選挙人に与う

1話 一 〔選挙の歩み〕

1,489字 約3分 2019年2月16日 公開

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 選挙ということが初めて我が国に行われたのは明治十一年、即ち府県会開設以来のことである。それからその後十年ほど経って市町村の自治に関する法律が発布せられ、同時に市町村会議員の選挙ということが始まった。しかし我が国民は権利に関する観念が(すこぶ)幼穉(ようち)で、選挙に対しても一向重きを置かず、初めはこれらの機関――府県地方の意思を代表するこれらの機関に対して比較的冷淡であった。

 (しか)るに時勢の進歩は次第に国民の覚醒を促し、爾来(じらい)十年ほどというものはいわゆる政治熱勃興の時代で、一方には政論家が到る処で演説会を催し自由民権の思想を鼓吹(こすい)する。他方では輿論の指導者を以て任ずる人々が、新聞を発行して盛んに政府の専制を攻撃する。(いやしく)も政府の行動にして一点の(あやま)ちあれば仮借なくこれを指摘し、機会あるごとに国民の権利を主張した。(はなは)だしきに至っては小説に至るまで政治的となり、いわゆる政治小説というものが流行した。この様な(わけ)で、およそこの十年間には、筆端舌頭(ひったんぜっとう)に依って猛烈なる立憲的の大運動が起り、ついに国会開設の請願を提出するまでに立ち至ったのである。(しか)して当時多少教育ありし人物、ことに年少気鋭の青年は争って身を政界に投じ、全力を挙げ政治的運動のために奔走したものである。ここに於て憲法の発布はもはや動かすべからざる勢いとなった。

 (しか)るになお一方には頑迷なる保守恋旧(れんきゅう)徒輩(とはい)が、憲法の発布を以て皇室の尊厳を冒涜するものの如くに考え、帝政党と称するものを組織して、あくまで時論に反抗を試みんとした。如何(いか)にも馬鹿げた事である。革命の起った際なれば、その革命党に対して王党の起るのは当然で、少しも怪しむに足らぬが、それとこれとは場合が違う。我が国に於ては、天皇が統治権を総攬(そうらん)せらるることに対し異存ある者は一人もないのである。皇室を尊ぶこと神の如き我が国に於て、何を苦しんで帝政党を組織するの必要あらんや。かくの如きは自ら我が国体を侮辱するものである。

 とにかくこういう訳で、進歩党と保守党との間には多少の軋轢(あつれき)(まぬか)れなかったが、大勢の赴くところまた如何(いかん)ともすべからず、ついに明治二十二年我が帝国憲法は紀元節の佳晨(かしん)(ぼく)して、国民歓呼の(うち)に発布せられた。それから愈々(いよいよ)第一回の衆議院議員の選挙が行われることとなった。この時に候補者として名乗りを挙げたものは、あたかも勇士が戦場に臨み、この勝敗に依って一国の安危が決するという意気込みで、敵も味方も旗鼓(きこ)堂々とその陣を張った。(しか)してその間になんらの陰険なる野心もなく、またなんら選挙人を(あざむ)くこともなく、公明正大の(うち)に第一回の総選挙は行われたのである。かくの如くにして選挙されたる議員の帝国議会に於ける態度は実に立派なもので、これに対しては当局者も充分なる敬意を払って(のぞ)んだ。決して政治的権力を以てこれを圧迫するが如きことなく、なるべく調和的に官民協力して国事を真面目に議するという有様であった。この勢いで進めば我が国立憲政治の将来も頗る有望だと思われた。

 (しか)るに不幸にして第二回の議会は、(はし)なくも予算案のことから政府と衝突を惹き起して解散を命ぜられ、その結果がついに憲法史上に一大汚点を留めたる選挙大干渉となり、人を殺し、家を焼き、ある地方の如きは一週間も選挙が出来ずに戦った。とうとう軍隊を繰出してその警護の(もと)(わず)かに選挙を終ったという有様である。この大干渉が人心に悪影響を与えたことは非常なもので、それから三回、四回、五回と選挙の数を重ねるに随って、選挙界の気風は益々(ますます)堕落し、ついに有志と唱うる一種の周旋人が跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)して、ここに選挙の真意義は全く没却さるるに至ったのである。

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