伯爵の釵

1話 伯爵の釵(1)

5,553字 約11分 2009年5月31日 公開

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        一

 ()のもの(がたり)の起つた土地は、清きと、美しきと、二筋(ふたすじ)大川(おおかわ)()の両端を流れ、真中央(まんなか)に城の天守(てんしゅ)()ほ高く(そび)え、森黒く、(ほり)(あお)く、国境の山岳は重畳(ちょうじょう)として、湖を包み、海に沿ひ、橋と、坂と、辻の柳、(いらか)(なみ)の町を(いだ)いた、北陸の都である。

 一年(ひととせ)、激しい旱魃(かんばつ)のあつた真夏の事。

 ……と言ふと(たちま)ち、天に可恐(おそろ)しき入道雲(にゅうどうぐも)()き、地に水論(すいろん)修羅(しゅら)(ちまた)の流れたやうに聞えるけれど、決して、そんな、物騒(ぶっそう)沙汰(さた)ではない。

 (かか)る折から、地方巡業の新劇団、女優を(しゅ)とした帝都の有名なる大一座(おおいちざ)が、此の土地に七日間(なのかかん)の興行して、全市の湧くが如き人気を博した。

 極暑(ごくしょ)の、(ひでり)と言ふのに、たとひ如何(いか)なる人気にせよ、湧くの、()えるのなどは、口にするも暑くるしい。が、――(ことわざ)に、火事の折から土蔵の焼けるのを防ぐのに、大盥(おおだらい)満々(まんまん)と水を(たた)へ、蝋燭(ろうそく)()を点じたのを()の中に立てて目塗(めぬり)をすると、壁を(とお)して煙が(うち)(みなぎ)つても、火気を呼ばないで安全だと言ふ。……火を以て火を制するのださうである。

 こゝに女優たちの、近代的情熱の燃ゆるが如き演劇は、(あたか)も此の(てつ)だ、と(とな)へて()い。雲は()け、草は(しぼ)み、水は()れ、人は(あえ)ぐ時、一座の劇は宛然(さながら)褥熱(じょくねつ)に対する氷の如く、十万の市民に、一(ざい)、清涼の気を(もた)らして剰余(あまり)あつた。

 (はだ)の白さも雪なれば、(ひとみ)(つゆ)の涼しい中にも、(こぞ)つて座中(ざちゅう)の明星と(たた)へられた村井紫玉(むらいしぎょく)が、

「まあ……前刻(さっき)の、あの、小さな()は?」

 公園の茶店(ちゃみせ)に、一人(しずか)(いこ)ひながら、緋塩瀬(ひしおぜ)煙管筒(きせるづつ)結目(むすびめ)解掛(ときか)けつゝ、()と思つた。……

 (まげ)女優巻(じょゆうまき)でなく、(わざ)とつい通りの束髪(そくはつ)で、薄化粧(うすげしょう)淡洒(あっさり)した意気造(いきづくり)形容(しな)に合せて、煙草入(たばこいれ)も、好みで持つた気組(きぐみ)婀娜(あだ)

 で、見た(ところ)芸妓(げいしゃ)内証歩行(ないしょあるき)と云ふ風だから、まして女優の、忍びの出、と言つても()風采(ふう)

 また実際、紫玉は此の日は忍びであつた。演劇(しばい)昨日(きのう)(らく)に成つて、座の中には、直ぐに次興行(つぎこうぎょう)隣国(りんごく)へ、早く先乗(さきのり)をしたのが多い。が、地方としては、(これ)まで経歴(へめぐ)つた其処彼処(そこかしこ)より、観光に価値(あたい)する名所が(おびただし)い、と聞いて、中二日(なかふつか)ばかりの休暇(やすみ)を、紫玉は此の土地に居残(いのこ)つた。そして、旅宿(りょしゅく)に二人附添(つきそ)つた、玉野(たまの)玉江(たまえ)と云ふ女弟子も連れないで、一人で(そっ)と、……日盛(ひざかり)()うした身には苦にならず、町中(まちなか)を見つゝ(そぞろ)に来た。

