ピストルの使い方 ――(前題――楊弓)

5話 ピストルの使い方 ――(前題――楊弓)(5)

8,345字 約17分 2011年6月29日 公開

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 しばらくして、男女(ふたり)は、台石の(いわ)ともに二丈六尺と称するその大銅像の下を、一寸ぐらいに歩行(ある)いていた。あわれに小さい。が、松と緋葉(もみじ)の中なれば、さすらう渠等(かれら)も恵まれて、足許(あしもと)の影は(こま)(よこた)え、(もすそ)蹴出(けだ)しは霧に乗って、(つい)狩衣(かりぎぬ)の風情があった。

 ――前刻(さっき)、多津吉のつれの女が、外套(がいとう)を抱えたまま振返って、上を仰いだ処は、大造りな手水鉢(ちょうずばち)を境にして、なお一つ(ひら)けた原の方なのである。――

 振袖が(ほがらか)な声して、

「まあ、貴方、なぜおじぎをなさらないの。さっきは、法界屋にも、丁寧に御挨拶をなすったのに、貴いお上人さんの前にさ――」

「おちかさん。」

 多津吉は、(たらい)のごとき鉄鉢を片手に、片手を雲に印象(いんぞう)した、銅像の大きな顔の、でっぷりした(あご)真下(まっした)に、(きっ)と瞳を()げて言った。

「……これは、美術閣の柴山運八と、その子の運五郎とが鋳たんだよ。」

 波頭(なみがしら)、雲の層、(かさな)蓮華(れんげ)か、象徴(かたど)った台座の(いわ)を見定める(ひま)もなしに、声とともに羽織の襟を払って、ずかと銅像の足の爪を、烏の(くちばし)のごとく上から(のぞ)かせて、真背向(まうしろ)に腰を掛けた。

「姓は(こおり)です……職人近常の。……私はその(せがれ)の多津吉というんだよ。」

「ああ多津吉さん。」

 その肩を並べて、莞爾(にっこり)して並んで掛け、

「まあ、嬉しい……御自分で名を言って下すったのは、私の占筮(うらない)が当ったより嬉しいわ。そうして占筮は当りました。この大坊主ったら、一体誰なんです。」

 と肩を一層、男に落して、四斗樽(しとだる)ほどの大首を斜めに仰ぐ。……俗に四斗樽というのは(うわばみ)の頭の形容である。(みだり)に他の物象に向って、特に銅像に対して使用すべきではない。が、鋳たものが運八父子(おやこ)で、多津吉の名が知れると、法界屋の娘の言葉も、お上人様が坊主になった。

「……橋の上、大通りの辻……高台の見霽(みはらし)と、一々数えないでも、城下一帯、この銅像の見えることは、ここから、町を見下ろすとおんなじで……またその位置を撰んで据えたのだそうだから、土地の人は御来迎(ごらいごう)、御来迎と云うんだね。高山の大霧に、三丈、五丈に人の影の映るのが大仏になって見えるというのにたとえてだよ。勿論、運八父子は、一度聞けば誰も知らぬもののない、昔の大上人としてこれを鋳たんだ。――不思議に、きみはまだ知らないようだけれど、五つ七つの小児(こども)に聞いても、誰も知らぬものはなかろうね。」

蓮如(れんにょ)さん、」

「さあ、」

親鸞上人(しんらんしょうにん)。」

「さあ、」

「弘法大師。」

「さあ、それが誰だって、何だって、私は失礼をする気は決してないんだ。ただ運八父子の手に成った……」

「勿論ですわ。――法界屋にお辞儀をなすった方が、この木菟入道(ずくにゅう)に……」

 おお、今度は木菟入道。

「挨拶をなさらないのは。――あなた、私ね、前刻(さっき)通りがかりに、一度拝んだんですよ。御利益はちっともない。ほほほ、誰がこの下で法界屋を唄わせたり、()ねさせたりするものがありますか。そんな事より、ただ大きな、立派なもの……もっとも、むくみが来て、ちっとうだばれてはいますがね。」

 脊筋を()じて、台座に掛けた秋の蝶の指の細さ。

「御覧なさい。余計な耳を押立(おった)てて、垂頬(たれほ)で、ぶよぶよッちゃアありゃしない。……でも場所が場所だし、目に着くことといったら、国一番この通りですからね。――この(とり)を。」

