天鵞絨

10話 一〇

3,903字 約8分 2003年4月4日 公開

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 目が覺めると、障子が既に白んで、枕邊の洋燈は昨晩の儘に點いてはゐるけれど、光が鈍く(じゝ)と幽かな音を立ててゐる。寢過しはしないかと狼狽(うろた)へて、すぐ寢床から飛起きたが、誰も起きた樣子がない。で、昨日まで着てゐた衣服(きもの)は手早く疊んで、萠黄の風呂敷包から、荒い縞の普通着(ふだんぎ)郷里(くに)では無論普通に着なかつたが)を出して着換へた。帶も紫がかつた繻子ののは疊んで、幅狹い唐縮緬を締めた。

 奧樣が起きて來る氣色がしたので、大急ぎに蒲團を押入に入れ、(しきり)の障子をあけると、『早いね。』と奧樣が聲をかけた。お定は臺所の板の間に膝をついてお叩頭(じぎ)をした。

 それからお定は吩咐(いひつけ)に隨つて、焜爐(こんろ)に炭を入れて、石油を注いで火をおこしたり、縁側の雨戸を繰つたりしたが、

『まだ水を汲んでないぢやないか。』

と言はれて、臺所中見したけれども、手桶らしいものが無い。すると奧樣は、

『それ其處にバケツがあるよ。それ、それ、何處を見てるだらう、此人は。』と言つて、三和土(たゝき)になつた流場の隅を指した。お定は、指された物を自分で指して、叱られたと思つたから顏を赤くしながら、

『これでごあんすか?』と奧樣の顏を見た。バケツといふ物は見た事がないので。

『然うとも。それがバケツでなくて何ですよ。』と稍御機嫌が惡い。

 お定は、怎物に水を汲むのだもの、俺には解る筈がないと考へた。

 此家では、『水道』が流場の隅にあつた。

 長火鉢の鐵瓶の水を代へたり、方々雜布を掛けさせられたりしてから、お定は小路を出て一町程行つた所の八百屋に使ひに遣られた。奧樣は葱とキヤベーヂを一個買つて來いといふのであつたが、キヤベーヂとは何の事か解らぬ。で、恐る/\聞いて見ると、『それ(こんな)ので(と兩手で圓を作つて)白い葉が堅く重なつてるのさ。お前の郷里(くに)にや無いのかえ。』と言はれた。でお定は、

『ハア、玉菜でごあんすか。』と言ふと、

『名は(どう)でも()いから早く買つて來なよ。』と()き立てられる。お定はまた顏を染めて戸外へ出た。

 八百屋の店には、朝市へ買出しに行つた車がまだ歸つて來ないので、昨日の賣殘りが四種五種列べてあるに過ぎなかつたが、然しお定は、其前に立つと、妙な心地になつた。何とやらいふ菜に茄子が十許り、脹切(はちき)れさうによく出來た玉菜(キャベーヂ)五個六個(いつゝむつゝ)、それだけではあるけれ共、野良育ちのお定には此上なく慕かしい野菜の香が、仄かに胸を(さわや)かにする。お定は、露を帶びた裏畑を頭に描き出した。ああ、あの紫色の茄子の(うね)! 這ひ(はびこ)つた葉に地面を隱した瓜畑! 水の樣な曉の光に風も立たず、一夜さを鳴き細つた蟲の聲!

 萎びた黒繻子の帶を、ダラシなく尻に垂れた内儀(おかみ)に、『入來(いらつ)しやい。』と聲をかけられたお定は、もうキヤベーヂといふ語を忘れてゐたので、唯『それを』と指さした。葱は生憎(あひにく)一把もなかつた。

 風呂敷に包んだ玉菜一個を、お定は大事相に胸に抱いて、仍且(やはり)郷里(くに)の事を思ひながら主家に歸つた。勝手口から入ると、奧樣が見えぬ。お定は(こつそ)りと玉菜を出して、膝の上に載せた儘、暫時(しばし)は飽かずも其香を嗅いでゐた。

『何してるだらう、お定は?』と、直ぐ背後(うしろ)から聲をかけられた時の不愍(きまりわる)さ!

