卵塔場の天女

12話 十一

2,352字 約5分 2011年6月29日 公開

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 私というものは、――ここで恥を云うが――(崇拝をしているから、先生と言う。)紅葉先生の作新色懺悔(しんいろざんげ)の口絵に、墓参の婦人を、背後(うしろ)の墓に外套(がいとう)(ひじ)をついて凭掛(よりかか)って、(じっ)()ている人物がある。先生の肖顔(にがお)だという風説(うわさ)があって、男振(おとこぶり)がいかにもいい。

 ――男振は論じない。私のこの場合がちょっとその趣に似ていた。困った了簡方(りょうけんかた)の男で、そこでいい心地になって、石塔に肱をついて、塔婆の陰から(のぞ)いたうちに、真暗(まっくら)になったから、ハッと思うと、誰も居ない。――とろりとして夢を見たのであろうか。

 寺の屋根も、この墓場も、ほとんどものの黒白(あやめ)(わか)たない。が、門の方の峰の森から、釣鐘堂の屋根に、霧を(すべ)って来たような落葉の(しとね)を敷いた、青い光明は、半輪の月である。

 枯葎(かれむぐら)を手探りで、墓から迷って出たように、なお夢心地で、潜門(くぐりもん)を――何となく気咎(きとが)めがして――(そっ)と出ると、覚えた路はただ一筋、穴の婆さんのあたりに提灯(ちょうちん)が一つある。

 ――来る時、この裏の(やぶ)を潜っても、同じ墓所へ行く、とお悦が言った。――ははあ搦手(からめて)から出たかと思う、その提灯がほんのりと、半身の裾を映す……(つま)()の人よりも若く、しっとりと、霧に(つた)もみじした(くれない)の、内端(うちわ)に細さよ。

 雪代であった。夢ではない。

「ああ、先生、母から自働電話で……(大急ぎでこっちへお迎いに。)……と云うものですから――すぐ自動車が間に合いましたの。」

 母――そのお悦は、しかし、電話を掛け棄てにして、八郎とともに行くべき処へ去ったのである。

 一柳亭の奥座敷で、雪代がしめやかに話した。

「……ほんとうにこまった人ですの。申訳はありません。時々、魔が()したようになりますんです。でも、悪魔ばかりではないと見えましてね……今日なぞは、舞台で、母があの狂気(きちがい)()らないと、小父さんは、壮士のような人たち大勢に()たれる処だったらしいんですよ。――橋がかりの(きわ)の、私の居まわりにも、羽織袴だの、洋服だので、合図をかわしていました。気がついて、はっと思いました時が、母のあの騒ぎなんです。――帰りがけにね、大勢ぞろぞろと歩行(ある)きます人中に、私も(まじ)っているとはお知んなさらないものですから、……(へなちょこ伯父が何だい、あんな節のない謡なんか、ただ口を利いてるようだ。東京の謡は場違いだな、こっちから縁を切る。)と、お久さんの息子さんたちが言っていましたよ。お久さんは、しくしく泣いていなすったようでしたけれども。……

 八郎さんの奥さんに――いいえ、先生、それは大丈夫でしょうと思います……昔から、あの、店の、紅屋の福助の人形に邪魔をされますから。

 電話でも、(あの張子を、(そっ)とうしろ向きにするか、針で目を(つぶ)して出ておくれ、今度こそは、きっと頼んだよ。母さんの頼みだよ。)と言いました。けれども、私は決してそれはしませんでした。

 ですから、谷内谷内(やちやち)――ええ、おんなじ字を重ねますんです。谷内谷内の野三昧(のさんまい)で、兄さんと死骸を焼くんでしょう。それはほんとうで、そうして、それだけだろうと思います。

 親類うちに、お産なぞありますとね、気が向くと、京都、岡山まででも飛出して、二月三月帰らない事が度々ありました。お産の世話なんかするのも、死人焼をするのも、そんなに違いやしませんでしょう。」……

 死人を焼くのと、産の世話と、そんなに違いはしないと言う……この母にしてこの娘である。……雪の下を流るる血は、人知らぬ(かがり)に燃ゆる。たとえば白魚に緋桜(ひざくら)のこぼるるごとく。――

 これは蒼鬣魚(かわはぎ)を見て、海底の砂漠の影を想ったような(くう)なものではない。

 聞く処に従うと、紅屋の内儀の貞操は、かかって、おでこの古福助の(すす)の頭にある。心細い道徳だが、ないよりは()かろう。八郎に取っても、お久という人の一類と交渉を持たなくてはならないのなら、むしろ野三昧の人足の方が(まし)かも知れない。いわんや、亡者を焼く烈々たる炎には、あの雪の(はだ)が脂を煮ようものを。朱唇に煉炭を吹こうものを。――

 私にしても仮にこの雪代夫人と……

「でも、小父さんは気が弱いんですね、――あの、お久さんの(えり)の下が三寸ばかり、きれいで……似ているって、」

 耳朶(みみたぼ)をほんのり染めつつ、

「私のここへ――倒れて泣いたんです。涙がね、先生、随分泣いて、まだ、しっとりとしていますわ。情の迫った涙ですもの、着換えるのが(おし)いんです。」

 私は(あぶな)くその(せな)に手を当てようとした。

 翌日、朝、汽車で立つ時、雪代さんが、ひとり衣紋(えもん)を正して送った。

 もう一人、中学の、くちゃくちゃの制帽と服で、鍵裂(かぎざき)だらけで、素足に高足駄を穿()いた勇壮な少年がある。酒の席などでは閑却されたが雪代夫人の弟である。

「……先生、学校でも、教師も生徒も知ってるんですよ、先生の来た事を。僕、お話をききたかったんだけれど、この姉なんぞが邪魔にしおって……」

「邪魔にはしませんよ。」

「何いってやんでえ! おかめ。」

「ああ、もう出ます――先生、くれぐれも八郎さんが言ってでした。……ほかにお見せ申すものはありませんが、是非、白山を見て下さいって。」

「先生、一番近いんじゃあ、布村って駅を出て、約千五百メエトルばかり()くと、はじめて真白(まっしろ)(いただき)が見えますから。――いえ、谷内谷内は方角が違うんです。」

 私は学生に手を伸べた。

「君、握手しよう――姉さんは、よその奥さんだから。」

「まあ、可厭(いや)ですこと……」

 学生に講義する私の学問は、学校の名誉のために黙っておこう。

 白山は、藍色(あいいろ)の雲間に、雪身(せっしん)の竜に玉の翼を放って()けた。悪く触れんとするものには、その羽毛が一枚ずつ白銀(しろがね)征矢(そや)になって飛ぼう。

 が、その暗く雲に包まれた(ふもと)の底に、一ヶ所、野三昧の小屋があって、二人が火を()いていそうでならない。

 八郎はまだ帰京せぬ。

 ――細君は煩っているのである。

昭和二(一九二七)年四月

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