大戦乱後の国際平和

4話 民族的僻見の除去

2,222字 約4分 2019年8月19日 公開

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 元来、すべての民族の心の底には、民族的競争というものが必然あるべきものである。歴史的に競争し来ったのである。そうして、その平和がどういう工合に発達して来たかというと、その心を利害関係から和らげたものである。一番初めは自己の家の中で争う。それから親族、更に村、同じ民族の隣りの村、隣りの部落、互いに争うた。ところが、一家に於て始終親子喧嘩(げんか)をしてばかりおっては安眠が出来ぬから、夫婦、親子は平和にして争わぬようにしようじゃないか。そこで、今度は隣りと争う。けれども、隣り近辺、五人組が始終喧嘩をしておっては仕様がないから、近辺は仲よくしよう。近辺には自ずから親類も多い。そういう風にして、今度は部落が集合して他の部落と争う。他の部落との平和が成立って、部落が互いに連合して他の強い部落に当ろうというところから、段々大を成して国家というものになり、国家というものの上には最上の権力をもった元首を仰ぎ、それから、更に大規模の帝国主義も起れば、種々のものが起って来たが、ともかくも国家というものは、その国内に於ては大体に於て平和だ。(しか)るに、その平和を害するものは国際間の競争である。この国際間の競争の(もと)に潜んでおるものは、民族的競争である。その民族間に於て、東洋人は白人から区別されて普通の待遇を受けない。(しか)るに、平和思想は何から起ったかというと、人道から起った。祖先がこれをやった。夫婦喧嘩を()め、親子喧嘩を止め、兄弟喧嘩を止め、転じて来たのが今日の平和思想なんである。即ち一方に人道、道徳が進んで来て、一家の平和、一族の平和、一郡の平和、一国の平和、これが進んで世界の平和、それに宗教的思想が結付いて来たのであるから、その平和の(もと)には人種の区別は存在しない。

 (しか)るに、亜米利加(アメリカ)では、平和を唱えながら(かえ)って日本人排斥をやるが、我輩はこういう議論だ。今度の大戦は何から起ったかというと、民族的僻見(へきけん)が根本になっている。それは即ち独逸(ドイツ)の武断主義である。英国、仏蘭西(フランス)露西亜(ロシア)は、それに応ずるの用意を怠っておったからやられた。東洋人もその用意をやらなかったから、欧羅巴(ヨーロッパ)の軍国主義、侵略主義、火薬の力を以てひどい目に遭った。それ故に、人道の上から平和を実現しようというには、人種的区別という僻見を除かなければ、到底(とうてい)平和は来らぬ訳である。

 ところが、今度の終局はどうなるか。何方(どっち)が勝っても、負けたものは非常な打撃だけれども、勝ったものは得るところがあるか。何も得るところはない。今日までは列国共に現代の文明を進め、富の発達を図ったのである。富を蓄積したのである。(しか)して盛んに大学を(こしら)えた。教育そのものが現代の文明、独逸(ドイツ)人をして言わしむれば、独逸(ドイツ)の文化、日耳曼(ゲルマン)の文化は優越なものである、その優越なる文化を世界に及ぼそう、世界を侵略して民族的国家を土台として羅馬(ローマ)帝国を造ろう。そこで、国際法学者も、歴史家も、芸術家も、宗教家も、哲学家も皆「ミリタリズム」の渦中に投じて社会と一緒になってかかった。しかしながら、独逸(ドイツ)の為すところを見れば、あたかも自己の武器を以て自己の命を(たた)(つぶ)そうという発狂、瘋癲(ふうてん)の境遇である。自己が先祖から伝えられた宝を石の上で叩き壊してしまって、自己の家に火をつけて焼き、最後にその中へ飛込で死ぬという発狂、瘋癲の境遇だ。ちょうど今やっているところはそういう訳である。今後如何(いか)になるか知らぬが、独逸(ドイツ)が勝ったとしても、優秀な人間は死んでしまって、後に残る民は破壊されてしまう。()し多少得るところがあっても、失ったところの十分の一も補うことは出来ない。日耳曼(ゲルマン)文明の優秀なるものは破壊され、過去の思想家は勿論(もちろん)、現在の思想家オイケンの如きも何処(どこ)かへ吹飛されてしまった。この先生は「ミリタリズム」の渦中に投じて働いた先生だ。そうすると得るところは何か。得るところは何百万人という人間を殺した悲惨なる歴史の(ほか)はない。(しか)して、戦いそのものの根本は民族的の(あやま)てる僻見から来たのである。この教訓に依って、将来かくの如き(わざわい)を避けんとすれば、何としても人道の上から四海(しかい)兄弟という理想を実現しなければならぬ。(しか)らざれば、真の平和は来らぬのである。それ故に、亜米利加(アメリカ)の如きも桑港(サンフランシスコ)に万国平和会議があるならば、まずカリホルニアその他に於ける民族的僻見を一掃してしまえというのである。

 今度の戦争くらい人を殺したことはない。有史以来初めてである。毎日一万人以上を殺している。何百台の「ギロチン」を備えてもなお足らぬほどである。支那人の文学的口調を以て言えば、血は流れて(きね)を漂わす、血が流れて四十二(インチ)臼砲(きゅうほう)が漂う、血の洪水、(しかばね)の山を築く。何の目的でやっているか。先祖から辛苦経営して蓄積した富、何百億というものを煙にして人を殺している。目的が分らぬ。これ遺伝的に、先祖から猛獣の如き猛烈なる民族的競争の念が伝わっている。それが何処(どこ)かに潜んでおったのが、機に触れて現われて来たのである。これは独逸(ドイツ)の侵略主義、武断主義、あるいは軍国主義、品よく言えば現代の帝国主義というものである。こういう事が、平和の上に非常に害がある。過てる帝国主義、軍国主義、侵略主義、これが武装的平和となった。それで今日までやって来たが、やり方が悪かったから、一たび破裂すると非常なる惨毒を流して、戦乱は何時(いつ)まで続くか分らぬが、この教訓に依って、人類がいわゆる罪悪を自覚して、ここに初めて平和の(たん)を開くのである。

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