9話 海底都市(9)
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魚人オンドリの声に、僕は彼の指す方を眺めた。
ああ、僕はその光景を一目見たとき、そっちへ目を向けたことを後悔した。それは悲惨きわまる光景だった。洞窟の中に、大きな崖くずれが起こり、その土砂の下から数百数千の魚人が血だらけになって救けをもとめているのであった。そして天井から、にゅうと顔を出しているのは、まぎれもなく海底都市のボーリングの末端をなす鋼鉄棒だった。
「とつぜんあのとおり、大震動と共に、あのような金属棒がわれらの居住区を突きさしたのだ」
オンドリは叩きつけるような口調でいった。
「そこで天井はくずれる。たちまちわれらの同胞はあのとおり生き埋めになる。皮膚は破れ、肉はさけ、死する者数知れず、その救出しにわれらは総力をあげているが、このとおりまだ救い出しきらないのだ。どうです、君たちヤマ族が見ても気持ちのいい光景じゃないでしょう」
「ごもっともである。海底都市の拡張工事がこんな惨禍を君たちに与えようとは全然知らなかった。早速僕は、このことを報告して、直ちに善後策を講ずるであろう」
「とにかく無法にも程がある。何等の案内も警告もなしに、上からどかどかと鉄の棒をさしこんで、こんな目にあわすんだからね。かりに君たちの居住区が、こんな風に荒されたと考えてみたまえ。君たちはそのときどんなに怒りだすことか」
「ごもっとも。げにごもっともである。早速警告をわれらの仲間へ発信しよう」
僕はそういって、カビ博士への通信器を取上げた。しかしそれは機能を発揮しなかった。
と、そのとき大雷の落ちたような音響がした。それと共に、僕が踏まえている大地が地震のように揺れた。
「おッ、又来たぞ。憎むべきヤマ族!」
オンドリの呪いにみちた声と共に、右手の正面の壁がどっと下へ動きだして、滝のように落下していった。するとそのあとに、直径二百メートルほどの大穴があいた。その底はどのへんになっているのか、土煙のために見えなかった。
トロ族の叫び。僕のまわりから、また土煙のたちのぼる地底からも、あわれな叫喚があがって来た。
「また陥没だ。ひどいことをしやがる」
オンドリの声は、前よりもずっと興奮している。
僕は目を蔽いたかった。僕は出来るならすぐさまその場を逃げ出したかった。だが、そうすることは不可能だった。僕はどの道を行けば、カビ博士の待っているところへ行けるのかを知らない。――オンドリが、僕の手をつかんだ。
「あの声を聞け。トロ族の呪いの声を聞け」
そういって彼は、僕の耳にゴムまりを半分に切ったようなものを、ぺたんとはりつけた。するとそれまでは、ただわあわあ、ぎゃアぎゃアとばかり聞こえていたトロ族たちの叫喚が、とたんに言葉になって僕に聞こえた。
「ヤマ族の悪魔め! また、やりやがった」
「もうかんべんならん。海底都市へ進撃して、ヤマ族をみな殺しだ」
「そこに立っているヤマ族の一人を、まず血祭りにぶち殺せ」
「そうだ、そうだ。やっつけろ」
僕は背中が寒くなった。
暴民どもだ。彼らのいっていることから考えて、彼らを暴民と呼んでさしつかえないだろう、たとえ彼らが憤激すべき理由を持っているにしろ……。
「君は、僕に何を求めるのかね」
