山吹

3話 第二場(1)

8,236字 約16分 2011年5月15日 公開

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場面。――一方やや高き丘、花菜の畑と、二三尺なる青麦畠(あおむぎばたけ)相連(あいつらな)る。丘のへりに山吹の花咲揃えり。下は一面、山懐(やまふところ)に深く崩れ込みたる窪地(くぼち)にて、草原(くさはら)。苗樹ばかりの桑の、薄く芽ぐみたるが(しの)に似て参差(しんし)たり。

一方は雑木山、とりわけ、かしの大樹、高きと低き二幹(ふたみき)、葉は黒きまで枝とともに茂りて、黒雲の渦のごとく、かくて花菜の空の明るきに対す。

花道をかけて一条(ひとすじ)、皆、丘と丘との間の細道の趣なり。遠景一帯、伊豆の連山。

画家 (一人、丘の上なる(がけ)に咲ける山吹と、畠の菜の花の間高き処に、(しずか)にポケット・ウイスキーを傾けつつあり。――(うぐいす)遠く()()る。二三度鶏の声。遠音(とおね)河鹿(かじか)鳴く。しばらくして、立ちて、いささかものに驚ける(さま)す。なお(うかが)うよしして、花と葉の(しげり)に隠る。)

夫人 (傘を片手に、片手に縄尻を控えて――登場。)

人形使 (猿轡(さるぐつわ)のまま蝙蝠傘(こうもりがさ)を横に、縦に十文字に人形を背負い、うしろ手に人形の竹を持ちたる手を、その縄にて(いまし)められつつ出づ。肩を落し、首を垂れ、屠所(としょ)に赴くもののごとし。しかも酔える足どり、よたよたとして先に立ち、山懐の深く窪み()りたる小暗(おぐら)(かた)()(きた)り、さて両腕を解けば縄落つ。(まこと)はいましめたるにあらず、手にてしかく装いたるなり。人形を桑の一木(ひとき)に立掛け、(ひざまず)いて拝む。かくてやや離れたる処にて、口の手拭(てぬぐい)を解く)御新造様。そりゃ、約束の通り()って下せえ。(足手を硬直(かたく)し、突伸べ、ぐにゃぐにゃと真俯向(まうつむ)けに草に()す。)

夫人 ほんとうなの、(おじ)さん。

人形使 やあ、嘘にこんな真似が出来るもので。それ、遣附(やッつ)けて下せえまし。

夫人 ほんとうに()つの?

人形使 血の出るまで打って下せえ。息の(とま)るまでもお(ねげ)えだよ。

夫人 ほんとうかい、ほんとうに打つのかね。

人形使 何とももう(たま)らねえ、待兼ねますだ。

夫人 ……あとで強情(ねだ)られたって、それまでの事だわね。――では、約束をしたものだから、ほんとうに打ってよ。我慢をおし。(雨傘にて三つ四つ。と続けさまに五つ六つ。)

人形使 (こた)えねえ、ちっとも堪えねえ。

夫人 ((むち)打ちつつ)これでは――これでは――

人形使 駄目だねえ。(寝ながら捻向(ねじむ)く)これでもか、これでもか、と遣って下せえ。

夫人 これでも、あの、これでも。

人形使 そんな事では、から駄目だ。待たっせえまし。(布子(ぬのこ)の袖なし、よごれくさりし印半纏(しるしばんてん)とともに脱ぎ、()せたる皺膚(しわはだ)を露出す。よろりと立って樹にその身をうしろむきに張りつく。振向きて(まなこ)を《みは》りながら)傘を引破いて、骨と柄になせえまし。それでは、婆娑々々(ばさばさ)するばかりで、ちっとも肉へ(こた)えねえだ。

夫人 (ため息とともに)ああ。

人形使 それでだの、()つものを、この酔払いの乞食爺(こじきじじい)だと思っては、ちっとも力が入らねえだ。――御新造様が、おのれと思う、憎いものが世にあるべい。(しゅうとめ)か、(しゅうと)か、小姑(こじゅうと)か、他人か、縁者、友だちか。何でも構う事はねえだの。

