6話 〈上〉 六 いが銀の家跡
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城山の裾を庭に取り込んで栗田さんの構へがある。栗田さんは退いた海軍中佐だ。今会社の重役やら、ヱハガキの蒐集道楽やらをやつてる。明治二十五年松山中学を出て夏目先生にも教はつた経験を有ち、先生の仮寓せられた家も構内続きになつてる。それやこれや話しを聞きに寄つた。小兵巌丈の紳士、池に時候後れのあやめ咲く庭。古書画刀剣のたしなみが眼に付く座敷で、総てを軍人の淡白を以て面白そうに語る。『夏目先生の前だが、教頭が来ましてベースをおもに熱心に生徒に教へた事がある、その先生が赤シヤツを着て切りに運動しました。それを聞て夏目先生があの赤シヤツを書いたのでしよう。尤もその時分の校長の腹心でした。校長は何遍も変りました。その中のある校長は芸妓に子を孕ましたといふので生徒が排斥をやつた。その実それはある教員の不行跡で校長のではなかつたが校長の家へも妻君がおしやれで、米代もろくに払はぬといふ不祥な処があつた。そこからこの事も校長の行跡になつて仕舞つて大に排斥された。元の中学生は、洋服に下駄穿きで、寒中でも控所に火の気無しに、寒いと尻で手を挟んぢよる。もつと寒くなると塀へ大勢で身体をすりつけてよつしよ/\と押しくらを遣つてた。少しまつとうでない、ハイカラな教員が来るとすぐ排斥運動をいきよつた。西洋人の教員を雪玉で叩き出したり机を教室の口へ積んで入れなんだりしよつた。僕等もやつたが河東(碧梧桐氏)の家が漢学の家で字を知つとるもんぢやからよく河東が筆を取つてその弾劾文を知事の所へ持つて来よつたりした事がある。『坊つちやん』の中の生徒の気風も、まあ昔の松山中学生の乱暴な所を取つたと思へばよい。この城山の麓のすぐ続きに菅といふ家があつてその持つてる家を津田安といふ骨董やが仮りて貸席料理をやつたが流行なんだ。広かつたものだから丁度そこへ赴任して来られた夏目先生が離れを借られて暫く居られた。下が確か八畳に八畳、二階が六畳に四畳半と思ふが、訪ねるとよく先生が二階から下りて来られたのを覚えとる。いが銀の骨董いぢめや何かはまあこゝ等から先生が思ひ付かれたのだらうと云ふ。先生の赴任中の事は左様別に目立つ事もなかつたが生徒はよく敬服して居た。はあ渡辺先生の所へ寄られたですか、はあ、山嵐の、そうですか。あの先生は柔しいやうで何処かにきつい処があると見え生徒が怖れて然もよくなついて居ました。』坐を立つて栗田さんが夏目先生の旧廬を見せに連れて行つて呉れた。黒い冠木門を入つてダリアなど咲いてゐる芝生の傍を通つて行くと石でゆるい段を作つた坂がある。右側に木枝を冠つた屋根のある風雅な井戸がある。先生も定めて毎朝嗽れた事であらう。突き当つて一軒それから左へ百坪程の空地だ。ダリアが処々にニヨキ/\生へてる外少し洗濯ものが乾してある丈け、こゝに先生の旧仮宅があつたと云ふ。空地から直に城山の茂み――前の坂の処へ戻り栗田さんに立つてゝ貰ひ写生する。此処の町目は一番町。