動物園

1話 動物園

3,563字 約7分 2007年7月25日 公開

読み方を変える
字の大きさ
行の間隔
1行の長さ
書体
配色
組み方

     象

 象よ。キツプリングは昔お前の先祖が、(わに)に鼻を(くは)へられたものだから、(いま)だにお前まで長い鼻をぶら下げて歩いてゐると云つた。が、おれにはどうしても、あいつの云ふ事が信用出来ない。お前の先祖は仏陀(ぶつだ)御在世(ございせい)の時分、きつとガンヂス(がは)燈心草(とうしんぐさ)の中で、昼寝か何かしてゐたのだ。すると河の泥に隠れてゐた、途方(とはう)もなく大きな(ひる)が、その頃はまだ短かつた、お前の先祖の鼻の先へ、吸ひついてしまつたのに違ひない。さもなければお前の鼻が、これ程大きな(ひる)のやうに、伸びたり(ちぢ)んだりはしないだらう。象よ。お前は印度(インド)の名門の生れだ。どうかおれの云つた通り、あのキツプリングの説などは口から出放題(ではうだい)大法螺(おほぼら)だと、先祖の(ゑん)(すす)ぐ為に、一度でも()いからその鼻をあげて、喇叭(らつぱ)のやうな声を轟かせてくれ。

     (こふ)(とり)

 あの(くび)をさ、襟飾(ネクタイ)のやうに(むす)んでしまつたら、一体あいつはどうしてほどく気なんだらう。

     駱駝(らくだ)

 お(ぢい)さん。もう万年青(おもと)御手入(おていれ)はおすみですか。ではまあ一服おやりなさい。おや、あの菖蒲革(しやうぶがは)(たばこ)入は、どこへ忘れて御出でなすつた?

     虎

 虎よ。お前はコスモポリタンだ。豊干禅師(ぶかんぜんじ)を乗せたお前。和唐内(わたうない)()たれたお前。それからウイルヤム・ブレエクの有名な詩に歌はれたお前。虎よ。お前は最大のコスモポリタンだ。

     家鴨(あひる)

 子供が黒板(こくばん)白墨(はくぼく)悪戯(いたづら)に書いた算用数字。2、2、2、2、2、2。

     白孔雀(しろくじやく)

 これは年とつた貴婦人だ。お眼が少し赤く(ただ)れていらつしやる。鼈甲(べつかふ)()のついた眼鏡(めがね)を持つて、一々見物人を御覧になれば()い。

     大蝙蝠(おほかうもり)

 お前の翼は仁木弾正(につきだんじやう)(びん)だ。面明(つらあか)りの蝋燭位(らふそくくらゐ)は、一煽(ひかあふ)りにも消し兼ねない。さうしたら、鼻の尖つた、眼張りの強い、(くちびる)をへの字に曲げてゐる顔が、うす暗い雲母摺(きららずり)(うしろ)にして、(いよいよ)気味悪く浮き上るだらう。落款(らくくわん)東洲斎写楽(とうしうさいしやらく)……

     カンガルウ

 腹の袋の中には子供が一匹はひつてゐる。あれを出してしまつても、まだ英吉利(イギリス)の国旗か何かが、手品(てじな)のやうに出て来はしないか。

     鸚哥(いんこ)

 お前は古い唐画(たうぐわ)の桃の枝に、ぢつと止つてゐるが()い。うつかり羽搏(はばた)きでもしようものなら、体の絵の具が()げてしまふから。

     猿

 猿よ。お前は一体泣いてゐるのか、それとも(また)笑つてゐるのか。お前の顔は悲劇の(めん)のやうで、同時に又喜劇の面のやうだ。おれの記憶は縁日(えんにち)の猿芝居へおれを連れて()く。桜の釣板(つりいた)張子(はりこ)の鐘、それからアセチレン瓦斯(ガス)の神経質な光。お前は金紙(きんがみ)烏帽子(ゑぼし)をかぶつて、緋鹿子(ひがのこ)の振袖をひきずりながら、恐るべく皮肉な白拍子(しらびやうし)花子の役を勤めてゐる。おれの胸に始めて疑団(ぎだん)(きざ)したのは、正にその白拍子たるお前の顔へ、偶然の一瞥(いちべつ)を投げた時だ。お前は一体泣いてゐるのか、それとも亦笑つてゐるのか。猿よ。人間よりもより人間的な猿よ。おれはお前程巧妙なトラジツク・コメデイアンを見た事はない。――おれが心の中でかう(つぶや)くと、猿は突然身を(をど)らせて、おれの前の金網(かなあみ)にぶら下りながら、癇高(かんだか)い声で問ひ返した。「ではお前は? え、お前のそのしかめ(つら)は?」

