6話 六(1)
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「なあ、それにしても、ほんにほんに久しいものやて、にい……」
さて、袴を穿いた婆さんはいうのです。巻莨を吹かしますが、取出すのが、持頃の呉絽らしい信玄袋で、どうも色合といい、こいつが黒い瓶に見えてならなかった。……
「あの時分」……
自分で尼、尼という、襟に大形の輪数珠も掛けていましたが、容体が巫女にも似て、両部も三部も合体らしい。……「尼ども、両親はとうになくなって、もともと身上の足りぬ処を、洞斎兄の学資といえば、姉の嫁、私には嫂じゃにい、その里方から末を見込んで貢いでおった処を、あの始末で、里をはじめ、親類もあいそを尽かせば、嫂も断念めた。それやで、に、嫂の里へ引取って養うてくれておった尼を連れて、東京へ、徒士町の長屋へ出向いたというものは、嫂は縁切り、尼はまたこの広い世界へ棄てられた。島流し同様のものやったが、にい――
人間の侘しい住居というより、何やら、むさくるしい巣のような裡から、あんたは、小僧に――」
そうです。千駄木の師匠、雲原明流氏の内へ、縁あって弟子小僧に住込みました。
これは申すまでもありません。
「洞斎の兄の身にして見ればじゃ、にい、この妹をつれて、女房が上京するといえばや、当分だけなと、くらしをつける銭金の用意をしていて、一緒に世帯をするものと思うたのが、そのしだら魂胆や。つら当にも、その場からでも、妹を奉公させる……また奉公もせんならん。翌日が日の糧にも困った、あの逼迫やよってに、すぐに口を見つけて、にい、わすれもせんぞに――あんたはその千駄木へ。尼は、四谷へ、南と、北へ。……一日違いで徒士町から分れたというもんじゃ。地方で結うたなり、船や汽車で、長いこと、よう撫でつけもせなんだれど、これでも島田髷やったが、にい。」
私は顔を見た。
「覚えておいでますかにい――ちょっとの間やったけれど、おなごりが惜しかったぞ。北と南へ。」
どっちが北だか、南だか、方角に途迷いしたが、とにかく分れたのは難有かった、と思いました。……それに、言わるれば、白粉をごってり塗けた、骨組の頑丈な嫂というのには覚えはあるが、この、島田髷には、ありそうな記憶が少しもない。
「命さえあれば、にい、どこでどう、めぐり逢わんとも限らんもんや。したが、尼も、この奉公を振出しに、それは、それは太いこと、苦労辛苦をしたもんや。」
ここで、長々と身の上話がはじまった。が、くどいから略しましょう。あり来りの事で、亭主が三度かわった事だの、姑小姑に虐められた事だの、井戸川へ身を投げようとした事だの、最後に、浅間山の噴火口に立って、奥能登の故郷の方に向って手を合わせて、いまわという時、立騰る地獄の黒煙が、線香の脈となって、磊々たる熔岩が艾の形に変じた、といいます。
ちょっとどうも驚かされた。かねて信心渇仰の大、大師、弘法様が幻に影向あった。灸点の法を、その以心伝教で会得した。一念開悟、生命の活法を獲受して、以来、その法をもって、遍く諸人に施して、万病を治するに一点の過誤がない。世には、諸仏、開祖の夢想の灸と称うる療術の輩は多いけれども。
「尼のに限っては、示現の灸じゃ。」
「――成程。」
「……昨宵も電話でのお話やが、何やら、ご病気そうなが、どんな容体や。」
「胃腸ですよ、いわゆる坐業で食っていますから、昨夜なぞは、きりきり疼んで。」
