3話 第二場(1)
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場面。――一方やや高き丘、花菜の畑と、二三尺なる青麦畠と相連る。丘のへりに山吹の花咲揃えり。下は一面、山懐に深く崩れ込みたる窪地にて、草原。苗樹ばかりの桑の、薄く芽ぐみたるが篠に似て参差たり。
一方は雑木山、とりわけ、かしの大樹、高きと低き二幹、葉は黒きまで枝とともに茂りて、黒雲の渦のごとく、かくて花菜の空の明るきに対す。
花道をかけて一条、皆、丘と丘との間の細道の趣なり。遠景一帯、伊豆の連山。
画家 (一人、丘の上なる崕に咲ける山吹と、畠の菜の花の間高き処に、静にポケット・ウイスキーを傾けつつあり。――鶯遠く音を入る。二三度鶏の声。遠音に河鹿鳴く。しばらくして、立ちて、いささかものに驚ける状す。なお窺うよしして、花と葉の茂に隠る。)
夫人 (傘を片手に、片手に縄尻を控えて――登場。)
人形使 (猿轡のまま蝙蝠傘を横に、縦に十文字に人形を背負い、うしろ手に人形の竹を持ちたる手を、その縄にて縛められつつ出づ。肩を落し、首を垂れ、屠所に赴くもののごとし。しかも酔える足どり、よたよたとして先に立ち、山懐の深く窪み入りたる小暗き方に入り来り、さて両腕を解けば縄落つ。実はいましめたるにあらず、手にてしかく装いたるなり。人形を桑の一木に立掛け、跪いて拝む。かくてやや離れたる処にて、口の手拭を解く)御新造様。そりゃ、約束の通り遣って下せえ。(足手を硬直し、突伸べ、ぐにゃぐにゃと真俯向けに草に俯す。)
夫人 ほんとうなの、爺さん。
人形使 やあ、嘘にこんな真似が出来るもので。それ、遣附けて下せえまし。
夫人 ほんとうに打つの?
人形使 血の出るまで打って下せえ。息の止るまでもお願えだよ。
夫人 ほんとうかい、ほんとうに打つのかね。
人形使 何とももう堪らねえ、待兼ねますだ。
夫人 ……あとで強情られたって、それまでの事だわね。――では、約束をしたものだから、ほんとうに打ってよ。我慢をおし。(雨傘にて三つ四つ。と続けさまに五つ六つ。)
人形使 堪えねえ、ちっとも堪えねえ。
夫人 (鞭打ちつつ)これでは――これでは――
人形使 駄目だねえ。(寝ながら捻向く)これでもか、これでもか、と遣って下せえ。
夫人 これでも、あの、これでも。
人形使 そんな事では、から駄目だ。待たっせえまし。(布子の袖なし、よごれくさりし印半纏とともに脱ぎ、痩せたる皺膚を露出す。よろりと立って樹にその身をうしろむきに張りつく。振向きて眼を《みは》りながら)傘を引破いて、骨と柄になせえまし。それでは、婆娑々々するばかりで、ちっとも肉へ応えねえだ。
夫人 (ため息とともに)ああ。
人形使 それでだの、打つものを、この酔払いの乞食爺だと思っては、ちっとも力が入らねえだ。――御新造様が、おのれと思う、憎いものが世にあるべい。姑か、舅か、小姑か、他人か、縁者、友だちか。何でも構う事はねえだの。
夫人 ああ。
人形使 その憎い奴を打つと思って、思うさま引払くだ。可いか、可いかの。
夫人 ああ。
人形使 それ、確りさっせえ。
夫人 ああ。あいよ。(興奮しつつ、びりびりと傘を破く。ために、疵つき、指さき腕など血汐浸む――取直す)――畜生――畜生――畜生――畜生――
人形使 ううむ、(幽に呻く)ううむ、そうだ、そこだ。ちっと、へい、応えるぞ。ううむ、そうだ。まだだまだだ。
夫人 これでもかい。これでもかい、畜生。
人形使 そ、そんな、尻べたや、土性骨ばかりでは埒明かねえ、頭も耳も構わずと打叩くんだ。
夫人 畜生、畜生、畜生。(自分を制せず、魔に魅入られたるもののごとく、踊りかかり、飛び上り、髪乱れ、色あおざむ。打って打って打ちのめしつつ、息を切る)ああ、切ない、苦しい。苦しい、切ない。
人形使 ううむ堪らねえ、苦しいが、可い塩梅だ。堪らねえ、いい気味だ。
画家 (土手を伝わって窪地に下りる。騒がず、しかし急ぎ寄り、遮り止む)貴女、――奥さん。