     山椒魚(さんせううを)

 おれがね、お前は一体何物だと、頭に向つて尋ねたら、(わたし)山椒魚(さんせううを)ですよと、尻尾(しつぽ)がおれに返事をしたぜ。

     鶴

 県下第一の旅館の玄関、芍薬(しやくやく)と松とを()けた花瓶、伊藤博文(いとうひろぶみ)大字(だいじ)(がく)、それからお前たちつがひの剥製(はくせい)……

     狐

 ふて寝だな。この襟巻め。

     鴛鴦(をしどり)

 胡粉(ごふん)の雪の積つた柳、銀泥(ぎんでい)の黒く焼けた水、その上に浮んでゐる極彩色(ごくさいしき)のお前たち夫婦、――お前たちの画工は伊藤若冲(いとうぢやくちう)だ。

     鹿

 この見事な刀掛(かたなかけ)には、(あふひ)御紋散(ごもんぢ)らしの大小でも(うやうや)しく掛けて置くが()い。

     波斯猫(ペルシヤねこ)

 日の光、茉莉花(まつりくわ)の《にほひ》、黄色い絹のキモノ、Fleurs du Mal, それからお前の手ざはり。……

     鸚鵡(あうむ)

 鹿鳴館(ろくめいくわん)には今日(けふ)も舞踏がある。提灯(ちやうちん)の光、白菊(しらぎく)の花、お前はロテイと一しよに踊つた、美しい「みやうごにち」令嬢だ。

     日本犬

 造り物の柳に()入りの月が出る。お前は唯遠くで啼いてゐれば()い。

     南京鼠(ナンキンねづみ)

 上着(うはぎ)白天鵞絨(しろびろうど)、眼は柘榴石(ざくろいし)、それから手袋は桃色繻子(じゆす)。――お前たちは皆可愛(かはい)らしい、支那美人にそつくりだ。後宮(こうきゆう)佳麗(かれい)三千人と云ふと、おれは何時(いつ)もお前たちが、重なり合つた楼閣の中に、巣を食つた所を想像する。そら、西施(せいし)(いも)の皮を()じつてゐると、楊貴妃(やうきひ)は一生懸命に車をまはしてゐるぢやないか。

     猩々(しやうじやう)

 あの猩々(しやうじやう)の鼻の上には、金縁(きんぶち)の Pince-nez がかかつてゐる。あれが君に見えるかい? もし見えなければ、今日(けふ)限り、詩を作る事はやめにし給へ。

     (さぎ)

 祥瑞(しよんずゐ)江村(かうそん)は暮れかかつた。藍色(あゐいろ)の柳、藍色の橋、藍色の茅屋(ばうをく)、藍色の水、藍色の漁人(ぎよじん)、藍色の芦荻(ろてき)。――すべてが(やや)黒ずんだ藍色の底に沈んだ時、忽ち白々(しらしら)と舞ひ(あが)るお前たち三羽の翼の色。――皿の外までも飛び出さなければ()いが。

     河馬(かば)

 ()す。(りよう)武帝(ぶてい)達磨大師(だるまだいし)に問ふ。如何(いかん)(これ)仏法(ぶつぽう)()云ふ。水中の河馬(かば)

     ぺングイン

 お前は落魄(らくはく)した給仕人だ。悲しさうなお前の眼の中には、以前勤めてゐたホテルの大食堂が、今も Aurora australis のやうに、輝かしい過去の幻を浮き上らせる事がありはしないか?

     馬

 (こがらし)の吹く町の(かど)には、青銅(からかね)のお前に(またが)つた、やはり青銅(からかね)の宮殿下が、寒むさうな往来(わうらい)老若男女(らうにやくなんによ)を、揚々と見(おろ)して御出(おい)でになる。さうしてその宮殿下の、軍服を召した御胸(おむね)には、恐れながら白い(からす)(ふん)が、……

     (ふくろふ)

 Brocken (ざん)へ! (はうき)(またが)つた(ばあ)さんが、赤い月のかかつた空へ、煙突から一文字(いちもんじ)に舞ひ(あが)る。と、その(うしろ)から一羽の(ふくろふ)が――いや、これは婆さんの飼ひ猫が何時(いつ)()にか翼を生やしたのかも知れない。

