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ガラス窓の河骨

小川 未明 全1話 3,383字 2021年12月14日

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1. ガラス窓の河骨

 ある草花屋(くさばなや)の店(みせ)さきに、河骨(こうほね)が、小(ちい)さな鉢(はち)の中(なか)にはいって、ガラス戸(ど)の内側(うちがわ)にかざられていました。街(まち)の中(なか)で、こうした片(かた)いなかの水辺(すいへん)にあるような緑色(みどりいろ)の草(くさ)を見(み)るのは、めずらしいといわなければなりません。

 しかし、河骨(こうほね)にとっては、こうして置(お)かれることは、迷或(めいわく)このうえもなかったのです。すがすがした空気(くうき)と、自由(じゆう)の世界(せかい)にみなぎる、日光(にっこう)を受(う)けることから、さえぎられて、毎日(まいにち)、ここで見(み)るものは、街(まち)の砂(すな)ぼこりの煙(けむり)と、ざわざわ歩(ある)く人間(にんげん)の姿(すがた)と、自動車(じどうしゃ)と、電車(でんしゃ)の外(ほか)になかったからでした。

「あなたがたは、心配(しんぱい)ですね。これからの売(う)れ口(くち)を考(かんが)えると、まったく、どこへいくか、わからないのですものね。私(わたし)などは、もう花(はな)の時分(じぶん)は終(お)わったから、だれも、買(か)ってくれ手(て)はありません。まあ、このすみで半年(はんとし)眠(ねむ)るんです。あの、暖(あたた)かな海(うみ)の潮(しお)が押(お)しよせてきた、がけの上(うえ)で、心持(こころも)ちのいい風(かぜ)に吹(ふ)かれて、うつりうつりと夢(ゆめ)を見(み)ていたときのことを考(かんが)えると、くらべものになりませんが、どうせ私(わたし)の一生(いっしょう)というものは、眠(ねむ)るようにできているのですから、不承(ふしょう)もなりますが、けしさんや、河骨(こうほね)さんなどには、この生活(せいかつ)は、さぞ苦(くる)しいことだとお察(さっ)しします。はやくいい売(う)れ口(くち)があって、いいお暮(く)らしをなさるように祈(いの)っていますよ。」と、南洋産(なんようさん)のらんがいいました。

 赤(あか)いけしの花(はな)は、さまで、ここにいることを苦労(くろう)と感(かん)じないように、いつも、お化粧(けしょう)に身(み)をやつしてそわそわしていましたが、いま、らんに同情(どうじょう)されるとなんとなく、自分(じぶん)の誇(ほこ)りを傷(きず)つけられたと思(おも)って、ほおを染(そ)めながら、

「わたしなどは、はたけにいる時分(じぶん)から、人間(にんげん)がみんな目(め)をつけていました。あなたばかりは、どこへいっても大事(だいじ)にされますよと、ちょうがよくきていったものです。わたしは、いく先(さき)のことなどは、ちっとも心配(しんぱい)していないのです。」と答(こた)えました。

 ひとり、河骨(こうほね)は、ほんとうに、いつまで、こんなところにいるのだろう、小(ちい)さな鉢(はち)の水(みず)は、なまぬるくて、夜霧(よぎり)にはぬれることもなければ、いなかの沼(ぬま)にいたときのように、水(みず)の上(うえ)を渡(わた)ってくるひやひやとした風(かぜ)に吹(ふ)かれもしないので、いつも頭(あたま)が重(おも)いのをなげいていました。

 なるほど、らんは、平気(へいき)で眠(ねむ)っています。そして、けしの花(はな)は、晩方(ばんがた)、じょうろで水(みず)をかけられると、いっそう、そわそわして、あかりのついた下(した)で、しなをつくっていたのでした。

「まあ、このけしの花(はな)のきれいなこと。」といって、散歩(さんぽ)している、若(わか)い夫婦(ふうふ)が、店(みせ)さきに立(た)ち止(ど)まると、けしの花(はな)を見(み)ました。

「ねえ、これを買(か)っていきましょうよ。」

「持(も)って帰(かえ)ると、じきに散(ち)ってしまうけれど、買(か)っていこうか。」

 二人(ふたり)は、こんなことを話(はな)し合(あ)って、店(みせ)へはいると、けしの花(はな)を買(か)いました。

 ほんとうに、けしの花(はな)が、自分(じぶん)を自慢(じまん)したごとく、すぐに売(う)れ口(くち)はありました。けしの去(さ)った後(あと)で、らんが、ひとり言(ごと)のように、

「あんな人間(にんげん)にかぎって、花(はな)を大事(だいじ)にするものでない。だれでも、けしさんは自分(じぶん)を大事(だいじ)にすると思(おも)っているが、かわいそうに……。」といいました。

