5話 五
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二人対坐で、酌人はわざと居なかった。獅子屋さんは盃をちょっと控えた。
「――雪の家、……雪の家というその待合です――
(今日は、ご免下さい。)
あなた方はそうした格子戸を開けて、何といって声をお掛けになりましょうかしら……おかしな口のきき方です、五月雨時の午後四時ごろ、初夏真昼間だから、なおおかしい。
土間わきの壁を抜いて、御神燈といいますか、かき入れなしの磨硝子に、鉢から朝顔の葉をあしらって夕顔に見せた処が、少々歪曲んで痩せたから、胡瓜に見えます、胡瓜に並んで、野郎が南瓜で……ははは。
処へ、すぐ取次に出た女中が……間に合せの小女。それに向い、改って、
(小石川白山の小山と申すものですが。)
……どうもおかしい。ここへ来るのに、私は、ご存じと思います、二の橋の袂で自動車を下りましたが、三業組合の横町へ、一文字に入れそうもありません。また入れるにした処で、ちと大袈裟で、近所騒がせだと思いました。
運転手が深切に、まごつくと不可ません。先方は、と聞いて、一つ探険をして参りましょう。探険もまたおかしい。……実は、自宅玄関へ出た私ども家内が、「先途は麻布の色町ですよ、」とこの運転手に聞かせたからですが。――「行っていらっしゃい。」家内見送りでもって、昼間の待合行は余り数を覚えません。勝手が違ったので、一枚着換えたやつが、しからばともいわず、うっかり、帽子の茶系統処を、ひょいと、脱いで、駆出したのがすでにおかしいのでございました。
そこで、
(当屋に、間淵さんのお妹ごはおいでになるかね。)
淵が瀬にしろ、流にしろ、そのお妹ご、とお聞きになると、何となく色気があります。ところがどうして、胡麻塩の三分刈、私より八つばかりも年上の媼さんだから、お察しを願いたい。
――五日以前、暮方です。膳に向った、電燈を点けようという処へ、電話が掛って、家内が取次に出て、……「小山でございます、はい、あなたは、はあ、雪の家さん。」どうも雪の家という響き、何、響くほどの広さじゃない。あの手狭ですから、直ぐそこに、馬鹿な……受話器に向ったものの顔も白いように聞えて優しい名だな、と思いますと、はいはい、と受けていましたっけ。
――おわすれかも知れません、二十四五年前に、お目に、かかったきりですが、間淵の妹です。間淵は昨年なくなりました。けれど自分で一度お目にかかりたいと思いながら、ついうかがいそびれておりましたところ、このごろ、そちこち、新聞などで、名前を、写真を、見受けますし、ところも分りましたからちょっとお目にかかりたい。「そういって……二の橋の、きこえたでしょう、おつな名の待合から。」笑いながら、「大分、婆さんの声、お菜と一緒に、お生憎。」……「分った、分った、断ってもらおう。」「いいんですか。」「勿論、久しく煩いましても可厭な言種だが、とにかくだ、寝ているからおいで下すっても失礼します、いずれそのうち、ご挨拶だ。」……
――あとで、――おだいじにまた折を見ましてで電話を切りましたが、誰方? といって、家内が聞きます。
その時話した事ですが、さあ、もう十四五年も前だったろう。……馳走酒のひどいのをしたたか飲まされ、こいつは活がいいと強いられた、黄肌鮪の刺身にやられたと見えて、家へ帰ってから煩った、思い懸けず……それがまた十何年ぶりかで、ふと出会った旧い知己で、つい近所だから、と裏長屋へ連込まれた……間淵がそれだ。――いやそれなんです――
足の短い、胴づまりで肥った漢子の、みじめなのが抜衣紋になって、路地口の肴屋で、自分の見立てで、その鮪を刺身に、と誂え、塩鮭の切身を竹の皮でぶら下げてくれた厚情を仇にしては済まないが、ひどい目に逢ったのを覚えているだろう。これが間淵。その漢子の妹だよ、いま電話のかかったのは――と家内に。