僕はたまりかねて、傍にいて僕の手首をしっかり握っているオンドリにいった。
「あのとおり同胞は激昂しているんだ。尋常のことではおさまらないだろう。同胞たちは君の姿を見て、一層刺戟されたのだ。同胞たちは、日頃の忍耐を破って、ヤマ族の海底都市襲撃を叫んでいる。あれ、あの通り……」
オンドリにいわれなくても、僕にも彼らの好戦的な叫びは、さっきから耳に入っている。困ったことになったものだ。
「海底都市の人たちは、自分たちの進めている海底工事が、このように君たちトロ族に惨害を与えていることを知らないのだ。知ってりゃ即座にやめるにちがいない。だから君たちは海底都市を襲撃する前に、先ず事情を海底都市へ申し入れるべきだ。及ばずながら僕はその使者の一人となってもいいと思う」
「遅い。もう遅い。われわれの同胞はあの通りの大激昂だ。君は……君は気の毒だが、われわれの門出の血祭だ。ひッひッひッひッ」
オンドリは歯をむきだして、僕の腕の骨も折れよと掴んで振った。
これまで穏健の人と見えていたオンドリまでが、もはや気が変になってしまったようになったのだ。万事休すである。
僕の心は千々に乱れた。愛する人たちの住んでいる海底都市を、トロ族の暴行より如何にして護ったらいいだろうか。また大激昂のトロ族を何とか一度で鎮まらせる方法はないものであろうかと。
……と、僕は一策を思いついた。
タイム・マシーン
最後の竿頭に立って思いついた僕の一策というのは、どんなことであったろうか。
それはすこぶる大胆な、そして乱暴な方法であった。だがそれが今残されたる只一つの道であるのだ。トロ族の群衆は、今僕の身体を八つ裂きにしようと思っている。それに続いて大挙、海底都市に侵入しようとしている。そしてトロ族の惨虐性と復讐心とが、言語に絶する暴行を演ずるであろうことは明白だ。この際だ。どんなに険しい道であろうと、それが道であれば、僕は突き進まないでいられないのだ。
「はははは、僕を血祭にするというのか」
僕はオンドリの方へ笑いかえした。
「そうだ。それによって、われわれは、先ず同胞の流した血の最初の一滴をとりかえすのだ。あとは海底都市へなだれこんで、何十倍何百倍の血にして取り戻す……」
「はははは。たわ言もいい加減にしたまえ。君たちはわれわれ人類ヤマ族を劣等生物視しているが今に後悔するだろう。われわれ人類は、君たちみたいに野蛮ではない。また文化においてもずっとすぐれている」
「うそだ。ヤマ族は貧弱な文化力を持った劣等未開の奴ばらだ」
「それが認識不足というものだ。今に分る。そのときおどろかないように……」
「ヘヘン、わらわせる。なにが認識不足だ」
「殺してしまえ。八つ裂にしろ」
「早く、殺っちまえ。顔を見ているのも、むなくそが悪い」
「迷っている死霊のために、そのヤマ族野郎の頭を叩きつぶせ」
トロ族群衆の興奮と激昂とはその頂点に達した。ついに彼らは鬨の声をあげて、僕の方へ殺到した。手に手に異様な凶器を持ち、目玉をむき出し歯をむき出して、怒れる野獣群のように僕を目がけてとびついた。
何條もってたまるべき、僕はたちどころに惨殺されてしまった――。
ちりちりちりちりン。
警鈴が鳴っている。
僕は目を見開く。まぶしい金属壁の反射である。
(ほう、ここは見覚えのあるタイム・マシーンの中だ!)