 翌日(よくじつ)、花屋(はなや)の主人(しゅじん)は、らんをどこへか移(うつ)してしまいました。もはや、来年(らいねん)までは、店(みせ)さきに用事(ようじ)がないと思(おも)ったからでしょう。そして、そこには、河骨(こうほね)だけが、残(のこ)されたのです。

「私(わたし)は、どうなるのだろう?」

 河骨(こうほね)は、思案(しあん)につかれた顔(かお)をして、ぼんやりと外(そと)を見(み)ていました。

 太(ふと)いステッキをついて、パイプをくわえた、おじいさんが、ガラス窓(まど)の前(まえ)に立(た)ちました。そして、青(あお)い煙(けむり)をすぱすぱやりながら、河骨(こうほね)をながめていました。

 河骨(こうほね)は、このおじいさんは、きっと、しんせつな人(ひと)だろうと思(おも)いました。この人(ひと)に買(か)われていったら悪(わる)いことはあるまいという気(き)がしたので、

「どうか、私(わたし)をもっと広(ひろ)い、自由(じゆう)なところへつれていってください。」と、訴(うった)えたのでした。

 その心(こころ)が、おじいさんに達(たっ)したものか、しばらく、花(はな)に心(こころ)をひかれたように、ながめて立(た)っていましたが、

「いまは、会社(かいしゃ)への出(で)がけだから、どうすることもできない……。」と、軽(かる)く、心(こころ)のうちでいって、窓(まど)から離(はな)れると、ちょうどそこへきあわせた、乗合自動車(のりあいじどうしゃ)に乗(の)っていってしまいました。

 その日(ひ)の昼(ひる)ごろ、おじいさんは、会社(かいしゃ)の応接室(おうせつしつ)で、テーブルに向(む)かい、大(おお)きな腹(はら)を抱(かか)えて、パイプをすぱすぱ吸(す)いながら、お客(きゃく)と話(はなし)をしていました。そのとき、おじいさんは、ふと、今朝(けさ)、花屋(はなや)の店(みせ)さきで見(み)た河骨(こうほね)を目(め)に思(おも)い浮(う)かべたのです。

「夏(なつ)は、水草(みずくさ)はいいものだ。あれを一鉢(ひとはち)買(か)っても悪(わる)くないな。」と、笑(わら)いながら、お客(きゃく)の話(はなし)とはまったく関係(かんけい)なしに考(かんが)えていたのでした。

 しかし、おじいさんは、会社(かいしゃ)からの帰(かえ)りに、宴会(えんかい)があって、その方(ほう)へまわりました。そして、河骨(こうほね)のことは、それきり忘(わす)れてしまったのでした。

 河骨(こうほね)は、あいかわらず、自分(じぶん)に同情(どうじょう)を寄(よ)せてくれる人(ひと)のくるのを待(ま)っていました。けれど、たいてい、この花屋(はなや)の前(まえ)へ立(た)つ人(ひと)は、ほかの紅(あか)や、青(あお)や、白(しろ)や、紫(むらさき)の切(き)り花(ばな)に目(め)をとめて、水(みず)の中(なか)に、つつましやかに咲(さ)いている自分(じぶん)を注意(ちゅうい)してくれる人(ひと)はありませんでした。

 いつも、子供(こども)をおぶって、子守(こもり)うたをうたいながら、店(みせ)さきにやってくるおばあさんがありましたが、河骨(こうほね)を見(み)ても、べつになんとも感(かん)じないようでした。おばあさんは、街(まち)の中(なか)で生(う)まれた人(ひと)で、このいなかの草(くさ)を見(み)ても、なつかしいとは思(おも)わなかったのでありましょう。

 ある日(ひ)の晩方(ばんがた)のこと、そこに、黒(くろ)い、短(みじか)い洋服(ようふく)を着(き)て、赤(あか)いえりを出(だ)した、二人(ふたり)の娘(むすめ)が立(た)って、ガラス窓(まど)の内側(うちがわ)をのぞいていました。乗合自動車(のりあいじどうしゃ)の女車掌(おんなしゃしょう)でありました。

