国民教育の複本位

3話 〔男女複本位の社会〕

1,334字 約3分 2019年8月19日 公開

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 一体この社会の源は(なん)であるか。国の源は(なん)であるということについて考えてみますると、まず国民。国民の源は(なん)である。夫婦。夫婦というものは即ちあらゆる国の、すべての社会の、原素になるものであります。(しか)るに遺憾(いかん)ながら日本に於てはこの男女の関係というものが(はなは)だ漠然たるもので、まず(おおむ)ね何事にも服従という義務を教ゆる他に何もない。ちょっと(たと)えを申すなら、近頃貨幣の問題が世の中に盛りになって参りましたが、その貨幣問題には色々説がある。単本位、複本位、あるいは金本位、銀本位、金銀両本位という説がある。然るに日本ではこれまで単本位であった。即ち国民というものは男に限られた。社会のあらゆるものは男が支配するものであるという一つの本位説が行われた。またすべて男女の関係というものは、女子はただ服従の義務という本位を守らせられた。(いい)換うれば服従主義、即ち国民というものは、単本位主義に今日までなっておりました。それで四千万の国民だと威張るけれども、なあに女子を除いてみると二千万の国民になる。こういう有様であります。其処(そこ)で今度政府に於ては金本位――金単本位を採る事になりましたが、私は国民の上については両本位説を採りたいと思う。かく申すとなんだか私は生意気な事を言うようでありますが、実は私は()く知りませぬが、随分男女同権という事、ある社会に於てはあるけれども、私の言うのはそういう意味ではないので、真個(しんこ)富国強兵の実を挙げんとせば必ずや女子の智識を開発上進(じょうしん)し、女子の性格を高尚優美ならしめなければならんと言うのである。

 もしそれ一家の主婦が家庭経済の道に通ずると否とが、家庭財政の利否(りひ)(わか)るるところであるとすれば、一国の主婦ことごとく家庭経済の術に暗き時は、国家の不利申すまでもありますまい。また一家の主婦が小児教育の理に達すると否とは、家庭教育の得失の(わか)るところなりとすれば、一国の主婦がことごとく小児保育の法を知らざる時は、国家の損耗(そんもう)測り知る事の出来ないほどである。商家の主婦が商業上の智識を以て夫の事業を輔佐(ほさ)すると、これに反して錦繍綾羅(きんしゅうりょうら)(まと)うて煎茶(せんちゃ)弾琴(だんきん)を事とし、遊興(ゆうきょう)歓楽(かんらく)無用の消費に財を散じ、良人(おっと)の事業に休戚(きゅうせき)を感ぜざる事や、または軍人の妻女が良人出陣の(みぎり)に痴情の涙を(たた)えて離別を惜しむと、あるいは(いさぎよ)(たもと)を別ちて奉公義勇の精神を鼓吹(こすい)するとは、そのいずれか国家の富強に益あるか、いずれか国家の元気に損あるかは、多弁を費やすの必要はありますまい。これを要しまするに、家庭経済は国家経済の基礎で、家庭教育は国民教育の根本である。(しか)して家庭の風儀は社会の風儀の泉源(せんげん)であって、家庭の元気は即ち国民の元気でありとすれば、女子教育の国家に必要なる、(もと)より其所(そこ)でありましょう。ことに内地雑居となった(あかつき)には、私交上に女子の技量を要する事、恐らくは今日の意想外でありましょう。私交上、女子の位地の重要なる事は、国際上に個人としての政治家の位地が重大なるに彷彿(ほうふつ)しておる。これただ二、三の例証に過ぎませんが、人生の各局部に於て陰に陽に女子が国家の富強に及ぼす映響の莫大なるは、今更(こと)新しく()ぶる必要はありません。されば内に国力を養い外に国光を(はな)たんには、是非とも女子教育を盛大にせなければなりますまい。

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