「いずれ、運動不足や、そりゃようないに。が、けど何でもない事や。肋膜、肺炎、腹膜炎、神経痛、胸の病、腹、手足の病気、重い、軽い、それに応じて、施術の法があって、近頃は医法の科学的にも、灸点を認めているのやが、その医法をも超越して、(時々むずかしい事をいいます。)気違が何や……癩でも治るがに。胃腸なぞはそりゃに、お茶の子じゃぞ。すぐに一灸で、けろりとする。……腹を出しなされ、は、は、は、これでもあんた、島田髷やて、昔馴染には。」
「ま、ま。」
「療治の用具もちゃんと揃えて持合わせておる、に。」
「まあ、まあ。」
「熱いと思うてかに、熱い……灸やから。は、は、は。微塵も、そりゃない。それこそ弘法様示現の術や、ただむずむずとするばかり。」
「まあ、しかし。」
「ただ、あんたのものを使うというては、火鉢の火を線香に取るばっかりや。」
弱った。
「それやかとても、火道具はちゃんとここに持っておるがや、燐寸なぞは使わんぞ、艾にうつす附木には、浅間山秘密な場所の硫黄が使うてあるほどに。」
なお弱った。
「どうも、灸だけは……ですよ。」
「お嫌いかに。」
「嫌いにも、なにも。」
「好嫌いは言うておられんぞに、薬には。それやし、何せい、弘法様の……あんたお宗旨は。」
「ほっけです。」
「堅法華、それで頑固や。」
「いや、いやそんな事より、なくなった母親の遺言です、灸は……」
「その癖、すえられなさる様な事が沢山あるやろ、は、は、は。これでも昔は島田髷や。」
と口を開けて、それでも皮肉ではなさそうに笑った。
「時に、洞斎さんは、何の病気で。」
と聞くと、
「中気でに、四年越。」
私も、何も、皮肉でいったのではなかった、気違も、癩さえ治すというのに対して。――しかし四年越、中気でなくなった事をいってからは、おかしく、急に陰気になって、帰支度をする。蒸しものの菓子を紙に包んで、ちょっと頂いた処は慇懃で却って恐縮。納めた袋の緒を占めるのが兜を取ったようで、厳に居直って、正午頃までに、見舞う約束が一軒。さて、とる年だし、思い立った時に逢って見たいのを、逢って見ぬと、いつまたお目にかかれようと、それゆえにこそ、といって起った時には、すこしばかり妙な寂しい気がしたのです。
人情ですか、争えない、それもあります。それに、自動車でなくっては運ばれない。嵩張った手土産がありました。
「義理さえ欠けなければ。」
とあとでいう家内の言については、使で礼を返しても、その義理は欠けなかったが――逢って見たい時に逢っておかぬと、いつまたお目に掛れるか――まだ仕事場へ帰らない――送出して取って返し、吸いかけの巻莨をまた撮んで、菓子盆を前に卯の花のなよなよと白いのを見ながら、いま帰った尼巫女の居どころを、石燈籠のない庭越に、ほのかに思いうかべました。待合、雪の家。
姪に当る、赤坂に芸妓をしていると、いつか聞いたのが、早く旦那なるものにひかされたか、事情はとにかく、心づもり二十そこいらで、まだ、若い。
この後見なり、客のとりまわし、家のきりもりをしていると思われる、その母親があるのです。妹ぐるみ打棄った、……いや間淵洞斎が打棄られた女房の、後二度目の女房なのです。後添、後妻、二度目の嫁といっても、何となく古女房のように聞えますが、どうして、間淵と夫婦になった年が、まだ、ほんの十五六。で、ただ一度だけ、その頃、私が、本所で逢った事がある。……