 ……包みもしないで――(みどり)を透かして、松原の下り道は夕霧になお近いから――懐紙(ふところがみ)に乗せたまま、雛菓子(ひながし)のように片手に据えた。

「あなた、折角、私がおさがりを頂いたんですからね、あの塚から、」

 その古塚は、あわれ、雪に(うも)れた名工と、鼓の緒の幻の陽炎(かげろう)に消えた美女のおくつきである。

「二羽巣立をして、空へ()けるように、波ですか、雲ですか、ここへ(そな)えようと思って持って来たんですけれどもね、――ふふんだ、誰が、誰が……」

 (うなじ)を白く、銅像に前髪をバラリと振った。下唇の揺れるような、鳥冠(とさか)緋葉(もみじ)を、一葉(ひとは)ぬいて、その黒髪に挿したと思うと、

「ああ、おいしい。」

 早い事。

「なかなか、おいしい。天狗の雛児(ひよっこ)。――あなたも一つめしあがれ。」

「…………」

「あら、卑怯(ひきょう)だことね、お毒味は済んでるのに。」

 と、あとのに、いきなりまた皓歯(しらは)を当てると、

「半分を、半分を、そのまま、口から。」

 と、たとえば地蔵様の前に地獄の絵の生首を並べた(さま)に、(うなじ)引抱(ひっかか)えた、多津吉の手を、ちょっと()げて、背いて(ひね)った女の唇から、たらたらと血が(こぼ)れた。

 一種の変相と同じである。

「や、中毒(あた)ったか。」

 と頬に頬をのしかかって、

「毒でも構わん、一所に食べよう。」

「あいつつ。」

 と、眉を(ひそ)めた。松葉が睫毛(まつげ)(かか)ったように。

()みはしない、噛んだか。いや噛んだかも知れない。きみに詫びる。謝罪する。……失礼だがきみの、身分を思って……生半可(なまはんか)横啣(よこぐわ)えで、償いの多少に依りさえすればこんな事はきっと出来ると……二度目にあの塚へ、きみが姿を見せた時から、そう思った。悪心でそう思った。――ここへ連れて来て、銅像の鼻前(はなっさき)で、きみの唇を買って、精進坊主を軽蔑してやろうと思ったんだ。慈悲にも忍辱(にんにく)にも、目の前で、この光景を()せられて、侮辱を感じないものは断じてないから。――うむ、そうだ。坊主を軽蔑する本心にも手段にも、いささかもかわりはない。が、きみに対して、今は誓って悪心でない、真心だ。真実だ。許してくれ。そして軽蔑さしてくれ。」

「はなして……よ。」

 しかも、打睡(うちつぶ)るばかりの双の(まぶた)は、細く長く、たちまち薬研(やげん)のようになって、一点の黒き瞳が恍惚(こうこつ)と流れた。その艶麗(えんれい)なる(おもて)の大きさは銅像の首と相斉(あいひと)しい。男の顔も相斉しい。大悪相を顕じたのである。従って女の口を()るる点々の血も、彼処(かしこ)手洗水(みたらし)()く水脈に響いて、緋葉(もみじ)をそそぐ滝であった。

「あ。」

「痛い、(ささ)って、」

「や、(とげ)か。」

 (けだもの)の顔は離れた。が、女の影は鳥のように地に動いて、(すそ)は尾を細く、すっと()まる。

「何でしょう。」

 ()と懐紙に取ったを見よ。

「あら、大きな針……まあ釘よ。……」

「釘?」

 と、多津吉は眉を寄せつつ、かえって忘れてでもいるような女の手から、その(きず)つけたものを(つま)み取って(じっ)()ると、視るうちに、わなわなと指が震えた。

父親(おやじ)(たがね)だ。」

「ええ、近常さんの……」

「見てくれたまえ――この(さき)へ、きみの口の(なか)の血がついて。」

 絹糸の(もつ)れの(あか)いのを、()と吸う端に持ちかえた。が、

「もとの処に、これ、細い葉を二筋と、五弁の小さな花が彫ってある。……父親(おやじ)は法華宗のかたまり()だったが、仕事には、天満宮を信心して、年を取っても、月々の二十五日には、きっと一日断食していた。梅の紋を、そのままは勿体ないという遠慮から、高山に咲く……この山にも時には見つかる、梅鉢草なんだよ。この(いん)は。――もっとも、一心を籠めた大切(だいじ)な鏨にだけ記したのだから。――これは、きみの口から聞かしてくれた……無論私も知っている……運八のために、その一期(いちご)の無念の時、白い幽霊に暖められながら、雪を(つか)んで(とり)の目を彫込んで、暁に息が凍った。その時のものかも知れないと……知れないと、私は、私は思うんだ。」

