ピストルの使い方 ――(前題――楊弓)

6話 ピストルの使い方 ――(前題――楊弓)(6)

3,929字 約8分 2011年6月29日 公開

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 御手洗(みたらし)を前にして、やがて、並んで立った形は、法界屋が二人で屋台のおでん屋の暖簾(のれん)に立ったようである。じりじりと歩を刻んで、あたかもここに位置を得た。袖姿見(てかがみ)は、瞳のごとく背後(うしろ)ざまに巨なる銅像を吸った。拳銃(ピストル)は取直され、銃尖(じゅうせん)が肩から(のぞ)いた……磨いた鉄鎚(かなづち)のように、銅像の右の目に向ったのである。

 さすがに色をあらためて、

「気味が悪かろうとは、きみだから言わない――私が未熟だから、危いから、少し、そちらへ。」

「着ものを脱いで、的にも立ちかねないんですがね。」

 と、自若として、微笑(ほほえみ)ながら、

「あなたの柄だと、私は矢取(やどり)の女のようだよ。」

「馬鹿な事を――真剣だ。」

「あなた。」

 と(かお)引緊(ひきし)めた。

「…………」

「一つは()てますわね。……魔のお姫様の直伝ですから。……でも、音がするでしょう、拳銃(ピストル)は。お嬢さんが耶蘇(ヤソ)の目を射た場所は、世界を掛けての事だから、野も山もちっとこことは違うようです。目の下が、すぐ町で、まだその辺に、人は散り切りません。天狗が一二枚もみじの葉を取ったって、すぐ山巡吏(やままわり)の監督が出て来るんじゃアありませんか。――この(しずか)さじゃ、音は城下一杯に(こだま)します。――私にその(たがね)をお貸しなさいな。」

「鏨を。」兇悪をなすに、(せめ)を知って、後事を(たく)せよと云うがごとく聞えて、(うなず)いて渡した。

拳銃(ピストル)をお見せなさいな。」

「……拳銃を。成程、引続けて二度狙うのは、自信がない、連発だけれども、」

 (くう)を打たれて、手練(てだれ)に得ものを落されたように――且つ器械を(しら)べようとする注意だと思ったように、ポカンと渡すと、引取るが(はや)いか、ぞろりと(くれない)(つま)を絞って小褄をきりきりと引上げた。落葉が舞った。(つむじかぜ)に乗るように振袖はふっと浮いて()と飛んで、台座に駆上ると見ると、男の目には、顔の白い翡翠(かわせみ)が飛ぶ。ひらひらと銅像の(ひだ)を踏んで、手がその肩に(かか)った時、前髪のもみじが、(すすき)(かんざし)を誘って、中空に(ひるがえ)るにつれて、はじめて、台座に揃えて脱いだ草履が山へ落ちた。

「あ、あ、あ、あんなものが、ああ、運五郎、(せがれ)、運五郎、山の銅像に天人が天降(あまくだ)った、天降った。おお、あれは、あれは。やあ、大きな縞蛇(しまへび)だ。運五郎、運五郎。――いや、鳥だ、鳥だ。……青い、白い縞が、(あか)い羽もまじった。やあ(くちばし)で目をつつく。」

 銅像が、城の天守と相対して以来、美術閣上の物干を、人は、物見と風説(うわさ)する。……男女の礼拝、稽首(けいしゅ)するのを、運八美術閣翁は、白髪(しらが)総髪(そうがみ)に、ひだなしの(はかま)をいつもして、日和とさえ言えば、もの見をした。()れて、近来はそうまでもなかった処に、日の今日は、前刻城寄の町に小火(ぼや)があって、煙をうかがいに出たのであるが、折から小春凪(こはるなぎ)の夕晴に、来迎の大上人の足もとに、ぬかごのごとく人のゆききするのを、心地よげに、久しぶりに見惚(みと)れていた。もっともその間に、遊廓の窓だの、囲いものの小座敷だの、かねて照準を合わせた処を、夢中で(のぞ)く事を忘れない。それにこの()は、新式精鋭のものでない。藩侯の宝物蔵にあったという、由緒づきの(おおき)遠目金(とおめがね)を台つきで廻転させるのであるから、いたずらものを威嚇(いかく)するのは十分だが、(あわただ)しく映るものは――天女が――縞蛇に――化鳥(けちょう)に――