 朝餐後の始末を兎に角終つて、旦那樣のお出懸に知らぬ振をして出て來なかつたと奧樣に小言を言はれたお定は、午前十時頃、何を考へるでもなく呆然(ぼんやり)と、臺所の中央(まんなか)に立つてゐた。

 と、他所行の衣服を着たお吉が勝手口から入つて來たので、お定は懷かしさに我を忘れて、『やあ』と聲を出した。お吉は(ちよつ)と笑顏を作つたが、

『まあ大變な事になつたよ、お定さん。』

(どう)したべす?』

『怎したも恁うしたも、お郷里(くに)からお前さん達の迎へが來たよ。』

『迎へがすか?』と驚いたお定の顏には、お吉の想像して來たと反對に、何ともいへぬ嬉しさが輝いた。

 お吉は暫時(しばらく)呆れた樣にお定の顏を見てゐたが、『奧樣は被居(いらつ)しやるだらう、お定さん。』

 お定は(うなづ)いて障子の彼方を指した。

『奧樣にお話して、これから直ぐお前さんを()れてかなけやならないのさ。』

 お吉は、お定に取次を頼むも面倒といつた樣に、自分で障子に手をかけて、『御免下さいまし。』と言つた儘、中に入つて行つた。お定は臺所に立つたり、右手を胸にあてて奧樣とお吉の話を洩れ聞いてゐた。

 お吉の言ふ所では、迎への人が今朝着いたといふ事で、昨日上げた許りなのに誠に申譯がないけれど、これから直ぐお定を歸してやつて呉れと、言葉(なめ)らかに願つてゐた。

『それはもう、()ういふ事情なれば、此方で置きたいと言つたつて仕樣がない事だし、伴れて歸つても構ひませんけれど、』と奧樣は言つて、『だけどね、()つと昨晩(ゆうべ)來た許りで、まだ一晝夜にも成らないぢやないかねえ。』

『其處ン所は何ともお申譯がございませんのですが、何分手前共でも迎への人が來ようなどとは、(ちつ)とも思懸けませんでしたので。』

『それはまあ仕方がありませんさ。だが、郷里(くに)といつても隨分遠い所でせう?』

『ええ、ええ、それはもう(ずつ)と遠方で、南部の鐵瓶を拵へる處よりも、まだ餘程田舍なさうでございます。』

(そんな)處からまあ、よくねえ。』と言つて、『お定や、お定や。』

 お定は、(どう)やら奧樣に濟まぬ樣な氣がするので、怖る怖る行つて坐ると、お前も聞いた樣な事情だから、まだ一晝夜にも成らぬのにお前も本意(ほんい)ないだらうけれども、この内儀(おかみ)さんと一緒に歸つたら()からうと言ふ奧樣の話で、お定は唯顏を赤くして堅くなつて聞いてゐたが、軈てお吉に促されて、言葉寡(ことばすくな)に禮を述べて其家を出た。

 戸外(おもて)へ出ると、お定は直ぐ、

(どんな)人だべ、お内儀(かみ)さん!』と訊いた。

『いけ好かない奧樣だね。』と言つたが、『迎への人かえ? 何とか言つたけ、それ、忠吉さんとか忠次郎さんとかいふ、禿頭(はげあたま)の腹の(でつ)かい人だよ。』

『忠太ツて言ふべす、そだら。』

()う/\其忠太さんさ。面白い言葉な人だねえ。』と言つたが、『來なくても可いのに、お前さん達許り詰らないやね、態々(わざ/\)出て來て直ぐ伴れて歸られるなんか。』

(ほん)()うでごあんす。』と、お定は口を噤んで了つた。

 稍あつてから又、『お八重さんは(どう)したべす?』と訊いた。

『お八重さんには新太郎が迎ひに行つたのさ。』

 源助の家へ歸ると、お八重はまだ歸つてゐなかつたが、腰までしか無い短い羽織を着た、布袋の樣に肥つた忠太爺が、長火鉢に源助と向合つてゐて、お定を見るや否や、突然(いきなり)

