卵塔場の天女

11話

4,706字 約9分 2011年6月29日 公開

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「……居る、居る、居ますよ。」

 提灯をフッと消す。……蝋燭(ろうそく)の香を吸って消える、紅い唇を、そのままに、私の耳に(ささや)いた。

 八郎の菩提寺(ぼだいじ)潜門(くぐり)を入った、釣鐘堂の横手を、墓所(はかしょ)へ入る破木戸(やぶれきど)で、生垣の前である。

「ほら、(ひらき)も少し()いていますわ。――先生ね、あなたね、少し離れた処で、(そっ)と様子を見ていて下さい。……後生ですから。」

「お指図通り。」

 私もここは声を(ひそ)めよう。

「兄さん、兄さん――」

「うーむ。」

「あんまりつい通りな返事だことね、うーむなんて。」

「うむ、だって。」

「もうちっと驚かなくっちゃあ。……いきなり、お能の舞台から墓所じゃアありませんか。そこへ私が暗中(くらやみ)に出たんだもの。」

「何だか来そうな気がしていた処だからね。」

「ええ、私もここに兄さんが居そうな気がしたんですよ。兄さん、御堪忍ね。あれ、煙草(たばこ)()んでるんですね。」

「墓を手探りで、こう冷い青苔(あおごけ)を捜したらね、燐寸(マッチ)があったよ。――今朝忘れたものらしい。それに附木まであるんだ。ああ、何より、先生はどうした、槙村さんは。」

 私は約束で息を呑んだ。

「先生はね、とにかく、雪代がおともをして、おもてなしをしています。」

 嘘を()け。――

「どこで。」

「一柳亭で。」

「また一柳かい。いや、それにしても可羨(うらやま)しいな。魂を入かえたいくらいなもんだ。――もっとも、魂はどこへ飛んだか、当分(わか)らないから、第一その在処(ありか)を探してかからなけりゃならないけれどね。」

「だから、お墓所へ来ているじゃありませんか。」

「まあ、そんなものか。――ああ、それにしても(うらやま)しい。」

串戯(じょうだん)はよして、ほんとうに兄さん、堪忍してね。」

「何をさ。」

「だって、あんな処で、兄さんを()ったりなんか。」

「いや、その事なら、かえって礼をいう。……当然のことのようだ。何だか、妹の事なり、何なり、誰かに引撲(ひっぱた)かれそうな気がしてならなかったからね。――一体、女形の面裡(めんうち)からものが見えるッて事はないのに、駢指(むつゆび)が真向うへ立ったんだ。」

「さあ、その事ですよ。(余計な身寄は駢指のようなものだ。血も肉も一つ身体(からだ)になって溶け合うのは、可愛い恋しい人ばかりだ。)ッて。……あら、煙草を喫んでるから、ちらちら顔が見えて、いくら私でも(きま)りが悪い。」

「何、構うもんか、全くそれに違いないんだ。」

「兄さん、きっとそう。」

「確かだ。」

「そんなら、なぜ、お久さんが真向うへ立ったって、なぜ、()たれそうな気がしたりなんかするんです。――それはきっと世間体で、妹や、その親類の、有象無象に冷くっては人に済まない、と思うからでしょう。」

「世間なんかどうでも可い。人間同志だからね。しかし舞台じゃ天人になってるから。」

「天人なら、餓鬼……亡者を見ても、畜生……犬を見ても、(みん)(かんざし)の花の一つだと思わなければならないかも知れませんね。そんなら、なぜ、人間そのままの時、楽屋口で、お久さんの娘の婿が、浅葱(あさぎ)の袖口をびらつかせた時、その、たたき込んだ張扇(はりおうぎ)とかで、人の大切な娘をただで水仕事をさせ、抱きまでして、(しゅうと)(いじ)めさせた上、トラホームが伝染(うつ)るから実家(さと)へ帰した、横ぞっぽうを撲挫(はりくじ)かないんです。私は撲挫けば可いと思った。撲挫いて欲しかったよ。兄さん、私はね、弱い優しいおとなしい兄さんしか知っていません。――十四で亭主を持たせられた時分だって、ああ、兄さんがもう少し強かったら、乱暴だったら、悪たれだったら、と思わない事はなかったんです。――

 芸事で気が強くなったんでしょうね。――

 昨夜(ゆうべ)は別れてから十何年ぶりかだし、それだし、昨夜くらい、善知識とも、名僧とも、ありがたいお説教、神仏のおつげと言っては勿体ないかも知れません。夜叉(やしゃ)、悪魔の御託でも構わない、あんな嬉しい話を聞いた事は生れてからはじめてです。だって、余計なものは肉親も駢指(むつゆび)でしょう、(血と肉と一つに溶けるのは、可愛い恋しい人ばかりだ。)というんでしょう……」