 またたちまち……

「やあ、轆轤首(ろくろッくび)の女だ、運五郎。」

 ドシンと天狗に投げられたように、(おきな)は物干に腰をついた。

 島田の(びん)の白い顔が、宙にかかり、口で銅像の耳を()んで踏辷(ふみすべ)(つま)(くれない)を、二丈六尺、高く釣りつつ、(たがね)を右の目に当てて、雪の(かいな)に、拳銃(ピストル)を、鉄鎚(かなづち)に取って(かざ)した。

 銅像の左の目は、同じ様にして既に一撃を加えた後である。

 まことや、魔の睫毛(まつげ)一毫(ひとすじ)()に、いま、右の目に鏨を丁と打ったと思うと、

「キイー」

 と声の糸を切って、振袖は銅像の肩から、ずるずると(すべ)り落ちた。あわや台座に留まろうとして、(わざ)の施す隙なき(さま)に、そのまま仰向(あおむ)けに黄昏(たそがれ)の地に吸われたが、白脛(しらはぎ)を空に土を()て、(つま)をかくして俯向(うつむ)けになって倒れた。

 読者の、もの(くるわ)しく運八翁が、物見から、弓矢で、あるいは銃で、射留めた、と想像さるるのを妨げない。弾丸(たま)のとどかない距離をまだ註してはいなかったから。いわんや、翁は、旧藩の士族の出であるものを。

「――事実を言おう、口惜(くちおし)いが、目が光ったんだ。鏨で突き(つぶ)すと、銅像の目が大きく開いて光ったんだ。……女は驚いて落ちこんだ。」

 多津吉は、手足を力なく垂れた振袖を、横抱きに胸に引緊(ひきし)めて、御手洗(みたらし)の前に、ぐたりとして、蒼くなって言った。

 銅像の肩から転落した女を、きつけの水に抱込んだのはほとんど本能的であったといって可い。しかし、(びん)も崩れ、髪も濡れて、二人とも頭から水だらけになっているのは――

 ――「ベッ、此奴等(こいつら)、血のついた屑切(くずきれ)なんか取散らかして、蛆虫(うじむし)め。――この霊地をどうする。」

 自動車の助手に、松の枝を折らせ、掃立てさせた傍ら、柄杓(ひしゃく)を取って、パッパッと水を打つついでに、頭ともいわず肩ともいわず、二人に浴びせかけたのは、銅像の製作家、東京がえりの長髪の運五郎氏で、閣翁運八とともに、自動車で駆上って来た事は(あらた)めて言うに及ぶまい。事実に逢着(ほうちゃく)すると、着弾の距離と自動車の速力と大差のない事になる。自動車の方が便利である。

 侮辱と唾棄(だき)の表現のために、()ね掛けられた柄杓の水さえ(すくい)の露のしたたるか、と多津吉は今は恋人の生命(いのち)を求むるのに急で、焦燥(しょうそう)の極、放心の(てい)でいるのであったが。

近視(ちかめ)(せがれ)が遣りそうな事だわい。不埒(ふらち)ものめが。……その女は、そりゃ何だ。」

 袴腰に両腕を張って覗込(のぞきこ)む、運八翁に、再び蒼白(あおじろ)い顔を振上げた。

「門附芸人です、僕の女房です。」

「う、う、おお、似合うたな、おなじように。」

「ああ、お父さん――郡は拳銃(ピストル)を持っていますから。」

 少し離れて半円を廻わして、遊山がえりの――自動車より前に駆集った(むれ)が、間近くも寄らないのは、銅像に()じた魔の振袖のはじめから、何となきこの拳銃の影であった。