と、気がつく折しも、この金属壁の一部がぽかりと四角にあいて――そこが扉だったのだ――外からこっちを覗きこんだ者がある。
「あッ、君は……」
覗きこんだ男こそ、辻ヶ谷少年だった。僕をこのタイム・マシーンの中に入れてくれた、同級生の辻ヶ谷君だった。
「おう、君。もういいだろう。出たまえ」
「いやだ。今が大切なんだ。もう一度二十年後の世界へ僕を戻してくれ。君も知っているじゃないか、僕は今トロ族に殺されて……」
「何をいってるんだ。うわごとはそのくらいにして、こっちへ出て来たまえ。足がどうかしたんなら手を貸してやろうか」
「だめ、だめ。絶対に下りない。ねえ君、頼むよ。今非常に大切なところなんだ。僕がたとえ何十回ここへ戻って来ても、僕がもしいいというまでは、君は僕を二十年後の世界へ何回でも送りつけるんだ。そうしないとわが人類は一大危機にさらされることになるんだ。いいかね、何回でも僕を、二十年後の世界へ追いかえすのだ」
僕は泣かんばかりにして辻ヶ谷君に頼んだ。
なにしろ僕はトロ族の暴民のため殺されたにちがいない。死ぬと共に、僕はこの世の中へ戻って来て、タイム・マシーンの中に自分の身体を発見したのである。僕が予想したとおりだった。
然らば僕は、かねて計画したところに従って頑張るばかりだ。これから何べんでもトロ族の暴民の前に姿を現わして、彼等をおどろかせ、そして彼らをどこまでも説得するんだ。
「よォし、そんなに君がいうんなら、また二十年後の世界へ送ってやるが、そのかわりどんな事が起っても、僕は知らないよ」
辻ヶ谷君は、そういって扉に手をかけた。
「ありがとう、ぜひ頼む。――いいね、僕がもうよろしいというまでは、僕が何べんここへ戻って来ても、二十年後の世界へ追いかえすのだよ」
「よし分かった。君の希望するとおりに計らってあげる」
そういうと辻ヶ谷君は、扉をぱたんと閉めた。
それから例のとおりタイム・マシーンは働きはじめた。あたりがぼんやりとなる。そしてしばらくすると、別の音響が聞こえて来た。
「ひッひッひッひッ。見やがれ。とうとう八つ裂にしてやった」
「血祭第一号だ。ヤマ族め、思い知ったか。くやしかったらもう一度生きてみろ」
僕は今だと思った。僕はむくむくと起きあがった。そして大音声をはりあげた。
「あわててはいけない。僕は死んでいないのだ。オンドリ、僕が見えるか」
僕は傍にいたオンドリの肩を叩いた。そのときのオンドリのおどろいた顔!
不死身
「僕はまだ死んで居らんぞ。よく見たまえ」
僕はオンドリの腕をとらえて、つよくゆすぶった。
「おやッ。まだ死ななかったか」
オンドリは、僕がまだ生きて居るのを、ようやく認識したようだ。
「この野郎はまだ生きている。これではまだ血祭にならないぞ」
オンドリは前に集まっているトロ族たちを煽動した。さっきまでは彼は平和愛好者のような顔をしていたのに、今はもうがらりと変って煽動者をつとめている。なんという卑しい根性の持主だろう。
「殺してしまえ。そのヤマ族の代表者を、ずたずたにひきさいてしまえ」
「復讐だ。そしてヤマ族の国へ攻めこんで行く前の血祭に、そのヤマ人を張り殺すがいい」
「そうだ、そうだ。やってしまえ」
興奮しきったトロ族の暴漢は、僕をめがけて押しよせた。
その野獣的な彼らの形相に、また太古のままの好戦的な性格まるだしの有様に、僕はいささかひるみはしたけれど、ここで決心を曲げては万事水の泡と思い、こっちも負けずに大声を張りあげた。
「トロ族の人々よ。君たちは悪魔に呪われていることに気がつかないのか。目ざめよ。君たちはもっと冷静にならなければならない。平和的に事を解決する道をえらばなければならない。暴力のみで、自分の意志を押し通そうというのは、神の憎みたまう最も邪道である。目を開け、トロ族の諸君。君たちは神の道に反して、僕を暴力によって殺害しようとしている。しかし見ていたまえ。そういう暴力行使は何の役にもたたないから、君たちは遂に僕を殺害し得ないということを悟るだろう。そのとき君たちは、神のみ心を――」