「違いありませんよ、きっと、きっとそうに。――ですもの、()きてるような白い饅頭が、それも、あとの一つの方は、口へ入れると、ひなひなと血が流れるように動いたんですの。……天狗のなす(わざ)だわね。お父さんのその鏨で、どうしたら()いでしょう、私(こわ)いわ。何ですか、震えて来た。ぞくぞくして。」

「笑ってくれたもうなよ、私には一人の父親(おやじ)だ。」

 鏨をば押頂き、(しか)懐中(ふところ)に挿入れた。

「風来もので、だらしはないがね、職人の子だから腹巻を()めている。」

 と突入れつつも肩が(そび)え、

「まったく、ぞくぞくもしよう、寒気もしよう、胸も悪かろう、唇も(きたな)らしかろう。堪忍してくれたまえ。……そのかわり、今ね、(おこ)るなよ……お転婆な、きみが嬉しがる、ぐっとつかえが下って胸の透く事をしてお目に掛ける。――

 そこいらの連中も、よく見ておけ。」

 と、なだらに下る山の()に瞳を向けた。が、行きつれ、立ち交る人影は、みなおり口の阪へ行く。……薄き海の光の末に、烏の立迷う風情であった。

「ちかさん、父親(おやじ)贔屓(ひいき)盲人(めくら)にさえ、土地に、やくざものに見離された……この故郷へ、何のために帰るものか。」

 意気は独り激しそうだ。が、する事はだらしがない。外套は着ていなかった。羽織を(さば)いた胸さがりの角帯に結び添え、(こいねがわ)くは道中師の、上は三尺ともいうべき処を、薄汚れた紺めりんすの風呂敷づつみを、それでも(しか)と結んだと見えて、手まさぐると……

「解いてあげましょうか。」

「いや、大丈夫。……きみたちは知るまいなあ。――むかしここいらで、小学校へ通うのに、いまのように洒落(しゃれ)た舶来ものは影もないから、石盤、手習草紙という処を一絡(ひとまと)めにして……武者修行然として、肩から(はす)っかけ、そいつはまだ()いがね、追々寒さに向って羽織を着るようになるとこの態裁(ていさい)です。――しかし(はだ)に着けるにはこれが一等だ。震災以後は、東京じゃ臆病な女連は今でも遣ってる。」

 と云って、膝の上で、腰弁当のような風呂敷を、開く、と見れば――一(ちょう)拳銃(ピストル)

 晃然と霜柱のごとく光って、銃には殺気紫に、(つぼ)める青い竜胆(りんどう)(よそおい)を凝らした。筆者は、これを記すのに張合がない。なぜというに、咄嗟(とっさ)拳銃(ピストル)を引出すのは、最新流行の服の衣兜(かくし)で、これを扱うものは、世界的の名探偵か、兇賊(きょうぞく)かでなければならないようだからである。……但し、名探偵か、兇賊でさえあれば、それが女性でも差支えのない事は註に及ばぬ。

 風呂敷には、もう一品(ひとしな)――小さな袖姿見(てかがみ)があった。もっとも八つ花形でもなければ柳鵲(りゅうじゃく)(よそおい)があるのでもない。(ひとえ)に、円形の姿見(かがみ)である。

 (おんな)も、ちっと張合のないように、さし(のぞ)き、両の(かいな)を白々と膝に頬杖した。高島田の空に、夕立雲の(おお)えるがごとく、銅像の覆掛(のしかか)った事は云うまでもない。

「……玩弄品(おもちゃ)?」

()しからんことを――由緒は正しく、深く、暗く、むしろ恐るべきほどのものだよ。」

 と、片手に()めて、袖に載せた拳銃(ピストル)は、更に、抽取(ぬきと)った、血のままなる(おおかみ)(きば)のように見えた。

「銅像の目を射るんだ――ちかさん。」

「あら、」

 思わず軽く手を(たた)くと、()と寄せた、刻んだような美しい鼻を、男の肩に、ひたと着けて、

「いいわねえ、賛成。……上手に()てますか。」

 その口振(くちぶり)は、ややこの(うつわ)()れたもののようでもある。

「信ずるんだ。腕じゃあない、この拳銃(ピストル)を信ずるんだよ。――聞きたまえ、ここにこの銅像を除幕してから、ほとんど十年になる。これが各国に知れた頃から、私は目を射る事を、(はるか)にまた遠く心掛けた。しかし、田舎まわりの新聞記者の下端(したっぱ)じゃあ、記事で、この銅像を礼讃することを、――口惜(くやし)いじゃあないか――余儀なくされるばかりで。……射的で蝙蝠(バット)を落す事さえ容易(たやす)くは出来ないんです。

