3話 現代語訳 平家物語 06 第六巻(3)
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将門の追討会が行なわれた後、純友追討のために、伊勢大神宮へくろがねの鎧兜をたずさえた勅使が下向した。勅使、祭主神祇の権大副大中臣定高は、近江国甲賀で病を得、伊勢の離宮につくと間もなく死んだ。又、源氏調伏のため、立壇の法を行なっていた降三世の大阿闍梨は、大行事権現の、彼岸会を行なうところで眠ったまま死んだ。このように、源氏調伏のため行われる神事仏事には、一々差しさわりがおこるばかりで、どうやら神仏も、今や平家を見捨てたかのようである。また、安祥寺の実玄阿闍梨は、平家調伏を祈って問題になり、呼び出されて問いつめられると、実玄は、
「朝敵を調伏せよというご命令でござりましたが、つらつら近頃の様子をみると、どうやら朝敵は平家の事らしいので、私も別に罪とも思わずにいたしましたが」
と平気な顔で申し立てた。
「怪しからんことを申す奴だ、死罪か流罪か」などと騒いでいるうちに、いろいろ内外多事だったのでつい忘れてしまった。後、源氏の天下になってから、頼朝は、実玄の勇気に感じて、大僧正の位を贈ったといわれる。
その頃、中宮は、院号を賜わり建礼門院となった。天皇が幼なくて母后が院号を賜わったのはこれを以てはじめとする。
養和の年も二年を迎えて、二月二十一日、金星が昴星の星座に侵入した。天文要録という書物には、天空にてこういうことが起るのは、四方に乱がおこり、国が乱れる兆である、と記されていた。また将軍が勅命をうけて、国境を出るともいわれていた。
三月になると、新たに官の移動があり、平家の一族が、ほとんど昇格した。
前権少僧都顕真が、日吉の社で法華経一万部を転読した。その際法皇の御幸があったが、どこからうわさがとんだものか、後白河院が、山内の大衆に、平家追討の院宣を下したという話がまたたく間にひろまった。すわ一大事と、軍兵は内裏の四方を固め、平家の一族は六波羅へ参集した。本三位中将重衡は法皇をお迎えするために、三千余騎で日吉の社へかけつけた。
すると、又々平家が山門を攻めるため、数百騎が山に向ったという風説がとんだ。これをきいて驚いた山内の大衆は、ふもとの東坂本まで下り、応戦の準備のための会議が開かれる始末であった。山内はいうに及ばず、洛中洛外も大変な慌て方で、法皇のお供をして日吉についてきた公卿殿上人も青くなって震えていた。三位中将重衡は穴太のあたりで、法皇の一行と落ち合い無事に御所まで送り届けた。これでどうやらこの根も葉もない騒ぎは決着がついたのである。「物詣さえも自由にはならぬ世じゃのう」と法皇も嘆息されたという。
五月二十四日再び年号が変り、寿永となった。同じその日、城太郎助長の弟四郎助茂が、越後守に任命された。不吉な兄の死を目前にみているだけに、助茂は極力辞退したが、勅命とあっては仕方なく、その代りせめて縁起のよいようにと名前を長茂と改めた。
九月二日、長茂は木曽追討のために、越後、出羽、会津四郡の兵四万余騎をひきいて出発、信濃国横田河原に陣を構えた。
その時、依田城にあった木曽義仲は、急をきいて依田城を出、これも横田河原に向った。その勢ざっと三千余騎である。敵は多勢、わが方は小勢、まともにぶつかったのでは勝味はないと、井上九郎光盛という者の提案により、急いで赤旗を七流れつくり、三千余人を七手に分って、あちらこちらから赤旗を先頭にして迫っていった。長茂はこの様子をみると、
「この国にも平家に味方する者があるらしい。これで当方も力がついた。各々方、ひるむな、退くな」
と、俄かに勇み立って進んできた。その時、時を見計っていた木曽勢は、時来れりとばかり、七手の軍勢を一手に集め、用意した白旗をさっと掲げると、一度に鬨の声をあげた。越後勢は、急に現れた源氏の白旗と、時ならぬ鬨の声にあわてふためき、よくよく見きわめもせずに、
「敵は、何十万という大軍じゃあ」
と色を失ってまごまごしているところへ躍りこんできた木曽勢のため、川につき落され、断崖から転り落ち、その殆んどが次々に討たれる有様で、長茂も傷を負いながら、辛うじて川伝いに越後国へ逃げ帰った。
ところでその頃、都では、敗戦の報もどこふく風という調子で、宗盛が大納言になり内大臣に任命され、そのお祝の宴が、華やかにくり拡げられていたのである。東国、北国の源氏が虎視眈々と都に目を向け、牙をみがいているというのに、これは余りにも呑気な、時局認識に乏しい平家の有様であった。
まもなく寿永二年の正月が来た。宮中の諸式は、普段と何一つ変りなく行われた。
二月になって宗盛は、さすがに諸国の戦乱に責任を感じ、内大臣を辞任して引きこもった。
今や、南都北嶺の僧、熊野金峰山の僧から、伊勢大神宮の祭主神官の末々まで、誰一人として平家に味方する者はいなかった。諸国の至るところ、源氏の白旗がひるがえり、大将軍の下知を待ちながら、戦の準備に余念がなかった。
院宣も宣旨も、こうなっては何の効き目もなく、平家の運命には次第に暗雲が低迷してゆくのである。