山吹

2話 第一場

7,136字 約14分 2011年5月15日 公開

読み方を変える
字の大きさ
行の間隔
1行の長さ
書体
配色
組み方

場面。一方八重の遅桜(おそざくら)三本(みもと)ばかり咲満ちたる中に、よろず屋の店見ゆ。(とざ)したる硝子戸(がらすど)に、綿、紙、反もの類。生椎茸(なましいたけ)あり。起癈散(きはいさん)、清暑水など、いろいろに(したた)む。一枚戸を開きたる土間に、卓子(テエブル)椅子(いす)を置く。ビール、サイダアの(びん)を並べ、(こも)かぶり一樽(ひとたる)焼酎(しょうちゅう)(かめ)見ゆ。この店の(わき)すぐに田圃(たんぼ)

一方、杉の生垣を長く、下、石垣にして、その根を小流(こながれ)走る。石垣にサフランの花咲き、雑草生ゆ。垣の内、新緑にして柳一本(ひともと)、道を(のぞ)きて枝垂(しだ)る。背景勝手に、紫の木蓮(もくれん)あるもよし。よろず屋の店と、生垣との間、(みち)をあまして、あとすべて(いま)だ耕さざる水田(みずた)一面、水草を敷く。紫雲英(げんげ)の花あちこち、菜の花こぼれ咲く。逕をめぐり垣に添いて、次第に奥深き処、孟宗(もうそう)竹藪(たけやぶ)と、(けやき)の大樹あり。この蔭より山道をのぼる。

狭き土間、貧しき卓子(テエブル)に向って腰掛けたる人形使(つかい)――辺栗藤次(へぐりとうじ)、鼻の下を横撫(よこなで)をしながら言う。うしろ向のままなり。

人形使 お旦那(だんな)――お旦那――もう一杯()いで下せえ。

万屋 (店の硝子戸の内より土間に出づ)何もね、旦那に(お)の字には及ばないが、(苦笑して)親仁(おやじ)先刻(さっき)から大分明けたではないか。……そう飲んじゃあ稼げまいがなあ。

人形使 へ、へ、もう今日は稼いだ後だよ。お旦那の前だが、これから先は山道を(ねぐら)へ帰るばかりだでね――ふらりふらりとよ。

万屋 親仁の、そのふらりふらりは、聞くまでもないのだがね、塒にはまだ刻限が早かろうが。――(わし)も今日は、こうして一人で留守番だが、湯治場(とうじば)の橋一つ越したこっちは、この通り、ひっそり(かん)で、人通りのないくらい、修善寺は大した人出だ。親仁はこれからが稼ぎ時ではないのかい。

人形使 されば、この土地の人たちはじめ、諸国から入込(いりこ)んだ講中(こうじゅう)がな、(ばば)媽々(かかあ)(じい)、孫、真黒(まっくろ)で、とんとはや護摩(ごま)の煙が渦を巻いているような騒ぎだ。――この、時々ばらばらと来る梅雨模様の雨にもめげねえ群集(ぐんじゅ)だでね。相当の稼ぎはあっただが、もうやがて、大師様が奥の院から修禅寺へお(くだ)りだ。――遠くの方で、ドーンドーンと、御輿(みこし)の太鼓の音が聞えては、誰もこちとらに構い手はねえよ。(いおり)を上げた見世物の、じゃ、じゃん、じゃんも、音を(ひそ)めただからね――橋をこっちへ、はい、あばよと、……ははは、――晩景から、また一稼ぎ、みっちりと稼げるだが、今日の飲代(のみしろ)にさえありつけば、この上の欲はねえ。――(まか)り違ったにした処で、往生寂滅をするばかり。(ぐったりと叩頭(おじぎ)して、頭の上へ硝子杯(コップ)を突出す)――お旦那、もう一杯、注いで下せえ。

万屋 船幽霊(ふなゆうれい)が、柄杓(ひしゃく)を貸せといった手つきだな。――底ぬけと云うは、これからはじまった事かも知れない。……商売だからいくらでも売りはするが。(呑口(のみくち)(ひね)る)――親仁、またそこらへ打倒(ぶったお)れては不可(いけな)いよ。

人形使 往生寂滅をするばかり。(がぶりと呑んで(てのひら)をチュウと吸う)別して今日は御命日だ――弘法(こうぼう)様が(すみやか)に金ぴかものの自動車へ、相乗(あいのり)にお引取り下されますてね。

万屋 弘法様がお引取り下さるなら世話はないがね、村役場のお手数になっては大変だ。ほどにしておきなさいよ。(店の内に()らんとす。)