夫人 ああ。

人形使 その憎い(やつ)を打つと思って、思うさま引払(ひっぱた)くだ。()いか、可いかの。

夫人 ああ。

人形使 それ、(しっか)りさっせえ。

夫人 ああ。あいよ。(興奮しつつ、びりびりと傘を破く。ために、(きず)つき、指さき腕など血汐(ちしお)(にじ)む――取直す)――畜生――畜生――畜生――畜生――

人形使 ううむ、((かすか)(うめ)く)ううむ、そうだ、そこだ。ちっと、へい、応えるぞ。ううむ、そうだ。まだだまだだ。

夫人 これでもかい。これでもかい、畜生。

人形使 そ、そんな、尻べたや、土性骨(どしょうぼね)ばかりでは(らち)()かねえ、頭も耳も構わずと打叩(ぶったた)くんだ。

夫人 畜生、畜生、畜生。(自分(われ)を制せず、魔に魅入られたるもののごとく、踊りかかり、飛び上り、髪乱れ、色あおざむ。()って打って打ちのめしつつ、息を切る)ああ、切ない、苦しい。苦しい、切ない。

人形使 ううむ堪らねえ、苦しいが、()塩梅(あんばい)だ。堪らねえ、いい気味だ。

画家 (土手を伝わって窪地に下りる。騒がず、しかし急ぎ寄り、遮り(とど)む)貴女(あなた)、――奥さん。

夫人 あら、先生。(瞳を《みひら》くとともに、小腕(こがいな)しびれ、足なえて、崩るるごとく腰を落し、半ば失心す。)

画家 (肩を抱く)ウイスキーです――清涼剤(きつけ)に――一体、これはどうした事です。

人形使 (びくりびくりと(うごめ)く。)

画家 (且つこれを見つつ)どうした事情だか知りません。けれども、余り極端な事をしては不可(いけな)い。

夫人 ((ほっ)と息して)私、どうしたんでございましょう、人間界にあるまじき、浅ましい事をお目に掛けて、私どうしたら()いでしょうねえ。(ヒステリックに泣く。)

画家 (()むことを得ず、手をさすり脊筋を()づ)気をお鎮めなさい。

人形使 (血だらけの(はだ)を、半纏にて巻き、(あえ)ぎつつ草に手をつく)はい、……これは、えええ旦那様でござりますか、はい。

画家 この奥さんの……別に、何と言うではないが、ちょっと知合だ。

人形使 はい、そのお知合の旦那様に、(じい)から申上げます。はい、ええ、くどい事は、お聞きづろうござりますで。……早い処が、はい、この八ツ目(うなぎ)生干(なまぼし)を見たような、ぬらりと黒い、()からびた老耄(おいぼれ)も、若い時が一度ござりまして、その頃に、はい、(えか)い罪障を造ったでござります。女子(おなご)の事でござりましての。はい、ものに(たと)えようもござりませぬ。欄間にござる天女(てんにん)を、蛇が()いたような、いや、奥庭の池の鯉を、(いもり)が食い破りましたそうな儀で。……生命(いのち)も血も吸いました。――一旦夢がさめますると、その罪の可恐(おそろし)さ。身の置所もござりませぬで。……消えるまで、()せるまでと、雨露に命を打たせておりますうちに――四国遍路で逢いました廻国の御出家――弘法様かと存ぜられます――御坊様(ごぼうさま)から、不思議に譲られたでござります。竹操りのこの人形も、美しい御婦人でござりますで、爺が、この酒を(くら)います節も、さぞはや可厭(いや)であろうと思いますで、遠くへお離し申しておきます。担いで帰ります節も、酒臭い息が(かか)ろうかと、口に手拭(てぬぐい)()みます仕誼(しぎ)で。……美しいお女中様は、爺の目に、神も同然におがまれます。それにつけても、はい、昔の罪が思われます。せめて、朝に晩に、この身体(からだ)折檻(せっかん)されて、拷問(ごうもん)苛責(かしゃく)(くるしみ)を受けましたら、何ほどかの罪滅しになりましょうと、それも、はい、後の世の地獄は恐れませぬ。現世の心の苦しみが堪えられませぬで、不断常住、その事ばかり望んではおりますだが、木賃宿の同宿や、堂宮(どうみや)縁下(えんのした)共臥(ともぶせ)りをします、婆々(ばば)媽々(かか)ならいつでも打ちも蹴りもしてくれましょうが、それでは、念が届きませぬ。はて乞食が不心得したために、お生命までも、おうしないにならっせえましたのは、美しいお方でござりましたもの。やっぱり、美しいお方の苛責(かしゃく)でのうては、血にも肉にも、ちっとも響かぬでござります。――またこの希望(のぞみ)が、幽霊や怨念(おんねん)の、念願と同じ事でござりましての、この(つら)一つを出したばかりで大概の方は()げますで。……よくよくの名僧智識か、豪傑な御仁(ごじん)でないと、聞いてさえ下さりませぬ。――この老耄(おいぼれ)が生れまして、六十九年、この願望(がんもう)を起しましてから、四十一年目の今月今日。――たった今、その美しい奥方様が、通りがかりの乞食を呼んで、願掛(がんかけ)は一つ、一ヶ条何なりとも叶えてやろうとおっしゃります。――未熟なれども、家業がら、仏も出せば鬼も出す、魔ものを使う顔色(がんしょく)で、(おど)してはみましたが、この幽霊にも怨念にも、恐れなされませぬお覚悟を見抜きまして、さらば、お叶え下されまし、とかねての念願を申出でまして、磔柱(はりつけばしら)の罪人が引廻しの(さま)をさせて頂き、路傍(みちばた)ながら隠場所(かくればしょ)の、この山崩れの窪溜(くぼたまり)へ参りまして、お難有(ありがた)責折檻(せめせっかん)苛責(かしゃく)を頂いた儀でござります。……旦那様。