「やっちまえ。きゃつをこの上、勝手気ままにしゃべらせておくことがあるものか」
「そうだ、そうだ。早く八つ裂にしてやるんだ」
わあッと、彼らは殺到した。
棒、石塊、刀、斧、その他いろいろな兇器が僕の頭上に降って来た。――僕は昏倒した。
気がついてみると、辻ヶ谷君がタイム・マシーンの扉を細目に開いて、こっちをのぞきこんでいる。
「おう、辻ヶ谷君。早く僕を二十年後の世界へ送りかえしてくれたまえ。今、とても重大な出来事があの世界で起こっているんだから……」
「ほんとに、いいのか。何べんでも、あっちへ送りかえしてやればいいのか」
「そうなんだ。僕がもういいというまでは、いくどでも二十年後の世界へ僕を追い返してくれ給え」
「よし。やってあげるよ。器械がこわれない間は、やってやるよ」
扉が、ぱたんとしまった。
気がついてみると、僕はオンドリの足許に倒れていた。
むくむくと起き上がった。
「おい、トロ族諸君。君たちは大ぜいでもって、まだ僕を殺し得ないではないか。いったい、どうしたんだ。よく反省してみたまえ」
「おンや。この野郎。また生き返って来たぞ。執念ぶかい野郎だ」
「へんだなあ。たしかにぶち殺して、手足も首も、ばらばらにしてしまったはずだが……」
「わたしは、なんだか気味が悪くなって来たわ」
「あの人がいっているとおり、神さまはあの人の方についているようね」
そんな声が僕の耳にちらちらと、はいった。どうやら相手の中に、軟化のしるしが見え始めた。が、安心するのは、まだ早かった。
「こいつは悪魔だ。もっと徹底的に叩きつぶさにゃ駄目だ」
「執念ぶかいやつ。やっつけろ」
「やっつけろ」
オンドリは気が変になったようになって、僕におどりかかった。暴漢たちが、それに続いて僕へのしかかる。
僕は息がつまってしまった。
が、僕は四度五度と、死にかわり生きかわり、彼らの目の前に姿をあらわした。そしてそのたびにまずまっ先にオンドリを見つけて彼の肩を叩くことにした。
オンドリは、始めの慓悍さをだんだんと失ってきて、次第にむずかしい顔付をするようになった。九回目には、彼は大きな恐怖の色をうかべて、死んだようになってしまった。僕は、そのそばへ行って介抱をしてやった。そして、こういった。
「もう分ったでしょう。君たちのやり方が間違っているということを。……それが分ったら、僕の忠告に従って、君たちは平和的に事を解決するために、代表者を数名えらんで海底都市へ派遣したまえ。及ばずながら、僕が仲介をしてあげるから」
平和使節
トロ族の暴漢どもは、今や鳴りをしずめた。その指導者のオンドリ先生と来たら、鳴りをしずめる以上にへたばってしまって、僕の足許に長く伸びて、気息えんえんである。
「さあ、僕の提案を君たちは採用するか、採用しないか。すぐ決めたまえ」
僕は彼らに、平和的解決をはかるために、トロ族代表者を決めて海底都市へ派遣するように、そしてその手引は僕がしてあげると申し入れたのだ。こうなっては、彼らは僕の提案を受けとるしかないのだ。
彼らはオンドリのそばへ集まって低音の早口で、しきりに相談しているようだった。が、遂に事は決まったと見え、オンドリは大ぜいに身体を抱えあげられて僕の前に来た。
「あなたのおっしゃるとおりにします。われわれは五名の代表者を出します。そしてあなたについて海底都市へ行かせます。どうかよろしくお願いしたい。……なお、今までのかずかずの失礼の段、ふかく遺憾の意を表します。すみません」
オンドリは別人のようにおとなしくなって、大恐縮のていで、僕に嘆願し、且つわびた。僕は、あとは責任をもって引受けるといってやった。そしてすぐ海底都市へ出発するから、代表者は用意をするようにといった。
