうちに、五人、八人、時には十人にも余って、その六日ばかりの間、時々出入り交代(かわり)はあっても、ほとんど同じ顔の芸妓(げいしゃ)舞子が、寝る、起きる、飲む、唄う。十一時ごろに芝居のはねるのを宵の口にして、あけ方の三時四時まで続くんでしょう。雑魚寝の女護の島で、宿酔(ふつかよい)海豹(あざらし)恍惚(うっとり)と薄目を開けると、友染を着た(かもめ)のような舞子が二三羽ひらひらと舞込んで、眉を()でる、鼻を(つま)む、花簪(はなかんざし)頭髪(かみのけ)()く、と、ふわりと胸へ乗って、掻巻(かいまき)天鵞絨(びろうど)の襟へ、笹色(ささいろ)の唇を持って行くのがある。……いいえ、その路之助のですよ。女形の。……しかも同じ(ふすま)の左右には、まくれたり、はだかったり、白い肌が濡れた羽衣に包まれたようになって、(くれない)(ねや)の寝息が、すやすやと、春風の小枕に小波(さざなみ)を寄せている。私はただ屏風(びょうぶ)(いわお)に、一介の栄螺(さざえ)のごとく、孤影煢然(けいぜん)として独り(ふた)を堅くしていた。とにかくです、昼夜とも、その連中に、いまだかつて、顔を見せなかったのが、お絹なんです。

 ――晩には、東京へ帰ろうとする朝でした。旅()れないので、何となく心が()きます。早めに起きた右の栄螺が、そっと蓋をあけて、恐る恐る朝日に映る寝乱れた浮世絵を(のぞ)きながら、二階を下りて、廊下を用たしに行く途中、一段高く、下へ水は流れませんが、植込の冷い(うち)に、さらさらと(かけひ)の音がして、橋づくりに渡りを()けた処があった。

 そこに、女中……いや、中でも容色(きりょう)よしの仲居にも、ついぞ見掛けたことのないのが、むぞうさな束髪(たばねがみ)で、襟脚がくっきり白い。大島絣(おおしまがすり)縞縮緬(しまちりめん)の羽織を着たのが、両袖を胸に合せ、橋際の柱に(もた)れて、後姿で寂しそうに立っている。横顔をちらりと()て通る時、東山の方から松風が吹込んだように思いました。――これが、お絹だったのです。

 あとで聞くと、病気で休んでいて、それまでの座敷へは出なかった。髪を洗ったのもやっと昨日(きのう)で、珍らしい東の客が、今日帰る、と聞いたので、急いで来たが、まだ皆夜中らしいから、遠慮をしていたのだというのが分りました。けれども、顔を洗って、戻るのに、まだおなじところに、おなじ姿を見ると、ちょっと二間ばかりの橋が、急にすらすらと長く伸びて、宇治か、瀬田か、昔話の長橋の真中(まんなか)にただ一人怪しい(おんな)が、霞に(たたず)んだようですから、気をはっきりと、欄干を伝うところを、

(目々、覚めてどすか。)

 と(すず)しい目で、ちょっと見迎えて、莞爾(にっこり)したではありませんか。私は(ひや)りとしました。第一、目々が覚めたという柄じゃない、洗って来い、という(つら)です。

 閑静(しずか)だから、こっちへ――といって、さも待設けてでもいたように、……疏水(そすい)ですか、あの川が窓下をすぐに通る、離座敷へ案内をすると、蒲団(ふとん)を敷かせる。乗ったんですが、何だか手玉に取られた形で、腰が浮くと、矢の流れで危いくらい。が、きっぱりと目の覚めた処で、お手ずから、朝茶を下さる。

(姉さんは、(いと)はんですか、此楼(こちら)の……)

 いやな野郎で、聞覚えの京言葉を、茶の子でなしに(かじ)りましたが、娘か、と思ったほど、人がらが(まさ)っている。……

 通力自在、膳も盃洗(はいせん)もすぐ出る処へ、路之助が、きちんと着換えて入って来て、(なべ)のものも、名物の生湯葉(なまゆば)沢山に、例の水菜、はんぺんのあっさりした水煮で、人まぜもせず、お絹が――お酌。

(ずッと見物をおしやしたか。)

 宇治は、嵯峨(さが)は。――いや、いや、南禅寺から将軍塚を山づたいに、(ちご)(ふち)を抜けて、音羽山清水(きよみず)へ、お参りをしたばかりだ、というと、まるで、御詠歌はんどすな、ほ、ほ、ほ、と笑う。

 路之助が、

(その癖、お絹さん、お前さんの好きそうな処ばかりだぜ。……境さん――この人は、まだ休んでいて(ひま)ですから、そこいら、御案内をしようというのですが、どうかすると、神社仏閣、同行二人(どうぎょうににん)の形になりかねませんよ。)

(巡礼結構。同行二人なら野宿でもかまいません。)

(ほ、ほ、ほ、よういわんわ。)