 (つど)える衆の肩背の(すき)に、霊地の口に、自動車が見えて、巨像の腹の鳴るがごとく、時々、ぐわッぐわッと自己の存在と生活を叫んでいる。

 この時しも、軽装した助手は、人の輪の前をぐるりぐるりと柄杓を上下に振って廻った。

拳銃(ピストル)を……拳銃を……」

 (かれ)を打てか、自らを殺せか――呼吸(いき)の下で、(かすか)に震えた、女は、まだ全く死んではいないのである。

「危い、お父さん。――早く警察へ。」

「何をし得るものだ。――いや、時にいずれも、立合わるる、いずれも。」

 運八翁は、ずかずかと横歩行(よこある)きに輪の真中へ立って、

「俺と伜の、この製作の名誉を(ねた)んで。」

「そうですそうです。」

 運五郎氏も、並んで、細い(ステッキ)を高らかに振った。

「大銅像の目を(きずつ)けたんだね、両眼を――(つぶ)すと(ひと)しく霊像の目が()きて光って開いた、虫の投落されたのをよく()て下さい。」

「柴山運八。」

「運五郎、苦心の製作に対して。」

 と云った。

「あはッ、はッ、はッ、はッ、はッ。」

 と笑ったものがある。この時、銅像が赤面した。一朶(いちだ)珊瑚島(さんごとう)のごとく水平線上に浮いた夕日の雲が反射したのである。肩まで霧に包まれたその足と、台座の間に、ちょぼりと半面を蟋蟀(こおろぎ)のごとく覗かせて見ていた、(ほこり)だらけの黒服の親仁(とっさん)が、ひょいと出た、妙な処に。――もっとも、この山のかかる時には、砲台形に並んだ丘の上をはじめ、少し脊の高い松のどの樹にも、天狗が居て、翼を合せ鼻を並べて見物する。親仁(とっさん)は、てくてくと歩み寄ると、閣翁父子の背後(うしろ)へ、就中(なかんずく)、翁の尻へ、いきなり服の尻をおッつけるがごとくにして、背合(せなかあわ)せに立った。すなわち銅像に対したのである。

 一人やなんぞ、気にもしないで、父子(おやこ)は澄まして、(ひと)の我に対する表敬の動揺(どよめき)を待って、傲然(ごうぜん)としていた。

 黒服の親仁(とっさん)は、すっぽりと(ちゅう)山高を脱ぐ。兀頭(はげあたま)で、太い(くび)横皺(よこじわ)がある。(けつ)で、閣翁を突くがごとくにして、銅像に一拝すると、

「えへん。」

 と(しわぶ)き、がっしりした、脊低(せいひく)反身(そりみ)で、仰いで、指を輪にして目に当てたと見えたのは、柄つきの片目金、拡大鏡を(あて)がったのである。

「は、は、は、違う、違う、まるで違う。この大入道の団栗目(どんぐりめ)は、はじめ死んでおった。それが(たがね)()きたのじゃ。すなわち潰されたために、()いたのじゃ。」

「何。」

「あ、先生。」

 と、運五郎氏がギクンと首を折った。

「柴山君、しばらくじゃ。」

「お父さん、お父さん、榊原(さかきばら)――俊明(としあき)先生です。」

 東京――(壱)――芸学校の教授にして、(弐)――術院の委員、審査員、として、玄武(げんぶ)青竜(せいりゅう)はいざ知らず、斯界(しかい)の虎! はたその老齢の故に、白虎(びゃっこ)(とな)えらるる偉匠である。

 (おも)うべし近常夫婦の塚に、手向けたる一捻(いちねん)の白饅頭の()けるがごとかりしを。しかのみならず、梅鉢草の印の(たがね)を拾って、一条の奇蹟を(とり)に授けたのを。

「ええ、ええ、大先生、伜がかねて……」

 儀礼に、こだわりの過ぎるほど訓錬のある、特に官職に対して謙屈な土地柄だから、閣翁は、衆に仰向(あおむ)けに反らしたちょうど同じ角度に、その(あご)(へそ)に埋めて、手を垂れた。

「――間違うても構わんです。あんた方の銅像に対する、俊明(しゅんめい)の鑑査はじゃね。」

 古帽子で、ポンと膝頭を(たた)いて、

「今の一言の通りです。」

 父子(おやこ)は、太き息を通わせて、目を見合った。

「せち辛い世の中ですで、鑑査の報酬を要求します。はっはっはっ。その料金としてじゃね、怪我人を病院へ(はし)らす、自動車を使用しまするぞ。――用意!……自動車屋。」

 柄杓とともに、助手を投出すと(ひと)しく、俊明先生の兀頭(はげあたま)は皿のまわるがごとく(むき)かわって、漂泊(さすらい)の男女の上に押被(おっかぶ)さった。

別嬪(べっぴん)。」

「あれ、天……狗……さん。」

「しかり、天狗が承合(うけお)うた、きっと治るぞ。」

 道中皺(どうちゅうじわ)手巾(ハンケチ)で、二人の頭も顔も涙も一所くたに()いてやりつつ、

「する事は乱暴じゃが、ああ、優しいな。」

 と、ほろりとして言った。

昭和三(一九二八)年二月

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