「私は信じるよ。」

「信じますね、……確かですね――そうすりゃ、私かって、内の亭主は駢指です。」

 私は舌を(ふる)った。

「お待ち、お待ち。――それは芸の上の話だよ。うぞう、むぞうに(たか)られると、能役者じゃいられない、謡の師匠で、出稽古に信玄袋を持って廻らなけりゃならないというんだよ。」

「舞台だけの役者だって、私は、兄さんの羽衣とかの天人の顔を見ているより、青めりんすを引撲(ひっぱた)くか、駢指の講釈を聞く方がどんなに嬉しいか知れやしない。あすこで、あの羽衣の姿で、面で、雲から降りたそのままで、何千かの見物に、あの講釈をしたら、どんなにかいい心持だろうのに――だのに、青めりんすは引撲(ひっぱた)かないし、じれったくって、自烈(じれっ)たくって(たま)らない処へ、また余り姿容(すがたかたち)が天人になっておいでだから、これなり、ふッとどこかへ行ってしまいはしないだろうかと、夢中で血迷って、留めようとして、ハッと思うと、舞台の邪魔をした私だから、私まで、駢指だと兄さんが言いそうで、かっと口惜(くやし)くもなるし、(しゃく)にも障ったし、したもんだから、つい打ったりなんかして。」

「いや、もっともだ。芸に達して、天人になり澄ましていれば、羽衣さえ取返せば、人間なんぞにかかわりはないのだけれど、まだどうも未熟でね、雑念が(まじ)るから、正面を切って(わざ)の上でもきっぱりと()り切れないんだ。第一、はじめ、私は不意にお(っか)さんが出て来たかと思ったよ。お久に対する処置ぶりが間違ってでもいるために。――ちょうど桟敷のあの辺で、お母さんに抱かれて能を見た事を覚えているから。はっと思ってそれが姉さんと気がついた時は、私は、()られるかと思った……すぱっと出刃庖丁でさ。……舞台へ倒れた時は、鮒になったと思ったよ。鮒より金魚だ。赤地の錦で、鏡板(かがみいた)の松を藻に泳ぐ。……いや、もっと小さい。緋丁斑魚(ひめだか)だ。緋丁斑魚結構。――おお、(さかな)は出来た。姉さん、姉さん、いいものを持っているんだね。」

「どこでも構わず、息つぎに、逢った処で、飲ませようと思ってさ。」

「頂こう――茶碗がない。」

「まさか、廚裏(くり)へも、ね。」

「飛んでもない、いまは落人だ。――ああ、()いものがある。別嬪(べっぴん)従妹(いとこ)骨瓶(こつがめ)です。かりに小鼓と名づけるか。この烏胴(からすどう)(やッ)つけよう、不可(いけな)いかな。」

「ああ、好きになさい。思った事をしないでどうするもんですか、毒になったって留めやしない。」

「その(いきおい)で――と(かん)はどうだろう、落葉を集めて。」

「すぐに間に合いますよ。」

「さきへ、一口(やッ)つけてと。……ふーッ、さて、こう度胸の(すわ)った処で、一分別遣ッつけよう。私のこんな了簡(りょうけん)じゃ、舞台に立てば引撲(ひっぱた)かれるし、謡の出稽古はしたくなし、……実は、みっしり考えようと思ってね、この墓所へ逃込んだんだが。」

「よく、楽屋で騒ぎませんでしたね。」

「騒ぐ間がありゃしない。また騒いだ処で、玄人の連中は、いずれ東京へ出れば世話になろうと思うから、そっとして置いたのさ。そこは流儀の御威光です。」

「何がまた口惜(くやし)くって、あの花瓶を打欠(ぶっか)いたんです。」

「もう見て来たのか、(はや)いなあ、天眼通だ。……あれはね、何、買う時から打壊(ぶちこわ)すつもりだったんだよ。あの絵に、秋草の中に、食ものばかりの露店の並んだのを見て、ふらふらとなった。――川通りの夏の夜店へ遊びに出ては、一軒々々指を(くわ)えて欲しい欲しいと餓鬼みたいさ。買えないだろう。あの粟餅(あわもち)のふかし(たて)だの、白玉焼の餡子(あんこ)のはみ出した処なんざ、今思出しても、(つば)が垂れる。小僧、立つな立つな見ていて腹は(くち)くならない、と言われた事さえあるんだから。

 その腹癒(はらいせ)と、自分のさもしい根性を一所に(たた)き破ったのだよ、――一度姉さんと歩行(ある)いた時、何か買って食べさしたいと思ったが、一銭あった。……ざまあ見やがれ(ほろ)びたがね、大橋のあの柳の(そば)に、その頃水菓子屋があって、茹豌豆(ゆでえんどう)を売っていた。」