師匠明流の情で、弟子小僧に、住込んだ翌年の五月です。花時に忙がしい事があって用が立込んだかわりに、一日お暇が出て、小遣を頂いた。師匠は大家でも弟子は小僧だ、腰の煙草入にその銀貨を一枚「江戸あるき」とかいう虫の食った本を一冊。当日は本所の五百羅漢へゆくつもりで、本郷通りを真すぐに切通し、寄席の求肥の、めがねへ出ました。すたすたもので、あれから、柳原を両国まで、鉄道馬車で、あとはまた大歩行きに歩行くつもりの、ところが、馬車を下りる時、料金を払おうとする、と、落したのか、すられたのか、煙草入がありません。小遣ぐるみ。あッと慌てたが、それだけじゃ済まない。広小路のあの群集の中で、しょぼしょぼと監督の前へ出されたのですが、突出したとは言いますまい。連れてった痩せた車掌がいい男で、確に煙草入を――洋服の腰へ手を当てて仕方をして――見たから無銭のりではありません。掏られたのです。よろしい、と肥った監督が大な衣兜へ手を突込んで、のみ込んでくれました。
羅漢たちの中には、苦しい断食の業を積んだのがありましょう、思っただけでも足がすくむ。ありようは五百体より一杯をあてにした、蕎麦も、ちらしも、大道の餅も頬張れない。……それ以上に弱ったのは煙草が飲めない。参詣はしましたが、亀井戸の境内で、人間こうなると、目が眩みます、藤の花が咲いていたか、まだだったか、それさえも覚えていません。
太鼓橋の池のまわりの日当りの石に、順礼の夫婦が休んでいて、どうでしょう、女房が一服のんでいて、継ぎはぎだが紅いところの見える、襦袢の袖で、
「アイ」
あいと脚絆の膝をよじって、胸を、くの字なりに出した吸付煙草。亭主が、ふっかりと吸います、その甘味そうな事というものは。……
余計にがつがつして、息を切って萩寺の方へ出たでしょうか、真暗三方という形、かねて転居さきを端書で知っていました、曳船通の間淵の家に辿り着いた。ここで一片餉ありつこうし、煙草銭の工面をつけようと思いました。ところがどうです。――その時分の事で、まだ藁葺の古家で、卯の花の咲いた、木戸がありました。柱に、「東海会社仮事務所」と出ていて、例の大船で一艘積出す男は、火のない瀬戸の欠火鉢を傍に、こわれた脇息の天鵝絨を引剥したような小机によっかかって、あの入船帳に肱をついて、それでも莞爾々々している……
「これ、お茶をよ。」
と破襖の次の間へ。
「何だ、焼芋、蕎麦、ごもく、豆大福、豌豆の入った――うふ、うふ、うふふ。」
と尻上りの冴えた声で、笑を肥った腹へ揺った。
「鼠が貿易をしはしまいしよ、そんなものを積んで大海を渡れるものか。その了見だと、折角あれだけの名家の弟子になりながら、小刀で蟻を刻んでいやしないかね。
蕪にくッつけてさ、それ、大かぶにありつく、とか云って、買手が喜ぶものだそうだ。いや、これは串戯よ。船はちゃんころでも炭薪ゃ積まぬというのが唄にもある。こんな小さな家だって、これは譬えば、電気の釦だ。捻る、押すか、一たび指が動けば、横浜、神戸から大船が一艘、波を切って煙を噴くんだ。喝!」
と大きな口をあけながら、目を細く、頻に次の間を頤で教えて、目顔で知らせて、
「お茶を早くよ。」
貧しい盆に茶碗をのせて、気候は、そんなだのに、もう白地の浴衣です。髪だけは艶々と島田に結っていました。色の白い吃驚するほど人柄な、その若いのが、ぽッと色を染めて、黙って手をついた頸脚が美しい。
「きみ、小山、今度の妻だよ。」
その時、ついた手が白く震えた。
「冬というよ、お冬です。こりゃ親しい同県人だ。――お初に、といわないかね。」
「お初に。」
といった時、耳まで紅く染まった。それなり襖の影へ消えました。私は一息に空腹へ飲んだのですが、それは茶ではないのです。冷水に、ちらちらと白いものが浮かしてある、香煎は色がありましょう、あられか、菓子種か、と思ったのが、何と、志は甘かった、が、卯の花が浮かしてあったんです。毒にはなりますまい、何事もなかった処を見ると、枸杞の花だったかも知れません、白く、細かくて、枸杞は薬だといいますから。
