人間豹

13話 舞台裏の怪異

3,666字 約7分 2019年10月21日 公開

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「みなさん、仮面を取ってください。曲者(くせもの)は見物席の中へまぎれ込んだかもしれません」

 劇場の係り員が、大声でどなった。何千という見物たちの型にはめたような一様の笑い顔が、たちまち消えて行った。そして、取り去られたお面の下から、老幼男女、美醜さまざまの生地(きじ)の顔が、さらけ出された。

 人々はお互いに隣席の人物を、疑い深く(なが)め合った。あのとりすました顔をしている男が、もしや人間豹なのではあるまいか。こちらにニヤニヤ笑っているやつもなんだか怪しいぞ。誰も彼も、自分のすぐ間近に恐ろしい殺人鬼が潜んでいるように感じた。

 劇場全体を、死の静寂が占領した。人々は、今にもワーッと叫んで、逃げ出したい気持で一杯になりながら、しかし逃げ出す気力さえもなく、棒立ちになったまま身動きもしないでいた。そして、幾千という眼が、ただ眼だけが、極度の恐怖に(おび)えながら、ジロジロと見かわされていた。

 だが、客席にも、舞台にも、舞台裏にも、あの特徴のある恩田の顔は、まったく見出すことができなかった。

 やがて近くの警視庁から()けつけた十数名の警官が、劇場係り員の協力を得て、楽屋から舞台裏、天井から奈落(ならく)の隅々まで捜索したけれど、ついに獣人の姿を発見することはできなかった。恩田ばかりではない。被害者の江川蘭子も、いつの間にどこから運び出されてしまったのか、影さえも見えなかった。

 レビューは開演なかばにして中止するほかはなかった。満員の見物たちは、木戸木戸に立ち並んだ警官に、不愉快な首実検をされて不平たらたら帰り去った。

 見物が一人もいなくなると、再び入念な捜索が繰り返されたが、やっぱりなんの得るところもなかった。どの出入口から逃げ去ったという見当さえ、まったくつかなかった。

 一時間以上のむだな努力の後、警官たちは()()ず引き上げて行った。レビュー・ガールや劇場係り員たちも許されて帰宅した。あとには、墓場のように(さび)しくなった建物の中に、たった七人の宿直員が心細く居残っているばかりであった。

 こういう事のあったあとだからというので、(とび)の者や力自慢の道具方など、()りすぐった七人の者が、寝ずの番を(おお)せつかったのだ。

 彼らは楽屋口に近い、畳敷きの部屋に一とかたまりになって、徳利(とっくり)からじかの冷酒を(あお)りながら、無駄口(むだぐち)(たた)いていた。

「おいらあ、どうも、あいつがまだ、この小屋ん中のどっかの隅っこに、隠れているような気がしてしようがねえんだがね」

「よせやい。おどかしっこなしだぜ。あれほど探していなかったんだもの、今頃(いまごろ)まで隠れているはずはないよ。ねえ君」

 すると三番目の男が首をかしげながら、

「ウン、だが、どうとも言えないね。なにしろ芝居の舞台裏や奈落(ならく)ときちゃ、ごみ()めみてえなもんだからね。隠れようと思えば人間一人、どこへだって隠れられるからね」

 また別の一人が、

「もし隠れているとすりゃ、奈落だぜ。ほら、あん時、みんなしてやつを(おさ)えつけたと思ったら、もうどっかへいなくなっていたね。変じゃねえか。いくらすばやいったって、あんなに早く逃げ出せるわけがねえ。やつは、あん時、せり出しの穴へ飛び込んだのに違いないぜ。やっこさん、今ごろ、この縁の下あたりでモゾモゾしてるんじゃねえかな」

 議論は容易に尽きなかったが、話せば話すほど、七人の者はだんだん、人間(ひょう)がまだこの劇場内に(ひそ)んでいるという考えに、支配されて行った。

 ほかのどんな建物より、空っぽになった劇場ほど、異様に物淋(ものさび)しいものはない。見物席の何千という椅子(いす)に、たった一人も人間が(すわ)っていない有様を考えただけでも、何かしらゾッとする感じであった。まして深夜、あんな怪事の起こったあと、死に絶えたような大建築物の中に、生きているものといっては、たった七人……と思うと、さすが力自慢の兄いたちも、決してよい気持はしなかった。

「それはそうと、君、あいつがまだ小屋の中にいるとすると、蘭子はどうしたんだろう」

「むろん、一緒にいるだろうじゃねえか」

「生きてかい?」

 誰も答えるものはなかった。人々はギョッとしたようにだまり込んで、不安な眼を見かわすばかりであった。

 そうだ、けだものは、あの美しい女優を殺さなかったとは言えないのだ。どこかその辺の暗闇(くらやみ)の中に、血みどろになった蘭子の死骸(しがい)がころがっていないとは限らないのだ。