代表者五名が、やがて僕の前に並んだ。
そのうちの一人はオンドリであった。あと四人は、男二人、女が二人。半数は若く、半数は老人だということであった。
彼らは服装をととのえた。裸身の上へ、西陣織のようなもので作った、衣服をつけた。そして頭部を頭巾のようなもので包み、目ばかりを見せていた。
それから彼らは、身のたけよりも長い筒を背中にくくりつけた。
「これは何が入っているんですか」
と、僕がたずねると、彼らは答えて、行って帰るまでの生活用具が入っていること、決してあやしげなるものははいっていないことを説明した。そして中をひらいて、内容物をぞろぞろと取り出して見せた。しかし僕にはそれらがどういう役をするものであるか、一つとして見当がつかなかったので、そのまま収ってもらうことにした。
僕と五人のトロ人は、大ぜいに見送られて出発した。
それから僕は五人の者に案内せられて、例の不愉快な旅行をつづけた。
「ヤマ族には、影というものがないのですかねえ」
ビロという若者は、途中でえらい発見をして、僕にたずねた。
僕はぎくりとした。
「それはね、影のある者もあるし、ない者もあるんだ」
「ふしぎですね。われらトロ族はみんな一つずつ影を持っていますよ」
「そうだろうね」
「なぜ、ヤマ族には、あなたのように影のない人があるのでしょうか」
僕は返答に困った。
「ま、その訳を話すと長くなるから、しないでおくが、要するにわれわれヤマ族では、影なんかどうにでもなるんだ。一人で五つも六つも影を持っている者もある」
「ほう。それは、ますますふしぎだ」
ビロはびっくりしたようだ。
僕は、決してでたらめをいったわけではない。物の影などというものは光線の数によって決まるものだ。
つぼのうしろに、一本の蝋燭をたてると、つぼの影は一つできる。もしこのとき蝋燭を二本にするとつぼの影は二つになる。だから光源をもっとふやせば、影はそれに応じてふえる。影を五つも六つも持つことは、らくにやれることだ。しかし僕のように、この世に影をなげかけることの出来ないものは、影のふやしようがない。
もっとも、このことも理学的に研究を進めるなら、あるいは出来るようになるかもしれないが……。
僕たちは、ついに最後の砂をつきやぶって海底に出た。
例のなつかしい海底風景であった。
僕はカビ博士のことを念頭に思いうかべた。そこで博士の貸してくれた通信機のことをも思い出して胸のあたりをさぐってみると、ちゃんとそれがあった。これ幸いと僕はその送話器を通じて、放送をこころみた。
すると、応答があった。
「了解した。すぐそこへ迎えに行く」
という。
そういってから、五分間とかからないうちに、カビ博士は高速潜水艇メバル号に乗ってやって来た。しかもそのうしろには、メバル号よりずっと大きなりっぱな潜水艇が三隻したがっていた。
「ご苦労だったね。大いに心配していた」
と博士は潜水服姿であらわれていった。
「ひどい目にあったよ」
「そうだろう。あとから話を聞くことにしよう。……あんまり君が戻って来ないものだから、とうとう、わしは政府を動かして、この潜水艇三隻の協力を得ることになったのだ」
博士はそういいながら、五人のトロ族の方をじろりと見た。
新龍宮ホテル
五人の魚人たちをむかえた海底都市は、その歓迎に、町々がひっくりかえるほどのにぎやかさであった。
そういう魚人が、海底のさらにその下に住んでいたとは知らない人の方が多かったので、「先住トロ族の発見とその来訪」というカビ博士の解説文は、報道網を通って海底都市の人々に大きなおどろきと、深い感銘とをあたえた。そして代表オンドリ氏・ビロ氏などの五名の宿舎にあてられた新龍宮ホテルの前の広場には、朝早くから夜ふけまで、たくさんの群衆があつまって、わいわいさわぎたてていた。一目でもいいから、魚人を見たいという望みなのだ。
