卵塔場の天女

6話

4,923字 約10分 2011年6月29日 公開

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「――伯父、甥が何だ。……姪の婿がどうしたっていうんだ。他人様の大切な娘を……妙齢(としごろ)十七八だって。(お月様いくつ)のほかに、年紀(とし)ばかりで唄になるのはその頃の娘なんだ。謡をうたう(ひま)に拝んでるが()い。私なんざ、二十二三の中年増に、お酌を頂いたばかりで……この通り。」

 八郎は雪代の酌を受けて、(うやうや)しく頂いた――その癖酌を受けたのは今ばかりではない、もういい加減酔っている。実は私も陶然(とうぜん)としていた。

「これ、土手で売る馬肉じゃあないが、蹴転(けころ)の女郎の切売を買ったって、当節では大銭だろう。女房は無銭(ただ)で貰うんだ――娘に……箪笥(たんす)、長持から、下駄、(からかさ)、枕に熨斗(のし)が附いてるんだぜ。きみの(とこ)は風呂敷にもしろ、よしんば中が(から)だって、結びめを蝶々にしたろう。裸体(はだか)でそいつを引背負(ひっしょ)ったって、羽の生えた処は、天津風(あまつかぜ)雲の通路(かよいじ)じゃないか。勿体なくも、朝暗いうちから廊下敷居を俯向(うつむ)けに()わせて、拭掃除(ふきそうじ)だ。鍋釜(なべかま)の下を()かせる、水をくませる、味噌漉(みそこし)で豆府を買うのも、丼で剥身(むきみ)を買うのも皆女房の役だ。つかいはや間の(ひま)にはお取次、茶の給仕か。おやつの時を聞けば、もうそろそろ晩のお総菜(ごしら)えにかかって、米を()ぐ。……皿小鉢を洗うだけでも、いい加減な水行(みずぎょう)の処へ持って来て、亭主の肌襦袢(はだじゅばん)から、安達(あだち)ヶ原で血を()めた婆々(ばばあ)鼻拭(はなふき)の洗濯までさせられる。暗いあかりで足袋の継ぎはぎをして、(ひび)あかぎれの手を、けちで炭もよくおこさないから……息で暖める(ひま)もなしに、鬼婆の肩腰を、(さす)るわ、()むわ、で、そのあげくが床の上下(あげおろ)し、坊主枕の(おお)いまで取りかえて、旦那様、御寝(げし)なれだ。

 野郎一生の運が向いて、懐を(はた)いた、芸妓(げいしゃ)、女郎に()れられたってそうは行かない。処を好き自由に(だっ)こに及んで、夜の明けるまで名代(みょうだい)なしだ。竜宮から小槌(こづち)を貰ったって、振っても(たた)いても媽々(かかあ)は出ねえ。本来なら(ずし)に納めて、高い処に奉って、三度三度、お供物を取換(とっか)えて、日に一度だけ扉を開いて拝んでいなけりゃ罰が当ら。……

 処を……ありがたい神仏の広大なお慈悲の思召しで、それには及ばず、世間のならい、好き自由にして()り切れるまで使っておいて、何を、(ふんどし)も買ってやらない、里の母親の処へ、湯銭の無心、下駄の歯入まで強請(ねだ)らせるとは何事です。女房は何がたのみだ。せめて病煩(やみわずら)いの時、優しい(ことば)も掛けられて、苦い薬でも飲ましてもらおうと思えば、何だ、トラホームは伝染(うつ)るから実家(さと)へ帰れ! 馬鹿野郎、盲目(めくら)になってボコボコ琴でも()きやがれ。何だ、妹の娘で、姪の婿のよしみをもって俺に謡を聞かせろ――まいを舞え。わるく、この酒でちらッかな目の前五六尺が処へ(つら)を出して見ろ、芸は未熟でも張扇(はりおうぎ)で敲き込んでるから腕は利くぞ。横外頬(よこぞっぽう)打撲(ぶっくら)わせるぜ。