 おなじく、地方を渡り歩行(ある)くうちに、――去年の秋だ。四国土佐の高知の町でね……ああ、遠い……遥々(はるばる)として思われるなあ。」

 海に向って、胸を伸ばすと、影か、――波か、雲か、その台座の(いわお)を走る。

南京出刃打(なんきんでばうち)見世物(みせもの)が、奇術にまじって、劇場に(かか)ったんだよ。まともには見られないような、白い、西洋の婦人(おんな)の裸身が、戸板へ両腕を長く張って、脚を揃えて、これも(かすがい)で留めてある。……絵で見るような、いや、看板だから絵には違いない……長剣を帯びて、緋羅紗(ひらしゃ)羽被(はお)った、帽子もお約束の土耳古(トルコ)人が、出刃じゃない、拳銃(ピストル)で撃っているんだ。

 この看板を()て立ったと云うのさえ、しみたれた了簡(りょうけん)をさらけ出すようで、きみの前で言うのもお恥かしいがね、……さいわい夜だ、大して満員でもなさそうだから切符を買った。が、目的はただ一つなんだからね、(拳銃(ピストル)はまだかね、)と札口で聞いたが、(え、)と札売の娘は(わか)りかねる。(南京の出刃打は、)とうっかり言って、(お目当はこれからですよ。)には顔から火が出た。いま、きみに対しても汗が出る。

 ――悪くまた二階の正面に連れられて、いわゆるそのお目当を見たんだが、(くわ)しくは云うにも及ばないけれど、……若いお嬢さんさ、その色の白いお嬢さん――恩人だし、仙女、魔女と思うから、お嬢さんと言うんです。看板で見たようなものじゃあない。上品で、気高いくらいでね。玉とも雪とも、しかもその乳、腹、腰の露呈(あらわ)なことはまた看板以上、西洋人だし、地方のことだから、取締(とりしまり)も自然(ゆるや)かなんだろう。……暗い舞台に浮出して、まったく、大理石に血の通うと云うのだね。――肩、両眼、腰、足の先と、(はだ)なりに、土耳古(トルコ)人が(ねら)って縫打に打つんだが、弾丸(たま)の煙が、(さっ)、颯と、薄絹を掛けて、肉線を(まと)うごとに、うつくしい顔は、ただ彫像のようでありながら、乳に手首に脈を打つ。――見てはいられない処を、あからめもせず(みまも)ったのは、土耳古の……口上が名のった何とかパシャの拳銃(ピストル)の、その(あざや)かな手錬なんです。繕って言うのじゃあないが、それを見るのが目的だった。もう一度、以前、日比谷の興行で綺麗な鸚鵡(おうむ)が引金を口で切って、黄薔薇(きばら)(しべ)を射て当てて、花弁を円く輪に散らしたのを見て覚えている。――扱い()は、たしか葡萄牙(ポルトガル)人であったと思う。

 いなか記者の新聞()れで、そこはずうずうしい、まず取柄です。――土耳古人にお(すし)もおかしい、が、ビスケットでもあるまいから、煎餅(せんべい)なりと、で、心づけをして置いて、……はねると直ぐに楽屋で会った。

 私はいきなり(ひざまず)いたよ。むこうが椅子でも、居所は破畳(やれだたみ)です。……こう云うと軽薄らしいが、まったくの処……一生懸命で、土間でも床でも構う気じゃなかった。拳銃(ピストル)皆伝の一軸、極意の巻ものを一気に頂こうという、むかしもの語りの術譲りの処だから。私から見れば黄石公――壁に脱いだ、()外套(がいとう)は……そのまま、大天狗の僧正坊……」

 多津吉は銅像の腰を透かして、背後(うしろ)に迫って、次第に暮れかかる山の寂寞(せきばく)さを左右に()たが、

燕尾服(えんびふく)の口上が、土地の新聞社という処で、相当にあしらってくれる。これが通訳で。……早い処……切に志を()べたんだ。けれども、笑ってばかりいて、てんで受付けません。また土耳古人のこういう半狂気(はんきちがい)に対する笑い方といったら、一種特別不思議でね、第一(おおき)な鼻の鼻筋の、笑皺(わらいじわ)というものが、何とも言えない。五百羅漢(ごひゃくらかん)の中にも似たらしい形はない。象の小父さんが、(くさめ)をしたようで、えぐいよ。

