探検実記 地中の秘密 20 大森貝塚の発掘

1話 探検実記 地中の秘密 20 大森貝塚の発掘

3,140字 約6分 2021年9月17日 公開

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──日本貝塚の本家──採集家としての名譽──公爵自ら發掘す──博士の席上採集──

 大森(おほもり)貝塚(かひづか)は、人類學研究者(じんるゐがくけんきうしや)()から、(もつと)神聖(しんせい)なる()として尊敬(そんけい)せられて()る。此所(こゝ)本邦(ほんぽう)最初(さいしよ)發見(はつけん)せられた石器時代(せききじだい)遺跡(ゐせき)であるからだ。

 米國(べいこく)のエドワルド、エス、モールス()が、明治(めいぢ)十二(ねん)(おい)て、(はじ)めて此所(こゝ)遺跡(ゐせき)發見(はつけん)し、()うして大發掘(だいはつくつ)(こゝろ)みられた記事(きじ)は『理科會粹(りくわくわいすゐ)』の(だい)(ちつ)として、東京大學法理文學部(とうきやうだいがくはふりぶんがくぶ)から印行(いんかう)せられてある。(和英(わえい)兩文(りやうぶん)にて)『大森介墟古物編(おほもりくわいきよこぶつへん)』は、(じつ)にそれである。

 (おほ)人足(にんそく)使用(しよう)したのを一人(ひとり)勞作(らうさく)(なを)して、一(にち)平均(へいきん)時間(じかん)()ると、(まさ)に八十餘日(よにち)(つひや)した計算(けいさん)である。かゝる大發掘(だいはつくつ)(こゝろ)みてから、非常(ひじやう)此所(こゝ)有名(いうめい)()つたが、(いま)兒島惟謙翁(こじまゐけんおう)邸内(ていない)編入(へんにふ)せられて、(とて)普通(ふつう)では發掘(はつくつ)する(こと)出來(でき)ずに()た。

 其所(そこ)發掘(はつくつ)()機會(きくわい)()た。千載(せんさい)の一(ぐう)。それに參豫(さんよ)した()は、(じつ)採集家(さいしふか)としての名譽(めいよ)此上(このうへ)()い。

 それは()ういふ縁引(えんびき)からである。水谷幻花氏(みづたにげんくわし)(おな)(しや)()縱横(じゆうわう)杉村廣太郎氏(すぎむらひろたらうし)は、兒島翁(こじまおう)とも()り、(また)令息(れいそく)とも交際(まじは)られて()るので、(だん)邸内(ていない)遺跡(ゐせき)(わた)つた(とき)に、吾社(わがしや)にこれ/\の(ひと)()るといふ(こと)から(はなし)(すゝ)んで、學術(かくじゆつ)(ため)となら(よろこ)んで發掘(はつくつ)承諾(しようたく)するといふ(はこ)びに()つたのである。

 水谷氏(みづたにし)非常(ひじやう)兒島家(こじまけ)好意(かうい)(よろこ)び、一人(いちにん)(もつ)此聖跡(このせいせき)()らすべきで()いとして、斯道(しだう)のオーソリチーたる坪井博士(つぼゐはかせ)、それから華族人類學會(くわぞくじんるゐがくくわい)牛耳(ぎうじ)()らるゝ二絛公爵(にでうこうしやく)通知(つうち)し、()にも其末班(そのまつぱん)(くは)はるべく交渉(かうせう)されたのだ。

 四十一(ねん)(ぐわつ)二十一(にち)午前(ごぜん)()(ごろ)水谷氏(みづたにし)()とは、大森(おほもり)兒島邸(こじまてい)訪問(ほうもん)した。(しか)るに(おう)は、熱海(あたみ)(はう)()つて()られて、不在(ふざん)令息(れいそく)(こゝろよ)出迎(でむか)へられて、萬事(ばんじ)便誼(べんぎ)(あた)へられ、人足(にんそく)(にん)さへ()ばれたのであつた。