「覚えていますよ。」

「袋で持つと、プンと臭い。蒸臭(むれ)てる、と言ったら、洗って食えと言った。(しゃく)に障って、()ちまけたら、お前さん、食べたより嬉しいと言ったぜ。」

「ええ、覚えていますよ。」

「場所が場所だし、念ばらしに一斉(いっとき)(ぶち)まけたんだよ。」

「その事ですよ。何だって思うままにするが()いんです。」

難有(ありがた)い、うむそこで、分別も(かん)もつきそうだが、墓の前で、これは火燗だ。徳利を灰に突込(つっこ)むのさえ、三昧燗(やきばがん)というものを、骨瓶の酒は何だろう、まだちっとも通らないが、ああ、(うま)い。」

「少し(きつ)()くと、灰が立って入るもの。」

(おんな)だなあ、お悦さんも。この場合に、灰が飛込むなんぞどうするものか。しかしお志は頂戴する、(おんな)は優しいな。」

 扇子(おうぎ)を開いて(ふた)をした。紺青(こんじょう)にきらきらと金が散る、(こけ)に火影の舞扇、……極彩色の幻は、あの、花瓶よりも美しい。

 内証の焚火は、骨瓶の下伏せに、左右へ()った、が、硫黄も燃したのであろう。青く(くぐ)って、ちらちらと(おんな)(つま)をなぶり、赤く立って男の黒小袖の膝を(もてあそ)んだ。

「ふーッ、いい酒だ。これで暮すも一生だ。車力は出来ず、(くず)は買えず、――姉さん、死人焼(しびとやき)の人足の口はあるまいか、死骸(しがい)を焼く。」

「ありますよ。」

「…………?」

「市営なんのって贅沢(ぜいたく)なのは間に合わないけれどね、村へ行くと谷内谷内(やちやち)という処の尼寺の尼さんが懇意ですがね。その谷戸(やと)野三昧(のさんまい)なら今からでも。――小屋に爺さんが一人だから。兄さんが火箸を突込(つっこ)めば私が火吹竹を吹く。……二人で吹きおこしたって構わない。」

 と(すか)し見ると、(びん)の毛が()の葉にこぼれて、頬を()ずりに、(かめ)の下を吹いた。が、いつかくるりと(すそ)端折(はしょ)った、長襦袢(ながじゅばん)は、土にこぼれて、火とともに乱れたのである。(註。二人して火を吹くは焼場なりという俗信あり。)

「ちっとも構やしない、火葬場(やきば)ですもの。……寝酒ぐらいはいつでも飲ませる。」

「面白い。いや、真剣だ。――天人にはまだ修業が足りない。地獄、餓鬼、畜生、三途(さんず)が相当だ。早い処が、舞台で、伯竜(はくりょう)の手から、羽衣を返された時、博覧会の饅頭の香気(におい)がした……地獄、餓鬼、畜生、お悦さん。」

「ええ、そうして、強くなって、(ひと)が羽衣を()ろうとしたら、めそめそ泣かないで、(ひっ)ぱたかなくっちゃあ……」

「二人は雌雄(めすおす)の鬼だが……可いかい。」

「大好き。」

(うち)は?」

駢指(むつゆび)を切るんです。」

「世間は?」

「青めりんすを打撲(ぶっぱた)くんです。」

「――姉さん、尼さんは懇意かね。」

「小屋の爺さんとも。」

()こう。」

「行きましょう。」

「槙村の知らないうちに――何しろ、さしあたり行く処は、――どこにもない。」

「あれ。」

「え。」

「来た、来た、来た、また来た、(うるさ)い、煩いッてば、チョッ福助。」

 (おんな)が、這搦(はいから)まるか、白脛(しらはぎ)高く裾を払い、立って(すが)るか、はらはらと両袖を振った(あおり)に、ばっと舞扇に火が移ると、真暗(まっくら)な裏山から、(さっ)()の葉おろしするとともに、火を(から)めたまま、羽搏(はばた)いて扇が飛んだ。

「あれえ、火事。」

「飛べ、獅子(しし)。」

 と言うとともに、手錬(てだれ)は見えた、八郎の手は扇子(おうぎ)を追って、六尺ばかり足が浮いたと思うと、宙で留めた。墓石台に高く立って、端然と胸を正したのである。扇子は炎をからめて、真中(まんなか)金色(こんじき)銀杏(いちょう)の葉のように小さく残った。

 墓所の暗夜(やみ)――

「お悦さん……」

「…………」

「……火の羽衣を舞おう。もう一度舞台に立って、人間界に降りた天人を、地獄、餓鬼、畜生、三途まで奈落へ()して、……といって、自殺をするほどの覚悟も出来ない卑怯(ひきょう)ものだから、冥途(めいど)捷径(ちかみち)の焼場人足、死人焼(しびとやき)になって、(きも)を鍛えよう。それからだ、その上で……

――(愛鷹山(あしたかやま)や富士の高嶺(たかね)かすかになりて、天つ御空の霞に)――

 羽衣が三保の浦に靉靆(たなび)くか、どうかを見るんだ、しかし、お悦さん、……」

「兄さん、口で云う事はほんとうに()らなくっては可厭(いや)ですよ。」

「勿論――しかしお悦さん……酒はこぼれやしまいね。」

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