そうと知ったら、言いますまいものを。……水は、実は途中で、三度ぐらい飲んでいましたから、東海会社社長の顔を見ると斉しく、息が切れる、茶を一杯、といって、それから焼芋、蕎麦、大福の謎を掛けた。申すまでもなく煙草入をなくした顛末を饒舌ってからですが、これに対する社長の応対は、ただ今お聞かせ申した通り。
湯を沸す炭もなく、茶も切れていたのです。年も二十以上違っている。どうしてこんな細君を。いや、あの、片時も手離さない「魔道伝書」を見るがいい。お冬さん、上品な、妍美い娘は、魔法に、掛けられたものでしょう。
千駄木へ帰ってから、師匠に鉄道馬車の監督の話をすると、気に入った。その寛容と深切に対しても、等閑に棄てては置けない、料金は翌日にも持参しなさい。で、二日ばかりおいて、両国まで、その持参です。……なくなしたお小遣の分まで恵与に預る。……余程曳船へ廻りたかった。堅豌豆ぬきの精進揚か、いや、そんなものは東海会社社長の船には積むまい。豆大福、金鍔か。それは新夫人の、あの縹緻に憚る……麻地野、鹿の子は独り合点か、しぐれといえば、五月頃。さて幾代餅はどこにあろう。卯の花の礼心には、砧まき、紅梅餅、と思っただけで、広小路へさえ急足、そんな暇は貰えなかったから訪ねる事が出来なかった。
盆やすみに、今日こそと、曳船へ参りましたが、心当りの卯の花垣は取払われて、窪んだ空地に、氷屋の店が出ていました。……水溜りに早咲の萩が二つ三つ。
そういったわけで、それきりになったのですが、あと十何年、不意に、また間淵洞斎に出会って、悪酒にあてられた事を申しました。――
それは、白山の家を出て、入費のかからない点、屈竟ばかりでなく、間近な遊山といってもいい、植物園へ行って、あれから戸崎町の有名な豆府地蔵へ参ろうと、御殿町へ上ると、樹林一構、奥深い邸の門に貼札が見えたのです――鷺流狂言、開興。入場歓迎。――日づけが当日、その日です。時間もちょうどでありました。
舞台では、もう「宗八」というのがはじまっていたのですが、広書院の一方を青竹で劃っただけが、その舞台で、見物席は三十畳ばかりに、さあ十四五人も居ましたか、野分のあとの庭の飛石といった形で、ひっそり、気の抜けたように、わるく寂しい。
例の、坊さんが、出来心で料理人になって、角頭巾、黒長衣。と、俎に向った処――鮒と鯛のつくりものに庖丁を構えたばかりで、鱗を、ふき、魚頭を、がりり、というだけを、吶る、あせる、狼狽える、胴忘れをしてとぼん、としている。
海豚が陸へ上った恰好です。
仕切の竹で、これと向合い、まばらな見物の先頭に、ぐんなりした懐手で、悄れた鰭のように袖をすぼめていた、唐桟柄の羽織で、黒い前垂をした、ぶくりとした男が、舞台で目を白くする絶句に後退りをしながら振返ったのが、私に気がつくと、そのまま……熟と視た。
開演中です。居膝るように、密と傍へ寄って来て、
「小山じゃないか。」
「おお。」
「出ようよ、静に。」
気のどくらしくて、見ていられない舞台だから、誘い手のある引汐に会場を出たのです。
「――何、植物園から豆府地蔵、不如、菎蒻閻魔にさ。煮込んでも、味噌をつけても、浮世はその事だよ。俺もこの頃じゃ、大船一艘、綾錦でないまでも、加賀絹、能登羽二重という処を、船も、びいどろにして、金魚じゃないが、紅、白、ひらひらとした処を、上海あたりへ積出すほどの決心だ。一船のせよう。あいかわらず女の出来ない精進男に、すじか、竹輪か、こってりとした処を食わせたい。いや串戯はよして、内は柳町、菎蒻閻魔のすぐ傍だ。」
魚頭をつぎ、鱗をふく(宗八の言にありますね。)私窩子でもやってるのじゃないか、と思った。風がまた似ていました。柳町の裏長屋で……魚頭も鱗もない、黄肌鮪に弱った事は、――前刻に言った通りです。