 其所(そこ)杉村氏(すぎむらし)大瀧氏(おほたきし)(とも)(きた)(くわい)せられた。公爵(こうしやく)博士(はかせ)()()えぬが、それまで()つて()るべきでも()いので、さあ、そろ/\蠻勇(ばんいう)開始(かいし)しやうと、庭後(ていご)鐵道線路添(てつだうせんろぞ)ひの()試掘(しくつ)(かゝ)つたが、此邊(このへん)はモールス()(いま)より二十九(ねん)(まへ)に、(すで)大發掘(だいはつくつ)をした(あと)なので、土器(どき)はモー留守(るす)であつた。

 水谷氏(みづたにし)(かほ)見合(みあは)せて『(なに)()ないでも()いです。大森(おほもり)貝塚(かひづか)一鍬(ひとくわ)でも()つたといふ(こと)が、(すで)(ほこ)るに()るのですから』など負惜(まけを)しみを()つて()たが、如何(どう)もそれでは(じつ)(ところ)滿足(まんぞく)出來(でき)ぬ。

 すると人足(にんそく)の一(にん)か『(かひ)()(ところ)此所(こゝ)ばかりぢやア()りません。御門(ごもん)(はい)つて右手(みぎて)笹山(さゝやま)(うしろ)(ところ)にも、(しろ)(かひ)地面(ちめん)()()ます』と報告(ほうこく)した。

其所(そこ)()つても()いですか』と遠慮勝(ゑんりよがち)()うて()ると、令息(れいそく)(わら)ひながら『何處(どこ)でも(よろ)しい、()()つた(ところ)御掘(おほ)りなさい』と()はれる。()うした地主(ぢぬし)にばかり出會(であは)して()れば文句(もんく)()いなど(たはむ)れつゝ、其方(そのはう)發掘(はつくつ)(かゝ)つたが、此所(こゝ)()だ三千年(せんねん)(らい)()のつかぬ(ところ)であつて、貝層(かひそう)具合(ぐあひ)大變(たいへん)()い。

 泥土(でいど)混亂(こんらん)()く、(かひ)(いろ)(ゆき)(ごと)(しろ)く、合貝(あひかひ)()て、灰層(くわいそう)()り、()うしてなか/\(ふか)い。『有望々々(いうぼう/\)』と(よば)はりながら、水谷氏(みづたにし)(ぼく)とは(あな)(なら)べて()(すゝ)んだが、()珍品(ちんぴん)らしい(もの)(にほひ)もせぬ。

 一寸(ちよつと)()れば()ぐに完全(くわんぜん)(もの)()(くらゐ)(かんが)へて()見物連(けんぶつれん)は、一(かう)(なに)()ないので、(つり)()るよりも()だつまらぬなど、そろ/\惡口(わるくち)掘出(ほりだ)すのである。(なに)しろ(さむ)くていかぬとて、焚火(たきび)なんか(はし)めて、松薪(まつまき)完全(くわんぜん)、これは()えが()いから珍品(ちんぴん)だなんて()つて()るのである。

 此方(こちら)焚火(たきび)どころで()い。(あせ)()らして()(すゝ)むのに、いや、土龍(むぐろ)のやうだの、井戸掘(ゐどほり)手間(てま)だの、種々(いろ/\)批評(ひひやう)(あたま)から(かぶ)せられる。

 其冷評(そのれいひやう)(かぶ)せる(なか)(もつと)猛烈(もうれつ)なのは杉村氏(すぎむらし)で、一(ばん)(また)(おほ)きくなつて焚火(たきび)(あた)つて御座(ござ)る。

全體(ぜんたい)杉村君(すぎむらくん)(きみ)()(はづ)ぢやアなかツたのか』と水谷氏(みづたにし)は一()(むく)ゐると、杉村氏(すぎむらし)楚人冠(そじんくわん)(りう)警句(けいく)()けて『()るなら()るが、()ないのに()つたつて(つま)らないよ』と()る。