人形使 ((おおき)な声して)お旦那、もう一杯下せえ。

万屋 弘法様の御祭だ。芋が石になっては困る。……もの(おし)みをするようで可厭(いや)だから、ままよ、いくらでも飲みなさい。だが、いまの一合たっぷりを、もう一息にやったのかい。

人形使 これまでは雪見酒だで、五合(ごんべい)一寸たちまちに消えるだよ。……これからがお花見酒だ。……お旦那、軒の八重桜は、三本揃って、……樹は(わけ)えがよく咲きました。満開だ。――一軒の(かど)にこのくらい咲いた家は修善寺中に見当らねえだよ。――これを(なが)めるのは無銭(ただ)だ。酒は高価(たけ)え、いや、しかし、見事だ。ああ、うめえ。

万屋 くだらない事を言いなさるな、酔ったな、親仁。……

人形使 これというも、酒の一杯や二杯ぐれえ、時たま肥料(こやし)にお施しなされるで、弘法様の御利益だ。

万屋 (つま)らない世辞を言いなさんな。――全くこの辺、人通りのないのはひどい。……先刻(さっき)山越(やまごし)立野(たつの)から出るお稚児を二人、大勢で守立(もりた)てて通ったきり、馬士(うまかた)も見掛けない。――留守は退屈だ――ああ太鼓が聞える。……

この太鼓は、棒にて(にな)いつりかけたるを、左右より、二人して両面をかわるがわる打つ音なり、ドーン、ドーンドーン、ドーンと(かすか)に響く。

人形使 (しょう)篳篥(ひちりき)が、紋着袴(もんつきばかま)だ。――消防夫(しごとし)が揃って警護で、お稚児がついての。あとさきの坊様は、(こう)()かっしゃる、御経を読まっしゃる。御輿舁(みこしかつ)ぎは奥の院十八軒の若い(しゅ)水干烏帽子(すいかんえぼし)だ。――南無(なむ)大師、遍照金剛(へんじょうこんごう)ッ! 道の左右は人間の黒山だ。お(ひねり)の雨が降る。……村の嫁女は振袖で拝みに出る。独鈷(とっこ)の湯からは婆様(ばあさま)裸体(はだか)で飛出す――あははは、やれさてこれが反対(あべこべ)なら、弘法様は嬉しかんべい。

万屋 勝手にしろ、罰の当った。(店へ入る。)

人形使 南無大師遍照金剛。――(ちびりとのみつつ、ぐたりとなる。)

夫人、雨傘をすぼめ、柄を片手に提げ、手提(てさげ)を持添う。櫛巻(くしまき)(ひっ)かけ帯、駒下駄(こまげた)にて出づ。その遅桜を(なが)め、

夫人 まあ、綺麗(きれい)だこと――苦労をして、よく、こんなに――(間)……お礼を言いたいようだよ――ああ、ほんとうに綺麗だよ。よく、お咲きだこと。(かくて、小流(こながれ)に添いつつ()く。石がきにサフランの花を見つつ心付く)あら(こい)が、(おおき)な鯉が、――(小流を(のぞ)く)まあ、死んでるんだよ。

やや長き()。――()と避けて、立離るる時、その石垣に立掛けたる人形つかいの傀儡(にんぎょう)目に(とま)る。あやつりの竹の先に、白拍子(しらびょうし)の舞の姿、美しく《ろう》たけたり。夫人(じっ)()立停(たちどま)る。無言。雨の音。

ああ、降って来た。(井菊と大きくしるしたる番傘を開く)まあ、人形が泣くように、目にも睫毛(まつげ)にも(しずく)がかかってさ。……(傘を人形にかざして(かば)う。)

人形使 ((みじか)暖簾(のれん)()にて分け、口(おおき)く、(しわ)深く、眉迫り、ごま塩髯(しおひげ)硬く、真赤(まっか)()いしれたる(つら)を出し、夫人のその姿をじろりと()る。はじめ投頭巾(なげずきん)(かぶ)りたる間、おもて柔和なり。いま頭巾を脱いだる四角な額に、白髪(しらが)長くすくすくとして(おもて)(すさま)じ。)

画家 (薄色の中折帽(なかおれぼう)、うすき外套(がいとう)を着たり。細面(ほそおもて)にして清く()す。半ば眠れるがごとき(まな)ざし、通りたる鼻下に白き毛の少し交りたる(ひげ)をきれいに揃えて短く摘む。おもての色やや沈み、温和にして、しかも威容あり。旅館の貸下駄にて、雨に懸念せず、ステッキを(しずか)につき、一度桜を見る。)

人形使 (この時また土間の卓子(テエブル)にむかってうつむく。)