が、妹には、逢ったというより見た事があるかないか、それさえよく覚えていない。――思い出せば、その酒と鮪の最中、いや、灘の生一本を樽からでなくっちゃ飲めない、といった一時代もあったが、事、志と違って、当分かくの通り逼迫だ。が、何の、これでは済まさない、一つ風並が直りさえすれば、大連か、上海か、香港、新嘉坡あたりへ大船で一艘、積出すつもりだ、と五十を越したろう、間淵が言います。この「大船で一艘積出す、」というのが若い時からその男の癖だった。話の中に、一人娘は、七八ツの時から、赤坂の芸妓家へ預けてある、といったのも、そういえば記憶がある。
――亡くなった、という電話だが、あとさきの様子から待合に縁がありそうに思われる。
その節、取りまぎれて、折返しとは行かなかったけれども、二月とはおかず、間淵の侘住居を訪ねたが、もうどこかへ引越しした。行くさきさえ、その辺で聞いても分らなかった、という始末なのですから。
(電話は聞きながしにしておこう。)
(義理の悪いことはないんですか。)
(言うにゃ及ぶべき。)
晩酌で、陶然として、そのまま肱枕でうたたねという、のんきさではありません。急ぎの仕事に少し疲れていた時であったのです。
ところがどうです、その翌日、まだ朝のうち、玄関で早口に饒舌っている女の声がして、すぐに取次のいうのを聞くと、年をとっては気ぜわしい、堪え情がなくなって訪ねて来た。しかじかの口上。起きられぬほどの容体でなければちょっと逢いたい、と昨夜の今朝で、その間淵の妹が追掛けてやって来ました。
不精から、面倒くさいというばかり、逢って差支えはちっともないのです、それに白山。――麻布からは大抵の苦労じゃない、勿論断る法はありません。玄関さきの座敷へ通させ、仕事場の小刀をおいて出て逢いました。
(ああ、ああ、さてお久しいことやぞや、お懐しい。)
申しては驕りの沙汰だが、「ことやぞや」ではお懐しいがられたくない、ところへ、六十近いお婆さんだから、懐しさぶりを露骨に、火鉢を押して乗出した膝が、襞捩れの黒袴。紬だか、何だか、地紋のある焦茶の被布を着て、その胡麻塩です。眉毛のもじゃもじゃも是非に及ばぬとして、鼻の下に薄髭が生えて、四五本スクと刎ねたのが、見透される。――この性格、何とお思いなさいます。」
(――と話した時、小山直槙は眉を顰めたのであった――)
「……余儀ない次第と申そうか、了見違いと申そうか、やがて、真夜中にこの婆さんを見なければならない羽目に立到りました時は、この面相にして、白を着て、黒い被布です、朱い袴を穿いていたのだから、その不気味さをお察し下さい。
その朝だって、家内が挨拶に出ようというのを、私が差留めたほどでした。
(まことにしばらく、……お珍らしい。)
と、時に、挨拶をするのも上の空で、人様の顔を失礼だが、うっかり見まもっているうちに、吃驚するように、思い出したのは、私が東京へ出ました当時「魔道伝書」と云う、変怪至極な本の挿画にあった老婆の容体で、それに何となくそのままなんです。
――「魔道伝書」ようございますか、勿論、板本でなし、例の貸本屋を転々する写本でなく、実にこの婆さんの兄の間淵が秘蔵した、半紙を部厚に横綴の帳面仕立で。……都合があって、私と二人で自炊をして、古襦袢、ぼろまでを脱ぎ、木綿の帯を半分に裂いて屑屋に売って、ぽんぽち米を一升炊きした、その時分はそれほど懇意だったのですが。――また大食いな男で、一升一かたけぺろりの勢。机を売り、火鉢、火箸から灰を売食といった時でも、その「伝書」は手離さなかった。もっとも渋を刷いた厚紙で嵌込の蔽があって、それには題して「入船帳」。紙帳も蚊帳もありますか、煎餅蒲団を二人で引張りながら、むかし雲助の昼三話。――学資を十分に取って、吉原で派手をした、またそれがための没落ですが、従って家郷奥能登の田野の豊熟、海山の幸を話すにも、その「入船帳」だけは見せなかった。もうその頃から、「大船を一艘」が口癖で、ただし時世だけに視野が狭い。……香港、新嘉坡といわないで、台湾、旅順へ積出すと言います……そこいらの胸算用――計画の覚だ、と思うから、見る気の起る筈もありません。