夫人 あら、先生。(瞳を《みひら》くとともに、小腕しびれ、足なえて、崩るるごとく腰を落し、半ば失心す。)
画家 (肩を抱く)ウイスキーです――清涼剤に――一体、これはどうした事です。
人形使 (びくりびくりと蠢く。)
画家 (且つこれを見つつ)どうした事情だか知りません。けれども、余り極端な事をしては不可い。
夫人 (吻と息して)私、どうしたんでございましょう、人間界にあるまじき、浅ましい事をお目に掛けて、私どうしたら可いでしょうねえ。(ヒステリックに泣く。)
画家 (止むことを得ず、手をさすり脊筋を撫づ)気をお鎮めなさい。
人形使 (血だらけの膚を、半纏にて巻き、喘ぎつつ草に手をつく)はい、……これは、えええ旦那様でござりますか、はい。
画家 この奥さんの……別に、何と言うではないが、ちょっと知合だ。
人形使 はい、そのお知合の旦那様に、爺から申上げます。はい、ええ、くどい事は、お聞きづろうござりますで。……早い処が、はい、この八ツ目鰻の生干を見たような、ぬらりと黒い、乾からびた老耄も、若い時が一度ござりまして、その頃に、はい、大い罪障を造ったでござります。女子の事でござりましての。はい、ものに譬えようもござりませぬ。欄間にござる天女を、蛇が捲いたような、いや、奥庭の池の鯉を、蠑が食い破りましたそうな儀で。……生命も血も吸いました。――一旦夢がさめますると、その罪の可恐さ。身の置所もござりませぬで。……消えるまで、失せるまでと、雨露に命を打たせておりますうちに――四国遍路で逢いました廻国の御出家――弘法様かと存ぜられます――御坊様から、不思議に譲られたでござります。竹操りのこの人形も、美しい御婦人でござりますで、爺が、この酒を喰います節も、さぞはや可厭であろうと思いますで、遠くへお離し申しておきます。担いで帰ります節も、酒臭い息が掛ろうかと、口に手拭を噛みます仕誼で。……美しいお女中様は、爺の目に、神も同然におがまれます。それにつけても、はい、昔の罪が思われます。せめて、朝に晩に、この身体を折檻されて、拷問苛責の苦を受けましたら、何ほどかの罪滅しになりましょうと、それも、はい、後の世の地獄は恐れませぬ。現世の心の苦しみが堪えられませぬで、不断常住、その事ばかり望んではおりますだが、木賃宿の同宿や、堂宮の縁下に共臥りをします、婆々媽々ならいつでも打ちも蹴りもしてくれましょうが、それでは、念が届きませぬ。はて乞食が不心得したために、お生命までも、おうしないにならっせえましたのは、美しいお方でござりましたもの。やっぱり、美しいお方の苛責でのうては、血にも肉にも、ちっとも響かぬでござります。――またこの希望が、幽霊や怨念の、念願と同じ事でござりましての、この面一つを出したばかりで大概の方は遁げますで。……よくよくの名僧智識か、豪傑な御仁でないと、聞いてさえ下さりませぬ。――この老耄が生れまして、六十九年、この願望を起しましてから、四十一年目の今月今日。――たった今、その美しい奥方様が、通りがかりの乞食を呼んで、願掛は一つ、一ヶ条何なりとも叶えてやろうとおっしゃります。――未熟なれども、家業がら、仏も出せば鬼も出す、魔ものを使う顔色で、威してはみましたが、この幽霊にも怨念にも、恐れなされませぬお覚悟を見抜きまして、さらば、お叶え下されまし、とかねての念願を申出でまして、磔柱の罪人が引廻しの状をさせて頂き、路傍ながら隠場所の、この山崩れの窪溜へ参りまして、お難有い責折檻、苛責を頂いた儀でござります。……旦那様。
――もし、お美しい奥方様、おありがとうござります。おありがとうござります。
夫人 (はじめて平静に)お前さん、痛みはしないかい。
人形使 何の貴女様、この疼痛は、酔った顔をそよりそよりと春風に吹かれますも、観音様に柳の枝から甘露を含めて頂きますも、同じ嬉しさでござります。……はたで見ます唯今の、美女でもって夜叉羅刹のような奥方様のお姿は、老耄の目には天人、女神をそのままに、尊く美しく拝まれました。はい、この疼痛のござりますうちだけは、骨も筋も柔かに、血も二十代に若返って、楽しく、嬉しく、日を送るでござりましょう。