画家 (夫人の身近に、何等の介意なき態度)ははあ、操りですな。

夫人 先生――ですか、あの、これは私のじゃあございませんの。

画家 (はじめて心付きたる(さま)にて)どうも、これは失礼しました。いや、(はな)から貴女(あなた)がなさると思った次第でもありません。ちょっと今時珍しかったものですから。――近頃は東京では、場末の縁日にも余り見掛けなくなりました。……これは(しずか)でしょうな。裏を返すと弁慶が大長刀(おおなぎなた)を持って威張っている。……その弁慶が、もう一つ変ると、赤い顱巻(はちまき)をしめた(たこ)になって、(おどり)を踊るのですが、これには別に、そうした仕掛(しかけ)も、からくりもないようです。――(覗き覗き、(すま)して夫人のさしかざしたる番傘の中へ半身)純、これは舞姫ばかりらしい。ああ、人形は名作だ。――御覧なさい(すご)いようです。……誰が持っていますか。……どうして、こんな処へほうり出しておきますかね。

夫人 人形つかいは――あすこで、(軽く(ゆびさ)し、声を低くす)お酒を飲んでいるようですの。……そうらしいお爺さんが見えました。

画家 うまいでしょうな、きっと……一つ使わせてみとうございますね。

夫人 およしなさいまし、先生。……たいそう酔っているようですから。

画家 いかにも、酔っ払っていては面倒ですね。ああ、しかし、人形は名作です――帰途(かえり)にまた出逢(であ)うかも知れない。(半ば(つぶや)く)貴女(あなた)、失礼をいたしました。(冷然として山道の(かた)()く。)

夫人 (二三歩あとに(すが)る)先生、あの……先生――どちらへ?

画家 (再びはじめて心付く)いや、(と軽く言う。間)……先生は弱りました。が、町も村も大変な雑鬧(ざっとう)ですから、その山の方へ行ってみます。――貴女は、(おなじく眠れるがごとき目のまま)つい、お見それ申しましたが、おなじ宿にでもおいでなのですか。

夫人 ええ、じき(お(そば)にと言う意味(こも)る)……ですが、階下(した)の奥に。あの……

画家 それはどうも――失礼します。(また()く。)

夫人 (一歩縋る)先生、あのここへいらっしゃりがけに、もしか、井菊の印半纏(しるしばんてん)を着た男衆(おとこしゅ)にお逢いなさりはしませんでしたか。

画家 ああ、逢いました。

夫人 何とも申しはいたしません?……

画家 ((おもむろ)に腕を(こまぬ)く)さあ……あの菊屋と野田屋へ向って渡る渡月橋(とげつきょう)とか云うのを渡りますと、欄干に、長い(さお)に、(みの)を掛けたのが立ててあります。――この大師の(いち)には、(さかん)に蓑を売るようです。その看板だが、案山子(かかし)(のぼり)に挙げたようでおかしい、と思って、ぼんやり。――もっとも私も案山子に似てはいますが、(微笑(ほほえ)む)一枚、買いたいけれども、荷になると思って見ていますと、成程、宿の男が通りかかりました。

夫人 ええ、そうして……

画家 ああそうです。(拱きたる腕を解く)……「そこに奥さまがおいでです。」と言って行き過ぎました。成程……貴女の事でしたか。お(つれ)になって一所に出掛けたとでも思ったでしょう――失礼します。

夫人 まあ、先生。……唯今(ただいま)は別々でしたけれど、昨夜おそく着きました時は、御一所でございましたわ。

画家 貴女と……

夫人 ええ。

画家 存じませんな。

夫人 大仁(おおひと)で。……自動車はつい別になりましたんですが、……おなじ時に、――

画家 私は乗合でしたがな――さよう……お一方(ひとかた)、仕立てた方があったように思いますが、それは、至極当世風の髪も七三で……(と半ば言う。)

夫人 その女が……(やや息忙(いきぜわ)しく)その女が、先生、宿へ着きますと、すぐ、あの、眉毛(まみえ)を落しましたの。(顔を上げつつ、(さっ)とはなじろむ)髪もこんなにぐるぐる巻にしたんです。

画家 ははあ。(いぶかしそうに、しかし冷静に聞くのみ。)

夫人 先生。(番傘を横に、うなだれて、さしうつむく。頸脚(えりあし)雪を(あざむ)く)宿の男衆が申したのは、余所(よそ)の女房という意味ではないのです。(やや興奮しつつ)貴方(あなた)の奥さまという意味でございました。

――間――

画家 (かくても、もの(しずか)に)……と仰有(おっしゃ)ると?