 (おも)ふに、太平の世の国の(かみ)が、隠れて民間に微行(びこう)するのは、(まつりごと)を聞く時より、どんなにか得意であらう。落人(おちうど)(それ)ならで、そよと鳴る風鈴も、人は昼寝の夢にさへ、我名(わがな)を呼んで、讃美し、歎賞する、微妙なる音響、と聞えて、其の都度(つど)、ハツと隠れ忍んで、微笑(ほほえ)み/\通ると思へ。

 深張(ふかばり)涼傘(ひがさ)の影ながら、()面影(おもかげ)は透き、色香(いろか)(ほの)めく……心地(ここち)すれば、(たれ)(はばか)るともなく自然(おのず)から俯目(ふしめ)俯向(うつむ)く。謙譲の(つま)はづれは、倨傲(きょごう)(えり)より(ひん)を備へて、尋常(じんじょう)姿容(すがたかたち)調(ととの)つて、焼地(やけち)()りつく影も、水で描いたやうに涼しくも清爽(さわやか)であつた。

 僅少(わずか)(たたみ)(へり)ばかりの、日影を選んで辿(たど)るのも、人は目を《みは》つて、(くじら)に乗つて人魚が通ると見たであらう。……素足(すあし)の白いのが、すら/\と黒繻子(くろじゅす)の上を(すべ)れば、(どぶ)(ながれ)清水(しみず)音信(おとずれ)

 で、真先(まっさき)(こころざ)したのは、城の(やぐら)と境を接した、()(ふた)つ、全国に指を屈すると云ふ、景勝(けいしょう)の公園であつた。

        二

 公園の入口に、樹林を背戸(せど)に、蓮池(はすいけ)を庭に、柳、(ふじ)、桜、山吹(やまぶき)など、飛々(とびとび)に名を呼ばれた茶店(ちゃみせ)がある。

 紫玉が、いま腰を掛けたのは柳の茶屋と言ふのであつた。が、(あか)(たすき)で、色白(いろじろ)な娘が運んだ、煎茶(せんちゃ)煙草盆(たばこぼん)(そで)に控へて、()まで(たしな)むともない、其の、伊達(だて)に持つた煙草入(たばこいれ)を手にした時、――

「……あれは女の()だつたか知ら、其とも男の児だつたらうかね。」

 ――と思ひ出したのは其である。――

 で、華奢造(きゃしゃづく)りの黄金煙管(きんぎせる)で、余り()れない、()覚束(おぼつか)ない手つきして、青磁色(せいじいろ)の手つきの瀬戸火鉢(せとひばち)を探りながら、

「……帽子を……(かぶ)つて居たとすれば、男の児だらうが、青い鉢巻(はちまき)だつけ。……麦藁(むぎわら)に巻いた(きれ)だつたらうか、其ともリボンか知ら。色は判然(はっきり)覚えて居るけど、……お待ちよ、――と()うだから。……」

 取つて着けたやうな()み方だから、見ると、もの/\しいまでに、打傾(うちかたむ)いて一口(ひとくち)吸つて、

「……年紀(とし)は、()うさね、七歳(ななつ)六歳(むっつ)ぐらゐな、色の白い上品な、……男の児にしては()綺麗(きれい)過ぎるから女の児――だとリボンだね。――青いリボン。……幼稚(ちいさ)くたつて()と限りもしないわね。では、矢張(やっぱ)り女の児か知ら。それにしては麦藁帽子……(もっと)もおさげに()つてれば……だけど、其処(そこ)までは気が付かない。……」