その黄肌鮪だか、鬢長鮪だかと一緒に、悪酒を、なめ、なめ、
「あいかわらず、この体だ、といううちにも、一昨々年までは、台湾に一艘帆を揚げていたんだよ。ところが土地の大有力者が、妻に横恋慕をしたと思いたまえ。それのかなわない腹癒に、商会に対する非常な妨害から蹉跌没落さ。ただ妻の容色を、台北の雪だ、「雪」だと称えられたのを思出にして落城さ。」
と、羽織を脱ぐと、縞の女衣の、振が紅い。ニヤリとしながら、
「お冬、お冬、珍らしい男を連れて来たぞ。誰だ分るか、分るまい。」
薄暗そうな次の間で、人むかえの起居の気配が、と寂然やむと、
「お声で分りました。いらっしゃるなり。……小山さんです。」
間淵が菎蒻のような色をして、懐手の貧乏ゆすりで、
「酒だ、酒だ、酒を早く。」
人間どう間違えても、自惚のないものはないとか言います……少くとも私は……人として、一生に一度ぐらいは惚れられる。
無理な酒もすごしました。しかし、帰るまで、それっきり、お冬さんは、顔も姿も見せなかった。
――先に曳船通、のちに柳町の、そのお冬さん、今は二の橋辺の待合雪の家に居るらしい――白山を訪ねた尼の帰ったあとで、私は、庭の卯の花を見ながら、江戸の名画の雪景色を可懐しく思ったことは、いうまでもありません。
――お聞き下さるようだから続を話しましょう。――
ところで、その雪の家の胡瓜形の磨硝子の掛った土間に立ってから、久しくお待たせいたしました。
が、しかし待っていたのは、お聞き下さる、あなたではない、私です。南瓜です。は、は、は。
が、待つ間はなかったのです。小女がすぐに引返し、取次いで二階の六畳――八畳づまりですか……それへ通した。
真中に例の卓子台。で欄間に三枚つづきの錦画が額にして掛けてある。優婉、娜麗、白膩、皓体、乳も胸も、滑かに濡々として、まつわる緋縮緬、流れる水浅黄、誰も知った――歌麿の蜑女一集の姿。ふと、びいどろの船に、紅だの白だのひらひらするのを積むといった、間淵洞斎の言を思い出した。……いっては、あれだけの絵師に相済まないが、かかげてあるのは第何板、幾度かえして刷ったものだか、線も太ければ、勿論厚肉で、絵具も際どいのをお察し下さるように。いずれ二三人よんでお附合に一杯、という心づもり。もっとも家内の心づけ、出ず入らずに、なにがしの商品切手というのを、水引で袱紗で懐中にして、まじまじ、そこに控えている年配の男をついでにお察し下さるように――
で、酌人は酌人、ひらひらか、ちらちら、として、さてお肴、が、何分刺身はあやまる。……菎蒻、菎蒻がいい。おでんとしようと、柳町の事を思いながら一方を見ると、歌麿の蜑女と向合って「発菩提心。」という横額が掛っている。
亡くなった洞斎が遣りそうな好みだ、と思うと、床の間の置物が鼻の穴の目立って大きい、真黒な土の達磨。
花活に……菖蒲にしては葉が細い。優しい白い杜若、それに姫百合、その床の掛物に払子を描いた、楽書同然の、また悪く筆意を見せて毛を刎ねた上に、「喝。」と太筆が一字睨んでいる。杜若、姫百合の、およそ花にも恥じよ、「喝。」何たるものぞ、これだから、私は禅が。……
はてな、雪の家の、ここの旦那なるものが変に「喝。」がった難物かも計られぬ。……
「ああ、はじめまして、あなたが間淵さんの、お娘ご。」
そこへ、一枚着換えた風俗で、きちんとして、茶を持ってきたのが、むかし、曳船で見たお冬さんに肖如……といううちにも、家業柄に似ず顔を紅うした。そうして私の顔を視ると、ちょっと曇らせたような眉が、お冬さんより、顰んだ形に迫っています。お母さんは、目鼻だちがぱらりとしていたのです。
時宜挨拶がちょっと交されました。
「お父さんは、」