 またその鉄葉屋(ブリキや)と建具屋の弟子だってそうだ、血統(ちすじ)は争われぬ、縁に(つなが)って能役者が望みだ、気障(きざ)な奴だな。役者になる(ひま)があったら、――お久。……」

 と口を(ゆが)めて横ざまに()た。

「お前のその蝦蛄(しゃこ)()もののようになった、両手の指を、(かわ)(がわ)()って()めろと言え。……いずれ剣劇や活動写真が好きだろう。能役者になる前に、なぜ、鉄鎚(かなづち)(のみ)を持って斬込んで、(あね)(いじ)めるその姑婆(しゅうとばば)(ぶち)のめさないんだい。――必ず御無用だよ。そういうかたがたを御紹介とか、何とか、に相成るのは。」

「あんさんは酔ってですね。」

 と涙も忘れて、胸も、空洞(うつろ)に、ぽかんとして、首を真直(まっすぐ)()えながら潟の(ふな)(わん)(さま)して、(はし)をきちんと、膝に手を置いた(さま)可哀(あわれ)である。こっちには、(かに)甲羅(こうら)――あの何の禁厭(まじない)だか、軒に鬼の面のごとく(かか)ったのを読者は折々見られたであろうと思う――針を植えた(かっ)と赤いのが、烈々たる炭火に(かか)って、魔界の甘酒のごとく、脳味噌と酒とぶつぶつと煮えているのに。――

「お悦さん――姉さん――私の言う事は間違ってるだろうか。」

「槙村先生にお聞きなさい。」

 私は、……いまふと妙な形容をしたのに対して、言憎いが、甲羅酒を(すく)ってただ笑った。

邪慳(じゃけん)かしら、薄情か知らん、たとえば、甲羅酒のように聞こえますか。それとも雪代さんの顔……」

可厭(いや)だ、小父さん。」

「いや、天人だよ、大したものです。茨蟹(いばらがに)のようか、それとも、舞台で……明日着ける……羽衣の面のようか、と云うんだよ。」

「どっちでも可いから、何しろ、まあお(あが)んなさいよ。」

「名言だなあ。」

 八郎は肩をのめらした手で膝を(たた)いた。

「何事もこれ食うためだ。が、どっちでも可いたって、(はばか)りながら雪代さんの顔は()めさせもしますまい。食うとなりゃ、蟹の面だ。ぐつぐつぶくぶくと煮えて、ふう、ああ、(おい)しそうだ。」

 と(かぶ)さるように鼻を持って行ったと思うと、

「ニャーゴ!」

 ああ、そこへ猫が出たかと思う、私さえ吃驚(びっくり)した。いわんや、台所から盆を運んで、階子段(はしごだん)の下まで来かかった結綿は、袖を()ね、(つま)をはらりと乱して台所へ振向いた。

「あれえ、お勝手へ、野良猫(どらねこ)が。」

 (こだま)を返したと見える。

 雪代がちょっと襟を合わせながら、

「お(っか)さんなのよ。――困るわね。」

「真に迫りましたよ。」

 と私も言った。

「だって、兄さんが()ぐんだもの。」

「天人からはじまって、地獄、餓鬼、畜生だ。――浅間しさも浅間しい、が、人間何よりも餌食(えじき)だね。私も餌食さえふんだんなら、何も畜生が歯を()くように、建具屋の甥や、妹の娘の婿か、その蒔絵屋(まきえや)なんか(のの)しりやしない。謡も舞も、内に転がしといて見せも聞かせもしようがね。」

 坐り直って、なぜか、八郎は憮然(ぶぜん)とした。

「――姉さん、ここに居る、この人が、」

 八郎は片頬(かたほ)で妹を(ななめ)にさして、

「無心を云う警戒でもするようで浅間しいが、聞いて下さい。私たちは職業として、主要(おも)収入高(とりだか)と言えば、その全体と言わないまでも八九分までは謡の弟子だよ。弟子を取るんだよ。客さきさえ良けりゃ、盆暮の附届けだけでも――云うことは下等だがね――一年はくらせよう。……はずんで、電話を呈しよう、稽古所を承ろう。家を一軒――なぞというのは、(みんな)謡の弟子なんです。