 大通りは一筋(ひとすじ)だが、道に迷ふのも一興で、其処(そこ)ともなく、裏小路(うらこうじ)へ紛れ込んで、低い土塀(どべい)から(うり)茄子(なす)(はたけ)(のぞ)かれる、()(さび)れた邸町(やしきまち)を一人で通つて、まるつ(きり)人に行合(ゆきあ)はず。白熱した日盛(ひざかり)に、よくも羽が焦げないと思ふ、白い蝶々(ちょうちょう)の、不意にスツと来て、飜々(ひらひら)擦違(すれちが)ふのを、吃驚(びっくり)した顔をして見送つて、そして莞爾(にっこり)……したり……()うした時は象牙骨(ぞうげぼね)の扇で一寸(ちょっと)招いて見たり。……土塀の崩屋根(くずれやね)を仰いで血のやうな百日紅(さるすべり)咲満(さきみ)ちた枝を、涼傘(ひがさ)(さき)(くす)ぐる、と(たま)らない。とぶる/\ゆさ/\と()るのに、「御免なさい。」と言つて見たり。石垣の草蒸(くさいきれ)に、()ててある瓜の皮が、()けて(あし)が生えて、むく/\と動出(うごきだ)しさうなのに、「あれ。」と飛退(とびの)いたり。取留(とりと)めのないすさびも、此の女の人気なれば、話せば逸話に伝へられよう。

 低い山かと見た、樹立(こだち)の繁つた高い公園の下へ出ると、坂の(のぼ)(くち)(やしろ)があつた。

 宮も大きく、境内(けいだい)も広かつた。が、砂浜に鳥居を立てたやうで、拝殿(はいでん)裏崕(うらがけ)には鬱々(うつうつ)たる其の公園の森を()ひながら、広前(ひろまえ)は一面、真空(まそら)なる太陽に、(こいし)の影一つなく、(ただ)白紙(しらかみ)敷詰(しきつ)めた光景(ありさま)なのが、日射(ひざし)に、やゝ(きば)んで、(びょう)として、何処(どこ)から散つたか、百日紅の二三点。

 ……覗くと、静まり返つた正面の(きざはし)(かたわら)に、(べに)手綱(たづな)(しゅ)(くら)置いた、つくりものの自の神馬(しんめ)寂寞(せきばく)として一頭(ひとつ)立つ。横に公園へ(あが)る坂は、見透(みとお)しに成つて居たから、涼傘(ひがさ)のまゝスツと鳥居から抜けると、紫玉の姿は色のまゝ鳥居の柱に映つて通る。……其処(そこ)屋根囲(やねがこい)した、(おおい)なる石の御手洗(みたらし)があつて、青き竜頭(りゅうず)から(たた)へた水は、()つすら/\と玉を乱して、(さっ)(すだれ)噴溢(ふきあふ)れる。其手水鉢(そのちょうずばち)周囲(まわり)に、(ただ)一人……其の稚児(ちご)が居たのであつた。

 が、炎天、人影も絶えた折から、父母(ちちはは)の昼寝の夢を抜出(ぬけだ)した、神官の()であらうと紫玉は()た。ちら/\廻りつゝ、廻りつゝ、彼方此方(あちこち)する。……

 ()、御手洗は高く、稚児は小さいので、下を伝うてまはりを廻るのが、宛然(さながら)、石に刻んだ形が、噴溢(ふきあふ)れる水の影に誘はれて、すら/\と動くやうな。……と視るうちに、稚児は伸上(のびあが)り、伸上(のびあが)つては、いたいけな手を空に、すらりと動いて、伸上つては、又空に手を伸ばす。――

 紫玉はズツと寄つた。稚児は()涼傘(ひがさ)の陰に入つたのである。

一寸(ちょっと)……何をして居るの。」

「水が欲しいの。」

 と、あどけなく言つた。

 あゝ、(それ)がため足場を取つては、取替(とりか)へては、手を伸ばす、が爪立(つまだ)つても、青い(きれ)を巻いた、其の振分髪(ふりわけがみ)、まろが(たけ)は……筒井筒(つついづつ)其の(なかば)にも届くまい。