中気、とも言いかねて、
「久しくお煩いだったそうですね。」
「ええ、四年越……」
「それはそれは、何よりご看病が大変でしたね。で、甚だ何ですが、おなくなりになすったのは、此家で。」
「はあ、あの病気の発りましたのは内だったんですけれど、こんな稼業でしょう、少しは身体を動かしてもいいと、お医師がおっしゃいましてから、すぐ川崎の方へ……あの、知合の家が広うございますもんですから、その離室のような処へ移しましたんですの。」
――喝旦那の住居らしい……とするとお冬さんは、そっちで暮していはしないか。逢えない仕儀であろうも知れない。――またお察しを願うとして――実は逢いたかった。もっとも白山へ来訪をうけた尼刀自へ返礼に出向いたいのに、いつわりはないのですが、そんな事はどうでもいい。また妙に、その尼にも、いま差当って娘にも、お冬さんの消息が、さそくに口へ出なかった、そのわけは、前述の「魔道伝書」を見ない方には、お解りになりますまい。怪しからん事であります。
「何にしましても病気が病気だもんですから、あせりにあせり抜いて、気ばかり荒くなりましてね、傍を困らせ抜きますうちにも、あの病気に限って、食べものの難題ですの。ええ、一番困りましたのは毎日見ます新聞の料理案内と、それにラジオのご馳走の放送ですのよ。鴨、鳥はいいとして、山鳥、雉子、豚でも牛でも、野菜よし、魚よし、料理に手のかかったものを、見ると、聞くと、そのまんま、すぐ食わせろ、目の前へ並べろでもって、口が利けましただけになお不可ません、少しも堪忍をする気はなし、その場即座にって、間に合わないと、殺すか、ほし殺せなんですもの……どんなに母を泣かせたでしょう、小父様。」……
私は吐胸をつきました。どんな意味でも、この場合の「おじさま。」は身に応えた。今度はこっちが赤面して汗になった。
「魔法でもつかわないじゃ、そんな事は出来ません。」
その際、秘伝書を手に入れようという、深き慮があるものなら、もっと辛抱をしたでしょう。せき心で、お母さんはと、初めて聞くと、少々加減が悪くって、というんです。川崎とすればもとよりの事、この家に居た処で、病気だといえば……と思うも遅い。既に「おじさま。」と聞いた時、もう私は居たたまらなくなったのです。
発菩提心!……向合った欄干の硝子の船に乗った美女の中には、当世に仕立てたらば、そのお冬さんに似たのがたしかに。ああ発菩提心!……額の下へ、もそもそ不手際に、件の紅白水引を、端づくろいに、ぴんと反らして差置いて、すぐに座を開くと、
「まあ、おじさま。」
いかにも案外と、本意ない様子で、近所へ療治を頼まれて行っている、いまにも帰るでしょう。姨がという。尼刀自の事です。お顔を見たら、どんなに喜ぶか知れません。女中も迎いに出しました。ちょっと様子を、と襖を抜けるように、白足袋で、裾を紅入に二階を下りた。
間数もなさそうですが、居馴染まない場所は、東西、見当が分らない。十番はどっちへあたるか、二の橋の方は、と思うと、すぐ前を通るらしい豆府屋の声も間遠に聞え、窓の障子に、日が映すともなく、翳るともなく、漠として、妙に内外が寂然する。ジインと鉄瓶の湯の沸く音がどこか下の方に静に聞え、ざぶんと下屋の縁側らしい処で、手水鉢の水をかえす音が聞える。いい年増、もう三十七八になろうかしら、お冬さんが寝床を起きて出たのではないか、こんな時、厠のあたりに、けはいがするというものは、何だか、人影が幻に立つような気がするものです。
喝! ああ驚いた。掛けものめ。
「あっ! ははは。」
いきなり、男のように笑いかけて、