「あなた、あの黄色(きいろ)い花(はな)の名(な)を知(し)ってる?」と、一人(ひとり)がいいました。

「水草(みずくさ)ですわね。なんて、やさしい花(はな)でしょう。私(わたし)、名(な)まえは知(し)らないけど。」

 河骨(こうほね)は、二人(ふたり)の娘(むすめ)さんが、自分(じぶん)のことをいっていると思(おも)うと、なんとなく、はずかしく思(おも)いました。

「もし、この、まつ毛(げ)の長(なが)い美(うつく)しい娘(むすめ)さんが、自分(じぶん)を買(か)って、どこかへ連(つ)れていってくださったら、自分(じぶん)は、どんなにしあわせだかしれない。きっと毎日(まいにち)のように、娘(むすめ)さんは、清(きよ)らかな水(みず)をいれて、風通(かぜとお)しのいい、また、太陽(たいよう)のあたるところへ出(だ)してくださるだろう……。」と、河骨(こうほね)は、思(おも)ったのであります。

「私(わたし)、草花(くさばな)の種(たね)をまいたりするのは、大好(だいす)きなのですけれど、もう、そんな暇(ひま)なんかないのです。」と、一人(ひとり)が、いいますと、

「ほんとうに、朝(あさ)出(で)て、晩(ばん)にならなければ、帰(かえ)らないのですもの……。」と、一人(ひとり)は、答(こた)えました。

 二人(ふたり)は、花屋(はなや)の前(まえ)で、しばらく花(はな)を見(み)て、目(め)を楽(たの)しませると、窓(まど)の際(きわ)から離(はな)れ、肩(かた)を並(なら)べて、ふたたび自動車(じどうしゃ)に乗(の)って働(はたら)くために立(た)ち去(さ)ったのです。

 都会(とかい)の生活(せいかつ)に経験(けいけん)のない河骨(こうほね)は、どうして、この娘(むすめ)たちのことを知(し)り得(え)ましょう。娘(むすめ)たちが去(さ)ると、河骨(こうほね)は、自分(じぶん)の不幸(ふこう)をなげいたのでした。

 しかし、このやさしい娘(むすめ)たちは、けっして、河骨(こうほね)をば忘(わす)れたのではありません。一人(ひとり)の娘(むすめ)は、狭苦(せまくる)しい自動車(じどうしゃ)の内(うち)で、客(きゃく)にもまれて、切符(きっぷ)をはさむ間(あいだ)も、花屋(はなや)の店(みせ)さきにあった、水草(みずくさ)の黄色(きいろ)な花(はな)を心(こころ)の目(め)に思(おも)い浮(う)かべていました。そして、一日(にち)の仕事(しごと)に疲(つか)れた魂(たましい)をわずかになぐさめていたのであります。

 河骨(こうほね)の花(はな)は、このままそこで、しおれてしまうより、ほかなかったのでした。

「街(まち)の人(ひと)は、だれも、私(わたし)をかえりみてくれない。私(わたし)はそんなにいなかびているのだろうか?」

 もはや、一日(にち)ましに、暑(あつ)くなる時節(じせつ)であって、街(まち)の上(うえ)の空(そら)は、銀色(ぎんいろ)にうるんでいました。そして、旅(たび)の心細(こころぼそ)さをまさしめる、つばめが鳴(な)いていました。

 このとき、みすぼらしいふうをした、少年(しょうねん)が、店(みせ)さきに立(た)ちました。少年(しょうねん)は、どこか体(からだ)がよくないのか、青(あお)い顔(かお)をしていたが、河骨(こうほね)を見(み)ると、その目(め)は、急(きゅう)に、いきいきとして輝(かがや)いたのであります。

「村(むら)へ帰(かえ)りたいな。いまごろ、池(いけ)に、河骨(こうほね)が咲(さ)いているだろう。あの時分(じぶん)は、おもしろかった。釣(つ)りもしたし、ひしの実(み)もとったし……。」

 少年(しょうねん)は、じっとして、河骨(こうほね)の花(はな)を窓(まど)からのぞいて見(み)ていましたが、やがて、花屋(はなや)にはいると、価(あたい)を聞(き)いて、小(ちい)さな財布(さいふ)をかたむけて、河骨(こうほね)の鉢(はち)を買(か)いました。河骨(こうほね)は、はじめて、少年(しょうねん)に抱(いだ)かれて、永久(えいきゅう)に、花屋(はなや)の店(みせ)から別(わか)れたのであります。

「どこへいくのだろう?」と、河骨(こうほね)は、思(おも)いました。しかし少年(しょうねん)が、自分(じぶん)を見(み)たときに、涙(なみだ)ぐんだのを知(し)ったので、つれられていくことについて、すこしも不安(ふあん)を感(かん)じていませんでした。

 少年(しょうねん)は、河骨(こうほね)の鉢(はち)を大事(だいじ)に抱(かか)えながら、にぎやかな街(まち)の通(とお)りをまっすぐに歩(ある)いてゆきました。

ガラス窓の河骨 — 小川 未明 — https://noveliz.cc/n/wt19fje3j1

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