間淵は、名さえ洞斎といいました。家は祖父の代から医師なのを、洞斎本人は法津が目的で、勉強をするのは、能登では間に合わない。おなじ県でも金沢だけにありました専門学校へ通うのに、私の家を宿にした。――賄つき間貸と称える、余り嬉しくもない、すなわちあれです。私との縁はそれなんです。
やがて、間淵が東京へ出て、三年目かに、私も……申すはお恥しい、今もこの通りですが、志を立てて上京した。とっかかり草鞋を脱いだのが、本郷元町にあった間淵の下宿で、「やあ、よく来たね、」は嬉しいけれども、旅にして人の情を知る、となると、どうしても侘しい片山家の木賃宿。いや、下宿の三階建の構だったのですが、頼む木蔭に冬空の雨が漏って、洋燈の笠さえ破れている。ほやの亀裂を紙で繕って、崩れた壁より、もの寂しい。……第一石油の底の方に淀んでいる。……そうでしょう、下宿料が月の九つ以上も滞った処だから、みじめな女郎買じゃないけれども、油さしも来やしない。旅費のつかい残りで、すぐに石油を買う体裁、なけなしの内金で、その夜は珍らしく肴を見せた、というのが、苦渋いなまり節、一欠片。大根おろしも薄黒い。
が、「今に見たまえ、明日にも大船で一艘台湾へ乗出すよ。」で、すぐにその晩、近所の寄席の色ものへ連出して、中入の茶を飲んで、切端の反古へ駄菓子を撮んで、これが目金だ、万世橋を覚えたまえ、求肥製だ、田舎の祭に飴屋が売ってるのとは撰が違う、江戸伝来の本場ものだ。黒くて筋の入ったのは阿蘭陀煉、一名筏羊羹。おこしを食うのに、ばりばり音を立てなさんな、新造に嫌われる、と世話を焼いて、帰途が、屋台の牛めしです。寝床で話しながら遣らかそう、と精進揚を買って帰る。易くて腹にたまっていいと云ううちにも、油ものの好きな男で。
――ですから、のちに、私がその「魔道伝書」のすき見をした時も炬燵櫓……(下へ行火を入れます)兼帯の机の上に、揚ものの竹の皮包みが転がっていました――
そういった趣で、啖う事は、豆大福から、すしだ、蕎麦だ。天どんなぞは驕の沙汰で、辻売のすいとん、どうまた悟りを開いたか、茶めし、餡かけ、麦とろに到るまで、食いながら、撮みながら、その色もの、また講釈、芝居の立見。早手廻しに、もうその年の酉の市を連れて歩行いた。従って、旅費の残りどころか、国を出る時、祖母が襟にくけ込んだ分までほぐす、羽織も着ものも、脱ぐわ剥ぐわで、暮には下宿を逐電です。行処がないかと思うと、その頃の東京は、どんな隅にも巣がありました。裏長屋の九尺二間へ転げ込むのですが、なりふりは煤はきの手伝といった如法の両人でも、間淵洞斎がまた声の尻上りなのさえ歯切れよく聞える弁舌爽で、しかも二十前に総持寺へ参禅した、という度胸胡坐で、人を食っているのですから、喝、衣類調度の類、黄金の茶釜、蒔絵の盥などは、おッつけ故郷から女房が、大船で一艘、両国橋に積込むと、こんな時は、安房上総の住人になって饒舌るから、気のいい差配は、七輪や鍋なんぞ、当分は貸したものです。
徒士町の路地裏に居ました時で。……京では堂宮の絵馬を見ても一日暮せるという話を聞きます。下谷のあの辺には古道具屋が多いので、私は希望が希望だったから、二長町や柳盛座の芝居の看板の前には立ちません、若い時だから寒さには強い。ぶらぶら何を見て歩行いていたかは、ご想像に任せますが、空腹の目を窪まして長屋へ帰ると、二時すぎ。間淵は見えないで、その煎餅蒲団のかかった机の上に、入船帳の蔽を抜けて、横綴の表紙が前申した、「魔道伝書」、題ばかりでも、黙って見たままで居られますか。いきなり開けた処に、変な、可訝しな、絵があったのです。