『七日八日見ねえでる(うち)に、お定ツ子ア(ぐつ)()女子(をなご)になつた(なあ)。』と四邊(あたり)構はず高い聲で笑つた。

 お定は路々、郷里から迎ひが來たといふのが嬉しい樣な、また、其人が自分の嫌ひな忠太と訊いて不滿な樣な心地もしてゐたのであるが、生れてから十九の今まで毎日々々慣れた郷里言葉(くにことば)を其儘に聞くと、もう胸の底には不滿も何も消えて了つた。

 で、忠太は先ず、二人が東京へ逃げたと知れた時に、村では兩親初め(どんな)に驚かされたかを語つた。源助さんの世話になつてるなれば心配はない樣なものの、親心といふものは又別なもの、自分も今は忙がしい盛りだけれど、(たつ)ての頼みを(こば)み難く、態々(わざ/\)迎ひに來たと語るのであつたが、然し一言もお定に對して小言がましい事は言はなかつた。何故なれば忠太は其實、矢張源助の話を聞いて以來、死ぬまでに是非共一度は東京見物に行きたいものと、家には働手が多勢ゐて自分は閑人なところから、毎日考へてゐた所へ、幸ひと二人の問題が起つたので、構はずにや置かれぬから何なら自分が行つて呉れても可いと、不取敢氣の小さい兼大工を説き落し、兼と二人でお定の家へ行つて、同じ事を遠しに諄々(くどくど)と喋り立てたのであるが、母親は流石に涙顏をしてゐたけれども、定次郎は別に娘の行末を悲觀してはゐなかつた。それを漸々(やう/\)納得(なつとく)させて、二人の歸りの汽車賃と、自分のは片道だけで可いといふので、兼から七圓に定次郎から五圓、先づ體の可い官費旅行の東京見物を企てたのであつた。

 軈てお八重も新太郎に伴れられて歸つて來たが、坐るや否や先づ(けは)しい眼尻を一層險しくして、(ぢつ)と忠太の顏を睨むのであつた。忠太は、お定に言つたと同じ樣な事を、繰返してお八重にも語つたが、お八重は返事も碌々(ろく/\)せず、(ふく)れた顏をしてゐた。

 源助の忠太に對する驩待振(くわんたいぶり)は、二人が驚く許り(おご)つたものであつた。無論これは、村の人達に傳へて貰ひたい許りに、少しは無理までして外見(みえ)を飾つたのであるが。

 其夜は、裏二階の六疊に忠太とお八重お定の三人枕を並べて寢せられたが、三人(きり)になると、お八重は直ぐ忠太の膝をつねりながら、

『何しや來たす此人(このふと)ア。』と言つて、執念(しつこ)くも自分等の新運命を頓挫させた罪を(なぢ)るのであつたが、晩酌に陶然とした忠太は、間もなく高い鼾をかいて、太平の眠に入つて了つた。するとお八重は、お定の温しくしてるのを捉へて、自分の行つた横山樣が、何とかいふ學校の先生をして、四十圓も月給をとる學士樣な事や、其奧樣の着てゐた衣服の事、自分を大層可愛がつてくれた事、それからそれと仰々しく述べ立てて、今度は仕方がないから歸るけれど、必ず又自分だけは東京に來ると語つた。そしてお八重は、其奧樣のお好みで結はせられたと言つて、生れて初めての庇髮に結つてゐて、奧樣から拜領の、少し油染みた焦橄欖(こげおりいぶ)のリボンを大事相に()してゐた。

 お八重は又自分を迎ひに來て呉れた時の新太郎の事を語つて、『(あんな)親切な人ア()の方にや()えす。』と讃めた。

 お定はお八重の言ふが儘に、唯温しく返事をしてゐた。

 その後二三日は、新太郎の案内で、忠太の東京見物に費された。お八重お定の二人も、もう仲々來られぬだらうから、よく見て行けと言ふので、毎日其お伴をした。

 二人は又、お吉に伴れられて行つて、本郷館で些少な土産物をも買ひ整へた。

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