3話 深川浅景(3)
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見てすぎつ。いまの墓地の樣子で考へると、ぬれ佛の彌陀、地藏菩薩が、大きな笠に胡粉で同行二人とかいて、足のない蟹の如く、おびたゞしい石塔をいざなひつゝ、あの靈巖寺の、三途離苦生安養――一切衆生成正覺――大釣鐘を、灯さぬ提灯の道しるべに、そことも分かず、さまよはせ給ふのであらうも存ぜぬ。
「やあ、極樂。おいらんは成佛しました。」
だしぬけに。……
「納屋に立掛けた、四分板をご覽下さい、極……」といひ掛けて、
「何だ、極選か――松割だ。……變な事を考へてゐたものですからうつかり見違へました。先達またへこみ。……」
次々に――特選、精選、改良、別改、また稀……がある。
「こんな婦なら、きみはさぞ喜ぶだらう。」
さもあらばあれ、極樂の蓮の香よりたのもしい、松檜の香のぷんとする河岸の木小屋に氣丈夫に成つた、と思ふと、つい目の前の、軒先に、眞つかな旗がさつとなびく。
私はぎよつとした。
「はゝゝ、欅の大叉を見せて、船の梶に成る事、檜の大割を見せて、蒲鉾屋のまな板はこれで出來ますなど、御傳授を申しても一向感心をなさらなかつたが、如何です、この旗に對して説明がなかつた日には、海邊橋まで逃げ出すでせう。」
案内者は大得意で、
「さ、さ、私について、構はず、ずつとお進み下さい。赤い旗には、白拔きで荷役中としてあります――何と御見物、河岸から材木の上下ろしをする長ものを運ぶんですから往來のものに注意をします。――出ました、それ、彼處へ、それ、向うへ――」
うしろへも。……五流六流、ひら/\と飜ると、河岸に、ひし/\とつけた船から、印袢纏の威勢の好いのが、割板丸角なんぞ引かついで、づし/\段々を渡つて通る。……時間だと見え、揃つて揚荷で、それが歩板を踏み越すにつれ、おもみを刎ね返して――川筋を横にずつと見通しの船ばたは、汐の寄るが如く、ゆら/\と皆ゆれた。……深川の水は、はじめて動いた。……人が波を立てたやうに。――
「は、成程、は。」
案内者は惜し氣もなく頭のはげを見せて、交番でおじぎをしてゐる。叱られたのではない。――橋を向うへ渡らずに、冬木の道を聞いたのであつた。
「おなじやうでも、冬木だから尋ねようございますよ。これが、洲崎の辨天樣だとちよつと聞き惡い……てつた勘定で。……お職掌がら、至極眞面目ですからな。」
振返ると、交番の前から、肩を張つて、まつ直ぐに指さしをして下すつた。細い曲り角に迷つたのである。橋から後戻りをした私たちは、それから二度まで道を聞いた。
この横を――まつすぐにと、教はつて入つた徑は、露地とも、廂合ともつかず、横縱畝り込みになつて、二人並んでは幅つたい。しかも搜り足をするほど、草が伸びて、小さな夏野の趣がある。――棄り放しの空地かと思へば、竹の木戸があつたり、江一格子が見えたり、半開きの明窓が葉末をのぞいて、小さな姿見に荵が映る。――彼處に朝顏の簪さした結綿の緋鹿子が、などと贅澤をいつては不可ない。居れば、誰が通さう?……妙に、一つ家の構へうちを拔き足で行く氣がした。しをらしいのは、あちこちに、月見草のはら/\と、露が風を待つ姿であつた。
こゝを通拔けつゝ見た一軒の低い屋根は、一叢高く茂つた月見草に蔽はれたが、やゝ遠ざかつて振返ると、その一叢の葉の雲で、薄黄色な圓い月を抱くやうに見えた。
靄が、ぼつとして、折から何となく雲低く、徑も一段窪んで――四五十坪、――はじめて見た――蘆が青々と亂れて生えて、徑はその端を縫つてゐる。雨のなごりか、棄て水か、蘆の根はびしよびしよと濡れて動いて、野茨の花が白く亂れたやうである。
時しも、一通り、大粒なのが降つて來た。蘆を打つて、ぱら/\と音立てて。
「ありがたい、かきつばたも、あやめもこゝには咲きます。何、根も葉もなくつても一輪ぐらゐきつと咲きます。案内者みやうがに、私が咲かせないでは置きません。露草の青いのも露つぽくこゝに咲きます。嫁菜の秋日和も見られますよ。――それに、何ですね……意氣だか、結構だか、何しろ別莊、寮のあとで、これは庭の池らしうございますね。あの、蘆の根の處に、古笠のつぶれたやうな青苔の生えた……あれは石燈籠なんですよ。」
よく見ると、菜屑も亂れた。成程燈籠の笠らしいのが、忽ち、三ツ四ツに裂けて蝦蟇に成つたか、と動き出したのは、蘆を分けて、ばさ/\と、二三羽、鷄の潛りながら啄むのである。鮒や、泥鰌の生殘つたのではない、蚯蚓……と思ふにも、何となく棄て難い風情であつた。
しばらく視めたが、牡鷄がパツと翼を拂いて、雨脚がやゝ繁く成つたから、歩行き出すと、蘆の根を次第高に、葉がくれに、平屋のすぐ小座敷らしい丸窓がある。路が畝つて、すぐの其縁外をちか/″\と通ると、青簾が二枚……捲いたのではなかつた、軒から半垂れた其の細いぬれ縁に、なよ/\として、きりゝとしまつた浴衣のすそが見えた。白地に、藍の琴柱霞がちら/\とする間もなく、不意に衝と出た私たちから隱れるやうに、朱鷺の伊達卷ですつと立つ時、はらりと捌いた褄淺く、柘榴の花か、と思ふのが散つて、素足が夕顏のやうに消えた。同時に、黒い淡い影が、すだれ越にさつと映した、黒髮が長く流れたのである。
洗髮を干かしてなどゐたらしい。……そのすだれを漏れたのは、縁に坐つたのか、腰を掛けたのか、心づく暇もなかつた。
「……ざくろの花、そ、そんな。あの、ちら/\と褄に紅かつたのは螢の首です。又ぽつと青く光るやうに肌に透き通つたではありませんか。……螢を染めた友染ですよ。もうあのくらゐ色が白いと、影ばかり、螢の羽の黒いのなんざ、目が眩んで見えやしません。すごい、何うもすごい。……特選、精選、別改、改良、稀――です。木場中を背負つて立て。極選、極樂、有難い。いや魔界です、すごい。」
といふ、案内者の横面へ、出崎の巖をきざんだやうな、徑へ出張つた石段から、馬の顏がヌツと出た、大きな洋犬だ。長啄能獵――パン/\と厚皮な鼻が、鼻へぶつかつたから、
「ワツ。」
といつた。――石垣から蟒が出たと思つたさうである。
犬嫌ひな事に掛けては、殆ど病的で、一つはそれがために連立つてもらつた、浪人の劍客がその狼狽へかただから、膽を冷やしてにげた。
またゐた――再び吃驚したのは三角をさかさな顏が、正面に蟠踞したのである。こま狗の燒けたのらしい。が、角の折れた牛、鼻の碎けた猪、はたスフインクスの如き異形な石が、他に壘々としてうづたかい。
早く本堂わきの裏門で、つくろつた石の段々の上の白い丘は、堀を三方に取した冬木の辨財天の境内であつた。