画家 (且つ傾き、且つ聞きつつ、冷静に金口煙草を燻らす)お爺さん、煙草を飲むかね。
人形使 いやもう、酒が、あか桶の水なれば、煙草は、亡者の線香でござります。
画家 喫みたまえ。(真珠の飾のついたる小箱のまま、衝と出す。)
人形使 はッこれは――弘法様の独鈷のように輝きます。勿体ない。(這出して、画家の金口から吸いつける)罰の当った――勿体ない。この紫の雲に乗りまして、ふわふわと……極楽の空へ舞いましょう。
夫人 爺さん、もう行くの。……打たれたばかりで、ほんとに可いのかい。
人形使 たとい桂川が逆に流れましても、これに嘘はござりませぬ。
夫人 何か私に望んでおくれ。どうも私は気が済まない。
人形使 この上の望と申せば、まだ一度も、もう三度も、御折檻、御打擲を願いたいばかりでござります。
夫人 そして、それから。
人形使 はあ、その上の願と申せば、この身体が粉々になりますまで、朝に晩に、毎日毎夜、お美しい奥方様の折檻を受けたいばかりでござります。――はや酔も覚めました。もう世迷言も申しますまい。――昼は遠慮がござりますが、真夜中は、狸、獺、化ものも同然に、とがめ人のござりませぬ、独鈷の湯へ浸ります嬉しさに、たつ野の木賃に巣をくって、しばらくこの山道を修善寺へ通いましたが――今日かぎり下田街道をどこへなと流れます。雲と水と申したけれど、天の川と溝の流れと分れましては、もはやお姿は影も映りますまい。お二方様とも、万代お栄えなされまし。――静御前様、へいへいお供をいたします。
夫人 お待ちなさい、爺さん。(決意を示し、衣紋を正す)私がお前と、その溝川へ流れ込んで、十年も百年も、お前のその朝晩の望みを叶えて上げましょう。
人形使 ややや。(声に出さず、顔色のみ。)
夫人 先生、――私は家出をいたしました。余所の家内でございます。連戻されるほどでしたら、どこの隅にも入れましょうが、このままでは身の置処がありません。――溝川に死ちた鯉の、あの浅ましさを見ますにつけ、死んだ身体の醜さは、こうなるものと存じましても、やっぱり毒を飲むか、身を投げるか、自殺を覚悟していました。ただお煩さの余りでも、「こんな姿になるだけは、堅く止める。」と、おっしゃいました。……あの先刻のお一言で、私は死ぬのだけは止めましてございます。
先生、――私は、唯今では、名ばかりの貧乏華族、小糸川の家内でございますが。
画家 ああ子爵でおいでなさる。
夫人 何ですか、もう……――あの、貴方、……前は、貴方が、西洋からお帰り時分、よく、お夥間と御贔屓を遊ばして、いらしって下さいました、日本橋の……(うっとりと更に画家の顔を見る)――お忘れでございますか、お料理の、ゆかりの娘の、縫ですわ。
画家 ああ、そうですか。お縫さん……お妹さんの方ですね。綺麗なお嬢さんがおいでなさるという事を、時々風説に聞きました。
夫人 (はかなそうに)ええ、先生は、寒い時寒い、と言うほど以上には、お耳には留まらなかったでございましょう。私は貴方に見られますのが恥かしくッて、貴方のお座敷ばっかりは、お敷居越にも伺った事はありませんが、蔭ではお座敷においで遊ばす時の、先生のお言葉は、一つとして聞き洩らした事はないくらいでございます。奥座敷にお見えの時は、天井の上に俯向けになって聞きます。裏座敷においでの時は、小庭を中に、湯どのに入って、衣服を着てばかりはいられませんから、裸体で壁に附着きました。そのほか、小座敷でも広室でも、我家の暗をかくれしのぶ身体はまるで鼠のようで、心は貴方の光のまわりに蛾のようでした。ですが、苦労人の女中にも、わけ知の姉たちにも、気ぶりにも悟られた事はありません。身ぶり素ぶりに出さないのが、ほんとの我が身体で、口へ出して言えないのが、真実の心ですわ。ただ恥かしいのが恋ですよ。――ですがもうその時分から、ヒステリーではないのかしら、少し気が変だと言われました。……貴方、お察し下さいまし。……私は全く気が変になりました。貴方が御結婚を遊ばして、あとまる一年、ただ湧くものは涙ばかり、うるさく伸びるものは髪ばかり。座敷牢ではありませんが、附添たちの看護の中に、藻抜のように寝ていました。死にもしないで、じれったい。……消えもしないで、浅ましい、死なずに生きていたんですよ。