――もし、お美しい奥方様、おありがとうござります。おありがとうござります。

夫人 (はじめて平静に)お前さん、痛みはしないかい。

人形使 何の貴女様、この疼痛(いたみ)は、酔った顔をそよりそよりと春風に吹かれますも、観音様に柳の枝から甘露を含めて頂きますも、同じ嬉しさでござります。……はたで見ます唯今の、美女でもって夜叉(やしゃ)羅刹(らせつ)のような奥方様のお姿は、老耄(おいぼれ)の目には天人、女神をそのままに、尊く美しく拝まれました。はい、この疼痛のござりますうちだけは、骨も筋も柔かに、血も二十(はたち)代に若返って、楽しく、嬉しく、日を送るでござりましょう。

画家 (且つ傾き、且つ聞きつつ、冷静に金口煙草(きんぐちたばこ)(くゆ)らす)お爺さん、煙草を飲むかね。

人形使 いやもう、酒が、あか(おけ)の水なれば、煙草は、亡者の線香でござります。

画家 ()みたまえ。(真珠の(かざり)のついたる小箱のまま、()(いだ)す。)

人形使 はッこれは――弘法様の独鈷(とっこ)のように輝きます。勿体(もったい)ない。(這出(はいだ)して、画家の金口から吸いつける)罰の当った――勿体ない。この紫の雲に乗りまして、ふわふわと……極楽の空へ舞いましょう。

夫人 (おじ)さん、もう()くの。……()たれたばかりで、ほんとに()いのかい。

人形使 たとい桂川(かつらがわ)(さかさ)に流れましても、これに嘘はござりませぬ。

夫人 何か私に望んでおくれ。どうも私は気が済まない。

人形使 この上の(のぞみ)と申せば、まだ一度も、もう三度も、御折檻、御打擲(ごちょうちゃく)を願いたいばかりでござります。

夫人 そして、それから。

人形使 はあ、その上の(ねがい)と申せば、この身体(からだ)が粉々になりますまで、朝に晩に、毎日毎夜、お美しい奥方様の折檻を受けたいばかりでござります。――はや酔も覚めました。もう世迷言(よまいごと)も申しますまい。――昼は遠慮がござりますが、真夜中は、狸、(かわうそ)、化ものも同然に、とがめ()のござりませぬ、独鈷の湯へ浸ります嬉しさに、たつ野の木賃に巣をくって、しばらくこの山道を修善寺へ通いましたが――今日かぎり下田街道をどこへなと流れます。雲と水と申したけれど、天の川と(どぶ)の流れと分れましては、もはやお姿は影も映りますまい。お二方様とも、万代お栄えなされまし。――静御前様、へいへいお供をいたします。