(いま)()るよ』と()ると『(いま)()てから(はし)めやう』と()らす。

 ()うして、()んだツて馬鹿(ばか)な、土方(どかた)眞似(まね)()たいな(こと)()るんだらうと()侮辱的(ぶぢよくてき)(かほ)が、あり/\と焚火(たきび)(けむり)(あひだ)から()えるのである。

『なア水谷君(みづたにくん)素人(しらうと)はこれだから(こま)る。(この)どうも(なに)()なくツても、貝層(かひそう)()具合(ぐあひ)なんて()いね。()うして(たゞ)()つて()ても()心持(こゝろもち)だねえ』と(ぼく)()ふ。

()うだ/\、全體(ぜんたい)杉村君(すぎむらくん)は、我々(われ/\)蠻勇(ばんいう)()(おどろ)いて(しま)つたのだ。(とて)太刀打(たちうち)出來(でき)ないから、それで見物(けんぶつ)(まは)つたのだ。人間(にんげん)利口(りこう)出來(でき)てる。我々(われ/\)馬鹿(ばか)出來(でき)てるよ』と水谷氏(みづたにし)()ふ。

馬鹿(ばか)にして狂人(きちがひ)をも(かね)てるよ』と()追加(つひか)して()つた。

 (わら)(ごと)では()い、()(なに)()ても()(ころ)だと、心中(しんちう)いろ/\苦悶(くもん)して()るが如何(どう)()ない、破片(はへん)獸骨(じうこつ)、そんな(ところ)しか見出(みいた)さぬ。

『モールスさんの()つた(はう)金持(かねもち)のコロボツクルが()たので、此所(こゝ)(きつ)貧乏人(びんばうにん)()たんだらう』など(たはむ)れて()(ところ)へ、車夫(しやふ)(したが)へて二(でう)(こう)()られた。

 斯學(しがく)熱心(ねつしん)なる(こう)は、焚火(たきび)にも(あた)られず、(たゞ)ちに車夫(しやふ)指揮(さしづ)して、()(あな)上部(じやうぶ)(はう)發掘(はつくつ)(はし)められた。

 矢張(やはり)()ない。公爵(こうしやく)でも矢張(やはり)()ない(とき)には()ない。

 熱心(ねつしん)なる公爵(こうしやく)は、車夫(しやふ)活動(くわつどう)手鈍(てぬる)しとして、(みづか)採集器具(さいしふきぐ)()にせられたが、(たちま)ち一(せい)

『やア()た』と(さけ)ばれた。

 水谷氏(みづたにし)()も、(おも)はず()らず(あな)から飛上(とびあが)つた。焚火連(たきびれん)(はし)つて()た。一(どう)公爵穴(こうしやくあな)(のぞ)いて()ると、なる(ほど)()()る。

 公爵(こうしやく)()()たれて()るのを()ると、如何(どう)しても土偶(どぐう)らしい。黒色(こくしよく)土偶(どぐう)の一()らしいので『萬歳(ばんざい)』を(とな)へる。(なか)には、(まへ)から()つて()二人(ふたり)は、(そもそ)(なに)()しつゝ()りやなど罵倒(ばたう)()る。

 ()()土偶(どぐう) (なに)しろ泥土(でいど)(おと)して()るべしと、車夫(しやふ)をして、それを(あら)ひに()つて()ると、()(はか)らんや、それは獸骨(じうこつ)の一()大腿骨(だいたいこつ)關節部(くわんせつぶ)黒焦(くろこげ)()けて()るのであつたので、これは/\と一(どう)苦笑(にがわら)ひ。

 其間(そのうち)正午(ひる)になつたので、一先(ひとま)座敷(ざしき)引揚(ひきあ)げ、晝餐(ちうさん)饗應(きやうおう)()け、それから(また)發掘(はつくつ)(かゝ)つたが、相變(あひかは)らず破片(はへん)()(くらゐ)(やうや)くそれでも鯨骨(げいこつ)一片(ひとひら)と、石槌(いしづち)打石斧(だせきふ)石皿(いしざら)破片(はへん)など掘出(ほりだ)した。公爵(こうしやく)水谷氏(みづたにし)も、大概(たいがい)其邊(そのへん)獲物(えもの)