 鼻で巻いて、投出されて、怪飛(けしと)んでその夜は帰った。……しかし、気心の知れた(うし)(とき)参詣(まいり)でさえ、牛の背を(また)ぎ、毒蛇の(あご)(くぐ)らなければならないと云うんです。翌晩また(ひざまず)いた。が、今度は、おなじ象の鼻で、反対に、背向(うしろむき)()ねられたんだね、土耳古人は向うむきになって、どしどし楽屋を出ちまったよ。刎ねられ方は簡単だけれど、今度は昨夜(ゆうべ)より落胆(がっかり)した。――実はうっかり言うまいと思ったけれど、そうもしたらばと、よもやに引かされ、その拳銃の極意を授けられたい、狙う目的と、その趣意を、父の無念ばらしの復讐のために銅像の目を狙うことを打明けたんだから――だ。が、何にもならない。

 興行は五日間――皆通った。……もう三度めからは会ってもくれない、寄附(よせつ)けません。しかも、打方を見るだけでも、いくらか門前の小僧だ、と思って、目も離さずに見たんだが、この目の色は、外国人が見ても、輪を掛けて違っていたに相違ない、少々血迷ってる形です。――

 (らく)の晩だ。板礫(いたはりつけ)の、あともう一場、(にぎや)かな舞踏がある。――帷幕(まく)が下りると、……燕尾服の口上じゃない――薄汚い、黒の皺だらけの、わざと坊さんの法衣(ころも)を着た、印度(インド)人が来て、袖を()いて、指示(ゆびさし)をしながら、揚幕へ連れ込んで、穴段を踏んで、あの奈落……きみもよく知っていようが、別して地方劇場(いなかしばい)の奈落だよ。土地柄でも分る、犬神の巣の魔窟だと思えば可い。十年人の()まない妖怪邸(ばけものやしき)の天井裏にも、ちょっとあるまいと思う陰惨とした、どん底に――何と、一体白身の女神、別嬪(べっぴん)の姉さんが、舞台の礫の時より、研いだようになお冴えて、唇に緋桃(ひもも)を含んで立っていた。

 つもっても知れる……世界を流れ渡る、この遍路芸人(ジプシイ)も、楽屋風呂はどうしても可厭(いや)だと云って、折たたみの風呂を持参で、奈落で、沐浴(ゆあみ)をするんだそうだっけ。血の池の行水だね、しかし白蓮華は丈高い。

 すらりと目を(なが)して、滑かに伸ばす手の方へ、印度人がかくれると、(お前さんに拳銃(ピストル)を上げましょう。)とこう言うんだ。少しは分る。私だって少々は(かじ)る。――土耳古の鼻を()めた奴だ、白百合二朶(ふたつ)の花筒へ(つら)突込(つっこ)んで、仔細(しさい)なく、(ひざまず)いた。――ただし、上げましょう拳銃を――と言う意味は――打方を教えよう――だとばかり思ったのに、乳の下の藤色のタオルのまま、引寄せた椅子の仮衣(かりぎ)の中で、手提(てさげ)をパチリとあけて……品二つ――一度取上げて目で()めて――この目が黒い、髪が水々とまた黒い――そして私の手に渡すのが、紫水晶の(こうがい)と、大真珠の(かんざし)を髪からぬき取ったようだった。……

 ――ちかさん、この、袖姿見(てかがみ)と拳銃なんだよ。」

 女は息を引いて(うなず)いた。

 男が、島田の刎元結(はねもとゆい)結目(むすびめ)(おさ)えた。

「ここを狙え、と教えたんだ。」

「あ。」

「御免よ。うっかり……」

「ああ、元結が切れそうだった。可厭(いや)ね、力を入れてさ。」

 と邪慳(じゃけん)に云って優しく()た。

「土耳古人が、(あご)咽喉下(のどした)から、肩、順々に――最後に両方の耳の根を打つ。最々後に、絶対の危険を冒す全世界の放れ業だ、と(おびや)かして、裸身の犠牲の脳頭(のうてん)を狙う時は、必ず、うしろ向きになるんだよ。うしろ向きになって、的の姉さんを袖姿見(てかがみ)に映して狙いながら、銃口(つつぐち)を、ズッと軽く(やわら)かに肩に()めて、そのうしろむき曲打にズドンと遣るんだ。いや、肝を冷す。(教えよう)――お嬢さんが、私にその通りに遣れ、と云うんだ。(少し離れて、もう少し、立った爪尖まで、全身がはっきり映るまで、)とさしずをされて、さあ……一間半、二間足らず離れたろうか。――牛馬の骨皮を、じとじと踏むような奈落の床を。――裸の姿に――しかも素馨(そけい)の香に包まれて。