 御免下さい。……だから言わないことではない。もうこの辺の、語義の活法が覚束(おぼつか)ない。

 が、串戯(じょうだん)ではありません、容色(きりょう)風采(とりなり)この人に向って、つい(巡礼結構)といった下に、思わず胸のせまることがあったのです。――

 ですから、嵯峨へ、宇治へというのを(ことわ)って、朝出ると、すぐ三十三間堂。(やしろ)もうで、寺まいり。()にしろ食ったものさえ、水菜と湯葉です。あの、鍋からさらさらと立った湯気も、如月(きさらぎ)の水を渡る朝風が誘ったので、霜が(なび)いたように見えた、精進腹、清浄なものでしょう。北野のお宮。壬生(みぶ)の地蔵。尊かったり、寂しかったり。途中は新地の赤い格子、青い暖簾(のれん)、どこかの盛場の店飾も、活動写真の看板も、よくは見ません。菜畠(なばたけ)に近い場末の辻の日溜(ひだま)りに、柳の下で、(ふな)を売る(おけ)を二人で覗いて、

(みんな、目あいていやはるな。)

 といった、お絹の目が(こい)の目より濡々(ぬれぬれ)としたのが記憶にある……といった見物で。――帰途(かえり)は、薄暮(くれがた)を、もみじより、花より、ただ落葉を鴨川へ渡したような――団栗橋(どんぐりばし)――というのを渡って、もう一度清水へ上ったのです。まだ電燈にはならない時分、廻廊の燈籠(とうろう)の白い蓮華(れんげ)(つら)なったような薄あかりで、舞台に立った、二人の影法師も霞んで高い。……

 暗い(いしだん)(かすか)な底に、音羽の滝の音を聞いた時は、

松風に音羽の滝の清水を

  むすぶ心やすずしかるらん

 地唄の三味線は、耳に消えて、御詠歌の声をさながらに聞きますと――はてな、なぜか今朝、起きぬけに、祇園の茶屋の橋がかりで(かけひ)の音のした時と、お絹の姿も同じようで、一日を夢に見たように思いましたが――

 ――更に、日もおかず、お絹が土手番町へ訪ねて来た、しかもその夜、上野の清水(きよみず)御堂(みどう)の舞台に、おなじように、二人で立つ事になったんです――

 音羽のその時は、風情がいいから、もう一度、団栗橋を渡り返した、京洛中(らくちゅう)と東山にはさまって、何だか、私どもは小さな人形同然、笹舟(ささふね)じゃあない、木の実のくりぬきに乗って、流れついた気がします――

 そうですよ、宿は西石垣(さいせき)のなにがし屋に取ってあったのですが、宿では驚いていたでしょう。路之助の馳走になりつづけで、おのぼりの身は藻抜の殻で、座敷に預けたのが、擬更紗(まがいさらさ)の旅袋たった一つ。

 しわす、(つごもり)の雪の夜に、(なさけ)の宿を参らせた、貧家の(ふすま)(むしろ)の中に、旅僧が小判になっていたのじゃない。魔法妖術(ようじゅつ)をつかうか知らん、お客が蝦蟆(がま)に変じた形で、ひょこんと床間(とこのま)に乗っている。

 お絹が引添っての、心づけでは、電話で、もう路之助から、ここの勘定は済んでいる。まだ、それよりも、お恥かしいやら、おかしいのは。……

(――お絹さん、その手提袋ですがね、中味が緊張しておりません、張合のないせいか、(ひも)(おのず)から、だらりとして、下駄のさきとすれすれに袋が伸びていたそうで。京都へ着いた時迎いに来てくれました、路之助の番頭と一所だった年増の芸妓(げいしゃ)が、追って酒宴の時、意見をしてくれましたよ。あれは見っともない、先陣の源太はんやないけど、腹帯が(ゆる)んだように見える……といってね。)

(ほんに、(あて)も、東の方贔屓どす……しっかりとあんじょうに……)

 ――細い指であやつッて、あ、着換を畳もう、という、待遇振(もてなしぶり)。ですが、何にもない。着のみ、着のままで、しゃんと結ばると袋はぺしゃんこ。そいつを袖で抱いて、さ、晩のご飯を近所のちもとへ、と立たれたのには、懐中(ふところ)もぺしゃんこです。

 これも路之助の心づけで、ちゃんと席を取って支度が出来ていて、さしむかいで、酒になった処へ、芝居から使の番頭、姓氏あり。津山彦兵衛とちょっとお覚え下さい。

(――すぐ、あとで、本郷座の前茶屋へ顔を出しますから――)

 花柳界の総見で、楽屋は混雑の最中、おいでを願ってはかえって失礼。お送りをいたすはずですが、ちょうど舞台になりますから。……縞の羽織、前垂掛だが、折目正しい口上で、土産に京人形の綺麗な島田と、木菟(みみずく)の茶羽の(ねり)もの……大贔屓の鳥で望んだのですが、この時は少々(くすぐ)ったかった。やがて、その京人形に、停車場まで送られて、木菟が。……夜汽車で飛ぶ。」……

目次に戻る

目次