夫人 昨晩、同じ宿へ着きますと、直ぐ、宿の人に――私は島津先生の――あの私は……(口籠(くちごも)る。小間(すこしきま))お写真や、展覧会で、蔭ながらよく貴方を存じております。――「私は島津の家内ですが」と宿の人に――「実は見付からないようにおなじ汽車で、あとをつけて来たんです。」辻棲(つじつま)はちっと(あわ)ないかも存じませんが、そう云いましたの。……その次第(わけ)は「島津は近頃浮気をして、余所(よそ)(おんな)と、ここで逢曳(あいびき)をするらしい。」……

画家 私が。

夫人 貴方が、あの、そして、仮に私の旦那様が。

画家 それは少々()しかりません。(苦笑する。)

夫人 堪忍(かに)して下さいまし。先生、――「座敷を別に、ここに忍んで、その浮気を見張るんだけれど、廊下などで不意に見附かっては不可(いけな)いから、容子(ようす)を変えるんだ。」とそう言って、……いきなり鏡台で、眉を落して、髪も解いて、羽織を脱いでほうり出して、帯もこんなに(なよやかに、(つむり)を振向く)あの、蓮葉(はすは)にしめて、「後生(ごしょう)、内証だよ。」と堅く口止(くちどめ)をしました上で、宿帳のお名のすぐあとへ……あの、申訳はありませんが、おなじくと……

画家 ((かすか)に眉を(ひそ)む。しかし寛容に)保養に来る場所(ところ)ですから、そんな悪戯(いたずら)もいいでしょうな――失礼します。

夫人 あれ、先生、お怒りも遊ばさないで……

画家 綺麗な奥さんに悪戯をされて――かえって喜んでいるかも知れません。――しかし失礼します。

夫人 どうしましょう、先生、私……悪戯どころではありません。

画家 悪戯どころでないというは?(この時はじめて(しか)と言う。)

夫人 (激して、やや震えながら)後生です。見て下さいまし。貴方に見て頂きたいものがあるんです。(外套(がいとう)の袖を引く、(こも)れる力に、画家を小流(こながれ)(ふち)に引戻す)ちょっと御覧なさいまし。

(こい)(ゆびさ)す、死したる鯉、この時いまだ客者(かくしゃ)の目につかず。

画家 おお、これは(ひど)い。――これは悲惨だ。

夫人 先生、私は、ここに死んで流れています、この鯉の、ほんの死際(しにぎわ)、一息前と同じ身の上でございます。

画家 (無言。……)

夫人 (間)私には厳しく追手(おって)(かか)っております。見附かりますと、いまにも(つかま)えられなければなりませんものですから。――途中でお姿をお見上げ申し、お宿まで慕って参って、急の思いつきで、失礼な事をいたしました。一生懸命なのです。そしてちょっとの()に、覚悟をしますつもりでおります。――眉を落して、形をかえて、貴方の奥さまになって隠れていましても、人出入の激しい旅館(やど)では、ちっとも心が落着きませんから、こうして道に迷っております。どうぞ、御堪忍なすって下さいまし。……夢にも悪戯ではないのですから。

画家 いたし方がありますまいな。

夫人 (もの足りなさに、本意(ほい)なげにて)無理にもお許し下さいましたか。……その上なおお言葉に甘えますようですけれど、お散歩の方へ……たとい(うしろ)へ離れましても、御一所に願えますと、立派に人目が忍べます。――貴方(弱く()びて)どうぞ、お連れ下さいましな。

画家 (きっぱりと)それは迷惑です。

夫人 まあ。――いいえ、お連れ下さいましても、その間に、ただ(更に鯉を指す)この姿になります覚悟を()めますだけなんでございますもの。

画家 それは不可(いけ)ませんな。御事情はどんなであろうと、この形になっては仕方がありません。

人形使 (つんのめりたるが猛然と(おもて)(もた)げ)お旦那、もう一杯下せえ。お旦那。

画家 (この声を聞く。あえて心に留めず)私一人(いちにん)としてはこんな姿におなりなさるのだけは堅くお止め申します――失礼をします。(()と離れて山手に赴く。)

夫人 (画家の姿、(けやき)樹立(こだち)にかくれたる時、はらはらとあとを追い、また後戻りす。見送りつつ)はかないねえ!