        三

 其の御手洗(みたらし)の高い(ふち)に乗つて居る柄杓(ひしゃく)を、取りたい、と又稚児(ちご)()う言つた。

 紫玉は思はず微笑(ほほえ)んで、

「あら、()うすれば仔細(わけ)はないよ。」

 と、半身(はんしん)を斜めにして、(あふ)れかゝる水の一筋(ひとすじ)を、(たま)(しずく)に、(さっ)と散らして、赤く燃ゆるやうな唇に()けた。ちやうど渇いても居たし、水の(きよ)い事を見たのは言ふまでもない。

「ねえ、お前。」

 稚児が仰いで、(じっ)と紫玉を()て、

「手を(きよ)める水だもの。」

 直接(じか)(くち)(つけ)るのは不作法だ、と(とが)めたやうに聞えたのである。

 劇壇の女王(にょおう)は、気色(けしき)した。

「いやにお(ちゃ)がつてるよ、生意気な。」と、軽く其の(つむり)(てのひら)(たた)(ぱな)しに、()広前(ひろまえ)を切れて、坂に出て、見返りもしないで、()てやがて此の茶屋に(いこ)つたのであつた。――

 今思ふと、手を触れた稚児の(つむり)も、女か、男か、不思議に其の感覚が残らぬ。気は涼しかつたが、暑さに、幾干(いくら)(ぼう)としたものかも知れない。

(ねえ)さん、町から、此の坂を(のぼ)(ところ)に、お宮がありますわね。」

「はい。」

「何と言ふ、お(やしろ)です。」

浦安(うらやす)神社でございますわ。」と、片手を(たたみ)に、娘は行儀正しく答へた。

何神様(なにがみさま)が祭つてあります。」

「お父さん、お父さん。」と娘が、つい(そば)に、蓮池(はすいけ)に向いて、(じんべ)と言ふ(ひざ)ぎりの帷子(かたびら)で、眼鏡(めがね)の下に内職らしい(あみ)をすいて居る半白(はんぱく)の父を呼ぶと、急いで眼鏡を(はず)して、コツンと水牛(すいぎゅう)()(たた)んで、台に乗せて、其から向直(むきなお)つて、丁寧に辞儀をして、

「えゝ、浦安様は、浦安かれとの、其の御守護ぢやさうにござりまして。水をばお(つかさど)りなされます、竜神(りゅうじん)と申すことでござります。これの、太夫様(たゆうさま)にお茶を替へて上げぬかい。」

 紫玉は我知(われし)らず衣紋(えもん)(しま)つた。……(とな)へかたは相応(そぐ)はぬにもせよ、(へた)な山水画の(なか)の隠者めいた老人までが、確か自分を知つて居る。

 心着(こころづ)けば、正面神棚(かみだな)の下には、我が姿、昨夜(ゆうべ)も扮した、劇中女主人公(ヒロイン)の王妃なる、玉の鳳凰(ほうおう)の如きが掲げてあつた。

「そして、……」

 声も(ほがら)かに、()(つつ)ましく、

「竜神だと、女神(おんながみ)ですか、男神(おとこがみ)ですか。」

「さ、さ。」と老人は(ひざ)を刻んで、(あたか)も此の問を待構(まちかま)へたやうに、

「其の儀は、とかくに申しまするが、如何(いかが)か、(いず)れとも相分(あいわか)りませぬ。此の公園のづツと奥に、真暗(まっくら)巌窟(いわや)の中に、一ヶ処清水(しみず)()く井戸がござります。古色(こしょく)(おびただ)しい青銅の竜が(わだかま)つて、井桁(いげた)(ふた)をして()りまして、金網(かなあみ)を張り、みだりに近づいては成りませぬが、霊沢金水(れいたくこんすい)と申して、此がために此の市の名が起りましたと申します。此が奥の院と申す事で、えゝ、貴方様(あなたさま)御意(ぎょい)の浦安神社は、其の前殿(まえどの)と申す事でござります。御参詣(おまいり)を遊ばしましたか。」