 槙村さんも御存じの通り、……処を、私は弟子を取りません。私は舞台で能は()るが、謡の師匠じゃあないと言うんです。お聞きの通り、近頃は建具屋の弟子小僧まで、伯父の内弟子になって楽をして食おうという不了簡を起すほど、この職業も、(さかん)と云えば盛だけれど、腹のくちい連中が運動がわりに声を出すんで、能を見ようッて気はちっともない。――また、素人にゃ面白くないからね。芝居や活動写真のようには行かないんです。だから御覧なさい。――明日の催しだって同じ事さ。……手ン手が手本を控えて、節づけと目張(めっぱ)りッこで、謡ばかり聞いている。夢中で浮かれ出すと、ウウウと頭を()って、羅宇(らう)の中を(やに)が通るような声を出すんだから(たま)りゃしません。死ぬ(くるし)みで修業をした、舞台の、その時々のシテなんざ、まるで御連中の眼中にゃないんだから。――そうかって先方(さき)はお客だ、(わざ)も未熟だし、決してもんくは言やしない、言わないかわりに、一人だって紳士方の腹こなしや、貴婦人とかいう媽々天下(かかあでんか)反返(そっかえ)りだの、華族の後家の退屈(しの)ぎなんか弟子には取らない。また取れようもないわけなんだ。能役者が謡の弟子を取るのは、歌舞伎俳優(やくしゃ)台辞(せりふ)仮声(こわいろ)を教えると同じだからね。舞台へ立っては、早い話が、出来ないまでも、神と現じ仏と(あらわ)れ、夜叉(やしゃ)、鬼神ともなれば、名将、勇士、天人の舞も姿も見しょうとする。……遊女、白拍子(しらびょうし)はまだしも、畏多(おそれおお)いが歌の住吉明神のお声だって写すんです。謡本(うたいぼん)首引(くびッぴ)きで、朱筆で点を打ったって、真似方も出来るもんか。

 第一、五紋(いつつもん)の羽織で、お(はかま)で、革鞄(かばん)をぶら下げて出稽古(でげいこ)歩行(ある)くなんぞ、いい図じゃあないよ。いつかもね。」

 八郎は(ぐい)(あお)って、

「省線電車――まあ、その電車に乗ったと思っておくれ。真夏の事でね……五十(づら)をてらてら磨いて、薄い毛を白髪染さ、油と香水で真中(まんなか)からきちんと分けて、――汗ばむから帽子を(かぶ)りません――化粧でもしたらしい、白赤く(あぶら)ぎった大面(おおづら)(おとがい)を突出して、仰向(あおむ)けに薄目を開けた、広い額がてらてらして、べっとりと、眉毛に墨を入れたのが、よく見える。(しゃ)横縞(よこじま)(はかま)突張(つっぱ)らかして、折革鞄(おりかばん)(わき)に、きちんと咽喉(のど)もとをしめた浅葱(あさぎ)()の襟を扇で(あお)ぐと、しゃりしゃりと鳴る薄羽織の五紋が立派さね。――この紋が御見識だ。何と見えます――俳優ともつかず、遊芸の師匠ともつかず、早い話が、山姥(やまんば)男妾(おとこめかけ)の神ぬしの化けたのだ。……間が離れて向う斜めに、しかも()っていたのを、ちょうど私の(そば)に居合わせた、これはまた土用中、酷暑の(みぎり)を御勉強な、かたぎ(づくり)の本場らしい芸妓(げいしゃ)を連れた、目立たない洋服の男が居て、(くだん)色親仁(いろおやじ)()ながら、芸妓と(ささや)いて、何だろう?――(分った、能役者だ。)と――言った。私は慄然(りつぜん)として膚粟(はだえあわ)を生じた。正にそれに相違ないのだから。……流儀は違うが、額も、鼻も、光る先生、一廉(いっかど)のお役者で、評判の後家――いや、未亡人――いや、後室たらしさ。