若い、優しい女が裸体、いや、裸体じゃないが、縁の柱に縛られた、それまでのかよわい抵抗、悩乱が思われる。帯も扱帯もずり落ちて、絡った裳も糸のように搦んだばかり。腹部を長くふっくりと、襟の辷った、柔かい両の肩、その白さ滑かさというものは、古ぼけた紙に、ふわりと浮く。……
が、もう断念めたのか、半ば気を失ったのか、いささかも焦躁苦悶の面影がない。弱々と肩にもたせた、美しい鼻筋を。……口を幽に白歯を見せて、目を《みひら》いたまま恍惚している。
それを、上目づかいの頤で下から睨上げ、薄笑をしている老婆がある、家造りが茅葺ですから、勿論、遣手が責めるのではない、姑が虐げるのでもない。安達ヶ原でない証には、出刃も焼火箸も持っていない、渋団扇で松葉を燻していません。ただ黒い瓶を一具、尻からげで坐った腰巻に引きつけて、竹箆で真黒な液体らしいものを練取っているのですが、粘々として見える。
老婆は白髪の上の処に、
(ようゆうばば術を施すのところ)
おかしな口調です――(術を施すのところ)老婆はたちまち見て取った。絵も覿面だから解りました。が、その(ようゆう)が分りません、かなで書いただけで、それは三十年余りも経った、いまにおいてどういう意味だかわかりません。が……さて続いた絵なんです、もっとも、めくるとすぐに細かい字で、ぎっしり二三枚かき込んでありましたけれども、川柳にもありましょう、うまい事をいった、(読本は絵のとこが出て子に取られ)少年はきれいな婦の容易ならない身の上が案じられますから、あとを性急に開ける、とどうです。
立った乱れ姿で縛られたのが、今度は崩れたように腰をついて、膝を折りかがめに、片足を、ぐったりと、濡縁に髪を流し、白く蹴出した、その一本のふくら脛の膝から下に、むくむくと犬だか猫だか浅間しい毛が生えて、まだ女のままの指尖が獣の鰭爪に屈まって縮んでいる。
――(ようゆう)ですね、老婆は、今度は竹箆を口に啣えて、片手で瓶の蓋を圧え、片手で「封」という紙きれを、蓋の合せ目へ禁しながら、ニヤリとしている。
その、老婆に、形も面も、どことなく肖ているのですよ。唯今お話をしました、――二の橋の待合から電話を掛け、当分病気だといって断ったのに、すぐに翌日、白山の私宅へ来た。――
「――お懐しい。」と袴の膝を不遠慮に突きつけた、被布で胡麻塩の間淵の妹。
ちょっとお待ち下さい。
「うう、うううう、おお、おお、苦しい。」
だしぬけに目の前の厠で、うめく声がすると、ばったり戸を開けて出たのが間淵で、――こんがらかると不可ません。――兄洞斎です。
私がその魔道伝書を覗いているのを見ると、
「や、いつ帰った。」
というが早いか、引手繰るや否や、肥っているから、はだかった胸へ腋の下まで突込んだ、もじゃもじゃした胸毛も、腋毛も、うつくしい、情ない、浅間しい、可哀相な婦を揉みくたにして、捻込んだように見えて、毛の生えた方も、白い方も、そのまま瞼にちらついて、覚えています。私は、ぱちぱちと瞬した。
「飛んでもない、こりゃ見せるもんじゃない、いや、見るもんじゃない。第一若いものが見ては大変だ……」
酷く腹が痛んで、私の帰ったのが夢中で分らなかったから、うっかりした折からだそうで。……渋豌豆の堅いやつを、自分で持って行って、無理に頼んで、うどん粉をこってりと、揚物にさしたという、それに中てられたんです。
なかなか、絵も二枚や三枚じゃない、ずッしり分厚に綴込んだ一冊で、どんな事が書いてあるか知れません。冒険的にも見たかったのでありますが、牛若ほどの器量がないから、魔道妖異の三略には、それきり、手を触れる事が出来なかった。