「あ、(いいえ)。」と言つたが、すぐ又稚児(ちご)の事が胸に浮んだ。それなり一時(いちじ)言葉が途絶(とだ)える。

 森々(しんしん)たる日中(ひなか)の樹林、濃く黒く森に包まれて城の天守は前に(そび)ゆる。茶店(ちゃみせ)の横にも、見上(みあげ)るばかりの(えんじゅ)(えのき)の暗い影が(もみ)(かえで)を薄く(まじ)へて、藍緑(らんりょく)(ながれ)群青(ぐんじょう)の瀬のある如き、たら/\(あが)りの(こみち)がある。滝かと思ふ蝉時雨(せみしぐれ)。光る雨、輝く()()、此の炎天の下蔭(したかげ)は、(あたか)稲妻(いなずま)(こも)る穴に似て、もの(すご)いまで寂寞(ひっそり)した。

 木下闇(こしたやみ)、其の横径(よこみち)中途(なかほど)に、空屋(あきや)かと思ふ、(ひさし)()ちた、(たれ)も居ない店がある……

        四

 (とざ)してはないものの、奥に人が居て住むかさへ疑はしい。其とも日が暮れると、白い首でも出て()とは客が寄らうも知れぬ。店一杯(いっぱい)雛壇(ひなだん)のやうな台を置いて、(いと)ど薄暗いのに、三方(さんぽう)黒布(くろぬの)張廻(はりまわ)した、壇の附元(つけもと)に、流星(ながれぼし)髑髏(しゃれこうべ)(ひから)びた(ひとりむし)に似たものを、点々並べたのは(まと)である。地方の盛場(さかりば)には時々見掛(みか)ける、吹矢(ふきや)機関(からくり)とは一目(ひとめ)()て紫玉にも分つた。

 (まこと)は――吹矢(ふきや)も、(ばけ)ものと名のついたので、幽霊の廂合(ひあわい)の幕から(さかさま)にぶら下り、見越入道(みこしにゅうどう)(あつら)へた穴からヌツと出る。雪女は(こしら)への黒塀(くろべい)(うっす)り立ち、産女鳥(うぶめどり)石地蔵(いしじぞう)と並んで悄乎(しょんぼり)(たたず)む。(ひと)()小僧(こぞう)豆腐買(とうふかい)は、流灌頂(ながれかんちょう)野川(のがわ)(へり)を、大笠(おおがさ)俯向(うつむ)けて、跣足(はだし)でちよこ/\と巧みに歩行(ある)くなど、仕掛(しかけ)ものに成つて居る。……如何(いかが)はしいが、生霊(いきりょう)(ふだ)の立つた就中(なかんずく)小さな(まと)吹当(ふきあ)てると、床板(ゆかいた)がぐわらりと転覆(ひっくりかえ)つて、大松蕈(おおまつたけ)を抱いた緋の(ふんどし)のおかめが、とんぼ返りをして莞爾(にこり)飛出(とびだ)す、途端に、四方へ引張つた(つな)が揺れて、鐘と太鼓がしだらでんで一斉(いちどき)にぐわんぐわらん、どんどと鳴つて、其で(いち)が栄えた、店なのであるが、一ツ目小僧のつたひ歩行(ある)波張(なみばり)切々(きれぎれ)に、藪畳(やぶだたみ)打倒(ぶったお)れ、(かざり)の石地蔵は仰向(あおむ)けに()つて、視た(ところ)、ものあはれなまで(さび)れて居た。

 ――其の(のき)土間(どま)に、背後(うしろ)むきに(しゃが)んだ僧形(そうぎょう)のものがある。坊主(ぼうず)であらう。墨染(すみぞめ)(あさ)法衣(ころも)()れ/\な(なり)で、鬱金(うこん)()(ねずみ)(よご)れた布に――すぐ、分つたが、――三味線(しゃみせん)を一(ちょう)盲目(めくら)琵琶背負(びわじょい)背負(しょ)つて居る、漂泊(さすら)門附(かどづけ)(たぐい)であらう。