――我が身に返りました時、年紀も二十を三つ越す。広い家を一杯に我儘をさして可愛がってくれました母親が亡くなりました。盲目の愛がなくなりますと、明い世間が暗くなります。いままで我ままが過ぎましたので、その上の我がままは出来ない義理になりました。それでも、まだ我がままで――兄姉たちや、親類が、確な商人、もの堅い勤人と、見立ててくれました縁談を断って、唯今の家へ参りました。
姑が一人、小姑が、出戻と二人、女です――夫に事うる道も、第一、家風だ、と言って、水も私が、郊外の住居ですから、釣瓶から汲まされます。野菜も切ります。……夜はお姑のおともをして、風呂敷でお惣菜の買ものにも出ますんです。――それを厭うものですか。――日本橋の実家からは毎日のおやつと晩だけの御馳走は、重箱と盤台で、その日その日に、男衆が遠くを自転車で運ぶんです。が、さし身の角が寝たと言っては、料理番をけなしつけ、玉子焼の形が崩れたと言っては、客の食べ余を無礼だと、お姑に、重箱を足蹴にされた事もあります。はじめは、我身の不束ばかりと、怨めしいも、口惜いも、ただ謹でいましたが、一年二年と経ちますうちに、よくその心が解りました。――夫をはじめ、――私の身につきました、……実家で預ります財産に、目をつけているのです。いまは月々のその利分で、……そう申してはいかがですが、内中の台所だけは持っておるのでございますけれど、その位では不足なのです。――それ姪が見合をする、従妹が嫁に行くと言って、私の曠着、櫛笄は、そのたびに無くなります。盆くれのつかいもの、お交際の義理ごとに、友禅も白地も、羽二重、縮緬、反ものは残らず払われます。実家へは黙っておりますけれど、箪笥も大抵空なんです。――…………………それで主人は、詩をつくり、歌を読み、脚本などを書いて投書をするのが仕事です。
画家 それは弱りましたな。けれど、末のお見込はありましょう。
夫人 いいえ、その末の見込が、私が財産を持込みませんと、いびり出されるばかりなんです。咳をしたと言てはひそひそ、頭を痛がると言っては、ひそひそ。姑たちが額を集め、芝居や、活動によくある筋の、あの肺病だから家のためにはかえられない、という相談をするのです。――夫はただ「辛抱を、辛抱を。」と言うんですが、その辛抱をしきれないうち、私は死でしまいましょう。ついこの間もかぜを引いて三日寝ました。水をのみに行きます廊下で、「今度などが汐時じゃ。……養生と言って実家へ帰したら。」姑たちが話すのを、ふいに痛い胸に聞いたのです。
画家 それは薄情だ。
夫人 薄情ぐらいで済むものですか。――私は口惜さにかぜが抜けて、あらためて夫に言ったんです。「喧嘩をしても実家から財産を持って来ます。そのかわりただ一度で可うござんす。お姑さんを貴方の手で、せめて部屋の外へ突出して、一人の小姑の髻を掴んで、一人の小姑の横ぞっぽうを、ぴしゃりと一つお打ちなさい。」と……
人形使 (じりじり乗出す)そこだそこだ、その事だ。
画家 ははは、痛快ですな。しかし穏でない。
夫人 (激怒したるが、忘れたように微笑む)穏でありませんか。
画家 まず。……そこで。
