13話 〈下〉 六 瀬戸内海の汽船
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これであらまし済んだ訳だ。政友会の方の電車へ乗つて高浜へ出た。戻りは瀬戸内海を汽船で帰る事にした。坊つちやんも天誅を加へてから浜の港屋へ下り夜六時出帆の汽船で神戸へ帰つた。坊つちやんが高浜を離れた時の感想は『不浄な地を離れて、船が岸を去れば去る程いゝ心持がした』と告白して居る。予の船が出帆した時の心持ちは本当に『坊つちやん』の遺蹟に袂別するやうな気がして甲板の上で悄気てた。切りに自分で苦笑して見るが気持ちは矢つ張り消せなんだ。
瀬戸内海の夕凪は有名なものだ。此所の船の帆は風を孕むのではなうて乾してある丈けの役のものゝやうに思はれる。汽船は鏡のやうな上を滑つて行く。行く手に一帯の陸地と思はれるものも近づくとそれが島の重畳だ。いつでも船の行く丈けの水路が通じて居る。
来島海峡が難所と共に頗る美景な所だ。潮の落差が滝津瀬のやうな流れに逆行して船は進んで行く。砲台のある松で覆はれた島には寺の塔や神社の赤い鳥居などが可愛らしく隠見してる。船室内には一名々々に布団が敷いてその上で商人態の男が酒盛をしてる。船で夕めしの膳を出す。眼を剥いたおこぜが皿に乗つてた。船長が戸口の処まで来て『皆さんお粗末なんで』と一寸帽子を脱つて挨拶する。脱つた後の頭のてつぺんが禿げて居た。一寝入りして眼を覚すと夜も更けた。岸の灯が近づくと其処は讃州多度津だ。波止場へ着くと船室の丸窓から売子が鬚面を差入れて呼声『どなたも名物飴のご用は厶んせんかい』『保命酒の小つさいものもありまつせ』『サー蒲鉾の出来たちも厶りまつせ』予は眼を瞑つて味つた。瀬戸内海の海の旅を。
〈註 本篇収録に当って、ご遺族のご了解のもとに挿画を省略しました〉