 何をか働く。人目を避けて、(うずくま)つて、(しらみ)(ひね)るか、(かさ)()くか、弁当を使ふとも、掃溜(はきだめ)を探した干魚(ほしうお)の骨を(しゃぶ)るに過ぎまい。乞食(こじき)のやうに薄汚(うすぎたな)い。

 紫玉は敗竄(はいざん)した芸人と、荒涼たる見世ものに対して、深い歎息(ためいき)()らした。()つあはれみ、且つ可忌(いまわ)しがつたのである。

 灰吹(はいふき)に薄い(つば)した。

 此の世盛(よざか)りの、思ひ上れる、美しき女優は、樹の緑(せみ)の声も(したた)るが如き影に、(かまち)自然(おのず)から浮いて高い(ところ)に、色も濡々(ぬれぬれ)水際立(みずぎわだ)つ、紫陽花(あじさい)の花の姿を(たわ)わに置きつゝ、翡翠(ひすい)紅玉(ルビイ)、真珠など、指環を()()()めた白い指をツト挙げて、(びん)後毛(おくれげ)を掻いた次手(ついで)に、白金(プラチナ)高彫(たかぼり)の、翼に金剛石(ダイヤ)(ちりば)め、目には血膸玉(スルウドストン)(くちばし)と爪に緑宝玉(エメラルド)象嵌(ぞうがん)した、白く輝く鸚鵡(おうむ)(かんざし)――何某(なにがし)の伯爵が心を()めた(おくり)ものとて、人は知つて、(伯爵)と(とな)ふる其の釵を抜いて、(あし)を返して、喫掛(のみか)けた火皿(ひざら)(やに)(さら)つた。……伊達(だて)煙管(きせる)は、煙を吸ふより、手すさみの(しぐさ)が多い慣習(ならい)である。

 三味線背負(しょ)つた乞食坊主が、引掻(ひっか)くやうにもぞ/\と肩を(ゆす)ると、一眼(いちがん)ひたと()ひた、(めっかち)の青ぶくれの(かお)を向けて、()う、引傾(ひっかたが)つて、(じっ)と紫玉の其の(さま)()ると、肩を()いた(つえ)(さき)が、一度胸へ引込(ひっこ)んで、前屈(まえかが)みに、よたりと立つた。

 杖を(こみち)突立(つきた)て/\、辿々(たどたど)しく下闇(したやみ)(うごめ)いて()りて、城の(かた)へ去るかと思へば、のろく後退(あとじさり)をしながら、茶店(ちゃみせ)に向つて、(ほっ)と、立直(たちなお)つて一息(ひといき)()く。

 紫玉の(まゆ)(ひそ)む時、五(けん)ばかり(のき)を離れた、其処(そこ)()や、此方(こなた)へぐつたりと叩頭(おじぎ)をする。

 知らない(ふり)して、目をそらして、紫玉が(かんざし)俯向(うつむ)いた。が、濃い睫毛(まつげ)の重く成るまで、坊主の影は(ちかづ)いたのである。

太夫様(たゆうさま)。」

 ハツと顔を上げると、坊主は既に敷居を越えて、目前(めさき)土間(どま)に、両膝(りょうひざ)を折つて居た。

「…………」

「お(ねがい)でござります。……お慈悲(じひ)ぢや、お慈悲、お慈悲。」

 仮初(かりそめ)に置いた涼傘(ひがさ)が、襤褸法衣(ぼろごろも)(そで)に触れさうなので、(そっ)と手元へ引いて、

「何ですか。」と、坊主は視ないで、茶屋の父娘(おやこ)に目を()つた。

 立つて声を掛けて追はうともせず、父も娘も(しずか)に視て居る。

        五

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