彼らは、魚人を見たいために、いろいろなはなやかな飾りものをこしらえ、それをホテルの前へ引いて来て、歓迎の音楽を演奏したり合唱をしたりした。
カビ博士のことは、一躍有名となった。
世界的考古学者また生物学者として称えられ、また海底のそのまた底までさぐって魚人代表を連れてかえったその勇気と辛抱づよさとその人徳をも賞めあげられた。
カビ博士は、時に僕と目をあわせると、くすぐったそうに笑った。
(どうも具合がわるいよ。ほんとは、みんな君の手柄なんだからねえ)
僕は、博士のちぢれた髭がくすぐったい笑いのために、ふるえるのを見るのは愉快であった。あの気むずかしい博士は、今や学界といわず市民たちからといわず、尊敬のまとになってしまって、二十四時いつも彼らの前へひっぱり出されているので、むずかしい顔なんか五分間もしていられないのだ。それは彼にとって、むずがゆい苦しさにちがいない。
僕は、このお祭さわぎの中に、すこしも表面に立っていない。そのわけは、僕は日かげの身で、表面には立てないのだ。僕は、表向きに名のりをあげると、ただちに逮捕せられて、例の海底牢獄へぶちこまれるにきまっている。僕はカビ博士の努力によって、ようやく考古学の標本または実験動物として、この世界に逗留を黙認されている次第だ。
だから、この間から僕の演じた冒険も外交交渉も、何もかもすべてカビ博士自らが行ったことになっているのだ。
影の人だ。僕は影にいて、賞讃でもみくちゃになるカビ博士をくすぐったく隙見しているわけだった。
僕は、ほんとなら、このお祭さわぎの席には顔を出したくない。しかし、そうしないわけに行かないのだ。なぜならオンドリをはじめ五人の代表魚人たちは、もともと僕との交渉により、僕を信用して、はるばるここまで足をはこんだのである。だから、僕の姿が、彼らのそばから少時間消えても、彼らは非常な不安な色をうかべて僕を探しまわるのであった。そういうことは、ことに始めの一週間ばかりにおいて甚だしかった。
僕は、ひやひやしながら、魚人たちの身のまわりの世話や、連絡にあたった。僕は、影のない身であることを海底都市の人に知られまいとして、どんなに毎日苦労をしたか知れない。僕は安全な間接照明の室をよって走りまわった。さもなければ雑とうの巷が安全だった。そこでは影法師のことなんか誰も注意していないから。
五名の代表たちは、海底都市の市長や委員たちにほんとうの会談をとげるまでに四五日かかった。それは彼らが、海底都市における生活になれないためと、そしていろいろな気づかれが重なったせいであった。
「いかがですか、オンドリ氏。もうすこしは空気の中の生活になれましたか」
僕は、五日目にそのことをたずねた。それは市長たちが一日も早く会談を始めたくて、カビ博士に毎日のようにさいそくをしているからだった。
「ああ。ようやくなれて来たが、あまりながくここに逗留していると、病気になるね」
オンドリ氏は、気密兜の中から、そういった。
彼ら五名は、いつでもこの気密兜を被り、気密服をすっぽりと着ていなければならなかった。この兜と服の中には、海水と、そして特別な気体とがはいっていた。それは彼らの呼吸になくてはならないものだった。彼らが身体をうごかしたとき、兜の透明板の中で、海水がしぶきをたてるのが、よく見られた。
またこの兜や服は、彼らの裸身にかかる圧力を、ちょうど適当に保っていた。これがないと、いつも圧力の高いところで生活していた彼らは圧力の低い空中ではとても生きていられないし、身体がたちまち気球のようにふくれてパンクするおそれがあった。
それに、もう一つ、彼らの異様な形をした裸身が、海底都市の人たちの目にとまって、不快な感じを持たれたり、きらわれたりするのを防ぐためにも必要だった。
破局来る