     金魚

 うす日の光がさして来ると、藻に立つた秋も目立つやうになつた。おれは、――所々(うろこ)()げた金魚は、やがてはこの冷たい水の上に、(むくろ)(さら)す事になるのかも知れない。しかしさう云ふ最後の日までは、やはり先の切れた尾を振りながら、あの洒落者(しやれもの)のブラムメルのやうに、悠々と泳いでゐようと思ふ。

     兎

 今昔物語(こんじやくものがたり)巻五(まきのご)三獣行菩薩道兎焼身語(さんじうぼさつのみちをおこなひうさぎみをやくものがたり)と云ふ 〔Ja_taka〕 の中に、こんなお前の肖像画がある。――「兎は励みの心を(おこ)して、……耳は高く《くぐ》せにして、目は大きく前の足短く、尻の穴は大きく開いて、東西南北求め歩けども、更に求め得たるものなし……」

     雀

 これは南画(なんぐわ)だ。蕭々(せうせう)(なび)いた竹の上に、消えさうなお前が(あが)つてゐる。黒ずんだ(いん)の字を読んだら、大明方外之人(たいみんはうぐわいのひと)としてあつた。

     麝香獣(じやかうじう)

 梅紅羅(ばいこうら)軟簾(なんれん)の中に、今夜(こんや)も独り眠つてゐる、淫婦潘金蓮(はんきんれん)(あや)しい夢。

     (かはをそ)

 毎晩廊下へ出して置く、(だい)(もの)の残りがなくなるんですよ。(かはをそ)が引いて()くんですつて。昨夜(ゆうべ)も舟で帰る御客が、提灯(ちやうちん)の火を消されました。

     黒豹(くろへう)

 お前は歯の美しい Black Mary だ。南京玉(なんきんだま)の首飾りや毛糸の肩掛を持つて行つてやつたら、さぞ(のど)をならして喜ぶだらう。

     蒼鷺(あをさぎ)

 (なん)でも雨上(あまあが)りの葉柳の《にほひ》が、川面(かはも)を蒸してゐる時だつた。お前はその柳の(こずゑ)に、たつた一羽止まつてゐたが、「夕焼け、小焼け、あした天気になあれ。」――そんな唄を(うた)つて(とほ)つた、子供の時のおれを覚えてゐるかい?

     栗鼠(りす)

 亜欧堂田善(あおうだうでんぜん)銅版画(どうばんぐわ)の森が、時代のついた薄明りの中に、太い枝と枝とを()はしてゐる。その枝の上に(うづくま)つた、可笑(をか)しい程悲しいお前の眼つき……

     (からす)

「今晩は。」「今晩は。この竹藪は風が吹くと、騒々しいのに閉口します。」「ええ、その上月のある晩は、余計(よけい)(なん)だか落着きませんよ。――時に隠亡堀(おんばうぼり)如何(いかが)でした?」「隠亡堀ですか? あすこには今日(けふ)不相変(あひかはらず)、戸板に打ちつけた死骸がありました。」「ああ、あの女の死骸ですか。おや、あなたの(くちばし)には、髪の毛が何本も(さが)つてゐますよ。」

     ジラフ

 これは玩具(おもちや)だ。黄色い絵の具と黒い絵の具とが、まだ乾かずにべたべたしてゐる。(もつと)も人間の子供の玩具(おもちや)には、ちつと大きすぎるかも知れない。さしづめあの小ましやくれた、幼児(ランフアン)基督の玩具には持つて来いだ。

     金糸雀(かなりや)

 理髪店の店さきには、朝日の光がさわやかに、万年青(おもと)の鉢を洗つてゐる。(はさみ)の音、水の音、新聞紙を拡げる音、――その音の中に()じるのは、籠一ぱいに飛びまはる、お前たちの(さへづ)り声、――誰だい、今親方(おやかた)に挨拶した新造(しんぞ)は?

     羊

 或日おれは(をり)の羊に、いろいろな本を食はせてやつた。聖書、Une Vie, 唐詩選(たうしせん)、――(なん)でも羊は食つてしまふ。が、その中にたつた一つ、いくら鼻の先へ出してやつても、食はない本があると思つたら、それはおれの小説集だつた。覚えてゐろよ。綿細工(わたざいく)め。

(大正九年九月)

目次に戻る

感想を書く

目次