「驚かそう思うて、わざと、こっそりと上って来たぞに。心易立てや。ようこそに、ようこそに、こんな処まで、嬉しいこっちゃ。や、もう洞斎兄の事や、何の事や、すぎ去った。そんな挨拶はさらりとおくこっちゃ、にい。縁あればこそ、生あればこそ、北と南と、何十年分れたものが訪いつ訪われつ、やぞに。それに、そういう行儀は何じゃ、袴はいたり、膝にお手々をちゃんとついたり、早や、その手をぬいと伸ばいて、盃を持つ格好に、のう。」
人に口は利かせない。被布から皺びた腕を伸ばして、目八分に、猪口をあげる指形で、
「何とかいうたに、それ、それ、乾盃、あれに限るぞに、いい事じゃ。洞斎兄は沢山は飲まなんだけれど、島田髷の妹は少し飲るがやぞ。これでもに、古馴染や、遠慮はない。それにどこへ来なされた思うて、そのように堅うして。……花柳界、看板を出した待合や。さ膝を崩いて、楽にござって、尼かてこの年、男も同然、胡坐を掻いても人は沙汰せん。それに袴はいとるぞに。」
また高笑いで、
「……そこで念のため云うておくがですが、内証話をあけすけなが、あんたも世間が解っておいでや。寸法とかいうもんで、ここへ来ての以上、一口、酒となれば、芸妓も呼んでやろう、それ、ちゃんとその了簡は見えてある。なれど、それはさせんぞ。今日だけは、こちらへ万事まかせてくんされ、別懇のお附合や。そのかわり、わざと芸妓は呼ばん。尼がお対手して、姪がお酌やて、辛抱ものや。その辛抱ついでにな、お肴もありあわせやぞに。惣菜さながらの。」
いよいよ口を利かせません。立つにも立たれはしないから、しばらく腰を据える覚悟をしました。が、何分にも、餒れた黄肌鮪鬢長鮪が可恐しい。
「菎蒻。」
「こんにゃく。」
口の裡でむぐむぐ言ったのが耳へ入ったか、聞返されて、驚いて、
「卯の花なぞが結構です。」
また、うっかり、下の縁側を卯の花が、葉を搦んだ白い脚が、寝衣の裳を曳いて寝みだれ姿で寝床からと……その様子が、自分勝手の胸にあった。ただし、他家様のお惣菜を、豆府殻、は失礼だ。
「たとえばです。」
「お好きか、なんぼなと、内で間に合う、言いつけようでに。さ、もう、用意はしておったが、お燗の望みは熱いのか、ぬるいのか、何せい、程のいい処。……もう出来たろうに、何しとるぞ。」
と、手をたたく。
「はいい。」
返事は下でお極りの、それは小女か女中かで、銚子、盃、添えものは、襖が開いて、姪――間淵の娘の手で、もう卓子台に並んだのでありました。
さて、お盃。なかなか飲める。……柳町で悩まされた孑孑が酔いそうなものではなかった。
「お孝、お孝。」
と若いかみさんの、姪を呼んで、
「重ねて、それ、お酌をせんかの。……何をぼんやり……あんたの顔を見とるがや。……電燈もつけて。」
その燈に、お孝が、……若いかみさんの飲まない顔が、何故か、耳元まで紅かったのです。
「これがほんの水入らず、にい。そういえば、お対手は、姪、尼でもや、酒だけは黒松の、それも生一本やで、何と、この上の町、ここでの名所、一本松というてもいいやろ。」
と尼刀自が洒落れた。が、この洒落は悪くない。
「ああ、そうじゃ……あんたの故郷にもおなじ名の名所があったに――一本松――
……忘れもせんぞに、私が十三か四の頃や、洞斎兄さえ、まだ、尾山(金沢を云う。近国近郷の称呼。)の、あんたの家へ寄宿せぬさき、親どもに手を曳かれて、お城下の本願寺、お末寺へ参詣した時、橋の上からも、宿の二階からも、いい姿に、一目に見はらされて今でも忘れはせんのじゃが、その昔、あすこに心中があったそうやに。」
「……聞いています。」
「その心中に、くどき、くどきや、唄があって、あわれなものやが、ご存じですやろ。」
「いや、いいえ知りませんよ。」
私はまるっきり知らなかった。