 ――あとで知ったが、その言当てた男は、何とか云う、小説家だったって――餅屋は餅屋だと思ったよ。――

 そんな脂切ったのがあるかと思うと、病上(やみあが)りの(あお)っしょびれが、頬辺(ほっぺた)(くぼ)まして、インバネスの下から信玄袋をぶら下げて、ごほごほ(せき)をしながら、日南(ひなた)摺足(すりあし)歩行(ある)いて行く。弟子廻りさ。(どうなすった先生。)――(あいかわらず腎臓が不可(いけ)ませんでな。)なんぞはまた(なさけ)ない。が、決して悪く言うんじゃない。絞って(ふと)ったのも、吸われて()せたのも、皆これ、お互に食うためさ。今日(こんにち)餌食(えじき)ゆえです。汝一人(おのれいちにん)ならどうにか中くらいにでも食えようが、詮ずる処、妻子眷族(けんぞく)、つづいては一類一門のつながりに、稼がないではいられないからだよ。

 やっと夫婦で、()を拾うだけで、済んでるから、どうにか能役者の真似も出来る。……この上()でも出来て御覧、すぐその日から革鞄(かばん)を提げた謡の師匠だ。勿論謡の師匠なら謡の師匠専門は結構だ。

 が、そうなりゃ覚悟をする。……夫として、親として、女房子を食わせるのは義務だからね。私は成るべくは謡の師匠にはなりたくない。ただしそれでも(えさ)の足りない時は、まず女房の前へ手をついて謝まるんだ。他様(よそさま)の大切なお娘ごの玉のごときお身体(からだ)を自由にいたし申訳はありません。おはぐくみ申す腕がございませんから、重々お(わび)の上、お身体(からだ)だけ、お返し申上げます。女にすたりはない。いず方へなりとも御自由にお使い下さいましとね。誰がそんな中で五人七人小児(こども)を産ませる、べらぼうがあるもんか。女の方は産まないたってそうは行かねえ。身贔屓(みびいき)をするんじゃあないけれど、第一腕力に掛けたって女は弱い、従わせられる、(みんな)亭主の不心得だ。

 悪くそんな奴が(はびこ)ると、たちまち、能職が謡屋を(かね)るような事が出来(しゅったい)する。私がこのままで我を通せば、餓鬼、畜生と言われても、明日の舞台は天人だ。有象無象(うぞむぞう)が現われて、そいつにかかずらうようになると、見た目は天人でも芸は餓鬼だよ。餓鬼も畜生も芸なら好い、が、奈落へ落ちさがるのが可恐(おそろし)いんだ。

 私は能役者で、今度だって此地(こっち)へ来たのさ。謡の師匠なら、さき様の歓迎会や披露どころか。私の方から、顔出しもすりゃ、挨拶にも廻って、魚市で、お悦さんに鮒を強請(ねだ)(ひま)に、祝儀づつみの十や十五は懐中(ふところ)へ入れて帰って、トラホームの療治代ぐらい、即座に弁ずるんだが、どうだい。」

 八郎は胸をしめて妹を見た。

「きみ、分ってくれたかい。」

 お久という人は、きょとんとしていた。

「あんさんは、ようものを饒舌(しゃべ)ってや。」

(むこう)の山に猿が三匹)の小猿にされて、八郎はぽかんとした。

 身勝手な事を……しかも酔っていて饒舌ったのである。実は友だちの私にもよくは分らない。が、その人となりと、境遇との婦人には、私の分らないほども分らなかったろうと察しる。

「どうだい、綺麗な奥さん――いかがです、姉さん、お悦さん。」

 遠慮なく、(はし)をとっていて、二人とも揃って箸を置いたが、お悦さんの方は一口飲み込むと、酒は一滴も()けない(おんな)の、白く澄ました顔色(かおつき)で、

「ニャーゴ!」

「こいつは不可(いけな)い。」

「お、小父さんお客様。」

 お(っか)さんに()てこれも敏捷(すばや)い!……折から、店口の菊花の周囲(まわり)へ七八人、人立ちのしたのをちらりと(すか)すとともに、雪代が(はや)くも見てとった。

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