 ――きみの前だが、その時タオルも棄てたから一糸も掛けない、浴後(ゆあがり)の立姿だ。……私はうしろ向きさ。(拳銃(ピストル)を肩に(あて)よ、)と言う、(打とうと思う目をお狙い……)と云う、口が苦いまで、肝を()んで、(じっ)()たが、わなわなと震えて、あっと言って振向いた。(きっ)となって、(教えません、そんな事では――不可(いけ)ません、)と言われたが。蛇です、蛇です、蛇です、三(びき)。一尺ぐらいずつ、おなじほどの距離をおいて、蜘蛛(くも)の巣と、どくだみの、石垣の穴と穴から、にょろりと鎌首を揃えたのが、姉さんの白い腰に、舌をめらめらと吐いているんじゃあないか。――歴々(ありあり)袖姿見(てかがみ)に映ったんだ。

 心もち肩を落して、乳房を抱いたが――澄ましてね、これらの蛇は出て来るんじゃあない。()げて引込(ひっこ)むんだから心配はない。――智慧で占ったのではない事実だ、と云うんだ。湯を運ぶ印度人が、可恐(おそろし)く蛇ずきの悪戯(いたずら)で、秋寂(あきさ)びた冷気に珍らしい湯のぬくもりを心地よげに出て来る蛇を、一度に押えてせっちょうして、遁げ込む石垣の尾を二疋も三疋も、引掴(ひきつか)み、引掴(ひッつか)み、ぬき出しは出来なかったが、(ちぎ)れたら(くい)かねない(いきおい)で、曳張(ひっぱ)り曳張りしたもんだから、三日めあたりから――蛇は悧巧(りこう)で――湯のまわりにのたっていて、人を見て遁げるのに尾の方を(さき)へ入れて、頭を段々に引込(ひっこ)める。(世のはじめから蛇は智慧者ですよ。)と言う。まったく、少しずつ(うろこ)が縮んでぬるぬると引込んで、鼠の鼻ッさきが(はさま)ったようになって消えたがね。奴等の、あの可厭(いや)らしい目だの、舌の色が見えるほど、球一つ……お嬢さんは電燈を(おご)っていてくれたんだ――が、その光さえ、雷光(いなびかり)か、流星のように見えたのも奈落のせいです。

 遣直(やりなお)して肝を()んだ。――(この《みは》った目が、袖姿見(てかがみ)(うち)のこのった目が、(まばた)いたと思う、その瞬間を射るんです。)同じようにして、うしろ向きに凝視(みつ)めていれば、瞬くと思う感じがその銅像の場合にも(あら)われる。魔の睫毛(まつげ)一毫(ひとすじ)()がきっとある。そこを射よ、きっと命中(あた)る! 私も世界を廻るうちに、魔の睫毛一毫の秒に、(へた)基督(キリスト)の像の目を三度射た、(ほほほ、)と笑って、(腹切、浅野、内蔵之助(くらのすけ)――仇討(かたきうち)は……おお可厭(いや)だけれど、復讐(しかえし)は大好き――しっかりその銅像の目をお打ちなさいよ。打つ(つぶて)(あやま)ってその身に返る事はあっても、弾丸(たま)は仕損じてもあなたを損いはしません。助太刀(すけだち)の志です。)――上着を掛けながら、胸を寄せて、(キス)をしてくれました。トタンに電燈を消したんです。(魔の睫毛一毫の秒でしたわね、)浪を行く(うお)中空(なかぞら)を飛ぶ鳥に、なごりを(おし)むものではありません――流星は宇宙に留っても、人の目に触るるのはただ一度ですもの、と云って、……別れました。

 別れました。その姉さんには別れた、が、きみとは別れまいね。」

 と云った、袖姿見(てかがみ)は男の胸に、拳銃(ピストル)は女の肩に(かか)ったのである。

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