夫人 お待ちなさい、(おじ)さん。(決意を示し、衣紋(えもん)を正す)私がお前と、その溝川(みぞがわ)へ流れ込んで、十年も百年も、お前のその朝晩の望みを叶えて上げましょう。

人形使 ややや。(声に出さず、顔色のみ。)

夫人 先生、――私は家出をいたしました。余所(よそ)の家内でございます。連戻されるほどでしたら、どこの隅にも入れましょうが、このままでは身の置処(おきどころ)がありません。――溝川に()ちた鯉の、あの浅ましさを見ますにつけ、死んだ身体(からだ)(みにく)さは、こうなるものと存じましても、やっぱり毒を飲むか、身を投げるか、自殺を覚悟していました。ただお(うるさ)さの余りでも、「こんな姿になるだけは、堅く止める。」と、おっしゃいました。……あの先刻(さっき)のお一言(ひとこと)で、私は死ぬのだけは()めましてございます。

先生、――私は、唯今では、名ばかりの貧乏華族、小糸川の家内でございますが。

画家 ああ子爵でおいでなさる。

夫人 何ですか、もう……――あの、貴方、……(ぜん)は、貴方が、西洋からお帰り時分、よく、お夥間(なかま)御贔屓(ごひいき)を遊ばして、いらしって下さいました、日本橋の……(うっとりと更に画家の顔を見る)――お忘れでございますか、お料理の、ゆかりの娘の、(ぬい)ですわ。

画家 ああ、そうですか。お縫さん……お妹さんの方ですね。綺麗なお嬢さんがおいでなさるという事を、時々風説(うわさ)に聞きました。

夫人 (はかなそうに)ええ、先生は、寒い時寒い、と言うほど以上には、お耳には留まらなかったでございましょう。私は貴方に見られますのが恥かしくッて、貴方のお座敷ばっかりは、お敷居越にも伺った事はありませんが、蔭ではお座敷においで遊ばす時の、先生のお言葉は、一つとして聞き()らした事はないくらいでございます。奥座敷にお見えの時は、天井の上に俯向(うつむ)けになって聞きます。裏座敷においでの時は、小庭を中に、湯どのに入って、衣服(きもの)を着てばかりはいられませんから、裸体(はだか)で壁に附着(くッつ)きました。そのほか、小座敷でも広室(ひろま)でも、我家の(やみ)をかくれしのぶ身体(からだ)はまるで鼠のようで、心は貴方の光のまわりに(ひとりむし)のようでした。ですが、苦労人の女中にも、わけ(しり)の姉たちにも、()ぶりにも悟られた事はありません。身ぶり素ぶりに出さないのが、ほんとの我が身体で、口へ出して言えないのが、真実の心ですわ。ただ恥かしいのが恋ですよ。――ですがもうその時分から、ヒステリーではないのかしら、少し気が変だと言われました。……貴方、お察し下さいまし。……私は全く気が変になりました。貴方が御結婚を遊ばして、あとまる一年、ただ()くものは涙ばかり、うるさく伸びるものは髪ばかり。座敷(ろう)ではありませんが、附添たちの看護の中に、藻抜(もぬけ)のように寝ていました。死にもしないで、じれったい。……消えもしないで、浅ましい、死なずに生きていたんですよ。

――我が身に返りました時、年紀(とし)二十(はたち)を三つ越す。広い家を一杯に我儘(わがまま)をさして可愛がってくれました母親(おふくろ)が亡くなりました。盲目(めくら)の愛がなくなりますと、(あかる)い世間が暗くなります。いままで我ままが過ぎましたので、その上の我がままは出来ない義理になりました。それでも、まだ我がままで――兄姉たちや、親類が、(たしか)商人(あきんど)、もの堅い勤人(つとめにん)と、見立ててくれました縁談を断って、唯今の家へ参りました。