わが声に、思わず四辺(あたり)()る。降らぬ雨に(からかさ)を開き、身を恥じてかくすがごとくにして、悄然(しょうぜん)と、画家と同じ道、おなじ樹立に姿を消す。

人形使 お旦那、もう一杯下せえ。

万屋 ちょッ、困らせるじゃあないか。(ついで与う。)

人形使 そのかわり、へ、へ、今度はまた月見酒だよ。雲がかかると満月がたちまちかくれる。(一息に煽切(あおっき)る)ああッ、う――い。……御勘定……(首にかけた(きたな)大蝦蟇口(おおがまぐち)より、だらしなく(ひも)を引いてぶら下りたる財布を絞り突銭(つきせん)する)弘法様も月もだがよ。銭も(あまね)く金剛を照すだね。えい。(と立つ。脊高き痩脛(やせずね)破股引(やれももひき)にて、よたよた。酒屋は委細構わず、さっさと片づけて店へ引込(ひっこ)む。)えい。(よたよた。やがて人形の前までよたよたよた)はッ、静御前様。(急に恐入ったる(てい)にて、ほとんど土下座をするばかり。間。酔眼を鯉に見向く)やあ、兄弟、浮かばずにまだ居たな。(かわうそ)(くわ)えたか、(いたち)(かじ)ったか知らねえが、わんぐりと歯形が残って、(うじ)がついては(たま)らねえ。先刻(さっき)も見ていりゃ、野良犬が()いで嗅放(かぎっぱな)しで()せおった。犬も食わねえとはこの事だ。おのれ竜にもなる(やつ)が、前世の(ごう)か、死恥を(さら)すは不便(ふびん)だ。――(おら)が葬ってやるべえ。だが、蛇塚、猫塚、狐塚よ。塚といえば、これ突流すではあんめえ。土に(うず)めるだな、土葬にしべえ。(半ばくされたる鯉の、肥えて大なるを水より引上ぐ。客者(かくしゃ)に見ゆ)引導の文句は知らねえ。怨恨(うらみ)あるものには(たた)れ、化けて出て、木戸銭を、うんと取れ、喝!(財布と一所に懐中(ふところ)()じ込みたる頭巾(ずきん)に包み、腰に下げ、改って(うずくま)る)はッ、静御前様。(咽喉(のど)に巻いたる古手拭(ふるてぬぐい)(のば)して、覆面す――さながら猿轡(さるぐつわ)のごとくおのが口をば(ゆわ)う。この心は、美女に対して、熟柿(じゅくし)臭きを(はばか)るなり。人形の竹を高く(ひっ)かつぐ。山手の方へ)えい。(よたよた。よたよたよた。)

夫人、樹立の蔭より、半ば出でてこの(てい)(うかが)いつつあり。

人形使 えい。(よたよた)えい。(よたよたよた。)

夫人 (次第に立出で、あとへ(ひっ)かえしざまにすれ違う。なおその人形使を凝視しつつ)(おじ)さん、爺さん。

人形使 (丈高く、赤き(つら)にて、じろりと不気味に見向く。魔のごとし。)

夫人 (大胆に、身近く寄る)私は何にも世の中に(ねがい)はなし、何の望みも(かな)わなかったから、お前さんの(のぞみ)を叶えて上げよう。宝石も沢山ある。お金も持っています――失礼だけれど、お前さんの望むこと一つだけなら、きっと叶えて上げようと思うんだよ。望んでおくれな。(おじ)さん、叶えさしておくんなさいな。

人形使 (無言のまま(にら)むがごとく見詰めつつ、しばらくして、路傍(みちばた)に朽ちし稲塚(いなづか)の下の古縄を拾い、ぶらりと提げ、じりじりと寄る。その縄、ぶるぶると動く。)

夫人 ああれ。(と退(すさ)る。)

人形使 (ニヤリと笑う。)

夫人 ああ蛇かと思った。――もう蛇でも構わない。どうするの――どうするのよ。

人形使 (ものいわず、皺手(しわで)をさしのべて、ただ招く。招きつつ、あとじさりに次第に樹立に()る。)

夫人 どうするのさ。どうするのよ。(おなじく次第に、かくて樹立に隠る。)

舞台しばらく空し。白き家鴨(あひる)、五羽ばかり、一列に出でて田の草の間を(あさ)る。行春(ゆくはる)(かげ)を象徴するもののごとし。

馬士 (樹立より、馬を()いて、あとを振向きつつ出づ。馬の背に米俵(こめだわら)二俵。奉納。白米。南無大師遍照金剛の札を立つ)ああ気味の悪い。真昼間(まっぴるま)何事だんべい。いや、はあ、こげえな時、米が砂利になるではねえか。(眉毛に(つば)しつつ俵を探りて米を()む)まず無事だ。(太鼓の音近く聞ゆ)――弘法様のお(かげ)だんべい。ああ気味の悪い――いずれ魔ものだ、ああ恐怖(おっかね)え。

――廻る――

目次に戻る

目次