4話 四 外柔内剛の女子の実勢力
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基督出現以前までは、多くの聖賢哲人が皆両性問題の解決を誤り、人格の上から女子を以て男子の下位に立たしめ、その権利を制圧していたのであったが、しかし我輩はかくの如く制圧を加えられねばならぬところに、却って女子の実勢力を見るのである。外柔内剛のその侮るべからざる潜勢力を認めるものである。孔子は女子と小人とは養い難しといっているが、窃に思うに、孔子は閨房に於て、あるいはその夫人に大いに苦しめられたものではあるまいか。釈尊もまた女子は三界に家なしなどといって、女子を以て天性罪障の深いものと定めているが、これもあるいは孔子と等しく、その後宮に於て頗るその妃に苦しめられ、言うに言われぬ内部の煩悶があったのではなかろうか。およそ吾人の判断はその日常親しむ最も近きところよりして遠きに及ぼすの順序であれば、彼等をしてかくの如きの断案を下さしむるゆえんの、必ずやその夫人並びにその妃に於ける観察に始まっておろうと推測する。而もこれは大独断の言であって、その直覚の誤謬に胚胎したものである。我輩も直覚論者であって、おおよそ宇宙間の事物は冷静静思すれば、如々の姿を心眼の上に現出するとは思っているけれども、しかし物に依っては左様のみは行かず、大いに史的研究を要するものもある。而してこの両性問題の如きがそれである。ソロモン王の如きも女子を賤めているけれども、彼は世にソロモンの栄華の称ある如く、金殿玉楼酒池肉林におよそ人間として望み得らるべき物欲の限を満足せしめ、その後宮には数百人の佳麗を養った。而も彼は立法者であるから、狡獪にもこれを享楽のためとは言わずして、婦人研究のためと称しておった。果して婦人研究か非か、とにかく、その結果は如何。必ずやかくばかりの多数の婦人に包囲されて、その盤渦の中に埋没しては、彼の受けたる苦痛の経験は孔子釈尊のそれにも優ったことであろうと思う。マホメットもまた境遇よりして、婦人の地位を高むるを知らず、一夫多妻主義を守ったことであろうと思う。彼の出現当時の亜剌比亜は、婦人を兼併するの弊実に甚しきものあり、彼に至ってこの弊に鑑みて、その数をば五人というが如くに幾らか制限したのであったが、またソロモンと同じく、その内房に於ては頗る婦人の苦しむるところと為った事情があったろうと想う。而も表面婦人を制圧してその自由を奪えば、これを以て一家は平和かというに、決してそうはいかぬ。即ち男尊女卑の倫理の下に、一夫多妻主義の許容されているところには、却って一家の風波の絶間なく、男子をして常に煩悶焦燥せしむるものである。されば畢竟この苦し紛れに叫び出した語であろうと思うが、支那人は婦人を指して傾城傾国といい、長恨歌にもこの文字が使用されて「漢皇色を好んで傾国を重んず」などとも歌ってある。即ち唐の玄宗皇帝が女色を愛するの極、美人と国替えに往こうとする、それを歌ったのである。本来人間の欲情多き中にも、この最も強烈なるは子孫の繁殖に越したものは無い。俗にいわゆる色気である。これが亢進して、心眼の玲瓏を蔽い、ために幾多の聖賢哲人をも、政治家立法者をも手古摺らせ、その判断を誤らせて、大切なる人生をも解釈し得ざらしめたのである。女子は男子に自由を奪われているから、表面は反抗し得ないけれども、事実の上はその情意を恣にしていわゆる傾城傾国をやる。すべて不自然のところには、常に大破綻を伴うものである。これ基督の一唱してその弊を改めたゆえんで、人類に幸いしたるその功や永久に没すべからざるものがある。