 (しゅうとめ)が一人、小姑(こじゅうと)が、出戻(でもどり)と二人、女です――夫に(つか)うる道も、第一、家風だ、と言って、水も私が、郊外の住居(すまい)ですから、釣瓶(つるべ)から()まされます。野菜も切ります。……夜はお姑のおともをして、風呂敷でお惣菜(そうざい)の買ものにも出ますんです。――それを(いと)うものですか。――日本橋の実家からは毎日のおやつと晩だけの御馳走(ごちそう)は、重箱と盤台(はんだい)で、その日その日に、男衆が遠くを自転車で運ぶんです。が、さし身の角が寝たと言っては、料理番をけなしつけ、玉子焼の形が崩れたと言っては、客の食べ(あまり)を無礼だと、お姑に、重箱を足蹴(あしげ)にされた事もあります。はじめは、我身の不束(ふつつか)ばかりと、(うら)めしいも、口惜(くちおし)いも、ただ(つつしん)でいましたが、一年二年と経ちますうちに、よくその心が解りました。――夫をはじめ、――私の身につきました、……実家(さと)で預ります財産に、目をつけているのです。いまは月々のその利分で、……そう申してはいかがですが、内中の台所だけは持っておるのでございますけれど、その位では不足なのです。――それ(めい)が見合をする、従妹(いとこ)が嫁に()くと言って、私の曠着(すれぎ)(くし)(こうがい)は、そのたびに無くなります。盆くれのつかいもの、お交際(つきあい)の義理ごとに、友禅も白地も、羽二重、縮緬(ちりめん)、反ものは残らず払われます。実家(さと)へは黙っておりますけれど、箪笥(たんす)も大抵(から)なんです。――…………………それで主人は、詩をつくり、歌を読み、脚本などを書いて投書をするのが仕事です。

画家 それは弱りましたな。けれど、末のお見込はありましょう。

夫人 いいえ、その末の見込が、私が財産を持込みませんと、いびり出されるばかりなんです。(せき)をしたと(いっ)てはひそひそ、頭を痛がると言っては、ひそひそ。姑たちが額を集め、芝居や、活動によくある筋の、あの肺病だから家のためにはかえられない、という相談をするのです。――夫はただ「辛抱を、辛抱を。」と言うんですが、その辛抱をしきれないうち、私は(しん)でしまいましょう。ついこの間もかぜを引いて三日寝ました。水をのみに()きます廊下で、「今度などが汐時(しおどき)じゃ。……養生と言って実家(うち)へ帰したら。」姑たちが話すのを、ふいに痛い胸に聞いたのです。

画家 それは薄情だ。

夫人 薄情ぐらいで済むものですか。――私は口惜(くやし)さにかぜが抜けて、あらためて夫に言ったんです。「喧嘩をしても実家(さと)から財産を持って来ます。そのかわりただ一度で()うござんす。お姑さんを貴方の手で、せめて部屋の外へ突出して、一人の小姑の(たぶさ)(つか)んで、一人の小姑の横ぞっぽうを、ぴしゃりと一つお打ちなさい。」と……

人形使 (じりじり乗出す)そこだそこだ、その事だ。

画家 ははは、痛快ですな。しかし(おだやか)でない。

夫人 (激怒したるが、忘れたように微笑(ほほえ)む)穏でありませんか。

画家 まず。……そこで。

夫人 きさまは鬼だ、と夫が申すと、いきなり私が、座敷の外へ突飛ばされ、倒れる処を髻をつかまれ、横ぞっぽうを打たれました。――その晩――昨晩――その晩の、夜はかえって目につきますから、昨日家出をしたんです。先生……金魚か、植木鉢の草になって、おとなしくしていれば、実家(さと)でも、親類でも、身一つは引取ってくれましょう。私は意地です、それは(いや)です。……この上は死ぬほかには、行き処のない身体(からだ)を、その行きどころを見着けました。(決然として向直る)このおじさんと一所に行きます。――この人は、婦人(おんな)(しいた)げた罪を知って、朝に晩に(しもと)折檻(せっかん)を受けたいのです。一つは世界の女にかわって、私がその(うらみ)を晴らしましょう。――この人は、静御前の人形を、うつくしい人を礼拝します。私は女に生れました、ほこりと果報を、この人によって()けましょう。――この人は、死んだ鯉の醜い死骸(しがい)を拾いました。……私は弱い身体(からだ)の行倒れになった肉を、この人に拾われたいと存じます。