「アーアー、いやだいやだ。おい、みんな、そんな話は()しにしようじゃねえか」

 誰かがやけに大きな声を出した。

「シッ……ちょっとだまって」

 すると隅っこにいた一人が、突然恐怖に(おび)えた眼を光らせて、一同を制した。

「あれはなんだろう……ほら……君たちには聞こえないのかい……あの声」

 思わず澄ます一同の耳に、どこか遠くの方から、かすかに、かすかに、女の悲鳴らしいものが聞こえてきた。

「おい、あの声、蘭子じゃねえか」

「ウン、そうらしい。どこだろう」

 気早やの若者たちはもう立ち上がっていた。

奈落(ならく)のようだぜ」

「いや、舞台裏かもしれない」

「おい、みんな、行ってみよう」

 人々はドカドカと廊下へ出て、草履(ぞうり)をつっかけるのももどかしく、先を争うように走り出した。大部分は奈落へ降りていったが、二人だけ舞台裏に(まわ)った者がある。若い道具方とその友だちの(とび)の者だ。彼らは決して奈落の(やみ)を恐れたのではなかった。さいぜんの悲鳴を舞台裏からきたものと信じていたのだ。

 道具建てを取りかたづけた舞台の上は、原っぱのように広々としていた。高い天井から裸電燈が幾つか下がっている。開演中の照明とは違って、公園の常夜燈みたいに、薄暗くたよりない感じだ。

 廻り舞台の大きな二重円形が、まる出しに見えている。その両側の道具置場には、幾筋かの細い通路を残して、書き割、さまざまの張り物、藪畳(やぶだたみ)などが、ゴチャゴチャと詰め込んである。

 両人は廻り舞台のまん中に立って、どこを探したものかと、しばらく躊躇(ちゅうちょ)していたが、すると、またしても異様な叫び声が聞こえてきた。

「アワワワワ」というようなかん高い声が、何かに(ふた)されているように、陰にこもって舞台の広い空洞にこだまするのだ。

「おい、やっぱりここだぜ」

「ウン、あっちの方から聞こえてきたようだね」

 二人は足音を盗んで、それとおぼしき道具置場の細い通路へはいって行った。

 藪畳(やぶだたみ)をかきさがしたり、書き割を動かしてみたりして、抜け目なく眼をくばりながら、グルッと一巡したけれど、どこの隅にも人影らしいものもない。

「こいつあ、どうもキテレツだわい。確かに、この辺から聞こえてきたんだがなあ」

「だまって。相手に聞かれちゃいけねえ。しばらくここで待ってみようじゃねえか」

 二人はささやきかわしながら、その細くて薄暗い通路にしゃがんだ。

 彼らのうずくまったすぐ前には、藪畳が三枚ほど立てかけてあって、その奥に、()る日本舞踊の道具に使われる、張り物の大きなお釈迦(しゃか)さまの坐像(ざぞう)が、大入道のようにボンヤリと見えていた。

「おや、今なんだかガサガサって音がしたじゃねえか」

(ねずみ)だろう」

「鼠なもんか。どうやら、この辺が(くさ)いぜ」

 突然、彼らはハッと息を()んで、眼と眼を見合わせた。ごく間近くから、「ウーン」という妙な(うな)り声がして、パタパタと何かを()りつける音が聞こえたからだ。

「オイ、見ろ、あの中が怪しいぜ」

「ウン、そうだ、用意はいいか」

「やっつけろ!」

 二人の眼が、そういう意味を伝え合った。そして、呼吸が(そろ)うと、彼らは立ち上がるや否や恐ろしい勢いで、そこにある張子(はりこ)の仏像へ飛びついていった。

 軽い張子のお釈迦さまは、()と突きで横ざまに倒れてしまった。同時に、仏像の体内に隠れていたものが、眼の前に暴露された。

 まっ黒な人影が、スックと立ち上がって、こちらを(にら)みつけたまま、逃げだそうともしない。その男の顔のあたりに、(りん)のように底光りのする二つの丸いものが、じっと動かなかった。(ひょう)の眼だ。果たして、そこには恩田が隠れていたのだ。

 恩田の足元に、肌も(あら)わになって花売娘が倒れていた。いうまでもなく、江川蘭子である。猛獣はその可憐(かれん)餌食(えじき)とたった二人で、さいぜんからずっと、この仏像の体内に(ひそ)んでいたのに違いない。

 道具方と(とび)の者は、相手があまりに落ちつきはらっているので、無気味さに、手出しもできず立ちすくんでいた。

 長いあいだ無言の睨み合いがつづいた。

「お前たち、二人っきりか」

 異様に陰気な声が響いてきた。人間豹が物を言ったのだ。

「何をっ!」

 鳶の者が、虚勢を張って、これも低い声で応じた。

「お前たち、おれの力を知らないのか」

 薄闇(うすやみ)の中に、(きば)のようなまっ白な歯が、浮き出して見えた。二つの燐光が油を注いだように、爛々(らんらん)と燃え立った。

 怪人は、両手で空を(つか)むようにして、ジリジリと前へ進んできた。

畜生(ちくしょう)っ、やっちまえ」

 (とび)の者は、やけくそにわめきながら、黒い影に組みついて行った。道具方もおくれてはいない、(すき)を見て怪物の足にからみついた。

「オーイ、早く来てくれえ、曲者(くせもの)をつかまえたぞお」

 組みつきながら、二人は声々に、奈落(ならく)の人たちの応援を求めた。

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