夫人 きさまは鬼だ、と夫が申すと、いきなり私が、座敷の外へ突飛ばされ、倒れる処を髻をつかまれ、横ぞっぽうを打たれました。――その晩――昨晩――その晩の、夜はかえって目につきますから、昨日家出をしたんです。先生……金魚か、植木鉢の草になって、おとなしくしていれば、実家でも、親類でも、身一つは引取ってくれましょう。私は意地です、それは厭です。……この上は死ぬほかには、行き処のない身体を、その行きどころを見着けました。(決然として向直る)このおじさんと一所に行きます。――この人は、婦人を虐げた罪を知って、朝に晩に笞の折檻を受けたいのです。一つは世界の女にかわって、私がその怨を晴らしましょう。――この人は、静御前の人形を、うつくしい人を礼拝します。私は女に生れました、ほこりと果報を、この人によって享けましょう。――この人は、死んだ鯉の醜い死骸を拾いました。……私は弱い身体の行倒れになった肉を、この人に拾われたいと存じます。
画家 (あるいは頷き、また打傾き、やや沈思す)奥さん、更めて、お縫さん。
夫人 (うれしそうに、あどけなく笑う)はアい。
画家 貴女のそのお覚悟は、他にかえようはないのですか。
夫人 はい、このまま、貴方、先生が手をひいて、旅館へお帰り下さる外には――
人形使 そうだ、そうだ、その事だ。
画家 (再び沈黙す。)
夫人 (すり寄る)先生。
画家 貴女、それは御病気だ。病気です。けれども私は医師でない、断言は出来ません。――貴女のお覚悟はよくありません。しかし、私は人間の道について、よく解っておりません。何ともお教えは申されない。それから私が手を取る事です。是非善悪は、さて置いて、それは今、私に決心が着きかねます。卑怯に回避するのではありません。私は自分の仕事が忙しい。いま分別をしている余裕が、――人間の小さいために、お恥かしいが出来ないのです。しかし一月、半月、しばらくお待ち下さるなら、その間に、また、覚悟をしてみましょう。
夫人 先生、私は一晩かくれますにさえ、顔も形も変えています。運命は迫っています。
画家 ごもっともです。――(顔を凝視さるるに堪えざるもののごとく、目を人形使に返す)爺さん、きっとお供をするかね。
人形使 犬になって――
凝と夫人を抱き起し、その腰の下へ四這いに入る背に、夫人おのずから腰を掛けつ、なお倒れんとする手を、画家たすけ支う。
馬になってお供をするだよ。
画家 奥さん、――何事も御随意に。
夫人 貴方、そのお持ち遊ばすお酒を下さい。――そして媒妁人をして下さい。
画家 (無言にて、罎を授け、且つ酌する。)
夫人 (ウイスキーを一煽りに、吻と息す)爺さん、肴をなさいよ。
人形使 口上擬に、はい小謡の真似でもやりますか。
夫人 いいえ、その腐った鯉を、ここへお出しな。
人形使 や。
夫人 お出しなね。刃ものはないの。
人形使 野道、山道、野宿だで、犬おどしは持っとりますだ。(腹がけのどんぶりより、錆びたるナイフを抽出す。)
画家 ああ、奥さん。
夫人 この人と一所に行くのです。――このくらいなものを食べられなくては。……
人形使 やあ、面白い。俺も食うべい。
画家 (衝と立ちて面を背く。)
――南無大師遍照金剛。――南無大師遍照金剛――遠くに多人数の人声。童男童女の稚児二人のみまず練りつつ出づ――
稚児一 (いたいけに)南無大師遍照金剛。……
稚児二 (なおいたいけに)南無大師遍照金剛。……
はじめ二人。紫の切のさげ髪と、白丈長の稚髷とにて、静にねりいで、やがて人形使、夫人、画家たちを怪むがごとく、ばたばたと駈け抜けて、花道の中ばに急ぐ。画家と夫人と二人、言い合せたるごとく、ひとしくおなじ向きに立つ。人形使もまた真似るがごとく、ひとしくともに手まねき、ひとしくともにさしまねく、この光景怪しく凄し。妖気おのずから場に充つ。稚児二人引戻さる。
画家 いい児だ。ちょっと頼まれておくれ。
夫人 可愛い、お稚児さんね。
画家 (外套を脱ぎ、草に敷く)奥さん、爺さんと並んでお敷きなさい。
夫人 まあ、勿体ない。
画家 いや、その位な事は何でもありません。が貴女の病気で、私も病気になったかも知れません。――さあ、二人でお酌をしてあげておくれ。
夫人、人形使と並び坐す。稚児二人あたかも鬼に役せらるるもののごとく、かわるがわる酌をす。静寂、雲くらし。鶯はせわしく鳴く。笙篳篥幽に聞ゆ。――南無大師遍照金剛――次第に声近づき、やがて村の老若男女十四五人、くりかえし唱えつつ来る。