画家 (あるいは(うなず)き、また打傾き、やや沈思す)奥さん、(あらた)めて、お縫さん。

夫人 (うれしそうに、あどけなく笑う)はアい。

画家 貴女のそのお覚悟は、他にかえようはないのですか。

夫人 はい、このまま、貴方、先生が手をひいて、旅館へお帰り下さる外には――

人形使 そうだ、そうだ、その事だ。

画家 (再び沈黙す。)

夫人 (すり寄る)先生。

画家 貴女、それは御病気だ。病気です。けれども私は医師(いしゃ)でない、断言は出来ません。――貴女のお覚悟はよくありません。しかし、私は人間の道について、よく(わか)っておりません。何ともお教えは申されない。それから私が手を取る事です。是非善悪は、さて置いて、それは今、私に決心が着きかねます。卑怯(ひきょう)に回避するのではありません。私は自分の仕事が忙しい。いま分別をしている余裕が、――人間の小さいために、お恥かしいが出来ないのです。しかし一月、半月、しばらくお待ち下さるなら、その間に、また、覚悟をしてみましょう。

夫人 先生、私は一晩かくれますにさえ、顔も形も変えています。運命は迫っています。

画家 ごもっともです。――(顔を凝視さるるに堪えざるもののごとく、目を人形使に返す)(じい)さん、きっとお供をするかね。

人形使 犬になって――

(じっ)と夫人を抱き起し、その腰の下へ四這(よつば)いに入る背に、夫人おのずから腰を掛けつ、なお倒れんとする手を、画家たすけ支う。

馬になってお供をするだよ。

画家 奥さん、――何事も御随意に。

夫人 貴方、そのお持ち遊ばすお酒を下さい。――そして媒妁人(なこうど)をして下さい。

画家 (無言にて、(びん)を授け、且つ酌する。)

夫人 (ウイスキーを一煽(ひとあお)りに、(ほっ)と息す)(おじ)さん、(さかな)をなさいよ。

人形使 口上(まがい)に、はい小謡(こうたい)の真似でもやりますか。

夫人 いいえ、その腐った鯉を、ここへお出しな。

人形使 や。

夫人 お出しなね。刃ものはないの。

人形使 野道、山道、野宿だで、犬おどしは持っとりますだ。(腹がけのどんぶりより、()びたるナイフを抽出(ぬきだ)す。)

画家 ああ、奥さん。

夫人 この人と一所に行くのです。――このくらいなものを食べられなくては。……

人形使 やあ、面白い。俺も食うべい。

画家 (()と立ちて(おもて)を背く。)

――南無大師遍照金剛。――南無大師遍照金剛――遠くに多人数の人声。童男童女(どうにょ)の稚児二人のみまず練りつつ出づ――

稚児一 (いたいけに)南無大師遍照金剛。……

稚児二 (なおいたいけに)南無大師遍照金剛。……

はじめ二人。紫の(きれ)のさげ髪と、白丈長(しろたけなが)稚髷(ちごまげ)とにて、(しずか)にねりいで、やがて人形使、夫人、画家たちを(あやし)むがごとく、ばたばたと()け抜けて、花道の中ばに急ぐ。画家と夫人と二人、言い合せたるごとく、ひとしくおなじ向きに立つ。人形使もまた真似るがごとく、ひとしくともに手まねき、ひとしくともにさしまねく、この光景怪しく(すご)し。妖気(ようき)おのずから(じょう)()つ。稚児二人引戻さる。

画家 いい()だ。ちょっと頼まれておくれ。

夫人 可愛い、お稚児さんね。

画家 (外套を脱ぎ、草に敷く)奥さん、爺さんと並んでお敷きなさい。

夫人 まあ、勿体ない。

画家 いや、その位な事は何でもありません。が貴女の病気で、私も病気になったかも知れません。――さあ、二人でお酌をしてあげておくれ。

夫人、人形使と並び坐す。稚児二人あたかも鬼に(えき)せらるるもののごとく、かわるがわる酌をす。静寂、雲くらし。(うぐいす)はせわしく鳴く。(しょう)篳篥(ひちりき)(かすか)に聞ゆ。――南無大師遍照金剛――次第に声近づき、やがて村の老若男女十四五人、くりかえし唱えつつ(きた)る。

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