 三()(ごろ)に、坪井博士(つぼゐはかせ)()られたが、()發掘(はつくつ)よりは、焚火(たきび)(はう)(さか)んで格別(かくべつ)(こと)はなく、談話(だんは)(はう)にばかり熱中(ねつちう)して()ると、兒島邸(こじまてい)侍女(じぢよ)牛乳入(ミルクいり)珈琲(コーヒー)持運(もちはこ)んで()た。

 貝塚(かひづか)()りながら、珈琲(コーヒー)()むなんて、ドロボツクル(はじ)まつて以來(いらい)贅澤(ぜいたく)だと大笑(おほわら)ひ。

 (しか)るに、中途(ちうと)()えて()大瀧氏(おほたきし)(あら)はれて、懷中(ふところ)から磨製石斧(ませいせきふ)完全(くわんぜん)(ちか)きを取出(とりいだ)し、坪井博士(つぼゐはかせ)(まへ)()して。

『これは先日(せんじつ)此附近(このふきん)散歩(さんぽ)して()(ひろ)つたのです。如何(どう)大學(だいがく)へお(おさ)めを(ねが)ひます』と()ふ。

 博士(はかせ)莞爾(くわんじ)として。

『これでは(おそ)()て、それで(すこ)しも()らない(もの)が、一(ばん)勝利(しやうり)()(わけ)ですね』

 水谷氏(みづたにし)()とは(あたま)()くの(ほか)はなかつた。

 ()くして四()(ごろ)發掘(はつくつ)()め、同邸(どうてい)()し、公爵(こうしやく)汽車(きしや)にて歸京(ききやう)せられ、博士(はかせ)水谷氏(みづたにし)とは、()(とも)權現臺(ごんげんだい)遺跡(ゐせき)(まは)り、それから、わが太古遺物陳列所(たいこゐぶつちんれつじよ)立寄(たちよ)つて、()飯田氏(いひだし)採集品(さいしふひん)を一(けん)し、()()つて歸京(ききやう)せられた。

      *  *  *  *  *  *  *  *

 此後(こののち)杉村氏(すぎむらし)は、東京朝日(とうきやうあさひ)世界(せかい)(しう)會員(くわいゐん)(とも)に、米國(べいこく)(わた)り、ボストンにて(はか)らずモールス()面會(めんくわい)し、余等(よら)(とも)大森貝塚發掘(おほもりかひづかはつくつ)(こと)(かた)り、(焚火(たきび)(こと)(かた)られたが如何(どう)だか)それから繪端書(ゑはがき)()署名(しよめい)()ひ、それを()(もと)まで()せられた。

 人類學會(じんるゐがくくわい)會員(くわいゐん)として、モールス()のお墨附(すみつき)? を()つて()るのは()(ぼく)だけだらうと(かんが)へて、これを水谷氏(みづたにし)(はな)すと、水谷氏(みづたにし)(へん)(かほ)をして。

()んだ、(きみ)もですか、これは如何(どう)失望(しつばう)した。(じつ)はモールスの署名(しよめい)は、(ぼく)ばかり(もら)つたのだと(おも)つて、先日(せんじつ)杉村氏(すぎむらし)()つた(とき)に、(じつ)天下一品(てんかいつぴん)だ、完全(くわんぜん)土器(どき)を百(もら)つたより(うれ)しいと(れい)()つたのだつたが』

(しか)らば、天下(てんか)(ひん)なんだ。まア()いです』と()(なぐさ)めたが、(あるひ)(また)兒島氏(こじまし)大瀧氏(おほたきし)(ところ)にも、天下(てんか)(ぴん)(とゞ)いて()はせぬか?

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